二古光治シリーズ

尾乃扉

新たな町の風

新しい町に越してきた二古光治はまず、行きつけにする美容室を探していた。

 古い町にいた時は千円カットで済ましていたが、これからはもっと金を掛けて切ろうと決めたからだ。

 なぜなら彼は正社員になったから。以前のようなフリーターではなくなったから。収入が安定するからである。

 とはいえ俺にはカードローンが残っている。

 二古は考える。

 それに初任給が入るのはまだ当分先。それまでにカードローンはさらに増えるだろう。なにせ俺には貯金がない。

 これら二古の思考はもちろん彼の内部で行われることであり、周りの人間に聞こえるものではない。

 周りにはそもそも人影が少ない。

 彼は今、坂道の中腹に立っている。

住宅地に入り込んだようで、さっきから見知らぬ道を行ったり来たり。ようやっと抜け出た先に現れたこの坂は初めて目にする道だった。

 つまり二古は道に迷っている。

 ついに新しい道に出たぞ。これで一歩前進だ。と、二古は道を見て喜んだ。

 そうとはいえどもこの道を登るべきか下るべきかは不明である。

 どうする。俺はどちらの道に向かえばいい?

 登る道? 下る道?

 二古は下る道を行くことにした。

 足がパンパンになりかけているからだ。

 それに、登った先を女子中学生の二人組が歩いていたことも理由のひとつ。

 二古は若い女子に緊張する。彼自身は二十六歳だ。

 坂を下るという判断は思いのほか功を奏し、通行人との接近を避けながら歩いたら運良く探していた美容室に辿り着いた。

 俺は人を避けて歩いてきた。そうしたらここに着いた。それでこの店はやっていけるのか?

 二古は勝手に心配し、身勝手に喜んだ。

 なぜならこの店には人があまり来ない可能性があるからだ。

人間嫌いの俺にとって、それは喜ばしい事実。事実と確定したわけではないが。閑散とした美容室など願ってもない。

 二古は店内に足を踏み入れた。

 カランカランと音が鳴る。扉の動きでベルが揺れた。

 暁光!

 案の定、店内は空いている。というか客は他にいなかった。

 個人経営なのだろう。小ぶりな店で、カットするための椅子は一つだけ。シャンプーするスペースも一つだけ。

 とても静かだ。二古は感動すら覚えた。

 オレンジ色にその店は見えた。

 壁や鏡台、床の木板、それらがオレンジ色じみている。暖色。落ち着きある内装。

 存分だ。二古は思う。

 存分な作り。雰囲気作り。店作り。

 奥から一人の女が出てきた。

「こんにちはー」

 いらっしゃいませではなく、こんにちはなのだな、と二古は新鮮味を覚える。

 俺は初来店なのだが、こんにちはなのだな。

 こちらからもこんにちはと返した方が良いのだろうか。初対面なのに。馴々しくも。ちょっと恥ずかしいぞ。どんな顔で言えばいい? どんな声色で言えばいい?

 これらの思考が巡ったのは一瞬だ。つまり思考というよりも感覚と呼ぶべきだろう。二古の内部に神経伝達物質のように一瞬で生じた。

 その結果、彼は愛想笑いを浮かべて会釈だけする。ペコリと頭をやや下げる。

 女はにこやかに「ご予約されてます?」

 二古はぎこちなく「あ、してないです」


 しかしちょうど予約が空いていたようで、二古は椅子に通された。

「今日はどうされます?」

 女に訊かれる。

 二古はどぎまぎ。若い女に緊張する。

「1センチくらい切ってください」

「え?」

え?

「それだけで良いんですか? もっと切ったら良いのに」

 えぇ?

