西暦698年3月 真金 吉備津彦
温羅が亡くなってから15年以上。
刀良も猪手も亡くなってしまった。
突然、阿止理は、真金の吉備津彦の屋敷に呼び出された。
初めは逃げることも考えたが、吉備津彦と直接対面することで得ることがあるかもしれないと屋敷に行くことにした。
吉備津彦の門番たちは、周囲よりも、頭上や足元を見ている。
阿止理は、『よっぽど、マムシやムカデが怖いらしい』と思いながらも、吉備津彦に会いに来たことを門番に告げた。
暫く待たされると思っていたが、ほどなく小さな部屋に通された。
用意された席に座ったが、吉備津彦が来るのはしばらくかかるだろうと、気楽に構えていた。
しかし、すぐに、吉備津彦が入って来たので、阿止理は慌てて平伏した。
吉備津彦が言った。
「面をあげよ」
阿止理が顔を上げ、真正面から吉備津彦の顔を見た。
朝廷からこの吉備の支配を任命され、あの温羅殿を殺した張本人。怖いと思っていたが、そこには、皺が深く刻まれた初老の顔があった。
「どうした、わしが怖いか?」
『思ったより、老人ですね』と言いたかったが、それではあまりに失礼だ。
しかし、相手の対応を見るためにも覚悟して、言葉を変えて言った。
「いえ、歳を取られたなと思いました」
「どこかで、わしと会ったか?」
「はい、温羅様との闘いの折、お顔を拝見しました」
阿止理はあえて、『温羅殿』でなく、様付けしたが、吉備津彦は何も言わなかった。
「そうか。お前は温羅の陣営にいたのか?」
「いえ、戦いたくなかったので、温羅様からも逃げていました」
その答えに、吉備津彦は阿止理を見据えた。
「違うだろう。温羅からの指示で逃げている形にしていたのだろう」
阿止理は緊張した。
『この老人はどこまで知っているのだろう?』
阿止理は答えに窮して、黙りこくった。
急に、吉備津彦は笑いだした。
「大丈夫だ、お主たちを罰しようとは思っていない。お前たちのことは八木姫から聞いている」
「八木姫……」
阿止理は、ここで八木姫の名が出たことに驚いた。
「八木姫は温羅殿と懇意だったことも、本人から聞いている」
阿止理は、返事に困り、黙っていた。
吉備津彦は、それを察したのか、真顔に戻って、説明しだした。
「戦いが終わってから、温羅の呪いや艮御崎の祟りで、吉備が騒がしいのは知っているな」
「はい」阿止理はそう言うしかなかった。
「わしの軍勢でも怨霊相手では戦えない。術者を呼んだが効果がない。そうこうしている内に住民も騒ぎ始めた」
阿止理は吉備津彦が何を言いたいのか分からなかった。
「このままでは、騒いでいる住民を罰しなければならない。そうすると、温羅との闘いと同じことがまた起こる。下手とすると、この吉備から人がいなくなるまで戦いが続いてしまう。わしも帝から『無能力者』として処罰される」
阿止理は、『すでに、そう思われている』と思ったが、黙っているしかなかった。
「八木姫から、庶民の気持ちを理解しないと解決できないと諭された。そして、庶民の気持ちを最も理解している者として、お前の名が挙がったのだよ」
この時、阿止理の脳裏に、上高末で刀良と話したことが頭に浮かんで来た。
「私に何を期待されているか分かりません。確かに私は一庶民です。各地の人々がどのような気持ちなのか、よく八木姫様と話しました。それと同じようなことしか話すことができません」
「それでよい。お主が一庶民かどうかはさておき、わしは、国造衆からの話も密偵からの話も聞いている。温羅殿の残党や、下刀良の配下が騒いていることも知っておる。しかし、彼らを処罰しても騒ぎは収まらない。庶民に寄りそう事が必要だと分かった。だから尊宅の無いおまえの話を聞きたい」
「吉備津彦様のご譏嫌を損ずることも多かろうと思いますが、よろしいのですか?」
「そのことは、八木姫から厳しく言われている」
ここで、吉備津彦は破顔になって言った。
「あの姫は、ある意味、温羅殿よりも帝よりも恐ろしい。その姫が信頼を寄せているのだから、わしもお主の言い分を信じる」
