エピローグ

西暦715年5月 下道家の庄屋 吉備真備

八木姫の孫が都から帰って来たので、久しぶりに阿止理も下道の屋敷に来ていた。

「阿止里のおじさん、お久りぶりです」

「真備。名前が変わったんだってな」

「はい。今は、吉備真備きびのまきびと名乗っています」

「吉備か。下道より名が通りやすいか?」

「この吉備にはあまり帰ってこられないので、帝から名前を戴く際、吉備を希望しました」

「そうか。吉備津は名乗れないからな」

「あたりまえでしょ」横から八木姫が口を出した。

すでに60歳を超えているはずだが、30歳と言われても通る美容を持ち、眼光も鋭いままだった。


「吉備真備として、唐に渡ります」

「そうか。唐か」阿止里が考え深げに答えた。

真備は、阿止里の気持ちが分かったらしく、答えた。

「はい。本当は温羅殿の故郷の百済に行きたかったのですが、滅んでしまっていますので、色々な知識が集まっている唐へ行きます」

「唐へ行く目的は知識習得?」

「はい。この国の為の知識習得です。私個人としては『孫子の兵法』と読むことが一番の目的です」

「『孫子の兵法』?」

「おばあさんから聞きましたが、温羅殿や刀良殿の戦い方は『孫子の兵法』に出ているそうです」

八木姫がなにか言いたそうであったが、先に阿止里が尋ねた。

「温羅殿や刀良殿の戦い方?」

「あの『不名誉な戦い』です。温羅殿は『孫子の兵法』を知っていたのではないかと思います」

「それを確かめに唐へ渡る?」

「無論、朝廷命令での遣唐留学生になっての知識習得が目的ですが、個人としては『孫子の兵法』です」

「そこまで、思い入れする理由は何かな?」

「戦いで、相手を殺すことより死者を少なくする事。普通そんな事考えません。その基本的な考え方が解れば、この国を変えられるかもしれません」


八木姫が口を挟んだ。

「そういえば、吉備津彦殿が作ったあの神社も、今度名前が変わるそうよ」

真備が尋ねた「どのよう名前ですか?」

「吉備津神社か吉備津彦神社 まだ揉めているようよ」

阿止里が思い出した。「吉備津彦殿と初めて会った時に話した予想が当たったみたいです」

真備が尋ねた。「どんな予想だったのですか?」

「神社を作ったら、将来、吉備津彦の名前が付くのではないかと。私としては温羅神社にしてほしかったのですが」

これに対して、八木姫が答えた。「温羅殿は御崎神社で祭られているでしょう。それに釜鳴神事で、あの神社にも居場所を与えられたし」


真備が疑問を口にした。

「釜鳴神事ってなんですか?」

阿止理が説明した。

「吉備津彦殿が考えたことで、温羅殿も吉備の守り神になってもらう理由付けの神事。丑寅みさきや御崎神社では温羅殿の災いや祟りが中心だったので、もっと明確な守り神の温羅殿として考えだしたものだ」

「それで釜鳴って?」

「鉄釜の上に蒸篭せいろを置いて釜を焚くと、場合よって音が鳴る、火を止めると再び音がする。 これが不思議なことなので吉備津彦殿が神事にした」


真備が答えた。「なるほど、朝廷としても、百済の人を明確に祭らせる訳にはいかなかったのでしょうから、ちょうどよかったのかも。しかし、この様な話、書き物で残しておきたいな」

阿止理も答える。

「確かに、刀良殿も吉備津彦殿も亡くなり、詳しく話せるのは八木姫殿くらいです。しかし、書き物にすると、元々、吉備津彦殿はこの吉備を征服に来た訳ですし、朝廷が黙ってないでしょう」

真備も感想を述べる。

「概要は、おばあさんからも阿止里のおじさんからも概要は聞いていますが、厳しいでしょうね」


八木姫は真備をにらみながら言った。

「真備、いつも言うように、おばあさんと呼ばないで!八木姫でよいです。で、この話は、伝えるならば、口頭しかダメでしょうね」

真備がこれに答えた。

「母上は、おばあさんの八木姫の名を頂いて,楊貴やぎになっています。『ヤギヒメ』と『ヤギ』では、『ヤギ』の母上の方が年上の感じで困ります」


八木姫が真備に答えようとしていたので、話を戻す為、阿止理が急いで発言した。

「おばあさんかどうかは置いといて。この話は既に人々に伝わっています。ただ、丑寅みさきの影響で、温羅殿が退治される話です」

阿止理の発言で、『おばあさん』の文句を言いにくくなった八木姫が応じた。

「では、おばあさんも言いますね。あの神社の縁起は温羅殿退治の話になるそうです。ただ、じっくり聞くと、色々矛盾があるようですね」

阿止理が総括した。

「将来、その矛盾から事実を探る人が出てくると嬉しいですね」

「お~い 食事の準備ができたぞ」

八木姫の息子、真備の父親である圀勝くにかつの呼ぶ声が聞こえてきた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎週 日曜日 21:00 予定は変更される可能性があります

URA Akimon @akimonfirst

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