さよなら、バナナ。

千田伊織

バナナ人間

「『人間はおよそ30年前に絶滅したとされる種族であり、私たちを作り上げた母なる存在とも言えますが、非常におろかな生き物でした。私たちバナナ人間に地球を奪われ、高等生物としての生きる場所を失ったのです』。次の段落から君、読んでください」


 僕は教師にうながされて立ち上がる。


「『一人の名高い研究者である人間が、バナナと人間の遺伝子は五十パーセント一致している、という話をもとにバナナから人間を練成しようと試みたのが始まりです。その天才学者、オイシ・バナナスキーが所属していた研究所が今のバナナスキー工場です』」


 キリのいい場所までで言葉を切り上げると、教師はうなずいて座る許可をくれた。


「では、今回社会見学に向かうのはこのバナナスキー工場です。主に、私たちの主食であるエネルギーレーションやバナナエキスレーションの生産を行っています」


 僕はふむふむ、と頷いた。


 教室には七人ほど、僕と同じ見た目のバナナ人間が座っている。

 ここは第七バナナ区にある唯一のバナネ学校。バナナ生、十五年から十八年ほどのバナナ人間が学びを得る場所だ。僕は今までにバナナ園、バナニ学校、バナヌ学校と進学してきた。バナナ人間の普通のバナナ生を送っている。


「明日の工場見学のしおりを渡します。集合場所は工場のある第八バナナ区の正門です。集合時刻は八時です。遅れないように!」


 教師は生徒たちに念押しした。


 ついにやってきた、バナナスキー工場への見学の日。誰もが待ちに待つ一大イベントだ。この日を終えた一部の生徒は、工場へエネルギーの補給としてバナナ生を終える者もいるという。

 僕はそのような人間のようなことはしないが、工場には十六年間積もり積もった期待があった。

 今晩は眠れないかもしれない。

 今からそんな心配をしながら、僕はバナナの木でできた椅子から立ち上がった。






 バナナ人間。

 特徴はバナナの皮のような髪、年を取るにつれて黄色に熟してゆく肌、それから指が四本であることだ。そう、バナニ学校の最初の授業で学ぶ。

 人間のような奇妙な色の肌も持っていないし、様々な色の髪もない。統一とは素晴らしいものである、とも。


 昔のJKなる民族は、美容の観点からバナナをすり潰したドリンクを常に摂取していたと聞くし、食品を売っていたスーパーという店ではバナナはずいぶん安く売られていたらしい。そんな風にないがしろにされていたバナナが今や、人間より優位に立っている。

 そのほこりりと優越感を僕は工場で、最も噛みしめることができるのだ……!


「先生、また一人で何か言ってます」

「工場が楽しみなんでしょう。そっとしておきなさい」


 第八バナナ区は第七バナナ区と比べて随分簡素な作りだった。正門をくぐればすぐ目の前に工場がある。

 工場は巨大で、この建物の中でバナナ人間のエネルギー供給源のすべてが生産されていると思うと、変な動きが止まらない。


 とまあ、このハイテンションが良くなかったようだ。

 僕は今いつの間にか社会見学のグループからはぐれていた。あまりに素晴らしい機械に張り付いて隅々まで観察しているうちに、あまり興味のない同級生らに置いて行かれたようだ。

 僕は仕方なく、それらしい順路を辿ってみる。矢印はところどころで途切れており、次第に完全に迷ってしまったことに気が付いた。


「どうしたらいいんだ」


 他に従業員は、と見渡してみるが、完璧な完全電動工場のため、働くバナナ人間も見つけられない。

 今までこんな間違いはしてこなかった。いかに完璧で、いかにできた人生を送れるか。そこに重点を置いていたはずなのに。

 僕は非常事態に焦っていた。次第に足は早くなる。

 どこかに出口さえあれば。


 僕は心の底から願った。そうしたらその声に応えたかのように、EXITと書かれた扉が現れたのだ。


「あった!」


 外に出てしまえばどうにかなるだろう。

 僕は安易な気持ちでその扉を押し開けた。


 



 そしたら、どうだろう。


「……ここは、どこだ?」


 第八バナナ区に間違いないはずだが。


 ざわざわとあたりは騒がしい。街の人々は僕の姿を見てひそひそと会話を交わす。

 どういうことだ。

 僕の常識は今この瞬間に、崩れ去っていた。


 まばらな色の肌を持つ、黒い繊維のような髪の、そして指は五本。


「人間、か……?」


 もうほとんど絶滅して今この世には数十名しか生きていないはず。だというのに、今の目の前で僕の前を素通りしてゆくのは、紛れもなく人間。そしてその数は視界に入れた分だけでも百は超えるだろう。


「ねーえ、きみ大丈夫?」

「ひっ!」


 突然死角から呼びかけられて僕は飛びのいた。


 黒い髪を茶色に染めて、巻いている。ぷるぷるの唇。爪は長く、その手にはバナナジュース!