「有難うございます。しかし、何を言えばよろしいのでしょうか?」
吉備津彦は、再び真顔になって言った
「一言で言えば、どうすれば、みながわしを信用してくれるか? と言うことだ」
阿止理は、八木姫のこともあり、ここはまじめに答えるべきと判断した。
「はい。信用、信頼を得る為には、相手に価値のあるものを与える事、そしてそれを続けることです」
「うむ。それはそうだが、具体的には?」
「温羅殿は、この地に鉄づくりを伝えました。それだけでなく、自ら鉄製品を作り分け与えました。しかも、その鉄製品は戦いの武器ではなく、庶民が苦労していた農機具です」
「単に、教え、与えるのではなく、今望んでいるものを教え、与えるべきと言うことか?」
『さすが、人の上に立つ者。理解が早い』
そう思いながら、阿止理は答えた。
「はい。その通りです」
「では、何を望んでいる?」
「二つあります。現在の不安を取り除く事と、将来の希望を与える事」
「現在の不安と言うことは、温羅の呪いか?」
「残念ながら少し違います。確かに温羅の呪いや丑寅みさきの祟りも不安ですが、一番不安がっているのは都から来たあなた方です」
「わし達か?」
「確かに嵐や不作を含めた諸々の問題は、丑寅みさきの祟りと言われていますが、その原因は都からあなた方が来たからと思っています。だからあなた方の被害が大きい」
「確かに、直接の被害は私たちが多いな。ではどうすれよいと?」
「あなた方が自分で、呪いや祟りを鎮めることです」
「術者ではダメと言うことか?」
「住民は金を払って呼んだだけの術者は望んでいません。あなた方が率先して、皆で鎮める行為が必要です」
吉備津彦が妙な顔で質問した。
「わしが祝詞をあげるか?」
阿止理は、吉備津彦が冗談を言っている事を理解して、笑いながら応じた。
「まさか。都から来た皆様で行って頂きたいことです」
「わしらがか?具体的には?」
「温羅殿の首を納める神社を建て寄進することです」
「温羅を祭る神社を作るのか?」
「そこまでは明確にする必要はないと思います。名目上は御崎神社でもなんでも良いと思います。しかしその時、希望の話にも関係しますが、民に神社建築の仕事を与えて下さい」
「なるほど、一挙両独か。そうなると相当大きな神社だな」
「はい。目的は鎮魂と言う行為と仕事ですので、誰を祭っているかは後々の人の考えでよいと思います。それと、もう一つ。鉄づくりを庶民に許して下さい」
今度は、吉備津彦は真顔で訊いた。
「庶民に武器づくりを許せと?」
「いえ。武器ではなく農機具です」
「温羅も許さなかった鉄づくりを許せと?」
「はい。吉備津彦様が温羅殿以上になる為です」
阿止理は、提案を実行させるため多少こびることも必要と考え、一気に自分の考えを説明した。
「温羅殿が鉄づくりを一部しか許さなかったのは、薪などの環境の問題があり、めったやたらに作っても成果がでない為です。
その為、傍の阿曽郷でしか許されなかった。正確には阿曽郷でしか作る環境がなかったのです。しかし、今はすでに皆、何が必要は分かっています。
そして、農機具を作れたからといって、すぐには、武器は作れません。武器が作れるようになるには遥か先でしょう」
「だから、安心して鉄づくりを勧めろと?」
「はい。鉄の農機具があれば、この山の多い吉備でも作物が多く作れます。そして農家の傍で鉄づくりを行えば、農機具が発展します。
その結果、穀物と農機具の販売で吉備の国が豊かになります。温羅殿の時以上に豊かになります」
「なるほど、八木姫がお主を勧めた訳が分かった」
「ありがとうございます」
吉備津彦は、間をおいて話始めた。
「わしは、この吉備の地を終の住処と決めている」
「そうすると、作られる神社は将来、吉備津彦様が祭られるででしょうね」
「これから作る神社に、わしがそれを要求したらだめかな?」
阿止理は、笑顔で答えた。
「はい、亡くなられてから、民が望んだ形にしないとだめです」
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