 二古は動揺する。

 どれだけ切りたいか訊かれたから希望を言ったのに、それを否定された。そんなことあり得るのか? この、髪を切る場所で。

 女は二古の側頭部の髪を持ち上げる。その仕草たるやピザを手に取るかのよう。女の細い指先からこぼれる二古の毛。それが作る弓形の曲線がさながら伸びるチーズのようだ。

「お兄さん、もう少し短くした方が良さげ」

 良さげ? 良さげだからと短くして、もしも似合わなかったらさぁどうする? 散髪のリスクはそういうところだろう? プロの美容師さんよ。

 二古は声を厳しくして訴えたいが、実行に移す度胸はない。

 そんなだから曖昧な笑みを浮かべ、「そうですかねぇ。あまり切り過ぎるとちんちくりんになっちゃうんですよ」と返すに留まる。

「お、言いましたねー。つまり私のスキルに掛かっていると」

 二古の髪から放した手を腰に当て女は言う。

 べつに挑戦的な狙いで言ったわけではないのだがな。二古は思う。困惑もする。とりあえず快活な女だ、とも。それから、スキルという言い回しにも引っかかる。腕とか腕前ではなく、スキルか。ポップさを演出しているのかもしれない。

 この場面でそんな部分に言及して会話を盛り上げれば他人と仲良くなれるのかもしれない。それこそが社会人としてのコミュニケーション能力なのかもしれない。しかし二古にそんな実力は無い。

 カットが始まる。女はカット中も話し掛けてくる。

「お兄さん、初めてですよね?」

「あ、昨日越してきたんですよ、実は。この町に」

「そうなんだー。前はどこに住んでたんですか?」

「あ、石円町です」

「どこですかそれ?」

「知りませんか」

「ごめんなさいね。私、地理詳しくないんですよ」

「まぁ、これといって特徴の無い町でしたから」

「どうして引っ越してきたんですか?」

「再開発で追い出されたんですよ」

「え、町に?」

「いえ、アパートに」

「あぁそっち」

 女は手際よくカットしていく。指で毛をさらっと持ち上げ、さっと切る。二古の頭が楽器になってそれを演奏するような動き。音はハサミではなく二古の髪の毛を弦として鳴っているのではないかと感じる。

「お兄さん、学生さんじゃないですよね? お仕事されてるんですか?」

「実は就職が決まったんです」

「おー。おめでとうございます。新卒だ」

「あ、いえ、フリーターをずっとやってたんです」

「今おいくつ?」

「二十六です」

「見た目、若いですね」

「だからちんちくりんになりやすいんですよ」

「また言う。私のスキル次第って」

「言ってないですよ」

 二古は困って笑う。

「美容師始めてどれくらいなんですか?」

「十年ですね。ちょうど」

「自分のお店持ってるってすごいんじゃないですか。まだお若く見えますし」

「またまたー」

 女は笑う。二古は「本当ですよ」と付け足す。付け足しておいて、これでは口説いてるように見えるかもしれん、と恥ずかしくなる。

「うち親子二代で美容師なんです。ここは親の店で、私は三年前に転がり込んだんです。前は都内の有名店でやってたんですよ、これでも」

 色々あったのだな、このお姉さんにも、と二古は思う。

 俺にも色々あった。

 石円町での日々。

 小説家を目指し、バイト生活に明け暮れ、カードローンは膨れ、夢は破れ。

 恋もした。

 二古の脳内にある女の姿が浮かぶ。

 その女はようするに二古の交際相手だった。担当歯科衛生士で、この世の最上の幸運が舞い降り両想いとなり、第三者が見ればアホくさく見えるほど好き合った。

 ところがある日のこと青天の霹靂。

 その女の正体は小説家だった。それも新進気鋭、注目の新人作家だった。

 さらに悲劇的なことには、二古はその正体を知る以前から女の本に目を通しており、世にも下らぬ雑品と心の内で評していたのである。

 つまりこういうことだ。最愛の彼女、その正体が歯科衛生士と兼業する小説家、デビューも果たしているから二古よりも成功しているということで立場は上、その著作は二古から見れば読むに値しない糞小説。