 JK女子高生!!


「うわああああっ!」

「えっ、どしたん?」


 僕はその勢いのまま走り出した。

 JKとはバナナジュースを週に一度飲まなければいけない種族だ。僕もしぼられて飲まれてしまう。

 僕は叫びながらできるだけ人のいない場所に逃げ込んだ。

 工場の外にでたら絶滅しているはずの人間が沢山いて、恐ろしいJKという種族に声をかけられて。


 木が均等に生えた場所──教科書によればおそらく公園──にやって来た。人気のなさから気が抜けたようだ。僕はそのまま足をつまづかせて盛大に転んだ。


「散々だ……もう」

「ねえ、大丈夫?」


 トラウマ再来。

 慌てて身をひるがえし──実際は地面を転げただけだった──胸の前で腕をクロスさせる。


「……」

「大丈夫?」


 なんだ?

 おかしい。先ほどのJKとは少し見た目が違う。

 髪の毛は黒いままで、爪も長くない。手には……なんだ、それは?

 いくつかの茶色いものがくしに貫かれている。

 彼女は僕の視線に気づいたようで、手に持っている串に目を向けた。そして、その視線を僕に移してくる。


「いる?」

「いらないっ! というかなんだそれは……」

「牛タン串だよ。毎朝、家で焼いて串にさすの」


 ギュウタン串?

 お祭りなどで提供される、綿菓子やりんごあめ、卵せんべいに並ぶおいしい食べ物だったか。


「今日はなにかのお祭りなのか?」

「違うよ。……食べる?」

「だから食べない!」


 JKらしいJKじゃない彼女は少し不服そうに頬をふくらませると、串に刺さった一つを嚙みちぎって咀嚼そしゃくした。

 少なくとも、おかしなやつに絡まれてしまったようだ。

 親しみやすいオーラのせいでだまされていたが、彼女も人間。


「悪いが僕は行く」

「貴方バナナ人間なのに、どこに行くの? 研究所?」

「……研究所?」


 服についた砂ぼこりを払って立ち上がろうとしたとき、僕は聞き覚えのない単語に首を傾げた。


「あーごめん。これはバナナ人間は知らないんだっけ」

「何を言ってるんだ……?」

「とりあえず牛タン、食べる?」

「食べないっ!」


 拒絶むなしく、JKはその細い指を伸ばして僕の手を掴んできた。抵抗するのも間に合わずJKは強引に僕を立たせる。

 彼女は全身を舐めるように見ると、うんと一つ頷いた。

 

