相見えて触れ合わず ─コープスホワイト番外編─

右中桂示

冥界と繋がる日

 豊穣の秋が終わり、始まるのは衰退の冬。

 この季節の境には、生死の境界もまた揺らいでしまう。

 死者は冥界から迷い出て、生者の領域へ帰ってくる。

 失ってしまった生者にとっても残してしまった死者にとっても貴重な再会の機会。だが死者の帰還は喜ばしい事ばかりではない。

 死者に混ざる悪霊から身を守る為、人々は魔除けの仮面を被り、夜闇を松明で晴らす。

 豊穣の収穫祭と同時に魔除けの儀式を行う事で境を安定させるのだ。


 それらを準備し、安全を確保するのも宮廷魔術師、そして死霊術師の役割であった。







「わあ。凄いですっ! なんて立派なんでしょう!」

「あはは、今になって都に来れるなんて思いませんでしたよ」

「あまりはしゃぎ過ぎないでくださいねぇ。恥ずかしいのでぇ」


 使用人の服装をした男女三人がファリエム王国の都を訪れていた。

 松明がそこかしこに立ち、華やかな飾りが建物を彩っている。

 多種多様な仮面を着けた人々が露店を巡る。夜であっても賑やかな都は豊穣祭の営みを謳歌していた。


 しかし三人組に注目する者は皆無。人波に埋もれている訳ではなく、目立つ言動をしているというのに。

 それは、三人が冥界から現世に訪れた死者であるからだ。


「うぅん、どちらにいるのでしょうか……」

「まあ、のんびり探しましょうよ」

「この日くらい観光してもいいですよねぇ」


 彼らもまた祭の賑わいの一部と化した。

 それから都には普段から見所が多い。常より増した賑やかな雰囲気は、優雅な建築や美しい名所を違う景色にしている。

 三人は目的があって訪れたはずが、すっかり満喫している様子。冷やかししかできない身であろうがお構いなし。死者にも楽しむ権利はあると言わんばかり。

 自我が強い分、他の漂うしかできない死者よりも積極的に動き回っていた。


「わあ……とっても綺麗ですっ」

「お、的当て遊戯。いやあ、混ざれないのが残念です」

「この経験が生前にもあれば魔術を改良できたのですけどねぇ」


 と、そんな視界に、異変が映る。

 はしゃいで走る子供が転んで、その拍子に仮面が外れたのだ。不吉に音が響く。

 親とははぐれたのか、泣きそうな子を慰める者はいない。


 代わりに死者が気付いた。

 背後から子供に近寄るのは、悪霊。生者を求める濁った瞳が暗い。

 子供が生きたまま冥界へと迎えられてしまう危機。


「おっとと。危ない危ない」

「無事ですね! 間に合いました!」

「全く、程度の低い死者は困りますよねぇ」


 三人の死者が間に入り、悪霊を捕らえた。そして強制的に冥界へと送る。

 死者同士、力の強さに差があれば勝負にもならない。肉体を失う前の影響もあり、三人は非常に強力な死者として存在していた。

 だからこそ生者と同じように頬を緩めて安心する。


 そしてそこに、遅れて駆けつけてくる人影があった。


「今、悪霊の気配が!?」


 立派な服装の魔術師、死霊術師だ。キッチリ仮面を着けており、慌てた声には少しの幼さがあった。

 転んだ子供を見つけて声をかけ、仮面を渡し、周囲を警戒。

 そこで、傍らの死者に気付く。


「……っ!?」


 仮面の奥の目が、彼らと合った。驚き、そして潤む。

 呆然と立ち止まる。

 ゆっくりと手を伸ばして、しかし途中で思い留まって戻す。

 心に刻むようにしばし姿を見つめ、そして背中を向けた。この夜の使命を果たす為に。


 三人の死者はその後ろ姿を優しげに見守る。


「……本当に、ご立派です」

「もう心配はいらないですね」

「ようやく安心できましたよぉ」


 弟のような彼の成長を純粋に祝う。笑う表情の温かさは生前と変わらない。


「でも我慢しなきゃいけないのは辛いです」

「あはは。仮面があって助かりました」

「魂だけの身では、ついつい向こうに連れていきたくなってしまいますからねぇ」


 基本的に、死者は徐々に自我を失っていく。肉体と現世から切り離された魂は、社会性や倫理とも無縁。魂はやがて無へと還るが、自我が欠けて冥界に染まれば悪霊に堕ちるものだ。

 生前にどれだけ善良な人間であったとしても例外ではない。


 そうであるが故に、冥界と繋がるこの日。生者と死者の境界は厳密に守らなければならない。

 近い距離にあって、断絶した境界がある。


 だが、それでも──。






 ファリエム王国の王城。

 荘厳な威容が夜の都を見守る。

 只人ならば侵入できはしない守りを誇るその場所も、この境界の日は話が別だ。死者は容易に入り込む。豊穣祭と儀式の為に忙しい生者達をからかうように、見守るように。


 五人の死者が堂々と城の内部を進んでいた。

 先導する老女に、男女二組。豪奢な服装と凛とした佇まいは城内に相応しい。

 親密な雰囲気の彼らは雑多な悪霊に対処しつつ、優雅に歩む。


「本当に此方を優先して良かったのか」

「光栄な役目を放棄する訳には参りませんので」

「冠は生者の物だ。ただの亡霊に権威などありはせんよ」

「でしたら建前は捨て置きましょう。息子の恩人であり想い人であるお嬢さんに一目会っておきたいのです」

「ふ。ならば口は挟めんな」


 死者は朗らかに友人同士めいた会話を交わす。

 彼らの妻もまた麗しく談笑。和やかな空気は生者と変わりない。


 そうして目的地の、とある執務室へ。

 その主は新任の魔術大臣。

 祭と儀式の手配。しっかり仮面を着けて山積みの仕事をこなしていた彼女は、ふと顔を上げる。


「今、何か……?」


 扉をすり抜けてきた妙な気配に気付いたらしい。

 死霊術の心得を身に付けている彼女は、その力を用いて、死者の姿を見つける。


「……まさか」


 言葉をなくして固まった。

 死者である彼らは良く見知った相手。


 しずしずと控える老女もそうだが、前に出たのは前国王と王妃。

 父と母だった。

 娘を前にした両親は口を開きもせず、ただ優しく微笑んでいた。


 生死の境界が両者を隔てている。

 魅力的な誘惑──それこそ例え冥界へ行こうとも構わないと思う程──であろうと、絶対に踏み越えてはならない。

 それを、互いに深く理解している。

 無言、静寂の邂逅。静かな熱が満ちていた。夜の時間は長く、胸に刻みつけるように見つめ合う。


 この日の再会は、ひと時の夢。ひと時の休息。

 前に歩み続ける中、ふと立ち止まって振り返る思い出。

 そうであるべきだと、懸命に言い聞かせる様が仮面越しにも表れている。


 やがて控えていた男性の死者が進み出て、前国王に何事かを耳打ちした。


「……あ」


 もう一組の男女。知るはずのない顔を、若き大臣は面影から察したようだ。

 感謝を口にできない事が残念だと、たった一言からも深い感情が溢れていた。


 だからこそ、彼女は納得した。

 もう夢は終わりなのだと。


 老女が先導して、名残惜しそうに死者達は去っていく。

 完全に見えなくなってから、若き大臣は涙声で呟いた。


「私は、恥じないように生きていきます」


 思い出には囚われず、前進の糧とする。そうしてみせると固く決意する強さが彼女にはあった。



 境界の夜は、優しい暗さで人々を包んでいる。

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