セールス、イカ

あべせい

セールス、イカ



「車!? あなた、さっきはマンションといわなかった?」

「はい。最初は分譲マンションをお勧めしました」

「こんどは、車なの。どういうことよ」

「車がいらないとおっしゃるのでしたら、宝石をお勧めいたしますが……」

「いったい、あなたは何屋さんなのよ?」

「なんでも屋といったほうがいいかもしれません。うちの会社はいろんな販売会社と契約しておりまして、全部で1ダース、12種類の商品を扱っております。お客さまの生活レベルに応じて、商品をお勧めしている次第です。12の商品、全部、ご紹介いたしましょうか」

「冗談じゃないわ。忙しいの! あんたのようなヒマ人を探したら!」

 乱暴にドアが閉じられる。

 このセールスはダメだよな。うちの社長は何を考えてンだろう。「12も売るものがあるんだ。大金持ちから貧乏人まで、どんな連中にも1つは買える品物がある。これでセールスができないというヤツは、セールスなんかやめてしまえ! 1日最低30万円、売れるまで、帰って来るンじゃねェゾ!」って。

 毎朝、お経のように訓示を垂れているが、一度自分でやってみろ。固定給10万に、あとは売り上げの3%が歩合給だ。だから、山っ気のあるやつはマンションばっか、セールスしている。5千万のマンションが成約すれば、150万の実入りだから、自転車や羽毛布団なんかをチマチマ売ってらンない。わかる、わかる。オレだって、きょうは、昔の知り合いを訪ねて、電磁調理器を2セット、ブランデー、ウイスキーをとりまぜた洋酒セット1点、それから通りすがりにパンクで困っていた主婦を捕まえ、電動アシスト自転車を1台、半ば押し売り状態で、ようやく売ることができた。締めて、11万5千3百円也だ。30万までは、道半ばにも届かない。どうする? 先月から、入居が始まったこの住宅団地は、IT関連の中流層が大半だと聞いている。新築だから、リフォームは用なし、家具のセールスが無難だろうな。

 インターホンを押す。

「はーい。遅いじゃないの」

 人違いの場合は、そのまま押し通す。これが、オレのやり方だ。

 ドアが開き、30半ばの主婦が顔を出す。

「遅くなりました。申し訳ございません」

「ベッドはどこ? 昨日、届くはずだったじゃない。どういうことよ」

「ベッド! これは運が回ってきた。奥さま、ご注文いただきましたベッドは、生産中止になっておりまして、在庫が1点あるということでお受けしたのですが、倉庫から出してみますととんでもないキズが見つかりまして、出荷を見合わせた次第です。それで、本日は私が、それに代わる素敵なベッドをご案内に参じました」

「そんなこと、いまになっていわれても困るじゃない。あのベッドはアウトレットで格安だったのよ。多少のキズくらい、我慢するからもってきて」

「それが……」

 なかなか手強いゾ。

「多少のキズじゃないンです。ベッドの脚がひび割れて……」

「ひび割れ? ひび割れくらい、補修できるでしょう。主人は日曜大工が得意だから、その分、値段を安くしてもらえればいいから」

「それが……ベッドの脚はひび割れて、折れています」

「折れている脚は1本? 1本くらいなら、なんとかするわ」

 こいつは油断ならないお客だ。

「それが、2本、いや3本、折れています」

「そんなに! 仕方ないか。で、ほかどんなベッドがあンの?」

「よくぞ、聞いてくださいました。私がお勧めするベッドは、脚が4本ともございます」

「当たり前じゃない。それ、パンフレットね。見せて」

 ピンポーン。

 最悪のタイミングだ。

「宅配便です」

「また? どこからかしら? ごめんなさい。あなたの後ろのドア、開けてくださらない?」

「ドロボーかも知りませんよ。よろしいンですか」

「なに言ってンのよ。開けて!」

 宅配業者が、

「遅くなりました。ベッドをお持ちいたしました」

「アレッ!? きみは宅配業者だから、知らないだろうけれど、そのベッドは壊れたって聞いていたよ。だから、ぼくがいま奥さんに別のベッドの説明をしていたところだ」

「あなたは?」

「家具屋だよ」

「あなたたち、何おしゃべりしているの。わたしが注文したベッドなンでしょう。だったら、中に運んでよ」

「すぐに車から降ろします」

「ぼくも手伝うか」

 言いつつ宅配業者と外に出る。

「じゃ、ぼくはここで失礼する」

「手伝うンじゃないンですか?」

「そんなヒマないよ。ベッドを売らないと。こっちは忙しいンだ」


 あの奥さん、いい女だった。あと少しなンだ。あの奥さんなら、ベッドじゃなくても、買ってくれる。そうだな、ベッドを買っているンだから、あとはドレッサー、クローゼット、いろいろあるゾ。ほとぼりが冷めた頃、再訪だな。きょうは、いけそうだ。よし、気合いを入れて、次ダ! エーッと……この家がいい。

 ピンポーン。

 出ない……ウーム、しかし、電気のメーターは勢いよく回っている。2階のベランダには布団が干してある。国産だが、車も自転車もある。ゴミを出しに行った気配はない。近くのコンビニに買い物か。しかし、この辺りにコンビニは見かけなかった……。

「何でしょうか?」

 エッ。

「こちらの方ですか?」

「はい」

「私、外車、いや違う。薬……」

 いや薬は先月やめた。しっかりしろ。こんなことで慌ててどうする。

「何か、ご用でしょうか」

 婦人、手にしているスマホを構え、

 まずい。警察にかけるつもりか。この家の表札は……よしッ!

