精霊の森ードゥロティア・スカーレッドについてー

4.生き続けるということ

 ふと気づくと、辺りは暗くなっていた。


 美しく光を照り返していた草木は、漆黒に塗りつぶされている。


 どれくらいの時間が経ったのだろうか。


 そう思うのと同時に、お腹が鳴った。


 呆れたものだ。


 こんなに絶望していても、腹は減るのだな。


 そう失笑していると、野太い男の声が聞こえてきた。


「そこに誰かいるのか!?」


 明かりが近づいてくる。


 炎――松明の火か。


 その火に照らされ、男の顔が見えた。


 ゴツゴツとした茶色の肌――


 険しい顔つき――


 そして何より特徴的なのは、額から突き出た角――


 私はこのような特徴を持つ種族を知っている。


 というはずだ。


 だがそれは、架空の怪物・種族だったはず。


 どうして存在しているのだろうか。


 ――ああ、そうだった


 ――転生していたんだ私は


 ――つまり、彼らが転生した世界の種族の1つ、ということなのだな


 勝手に理解を深めていると、男のオーガは更に語気を強めた。


「隠れても無駄だぞ!! 出てこい!!」


 そう言うと、オーガは懐から短剣を取り出し、構えた。


 なんだか大事になっている……


 申し訳ない気持ちが、どんどん膨れ上がっていく。


 すみません、ただの猫なんです。


 それを伝えるために『にゃぁ』と鳴いてみた。


 この世界に、『猫』という概念が存在するのか疑問ではあるが……


「……なんだ猫か」


 あ、いるんだ猫。


「疲れてるな、ゾルド」


 また新たな声が聞こえてきた。


 足音が近づいてくる。

 

「スカーレッド様」


 そう言って、ゾルドと呼ばれたオーガが松明の火を向ける。


 現れたのは、鎧を纏った麗人――


 角が見える。


 彼女もまた、オーガなのだろうか?


「すみません、へまをしたようで……」


「いや、無理もない。ここまで休まず逃げてきたんだ、疲れて当たり前だ。」


 スカーレッドと呼ばれた彼女は、ゾルドから松明を受け取り、言った。


「ここで一旦休息を取ろう。みなを呼んできてくれ」


「はい!」


 そう言って、ゾルドは暗闇の中へと消えていった。


 ふむ、旅でもしているのだろうか?


 それにしても、鎧やら短剣やら物騒ではあるが……


 などと考えていると、スカーレッドは木の根元に腰を下ろし、一息ついていた。


 だが、先程までの凛とした雰囲気は消え、悲壮感がにじみ出ていた。


 何かあったのだろうか?


 長旅の疲れというやつだろうか?


 そんなことを考えていると――


 また、腹が鳴った。


 やばい――


 そう思ったと同時に、スカーレッドは素早く剣を抜き、松明をこちらに向けた。


「誰だ……?」


 さっきと同じ構図になってしまった……。


 流石に、もう一度鳴いたところで、疑念は晴れないだろう。


 ましてや、疲れている彼女らにこれ以上、緊張感を与えるべきではない。


 猫だけども、私はそう思った。


 身の潔白を記すように、私は茂みから顔を出した。


 すると、スカーレッドはその美しい顔を少々歪ませ、笑った。


「ははは、お前がゾルドをからかったのか?」


 からかったつもりはありません。


「全く、いたずらっ子だなお前」


 スカーレッドはそう言って、私の頭を撫でた。


 ゴツゴツとした硬い皮膚だった。


 ふと、彼女の腕をみると、所々に傷が見えた。


 美しいその顔にも、大きな切り傷が見える。


 彼女がどれだけの苦労をしてきたのかが、分かるような気がした。


「ああ、腹が減ってるんだったな」


 スカーレッドは、胸ポケットから小さなクルミを2つ取り出し、私に差し出した。


 ……食べろということなのだろうか?