「変装した方が良さそうだね。普通、ここにバナナ人間はいないし。その見た目は目立っちゃう」


 そして僕はあれよあれよと住宅街に引っ張られていった。


 僕は周囲の建造物と一線をかくした大きさを誇る豪邸ごうていに立ちすくんだ。JKは立ち止まった僕を振り返って、玄関のドアを開いて招いてくれているが。


 一体彼女は何者なのだろう。

 初対面の僕に手を差し伸べて、いやむしろ強引に。


 おそるおそる敷地に足を踏み入れる。靴を脱いで、JKの後ろをついて歩く。

 家には誰もいないようだった。Jkはいまだにギュウタン串とやらにかぶりついていて、そんな彼女に僕は声をかける。


「親はいないのか? 人間は父親と母親と兄弟と同じ家で暮らすんだろう?」

「物知りだね。優秀だったの?」

「……成績は。今僕は教科書外の内容を目にして驚いている。全知だと思っていたが、そうじゃなかったらしい」

「そう悲観的になるもんじゃないと思うよ」


 JKはある部屋の前で立ち止まると、扉を押し開けた。

 内装はモノトーンで揃えられていて、勉強机とベッド、それから本棚だけが家具として置かれている。随分ずいぶん殺風景だ。


「君の部屋か?」

「そう。ちょっと外で待ってて。今探すから」


 僕は部屋から一歩後ずさると、長い廊下を再び見渡した。なにせ豪邸だ。部屋数もマンション並みにある。

 そのときふと、一つの扉が目に付いた。その扉は他と変わらない見た目をしていたが、薄く開いていたのだ。

 僕は吸い寄せられるように、その部屋に近づくと隙間すきまから覗き見る。いつもなら良くないことだと分かるはずだが、無意識に眼球を動かしていた。


 JKの父親の部屋だろうか。ネイビーのカーテンが引かれていて、室内は薄暗い。

 僕はもどかしくなって扉を開いた。そのまま誘われるように室内で主張するデスクに手をえる。

 そこには大きな地図のようなものがあった。


 昔あったと授業で聞いた、日本という国の地図に似ている。その国の首都であったらしい東京に矢印が伸ばされていて、先には『バナナ人間社会実験場』と書かれていた。


「……社会実験場?」


 僕はたまらずにその地図を手に取った。その下には数枚の紙が隠すように置かれていたことに気づく。

 なんだこれは。




『バナナ人間社会実験計画』

 バナナ人間という人間に類似した生物を用い、人間の社会の擬似的なシミュレーションを行う。

 注意点その一。バナナ人間には人間がまだ現存することを知られてはいけない。

 注意点その二。バナナ人間は地球上でもっとも賢い生物だと信じ込ませる必要がある。

 注意点その三。バナナ人間が実験場から脱出した場合、対象のバナナ人間を始末しまつすること。




 僕は紙を取り落としてしまった。

 混乱で上手く思考がまとまらない。

 僕たちバナナ人間は、人間の社会実験に使われていたというのか。それなら僕は人間にとってかなりの成功実績というわけじゃないか。


「あれ、バナナくん?」


 僕は後ろから聞こえてきたJKの声に驚いて、肩をすくめながら振り向いた。

 JKは対照的に肩を落として「あー……」と気の抜けた声を出す。手には人間の髪の束のようなものが握られていて、状況にひどくアンバランスだった。


「知っちゃったかぁ」

「……始末するのか」


 僕は声を絞り出した。

 どうしようもなく、目の前の人間が怖い。今までピラミッドの頂点に君臨していたと思っていたのに、ここまでしてやられるなんて。

 沈黙の中に早鐘はやがねが打つ音だけが響いている。


「……」

「……」

「ん? いや、しないけど。ほらウィッグ持って来たよ」

「……は?」


 僕は構えるような姿勢をやめて、気の抜けた声がれた。


「始末するならさっさとやっちゃうって。わたしはできるだけ穏便に事を済ませたいの。バナナ人間たちを……実験のためとはいえだましてるのは事実だし」


 JKは後頭部を荒っぽく掻きむしると、手に持っていた髪の束を突き出す。やるせないようなその素振りに僕は戸惑いつつ、ウィッグという名前のそれを受け取った。






 僕は他人の家のソファに浅く腰を下ろしてうなだれた。

 隣ではJKが何事もなかったかのようにリモコンを操作している。テレビの内容は、僕が普段見るようなものとは全く違って、チャンネル数もたくさんあった。


「そんなに気にすることじゃないよ」


 JKは不器用にも慰めようとしてくれているのかそんなことを言う。

 借りたウィッグは結局頭の大きさに合わず、ソファの肘置きカバーとなっていた。


「なんて、わたしが言うことじゃないか」


 テレビから目を離した彼女と視線が交差する。

 僕は後ろめたくなって、目を逸らした。


「……僕はずっと、何も知らないまま人間のおもちゃだったんだ」

「そうだね」

「優等生は人間の人気遊具で、劣等生は人間からしたら不良品なんだろうな。そうだって初めから知っていたら、劣等生をやっていたのに。僕は……」


 それにクラスメイトもだ。

 皆優等生になることを強いられて、それに拒否感を示すことなくイエスマンになってきた。全員被害者だ。

 何も知らないまま生まれて、優越感に浸って生きて、何も知らずに死んでいく。それを人間は記録するのだ。


「寿命が三十年とも持たないのは、人間たちの操作だったわけだな」


 僕はひと際大きくため息を吐くと、肩を落として目を伏せる。

 どうしようもない絶望感が身体をまとわりついていた。


