いつか芽生える恋の色を、まだ私たちは知らない

音愛トオル

いつか芽生える恋の色を、まだ私たちは知らない

 中学生の頃、体育祭でフォークダンスをやった。女子の輪っかと男子の輪っかが何の理由もなく用意されて、特別の説明もなく、私(たち)は女子と男子で交互にペアになっていった。

 誰それと踊れたらちょっといいかもなんて話が聞こえてきても、私の心はずっと凪だった。ただ、ああ、疲れるなめんどくさいなと思うばかりで。


「――」


 同じクラスの、3つ離れたところで踊っていると、私は踊りたいのに。同じ輪っかにいるがために、それが叶わない。

 透明な壁に阻まれて、私の手がそこに届くことはなかった。



※※※



「――せ。千歳ちとせ!」

「……あっ。な、何?」

「いや、なんかすっごいぼーっとしてたから。何かあった?」


 現在、高校2年生。

 あの頃の記憶は大して遠い所にあるわけではないのに、濃い霧に隔たれて輪郭がぼやけている。こうして時々思い出してしまうことがあるくらい。

 私、鏑木かぶらき千歳の今は、放課後の掃除の時間に位置している。


「ごめん。ちょっと昔の事思い出してた」

「え、今?」


 何か月かに一度やってくる、教室から遠く離れた特別教室の掃除当番。6人でひとつの班、それをローテーションするから珍しい掃除場所だ。かくいう私たちの班は初めてで、いつもは面倒な掃除も、実はほんの少しだけ楽しかったりする。

 だってここには先生も、他のクラスメイトもいない。

 それはなんだか、秘密の時間みたいじゃない。


れい、ちりとり取って。後は私がやるよ、ぼーっとしちゃってたし」

「え、ほんと?ありがと」


 そしてこの子は、小倉玲おぐらあきら。「玲」という字は、一応「あきら」と読むのだけど、本人は「れい」と呼ばれたがる。もしくは苗字で作った「おぐちゃん」というあだ名。こっちが9割。

 距離が近い友人くらいしか「れい」とは呼んでいなくて、つまり私は――


「なんか笑ってるけど、それも思い出し笑い?」

「え、私笑ってた?」

「うん。にちゃあって感じ」

「えー嘘、なんかやなんだけど」


 1年生の頃から同じクラスで、入学以来の付き合いだ。

 同じ教室のそこここでは誰それと誰それが付き合っただの好きだのかっこいいだの可愛いだの、話されているけれど、私にはまったくピンと来ない。

 私は、れいと居るのが、一番楽しい。


「じゃあ、ごみ捨て行ってくるね」


 私たちは机や椅子、備品の整理を担当してくれている班員たちにそう告げて、大きなごみ袋を1つずつ抱えて教室を後にする。普段から頻繁に使われるごみ箱ではないぶん、一気に捨てる習慣になっていて、そのせいで2人がかりだ。

 でも、正直れいと一緒なのは、嬉しい。


「あっ、千歳そこ段差気を付けて」

「え、ほんと?うわっ、やば!ありがとうれい


 私たちは談笑しながら放課後の廊下を歩く。まばらな掛け声はそうそうに練習に入っている運動部のもの。教室から響く談笑の残響からどんどん遠ざかっていくと、もう放課後だというのに2人で授業をサボっているみたいに思えた。

 涼しげな秋の風に撫でられて、さびれたごみ捨て場へと到着する。特別教室がごみを出すタイミングのせいで、他のごみ捨てとあまり被らないのがありがたい。もう少し、れいと2人きりで、居られるから。


「よし、私のはおっけーかな。千歳、それも一緒に入れちゃうよ」

「ん、分かった。せーの――あっ」


 れいには悟られないように密かに浮かれていたからだろうか、さっきあんなに注意された段差に、私は見事に引っかかった。世界が一瞬で色を変える。

 なぜか妙にスローモーションになった景色の奥から、誰かの手が伸びて来た気がした。



※※※



 それはほんの1秒くらいのこと。

 その瞬間に浮かんだ泡沫の全てが、れいを映していた。



※※※



 入学式の日、4度目――願書提出の日、入試の日、書類受け取りの日、そして今日――に訪れた高校の昇降口の前で、私は困り果てていた。1年生の集団が、ちょうど私のクラスの下駄箱の前あたりで固まってはしゃいでいるのだ。

 中学からの友達かな、とか記念写真撮るなら別の所にしてほしいな、と思いながら佇んでいると、ふいに隣に誰かがやって来た。


「……ああいうの、ちょっと困るよね」

「――えっ」

「ああ、ごめん。急に話しかけて。あそこ、同じクラスの下駄箱だよね」


 その女子生徒は指で数字を作ってから、首をかしげて見せた。その数字はなるほど、確かに私のクラスと同じだ。


「私、小倉――って言うの。よろしく」

「あ、私鏑木です、鏑木千歳。よろしく……って、もしかして、出席番号。お、とか、だから近いかも」

「あ、ほんとだ。何番?」


 せーので言った数字は連番で、私たちはその偶然にすぐに打ち解けた。



 友達になってから1週間、私はが頑なに自分の下の名前を言わないことに気が付いた。けれど、聞かなかった。きっと何か事情があるんだろう。

 小倉ちゃん、と呼びかけると嬉しそうにはにかんでこっちを振り向いてくれる彼女の姿――それで、十分じゃないか。



※※※



 初めてのお泊り会、緊張のあまり寝られなかった私の耳を撫でたのは小倉ちゃんの寝息ではなかった。


「――あきらって読み方さ、あんまり好きじゃないんだ。昔ちょっと嫌なことがあって。だから……千歳が変に聞かないでくれて、ほんとうに嬉しいんだ」

「小倉ちゃん……」

「でも、私、そろそろ、言いたくて。学校じゃなくて、お出かけじゃなくて、部屋で2人きりの時なら言えると思ったけど。結局、寝る前になっちゃった。ねえ、千歳。私の事は、れいって呼んで欲しい」