「遠慮するな。それとも、クルミは嫌いか?」


 いや、そうじゃないけど……。


 では、お言葉に甘えて。


 この世界で初めて食べる食事。


 それがこのクルミになる。


 一抹の不安はあった。


 前の世界と似ているとはいえ、ここは別の世界。


 自分が持っている知識が正しいとは限らない。


 恐る恐る、口に運ぶと――


 ――うん、普通のクルミだ。


 自分が知っている味だ。


 どうやら、そこまで大きく変わった世界ではないようだ。


 ……と言っても、オーガがいるのは、結構変わった世界ではあるか。


 あ、あと魔法もあると、イズが言っていたな。


 と、また足音が近づいてくる。


 今度は複数――それも大勢


 反射的に毛を逆立てると、スカーレッドは私を落ち着かせるように頭を撫でた。


「大丈夫、私の仲間だ」


 茂みから現れたのは、オーガの群れ。


 と言っても、30人ほどしかいない。


 そして、なにより全員――


 傷だらけだった――


「スカーレッド様、なんですかそいつは」


「ああ、ゾルドをからかった猫だ」


 それを聞いて、ゾルドは顔を赤らめた。


「……やめて下さいよ」


 僅かに笑いが起きた。


 そして、各々が地べたに座り、鎧や剣を外していく。


 どうやら、ただの旅では無いようだ。


 すると、スカーレッドが口を開いた。


「追っては見えたか?」


 ゾルドはそれに答えた。


「いえ、今のところは」


「それはよかった」


 スカーレッドは心の底から安堵しているようだった。


「しかし、問題はそっちよりも……」


 ゾルドが話を続けようとすると、隣に座る眼帯のオーガが地面を殴った。


「そっちよりも魔王の野郎のほうだ!!」


 森全体に響いていそうなほど大きな声だった。


 ゾルドは慌てて、眼帯のオーガをなだめる。


「ベイ、声を抑えろ……」


 魔王――


 新しい単語だ。


 ただ、知らない単語ではない。


 心配なのは、その単語が私が知っている『魔王』で合っているかどうかということ。


 そんな事を考えていると、ベイというオーガは、声を抑えながら泣き出した。


「俺は悔しいんだゾルド……魔王の野郎は最初なんて言ってた……?」


 ゾルドは顔を伏せ、答えなかった。


「1000の兵士で王都領を攻めろってスカーレッド様に言ったよな……? 後から5000の援軍を向かわせるからって……だが、援軍は来たか……? なぁ?」


 ゾルドは答えなかった。

 

 ベイは声を上ずらせ、話を続けた。


「結果どうなった……? 軍は壊滅……スカーレッド様もボロボロ……おまけに、あのくそ野郎はなんて言った……? 今回の敗戦はスカーレッド様にあるから領地は没収するって言い出しやがったんだぞ……? 悔しくねーのかお前……ッ!!」


 重苦しい空気が漂う。


 だが、聞いている限り無理もなさそうだ。


 ようは、約束を破られた上に、失敗の責任まで取らされたということ。


 それは当然、怒り狂うだろう。


 しかし、妙なのはそれを言い渡された本人であるスカーレッドは、異様に落ち着いているということ。


 現に今も、私の頭をずっと撫でている。


 ずーっと――


 ……それも妙だ。


 ずっと撫でているなんて、逆に落ち着きがない。


 私はふと、ある答えにたどり着く。

 

 ……もしかして、スカーレッドは――


 と、スカーレッドは撫でる手を止め、立ち上がった。


「その話は城に戻ったらする。今は休め」


 そう言って、スカーレッドはその場から立ち去ろうとした。


 慌ててゾルドが問う。


「ど、どちらへ!?」


「少し風に当たってくる……1人にさせてくれ」


 そう言い残して、スカーレッドは森の中へ消えて行った。


 重苦しい空気だけを残して。


 そんな中、最初に口を開いたのは、ベイだった。


「……スカーレッド様はどうするつもりなのだろうか」


 ゾルドは首を小さく横に振り、言った。


「分からん……」


「もしこのまま城に戻れば、領地没収は確定だぞ」


「それは存じているだろう……」


「甘んじて受けるっていうのか?」


「それも分からん……」


 しばらく沈黙が続き、ベイは意を決した様子で言った。


「……なぁゾルド」


「……どうした?」


「いっそ、提案してみたらどうだ」 


「……何をだ?」


「独立をだ」


 ゾルドは驚いた顔をした。


「……本気で言ってるのか?」


「ああ……!! 魔王軍に属しても、いい思いなんて1つもねぇ。だったらいっそ、俺達オーガの国を作っちまうんだ……ッ!!」


 ゾルドが悩んでいる間に、他のオーガ達はベイに同調した。


 場は完全に、独立の方向で話が固まりつつあった。


 だが、それでいいのだろうか――?


