少年A
大塚
第1話
その男は一般的に裕福と称される家庭に生まれ、父と母、そして祖父母に溺愛されて育った。地域の中でも穏やかで良い雰囲気が流れていると評判の小学校に通い、サッカー部のエースとして活躍し、中学受験に成功して有名私立中学に進学し、中学三年生の冬に同級生の男子生徒を友人数名とともに嬲り殺しにして報道に乗った。殺害された同級生男子は今の言葉で表すならばオタクの陰キャで、私立中学への受験に合格しているだけあって成績は良かったが友達はおらず、その場に存在するだけで他生徒から「キモい」という心無い言葉を投げかけられる存在だった。加害者は未成年、被害者も未成年という殺人事件は校内での「いじり」行為の延長で発生した「いじめ」に端を発する事件として数々のセンセーショナルな言葉を用いて報道されていたものの、被害者は顔も名前も晒されるというのに、加害者に関してはあくまで「少年A」「少年B」といった呼称及び顔写真すべてにモザイクがかけられるという形で徹底的に人権を保護され、更には彼らが被害男児の指の爪をすべて剥がす、指の骨を全部折る(これらの行為は被害男児が小説家を目指しており、校内の休み時間にノートに自作の小説を執筆していたことを加害男児らが目撃した上で行われたと推察される)、自慰行為を強要しその姿を当時流行り始めたばかりのスマートフォンで撮影する、また殺害現場となった少年C(加害男児は全部で五人いた)の自宅ガレージに足を運びはしなかったものの彼らの「いじめ」行為を知っていた同級生に共有する、全裸で正座をさせその膝の上に大量の石材を乗せる、鉄パイプを用いた鶏姦を強いて直腸を破壊する等といった罪状は日本のみならず海外のメディアによって世界中に知られることとなったが、それでも尚加害男児とその家族のプライバシー──姓名、外見や職場といった情報は厳重に保護され続けた。
少年法の下で加害男児らは裁かれ、それぞれ三年から五年の有期刑を受けることになった。罪状は傷害致死だった。殺人ではなく。
「事件自体はもう十年以上前のことだよね。月日の流れって早いなぁ」
当時少年Aと呼ばれたその男は既に刑期を終えており、母方の祖父母と養子縁組をするという形で苗字を変え、高卒認定を受け、大学に進学し、就職活動を行い、父親のコネを用いて当時一部上場企業と称されていた会社に入社し、社内恋愛を経て結婚し、今では二児の父親となっていた。男は今、新宿歌舞伎町の一角にある小さな喫茶店にいた。カウンター席が幾つかとテーブル席がふたつあるだけの小さな店で、見知らぬ若い男と顔を付き合わせていた。若い男は──元少年Aよりは若いがさりとて青年というほどの若さでもなく、年齢不詳かつどこか不穏な空気を漂わせていた。
「何の……話ですか」
日曜日だった。本来ならば自宅で、家族サービスを行うための日だった。壮大な社内恋愛を経て結婚した妻は、二度の出産を経てすっかり人格が変わってしまっていた。少なくとも男はそう思っていた。男が育児に協力しないと言っては怒り狂い、年子で生まれた男児ふたりの面倒を見るのが忙しいと喚き散らしては一切の家事を放棄し、今日も「少し出かけてくる」と言っただけでマグカップを投げ付けられた。おそらく今は、入籍の翌年に購入したマイホームのすぐ近くにある妻の実家に駆け込んでいるのだろう。当然だが、義父も義母も実の娘である妻と、それから孫の味方だ。どんなに言葉を尽くして男が説明しても──大切な妻と息子たちのために懸命に仕事をしているということ、好んで残業をしているわけではないということ、営業職なので休日出勤も仕方がないということ──「それでも、ねえ」と呆れ果てた様子で視線を交わす。男はそれが、不快で仕方ない。男の妻は、義父母が四十代の頃に生まれた末っ子なのだという。義父母は今、七十代後半。殺そうと思えば殺せる、と思うことも、少なくない。
「申し訳ないですが、俺は忙しいんです。半年前にふたり目が生まれたばかりで……」
「うんうん。長男は
咥え煙草で、若い男が笑った。男の背を、冷たい汗が伝う。なぜ目の前の見ず知らずの男が、愛息子たちの名前を知っているのだ。男は、若い男が何者かさえ知らないというのに。
「十年以上前の裁判の話なんだけどさぁ」
紫煙を吐きながら、若い男が言った。元少年Aは大きく目を見開く。
「さい……ばん?」
「忘れたふりしてるの? きみらが殺したさぁ、
古峯タクマ。
記憶の奥底に封じた名前のはずだった。
ゆらゆらと揺れるたばこの煙が、男の鼻先を擽った。あの日々。「いじめ」の日々。少年AからEは古峯タクマを少年Cの自宅ガレージに監禁していた。捜索願が出ていたことも知っていた。校内でも古峯タクマに関するヒアリングが何度も行われた。だが、あんな、つまらない少年についてまともに証言する者などいなかった。それよりも、「あいつのオナニー映像もっと送ってよ、ショタコンに高く売れるから」などと言ってくるやつの方が多かった。
「あ思い出した? 名前出せばそれはそうかー」
「思い出すとか……出さないとか。知りませんよ。帰ります」
「『きみが』」
椅子を蹴るようにして立ち上がった男を見上げ、若い男は言った。
「『きみたちが刑期を終え、出所し、息子のことを忘れた頃、私はきみたちへの復讐を始めます』」
その言葉を、男は知っていた。