「奥さま、私、ジュエリーのセールスですが、同僚の常陸という女性が訪ねてきませんでしたでしょうか」

「常陸さん? 何時ごろですか」

「いまから2時間ほど前です。2千万円のジュエリーを持って会社を出たのですが、その後連絡がつかなくなりまして、私が駆けつけたわけです」

「何かのお間違いでしょう。常陸さんという方とお約束はありません」

「お気を悪くなさらないでいただきたいのですが、3丁目といいますと、この一帯ですよね。常陸は3丁目の『柿木』さんを訪ねると言っておりましたので」

「3丁目も広いですから、ほかをお探しになったら。ほかにも柿木さんってあるンじゃないですか」

「そうでしょうか。この辺りには柿木さんは多いのですか?」

「存じません。役所で聞いてください!」

 婦人、家に入りドアを閉める。

 これで諦めるか? 津軽白光が、この程度の屈辱で引き下がるのか!

「おい、白光」

「アッ、南部!」

「なにやってンだ。ここの人妻を誘惑しそこねた、って顔だな」

「バカ野郎! そんなンじゃない」

「柿木さんは、外車を買うンだ。おまえは邪魔だから、どけェ!」

「危ないじゃないか!」

 ピンポーン。

「奥さん、南部です」

「あらッ、南部ちゃん。遅かったじゃない」

 南部、津軽を振り返り、

「セールスはこうやるンだ。ドジ、間抜け!」

 ドアが開き、

「いらっしゃい。南部ちゃん」

「奥さま、本日はジャガーの試乗です。空は快晴、最高の試乗びよりです」

「南部ちゃん、悪いンだけれど、ジャガーは今年ダメになったの。主人が海外出張することになって、外車は出張先で乗るからって。ゴメンなさいね」

「エッ!? 奥さん、納車日も決まって、明日には車検が降りるンですよ。それは、ないですよ!」

「仕方ないでしょう。こっちにも都合があるンだから。来年、来年なら、間違いなく買うから。それまで待って」

「奥さん、内金ももらっているンですよ。契約違反じゃないですか!」

「大声出さないで! 内金の5千円はあなたにあげるから、いいでしょ」

「課長になんて報告するンだ。白光、おまえ、こういうときどうした? 昔の同僚のよしみで、教えてくれ……」

「ジュエリーのセールスの方、まだいらっしたの。ちょうどよかった。いま電話しようと思っていたの」

「はァ? 私、ですか?」

「そう、あなた」

「南部、邪魔だ。どけ! はい、奥さん、何でしょうか?」

「外じゃ、話せないから、中に入ってくださらない?」

「喜んで」

 南部に、

「外で、静かに待ってろ」

 津軽、ドアを開けて中へ。

「あなた、お名前、まだ聞いていなかったわ」

「津軽白光と申します」

「津軽白光、いい名前ね」

「みなさん、そうおっしゃいます。それで、どんなご用件でしょうか」

「いまお二人のお話を聞いていたら、津軽さんは南部さんと、前は同じ職場だったンですって」

「私も以前、南部と一緒に外車のセールスをしていました」

「それはよかった。あのね。主人の出張はウソなンだけれど、いま我が家の家計は火の車なの。主人が仕事をしくじって降格され、給料が大幅ダウンするの。外車どころじゃない。だから、南部さんにうまく言い繕っておいてくださらない。あの人、怒ると、何をするかわからないところがあるでしょう」

「はァ……それだけですか」

「お礼もあるわ。うちから一軒おいて、桜木さん。あそこの奥さんと私、学生時代同期なの。いま景気がいいらしくて、宝石買いたいって言ってたから、セールスしてみたら」

「ありがとうございます。もし、買っていただけたら、奥さんにも謝礼します」

「ホント! 期待しているから。ガンバッテ!」

「失礼します」

 外へ。

「津軽、早かったな。どうだった?」

「外車はあきらめろ。あの家に無理やり納車なんかしたら、一家心中して化けて出るゾ」

「あきらめるのはいいが、買い付けたジャガー、どうすりゃいいンだ。買ってくれるお客、知らないか。津軽、後生だ。助けてくれ。一生、恩に着る」

「仕方ないか。但し、条件がある。成約から納車までいったら、おまえの歩合の5割をいただく」

「5割! キッツイな。まッ、この際、いいか」

「よし。柿木さんの一軒置いた隣の家、桜木さんだが、最近景気がいいらしく、金の使い道を探している、ってことだ。おれはジュエリーを売りつけるつもりだったが、おまえに譲る。早く、行けって」