「……じゃあさ」


 しかし独白を聞き届けたJKは僕の目を見据えてにや、と不敵に笑った。


 そうだ、この人間はずっと僕を面白がったり、怖がったりしない。普通、実験道具が自分たちの住む場所にやってきたら、おびえるのが当然だ。


「じゃあ、やっちゃう?」

「何をだ……?」

「『バナナ帝国破壊計画』」


 僕は呆気に取られて、反応が出来ずにいた。

 誰かが言った。沈黙は肯定。


 彼女はリモコンを放り出して体を投げ出した。太陽みたいな笑顔でからっと笑う。


「全部、壊しちゃおう!」












 僕は爆音に耳をふさいだ。破裂音の連続のようなその重みのある音はヘリコプターのものだ。

 操縦そうじゅう席にはJkが座っていて、どこか破壊的な笑みで操縦そうじゅうかんを握っている。

 そして僕の手には爆弾が握られていた。びんの中に液体が入っていて、それを上空からばらまくことでガラスが割れ爆発させる算段だ。


 これらは彼女が隠し持っていたものだった。

 JKは多くは語らないが、元からこの実験にいい印象を抱いていないようだ。父親の部屋に実験の計画書があったことから、彼女も実験に詳しいのだろう。


 彼女は変わらず口に牛タンを頬張っていて、僕は思わず吹き出してしまった。


「『ビバ! 世界終焉しゅうえん!』だね」

「そうだな」


 場所はバナナ帝国上空。

 見下ろせばいつも通っていた学校や、見学に行ったすべての始まりの場所工場なんかが大きく見える。区切られた地区の数は全部で三つ。第七バナナ区とか言っていたが、大きく見せるためのトリックだったわけだ。


 僕は彼女が振り向いてうなずくのを確認して、ヘリの扉を開け放った。強い風で飛ばされそうになるのを、手すりを掴んでなんとか耐える。

 このガラス瓶を落とせばこの下は阿鼻あび叫喚きょうかん。バナナ人間は不幸に死ぬが、人間も実験の失敗になげくことになる。


「落とすぞ!」

「やっちゃえ、バナナくん!」


風の音が響く中、僕は叫ぶと腕を精一杯せいいっぱい振った。ひとつ、ひとつ掴んでは今まで生まれ育って来たバナナ帝国へ投げ込んでいく。


「……は、はは」


 から笑いが無意識にれて、がひきつっていた。

 街が炎に包まれていく。

 無機質なバナナ帝国は火の海に生まれ変わっていった。


 ヘリはゆっくりと動いて、僕は次々と手を離していく。そして工場の上空にぴたりと付けた時、びんの入った袋を勢いよく投げ落とした。


「扉閉めて! すぐ離脱するよ」


 僕は言われた通りすぐさま扉を閉める、なんてことはしなかった。


「……何してるのっ⁉ 早く閉めないと、爆発が──」






 でもこの帝国を愛していたのには変わらないのだ。


 僕は自分の身もヘリから乗り出すと、JKにきちんと聞こえるように大声で言った。


「僕もあわれなバナナ人間だ、JK。バナナ人間が全員死んで、この作戦は完全に遂行すいこうされたことになる」

「いいから閉めてっ!」

「じゃあな、最後の人間。僕は君のおかげで人間をにくまずに済む」


 僕は手すりから手を離した。

 ゆっくりと体は逆さになって、火の街へ沈んでいく。


「──!」


 JKの声が聞こえる。


 僕はそっと目を閉じた。皮膚ひふを炙るような感覚に眉をひそめる。熱い。

 バナナ人間は人間より熱さに弱い。Jkはそれも知ったうえで爆破計画を立てたわけだ。バナナ人間の社会実験を行う研究者の娘にふさわしい。


 そして数秒後、僕は盛大な爆発音と自分の身体がひしゃげる音を聞いた。








「──そう言うわけで、バナナ帝国は滅びました。人間たちの計画は一人の人間と一体のバナナ人間によって破壊されたわけですね。これはとんでもない失態しったいです」


 女性の教師は教科書を片手に、黒板へチョークをすべらせる。かつかつ、という音は小学生たちの賑やかな声でかき消されていた。


「はい、先生!」


 一人の生徒が手を挙げたのに気づいて、教師は指名する。


「どうかしましたか?」

「この事件っていつ起きたんですか?」

「良い質問です」


 女性は再び黒板に文字を書き連ねると、チョークを受け皿に置いた。


「およそ今から十年前です。皆さんが生まれる前ですね」

「先生が何歳の時ですか?」

「先生がですか? うーん、ちょうど十七のときですかね?」


 教師は首を傾げながらにっこりと笑った。


「先生さ、みんながおしゃれしてる中でひとり牛タン食べてそうじゃない?」

「わかる! ねえわたし、このまえ先生が職員室で牛タンの焼肉してるの見たよ」

「鉄板持ってきて、教頭先生に怒られてたやつだろ?」


「こら、私語しごは厳禁です。授業に関係のあることだけ話してください」


 口々に話す生徒たちを教師はたしなめた。

 そしてしばらく冷めないざわめきの中で、ひっそりと教科書に目を戻す。


「……バナナくん、きみは人間をおもちゃにできた初めての人外だよ」


 教師は人目を盗んで、教科書の中のヘリから飛び降りる瞬間を激写されたバナナ人間に微笑みかけた。








『さよなら、バナナ。』fin.

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さよなら、バナナ。 千田伊織 @seit0kutak0

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