父親が付けてくれた弁護士を介して告げられた、古峯タクマの父親からの伝言だ。
本来はこういうことは引き受けていないのだけど──と弁護士はいかにも嫌そうな顔をしていたし、だから男も古峯タクマの父親の伝言を右から左に聞き流した。他の少年たちも同じだっただろう。
事件も、裁判も、十年以上前の話だ。
それがなぜ、今蘇ってくる。
「『きみたちが息子のことを忘れ、社会に溶け込み、ひとりの人間としての幸せを手に入れた頃、私はきみたちの幸せを破壊するに相応しい能力を持った人を雇います』」
若い男が、ふ、と微笑んだ。
「雇われました、私刑請負人の
「な──」
何を、馬鹿な、ことを。
言い返したかった。私刑だなんて、そんな。マンガの世界じゃあるまいし。
大きく目を見開いて絶句する男の前に、若い男──水城純治が立ち塞がる。
「まあ座って時間がないから。ええとね。こっちはフルコースで依頼されているんですよ、それも五人分」
立ったままで向かい合ってみると、水城は男よりもだいぶ小柄だった。
だが、身長差程度では逃れられないほどの圧を纏っていた。
よろよろと後退りをし、先ほどまで腰を下ろしていた椅子に逆戻りする。仁王立ちになった水城が男を見下ろし、それから左手に握ったスマートフォンに視線を向ける。
「依頼内容をお伝えします。監禁期間は一週間──依頼人の希望としては、手足の爪を全部剥がすでしょ、それから手の指を全部折る。加えて背中をバーナーで炙る……油とか塗ってもいいらしいんだけど火事になると困るのでここは要検討。取り敢えず火傷の跡が残ればいいみたい。古峯タクマさんのご遺体と同じようにね」
気が付くと、歯の根が合っていなかった。ガチガチと歯を鳴らしながら体を震わせる男を水城は先ほどまでとはまるで違う、ひんやりとした目付きで見下ろし、
「自慰行為の動画については生前依頼人とも話し合いをしたんだけど、あなたももういい大人だし妻子もいるみたいだから自慰行為程度ではダメージ受けなさそうなので、陰茎の除去っていう形で進行する予定です。方法はお任せでと言われているので、錆びた包丁などを使おうと思います。更に古峯タクマさんの決定的な死因は鉄パイプを直腸に挿入されて内臓を破壊されたことによるショック死だったと聞いているので、〆は同じように鉄パイプで行います。いいですね? ああ、ちなみにだけど爪剥がしから鉄パイプまで、全部意識を失わない状態でやらせていただきますんで。この案件に関してはキャンセル不可、というのもキャンセルしようにも依頼人は既に亡くなられている……息子さんと同じお墓に入っているので、お金を返すこともできないし、俺はプロとして依頼を完遂することしかできないので……あっご安心ください、依頼人の死因は自死とかではないです。かなり重い病気で苦しまれてはいましたが、俺と打ち合わせをしている時は大変生き生きしていて、死に顔も穏やかだったので大丈夫ですよ。一緒に頑張りましょうね」
ぺこりと頭を下げた水城に、男は思わず掴みかかっていた。小柄な水城はしかし、肩をぐっと掴む男の手を無言で一瞥しただけでその体は揺らぎもしなかった。
「なにか?」
「そんな……正気じゃない……犯罪だぞ……」
絞り出すような男の声に、
「ええ? あなたも同じことをしたのに?」
と水城は言った。
「なんで自分は見逃されると思うの? なんか怖いな〜」
「もう俺は……罪を償った! 五年も無駄にしたんだぞ! 人生を!」
「すごいねぇ」
男の悲鳴に、水城は朗らかに笑った。
「被害者には最悪の拷問を行なった上に殺害──他人の未来を奪っておいて、自分は五年ぽっちの償いをしたから許されるはずだなんて、すごい態度だ」
「奪ってなんかいない! あれは、いじ、いじりで……!!」
「はいはい。みんなそう言うんだよ。聞き飽きちゃった。そんなあなたに、古峯さんのお父さんから、最期の伝言です」
男の手を振り払い、床に転がし、その腹の上にスニーカーを履いた足を置いて水城は言った。
「『きみたちの未来が、素晴らしく幸せなものでありますように。そうでなければ、息子が報われませんから』」
妻の顔、息子の顔、両親の顔、義父母の顔、職場の同僚や上司の顔──それに、少年AからE、アルファベットで呼ばれた同級生たちの顔。
まるで走馬燈のように浮かぶのに、古峯タクマの顔だけ、思い出すことができない。
「水城よう、もういいか?」
「ああすみませんマスター、長くなっちゃった。もういいです移動します」
「クルマ回しといたから、好きなとこに連れてけや」
「どうもどうも。じゃ、行きましょうか少年Aさん」
この喫茶店のマスターも共犯者なのだと、元少年Aは今更気付く。水城に腕を捕まれ、軽々と立ち上がらされる。
「こういうのはシチュエーションも大事だから。依頼人と相談した上で少年Cくんの実家のガレージに似た場所を準備したから、まずはそこまで移動ね」
許して、と懇願しようとして思い出す。あの頃古峯は、許しを乞わなかった。古峯には何の非もなかったから、当然だ。
「ねえ、Aさん」
水城が振り返る。ほんのりと微笑んでいる。
許してくれるのだろうか──
「今、どれぐらい幸せ?」
了
少年A 大塚 @bnnnnnz
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