「そうか! 隣の隣、桜木だな。ヨシッ、津軽、この借りは必ず返すからな」

 南部、駆けていく。

 あァ……あの男が借りを返すのは、幽霊と同じだ。噂はなんども聞くが、見たことない……しかし、どうしてオレは譲ったンだ? 恋人と顧客をオレから奪った南部なんかに。自分でもわけがわからない。自分を大きく見せたかったのか……

 あれッ、あそこにいるのは、常陸、こうしてみるといい女だ……おれが会社を出るとき、200万円のリングを持って会社を出たきり、連絡がないと部長が騒いでいた……

「常陸! キミ、こんなところで、何をやってンだ」

「津軽さん! たいへんなことになってしまって。ダイヤのリングが!」

「ダイヤのリングがどうしたンだ」

「ダイヤのリングが流れてしまって……」

「流れた、ってどういうことだ」

「わたし、お客さんの注文で、ダイヤのリングをきょう届けることになっていたことはご存知ですか」

「知っているよ。200万の売り上げだから、羨ましかった」

「それが、わたし、届ける前、駅前のスーパーのトイレに入ったンですが、そのときお客さんに渡す前に、どうしても自分の指にはめたくなって……」

 やはり、こいつは女なンだ。

「右手でリングを摘んで左の指にはめようとしたンです。そうしたら、リングが洗面台に落ちて、アッという間に見えなくなってしまって。いま頃、200万円のダイヤのリングは多摩川を流れています。津軽さん、助けてください。一生、恩に着ます」

 きょうは妙に恩を着せられる日だ。

「常陸、第一、キミのテリトリーはここじゃないだろう? リングの注文主は霞ヶ丘3丁目といっていなかったか?」

「そうです。でも、会社を出た直後携帯に、お客さん、杉原さんですが、電話があり、きょう急に実家に行くことになって、リングはそっちに届けて欲しいって、おっしゃったので、このみどり山団地に来たンです」

「オレが作った話も満更、間違っていなかった、ってことか」

「エッ?」

「いや、なんでもない。それで、約束の時間は?」

「あと20数分で約束の時間になります」

「それで、こんなところをうろついてどうしようと言うンだ」

「仕方なく、正直に話すしかないと、杉原さんの実家を訪ねる途中でした」

「杉原さんだって、急にそんなことを言われても困るだろう。まァ、いィか。キミはいくつだ?」

「いきなり、女性の年ですか。25ですが」

「オレは、35だ。キミより10年、人生経験が長い。洗面台を分解したことはないのか?」

「そんなこと! できるンですか」

「やらないと200万、自腹だゾ。ここに来る途中、ホームセンターがあったな」

「車が1500台駐車できる大きなホームセンターです」

「よし、工具を買って、スーパーに乗り込む」

「ハイ! 頼もしいわ! 津軽さん、独身ですよね」

「バカ野郎。こんなときに、何考えてンだ}

 悪い気はしないが……。


「津軽さん、ありがとうございます」

 常陸、手の中のリングを握り締め、

「これで、杉原さんにお渡しできます」

「洗面台の排水管は、臭気止め用に、だいたいあんな風なトラップになっているから、物を落としても、たいていはトラップに留まる。分解すると、トラップから水があふれるから、家でやるときはバケツで受けるンだな。きょうは、辺りが水浸しになって拭き取るのに往生したが、仕方ない」

「でも、津軽さん、わたしは女性トイレの外で、津軽さんが作業をなさっている間、『故障しています』と女性客にお断りしていましたが、お店のガードマンが来ないかとヒヤヒヤものでした」

「本当はスーパーの保安課に行って事情を話してトラップを外せばいいンだが、そんなことをしていたら、やたら時間がかかる。ガードマンが来なかったのは、トラップを分解する前、スーパーに、『駐車場で車がぶつかり、ドライバーどうし、大ゲンカしている』とウソの通報をしておいたンだ。10分は時間が稼げたかもな」

「津軽さん、すてき! わたし、津軽さんに……」

「早く、杉原さんの実家に行け!」

「はい」

 常陸、立ち去る。

「おい、津軽!」

「なんだ、南部か」

「いまの美女、知り合いか」

「職場の同僚だ」

「ホントか。だったら、オレも明日から、ジュエリーのセールスマンになるかな。そうだ。桜木さん、外車を買ってくれることになったヨ」

「そうか。じゃ、しばらくジュエリーは売りこめないか」

「桜木の奥さん、外車のパンフレットを取り寄せ、明日にもディーラーに電話しようと思っていたって。本当に、ラッキーだった」

「ラッキーじゃないだろう」

「エッ?」

「ノド元過ぎれば、か。まァ、いい。当てにしちゃいない。イヌは3日飼えば、3年恩を忘れぬと言うが、おまえは1日ももたない、ってことか」

「1日、もたない?」

「おまえは、イヌ以下ってことだ」

「イヌ以下、ってか? イヌイカなんて、聞いたことがない。墨イカか、ほたるイカなら、食ったことがあるが」

「イカの話ですべてチャラ、って? おまえはとんでもないことを、するめイカだが、今回は、マーイィカ」

 こんなおれは、やはり、セールスはヤリいィカ、むいていなイカ、か。

          (了)

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セールス、イカ あべせい @abesei

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