 これら何層かに及ぶ葛藤が慟哭となり、二人は破局した。

 失恋と敗北感と劣等感と挫折。こんなしんどい事がいっぱい。一斉に襲いかかる。二古の辛さ、第三者でも多少は理解出来るのではないだろうか。

 それからまだ月日はさほど経過していない。ほんの二ヶ月ほど前の出来事だ。

 正社員採用と引越しにより幾らか気も紛れたが、まだ二古の内面には空虚が巣食っている。

「お兄さん?」

 女がふいに言った。

 本当はふいに言ったのではない。二古が自らの思考に没頭して聞いていなかっただけだ。

「はい?」

「急にぼうっとしちゃって」

「ええ」

「何の仕事するんですか?」

「え?」

「や、だから、就職」

「ああ、スーパーの店員です」

「へー。スーパーが好きで?」

「アルバイトしてたんですよ、しばらく。それで社員登用試験受けるのを勧められて」

「へー。それで受かったんですか。優秀ですね」

「どうなんでしょう」

「謙遜しちゃってー」

「こういうもんなんですよね。人生って」

「人生ですか」

「僕、ずっとやりたいことがあったんですけど、そっちは才能無くて結果が出なかったんです。でも就職の方はすんなりと。世の中には就職先が決まらない学生やニートだって沢山いるのに、僕は別に正社員で安定を手にしたいだなんて全く望んでいなかったんですよ」

「でも今は安定も良いもんだって感じてるんですか?」

「ああ。どうなんでしょう」

 瞬時に答えを出せないということは、決して望んではいないのか。

 ではなぜ正社員になろうと思ったのか。そして今、こうしているのか。間もなく正社員として働きだそうとしているのか。迫るその日々を甘んじて受け入れようとしているのか。

 背中にじんわり汗をかき始めた。こんなこと、自分でも全く予期していなかったから。

 何を?

 何を予期していなかった?

 お姉さんのこの質問を、か?

 それとも……。

 俺はこの人生を予期していなかったのか。

 俺はこの人生を予期していなかったのか?

 俺はこの人生を予期していなかったのか。

 まるで自分が二重にぶれるかのようだ。鏡に映る自分の姿が二重に。

 カットが一通り終わり、シャンプー台に移動した。仰向けに寝そべり、顔にガーゼのようなものを掛けられた。視界が塞がれるため目を閉じた。苦しくないですかと女が聞いてくるから大丈夫ですと二古は答える。髪をゆすがれる。

 数分後には髪を拭かれ、ドライヤーで乾かされた。

 鏡に映る姿は来店時とはまるで違っていた。スッキリさわやか。短くカットされた髪。二古はこれまでミディアムの長さで、前髪も目に掛かっていた。今ではショートカットで目にも耳にも髪は掛かっていない。

「ほらさっぱり。爽快な風が吹いた感じ」

 女が言う。

 どうやら爽快な風が吹くようだ。二古は見慣れない自分の姿を見つめ思う。頭に手をやり毛の中に指を入れた。ボリュームの減った髪は軽く、たしかに風が吹き出してきそうだと思った。そしてこれが社会人の髪なのだろうと感じた。

 そうなのだ。散髪と同じなのだ。今の人生を予期していなかったかどうかなど考えても仕方がない。切られた髪の毛はもう足元に散るだけ。それで終わりなのだ。あとはモップで掻き集めて処分するだけだろう。人生だってそう。過ぎたものと今あるもの。どんどん切り捨てられていくのが時間というものであり、振り返って拾い集めるものではない。というか拾い集めたって意味が無いのだ。切った髪が生えてる髪にくっつかないのと同じように。時間と人生だって去った分は今にくっつかないし再生もしない。

 だから動揺などするな。俺は進んでいくんだろうが。

「ありがとうございました」

 二古は鏡越しに女を見て言った。微笑も浮かべることを忘れなかった。

「どういたしまして」女は言った。

 