 壁を見つめる私の背中に触れた指先。その震えが伝わってきて、私は思わず寝返りを打って、れいを、振り向いた。

 最初ばびく、と肩を強張らせたれいだったが、暗がりの中、至近距離だからちゃんと見えているおたがいの表情――そこに私の微笑みがあったから、安心してくれたのだろう。


「分かった。これからは、れいって呼ぶね」

「――うん。ありがとう」


 こつん、と額をぶつけて、囁く。

 れいが心を開いてくれたのだと分かって、私は嬉しかった。



※※※



 れいと一緒に居る時は、他の誰と居る時よりも幸せで、胸が高揚する。この気持ちが私は大好きだ。

 そうはっきり思えるようになったのは、クラス替えの日。張り出された名簿の中に「小倉れい」を見つけた瞬間だった。



※※※



 長い、長い1秒が明けて、今。

 私の視界の中は、れいで満たされていた。


「千歳!大丈夫!?」

「れ、れいっ、ご、ごめんね。怪我はない!?」

「私は、ただ受け止めただけだから大丈夫――って」

「そっか、よかった――あっ」


 出会ってから一番近くに、れいがいる。その距離で、頭がいっぱいに埋まる。転んだ私を抱きしめてくれたれいのおかげで怪我をせずに済んだ。

 けれど、そのせいでれいの身体に負担をかけてしまったのではないかと焦って、慌てて顔を上げて――気づく。


 鼻先が触れそうなほどの、その距離。


「……ほんと、変なところでおっちょこちょいなんだから、千歳は」


 れいが優しく呟いて、私の頭を撫でてくれる。

 それだけで、もうどうなってもいいと思えてしまうくらい嬉しくて、私はほんの数ミリ、れいに近づいた。


れいはいつも、私を助けてくれるよね」

「当たり前でしょ。だって、千歳は、私の――」


 今更ながら、2つ重なる鼓動が聞こえて来た。どちらも調子が外れている、そんな音。

 れいの言葉を待つ間、吐息だけが落ちる。まつ毛、綺麗だなとか。唇、震えてるなとか。そんなことばかり考えてしまう。


「……私の?」


 私は、れいをやや上目遣いに見やって、続きを促した。


「わ、わたしの……す」


 その口から、こぼれる言葉はどんな色をしているのだろう。

 それが分かる前に、私たちの抱擁は解けてしまった。


「ねえ、それでさぁ――あ」


 ごみ捨てにやって来た2人の生徒に、見られてしまったから。

 私たちは慌てて離れ、いそいそとごみを捨ててその場を後にする。何か言っている気がしたけれど、そんなことよりもこのうるさい心臓の音で、耳がいっぱいだ。

 掃除場所の教室に帰るまで、私たちの間に言葉が落ちることはなかったけれど、それは気まずい沈黙ではなかった。



※※※



 あの沈黙はなんだろう。

 あの続きはなんだろう。

 れいの表情を見ていたはずなのに感情が溢れてちゃんと覚えられていないのが、悔しい。

 明くる朝、私はいつもよりも少し早く家を出た。というか、正直寝られなかった。だって、あんなの、もうほとんどキ――


「い、いやいや。れいは、だって」


 私が望んでいても、あの子は。


「……はぁ。今日であの場所の掃除が終わりなの、ちょっと残念かも」


 そう呟いた私の肩に、何かが触れる。虫かと思って驚く準備をしてから、その控えめで柔らかい手つきで、か分かった。

 分かったけど、振り向かなかった。だって、なんて言ってくれるか、気になって。


「……ねえ、気づいてるならこっち向いてよ。寂しいじゃん」


――無理だった。


「えへへ、おはようれい~会いたかったよ」

「半日くらいしか経ってないでしょ。まあ、その……私も」


 照れくさそうに頬を掻くれいは、無言で手を差し出してくる。

 その意味が分からなくて、私は取り合えず握ってみた。多分違うだろうけれど、私が握りたかったから。


「――うん。昨日みたいに、転ばれたら困るし」


 あってた。


「今日はこれで行くの?」

「うん。偶然会ったついでに、千歳が転ばないように」

「――そっか」


 行こう、と呟いて歩き出そうとするれいの手の熱。

 なんだか、居ても立っても居られないような、今すぐ駆けだしたいような。胸の奥から湧き出してくる感情にせかされて、私はもう片方の手も、握った。


「え、千歳?これじゃあ歩けな――わ、あっ」

「ふふっ、れい~!あははっ」


 私を突き上げる衝動のまま、れいの手を取って踊った。不格好な社交ダンス、BGMは私の心臓。うん、それもいいじゃん。

 ぎこちないステップを踏んで、そのうち2人で笑い合って、くるくると踊る。


「あははっ」


 秋の朝、たった2人だけの世界が色づいてゆく。


 その色を、まだ私たちは知らない。

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