帰りは道に迷った。そりゃそうだ。ほぼ行き当たりばったりであの店に辿り着いたんだから。

 二古は考えていた。髪を洗われていた時と同じことを。ようするに自分は正社員を望んでいるのかということを。

 だから道に迷っていることに焦らないし、偶然目の前に現れた喫茶店に入ることにも躊躇しない。

 レトロな内装で木の卓や椅子に味があった。床板は渋めの茶色でニスが光を反射している。扉を入ってすぐ目の前に三段の段差があり、ホールスペースにはその段々を上る造りになっている。だから入口と席とでは高低差があり、ちょうど椅子の位置は入口に立つ大人の目線の高さ程度に来る。段々を上がる時に床板が軋む音も良い。シーリングファンも木で出来ている。壁紙は白で、茶と白のコントラストに安心感を得る。店員に案内された卓まで歩いていて気付いたが、店内の至る所にレゴの洋城やプラモデルの洋城が飾られている。店主の趣味だろうか。それとも家族連れの子が退屈しないようにするための工夫か。

 コーヒーを頼んで一息つくことにした。切ったばかりの髪の毛がまだ頭に馴染んでいない感覚がある。しかしそんなこと気にしていられない。

 俺は馴染むのだろうか。正社員に。

 二古は腕を組んで考えた。他に客がいないためとても静かだ。思考するにはちょうど良い。

 古い町に居た時も、こうして喫茶店には一人で頻繁に通った。店内で小説を執筆したことも少なくなかった。ところがそんな作品もまるで結果を出すことはなく、彼は今こうして散髪して出社初日を待ち構える男となっている。

 運ばれてきたコーヒーは妙に苦みが強かった。カップには『豆にこだわってます』と力強い筆記体で記してある。

 なんだこのカップは。市販か? それともこの店オリジナルか? 手作りか?

 二古は考える。

 俺の小説はこだわりがあるものだったか? 惰性と妥協で書いていなかったか?

 あまりに苦く、たまらずクリームと砂糖を入れてしまった。彼は本来ブラック派だ。

 元来、二古は濃密な小説を書きたかった。それこそブラックコーヒーのように色味の強い濃厚な小説を。外からでは中を透視しようもない文学を著したかった。読む人間の母数を増やすためにとっつきやすさを意識して、マイルドさや甘みを加味する貧弱な小説を蔑視していた。

 だが、と二古は思考を続ける。

 俺は本当にそんな小説を書けていたのか。いや、一次選考にすら引っ掛からない小説だったのだから書けていたわけはないのだが、それより重要なのは書こうとしていたのかという気概の部分だ。

 本気。気概。こだわり。徹底。

 それらを本当に俺は持っていたのか。

 どこか力を抜いて、楽をして書いていたのではないか。

 だからこそ結果が出なかったのではないか。

 古い町は今年、作り変えられる。再開発が本格化して。

 壊されていく。そして再建される。

 そのために俺たち住人はあそこを後にしたのだ。

 そして今こうして新しい町にいる。

 新たなる町で、新たなる人生を。人生ストーリー新章を歩み出そうとしている。

 二古は髪に指を入れた。

 新風が吹く。爽快な風が。

 二古はコーヒーをぐいと飲み干した。

 甘ったるいコーヒーも悪くないじゃないか、と思う。

 店主が豆にこだわっているからこその味である事実になど、気付くこともない。


 二古が住むアパート。それは新しい。

 新しいというのはどういう意味なのか。二古にとっての新天地における新居住地という意味がひとつ。もうひとつはこのアパートがそもそも築1年ということ。

 外壁はワインレッドで洒落ている。

 社会人として新たなる一歩を踏み出すこの俺と、建造物として新生児に近いこのアパートと、運命共同体としてまさに名コンビ。二古はそんな思考のもとこの部屋を選んだ。

 部屋はロフト付きで、1Kという間取り以上に広く感じられる。ロフトもおまけ程度のものではない。壁際に階段が備え付けられている(梯子ではない)。階段を上ると室内全体の半分程度のスペースのロフトが出迎え、腰を屈める程度の高さに天井があるそのスペースは屋根裏部屋に似た空間。心理的にはもう一部屋付いてきたといったお得感。

 古い町に居た時代。住んでいたアパートはワンルームのボロだった。あの頃に比べれば月とすっぽん。二古にとって今のアパートは都内のタワマンレベルに豪勢だ。

 追いついていないのは家具である。

 この部屋の契約料は以前のアパートを追い出される際に自治体から支給された立ち退き料でまかなった。しかし家具代までは捻出出来ない。よって家具だけは古い町に居た時代と何ら変わらない。小さな冷蔵庫に小さな本棚、安っぽいテーブル。その程度。十畳の部屋に対して室内設備は物足りない。せっかくのスペースを活かしきれていない。月面に小石が転がっているようなものだ。

 しかし現況も俺が社会人として働き、月給を確保していけばいずれ解消されるだろう。

 問題はカードローンの返済だが、まぁ何とかなるだろうと彼は踏んでいる。

 今回の部屋は気に入っている。まさに大人。会社員として働く大人に相応しい。立派な社会人。いっぱしの大人。まともな男。俺はそうなったのだ。二古の自信の象徴である。

 ところが今はまずこの部屋に辿り着かなければならない。

 喫茶店を後にしたところで道に迷っている事実に変わりなく、二古はあてどもなく歩いている。しかしここでひとつの光明が見えた。書店の看板である。二古はすでに何度かその店に足を運んでいた。だから書店からなら家までの道順も分かる。

 無事帰宅した。部屋に入った二古はまず鏡の前に立った。部屋に全身鏡がある。そこに立つたびスタイルの悪さに反吐が出る。髪は短くなっていた。耳が全て晒されている。この状態は何年ぶりだろう。少なくとも二十代になってからはずっと、耳は髪の毛に最低半分隠れていた。今は全開。全オープン。

 これだ。これこそが社会人の姿。社会人の髪型。

 二古は自分の新たなる頭を見て噛み締める。そして手をやる。

爽快な風が吹く。


 午後の四時。夕日が差し込む。窓から空を見れば暖色に変わっている。

 今日はもう予定がない。二古は引っ越しの荷解きを進めた。大した荷物も無いのだが細かな物が案外ある。ひとつの段ボールを開けた。中に入っているのは紙の束。真っ白な長方形。重みがある。裏返せば文字の集積。二古が書いてきた小説である。

 昨年までの彼の全て。彼の人生の象徴だったもの。

 二古はもう小説は書いていない。書くことはやめた。

 二古は原稿用紙を取り出すことはせず、段ボールの蓋を閉じた。そのまま収納スペースの奥へ押しやる。

 窓辺に立ち外を眺めた。この部屋は二階だ。アパートの裏側に立つ曲がりくねった木が見える。トタンの小屋を庭に持つ戸建てが見える。さらに向こうの家は壁の塗り替え中だ。灰色の覆いが家を囲っている。美しい夕陽が雲の隙間を通り二古を照らす。二古は思う。新たな生活だと。


 仕事は順調にいった。アルバイト時代の経験をそのまま活かせるからだ。

「二古さん優秀ですね」

 先輩社員からそんな言葉も掛けられた。

 優秀。この言葉を二古は考える。

 俺は優秀な会社員なのか。優秀な社会人。

 発注の正確性。品出しの速度。

 レジも行う。人見知りで人付き合いが嫌いな二古でも、業務と割り切れば問題なく行える。

 店長は広田という女で二古の三歳年上。二十九歳。二古は心の中で広田女史と呼んでいる。広田女史も二古を買っている。サバサバした性格だから分かりやすくは褒めない。それでも彼を買っている。

 二古が入ってから店の売上げが少し上向いた。余計な在庫が減って粗利も上がった。少しずつ本部の人間も二古のことを認知し始めている。

 二古はというと妙な違和感を抱いている。まるで濁流の川を手作り筏でスイスイ進んでいるような手触り。理屈が良く分からないのに何故か順調に行く。濁流が見かけほどではないのか、筏が見かけより高機能なのか、それとも運なのか。

 兎にも角にも、と彼は思う。俺は従業員として会社から評価されている。会社員として一定の能力を有していたということ。この仕事が向いていたという事実判明。

 二古は鏡の前に立つ度、自らの髪に手をやる。今日だって爽快な風が吹き、指が震える。




(了)

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