 他人だが、猫だが、一抹の不安があった。


 それに、スカーレッドの様子も気になる。


 ……本人のところに言ってみるか。


 私は、森の奥へと消えた、スカーレッドを探すことにした。



 匂いは――あっちか。



 どうやら、異なる世界でも、嗅覚は問題ないようだ。


 匂いを辿り、進んでいくと――スカーレッドはそこにいた。


 森の中にある少しばかり開けた場所。


 月明かりに照らされながら、空を見上げていた。


 その評定は、険しく――そして、やはり悲壮感に満ちていた。


 やはりそうだ。


 ずーっと私を撫でていたのは、不安や悲しみを和らげたいがため――


 本当は、スカーレッドが一番泣きたいのだ。


 そうと分かってしまった途端に――


 私は、思わず鳴いてしまった。


 『にゃぁ』と。


 あまりにも、悲しげなその様子に、いたたまれない気持ちになってしまったから――


 すると、スカーレッドは先程と同じように笑みを浮かべ、歩み寄ってきた。


「……心配してくれるのか?」


 そうだとも。


「ありがとな」


 いいや、私にはこれしかできない……


「……アイツらの気持ちは十分理解してるんだ」


「多分、独立したらどうだって言ってくるんだろうな」


 ……見抜いていたのか。


「だが、それはできない」


 なぜ?


「周りを魔王と王都に囲まれているからな」


「魔王軍100万、王都軍130万……一方私達は老若男女合わせても、精々1万……」


「どうなるかなんて、子どもでも分かるだろ?」


 ……だからって、滅びを受け入れるのか?


 それはあまりにも――悲しすぎないか?


 あまりにも悲惨な彼女たちの立場を思い、哀れみの眼差しを向けていると――


 スカーレッドは笑った。


「別に私達が死ぬわけじゃないぞ、猫ちゃん」


「大事なのは、生きているってことさ」


 それは、どういう意味だ?


「生きていれば、何度だってチャンスは訪れる……叔父上がよく言っていた言葉だ」


「生きてさえいれば、たとえ奪われても取り返すことができる……そうだろ?」


「だから、生きて生きて生き続けて……最後に取り戻してみせるさ、没収される領地をな」


「応援してくれよな、猫ちゃん」


 そう言って、スカーレッドは微笑み、私の頭を撫でた。


 その手のぬくもりからは、先程のような不安は感じ取れない。


 希望と、覚悟が溢れ出ていた。


「……さて、そろそろ戻って出発するか」


「ここでお別れだな、猫ちゃん」


「ありがとう、話を聞いてくれて。……達者でな」


 最後にスカーレッドは、私の頭を撫で、顎を撫で――


 そして、オーガ達の元へと帰っていった。


 ありがとうだなんて――


 感謝するのは私の方だ、スカーレッド。


 君に教えられた。


『生きていれば何度だってチャンスは訪れる』


『たとえ奪われても取り返すことができる』


 そうだ。


 その通りだ。


 名前を忘れていたとしても。


 記憶が失われていたとしても。


 生きてさえいれば、取り返すことができる。


 それを教えてくれたのが、君だ。


 スカーレッド。


 ありがとう。


 願わくば、またどこかで君に会えればと思う。


 そして、また。


 私の頭を撫でて欲しい。


 その硬く、優しい手で。


 


 空が白む。


 森に色が戻る。


 複数の足音が遠ざかっていく。


 その足音には不安と、そして覚悟が伺える。


 さようなら、オーガ達。


 さようなら、スカーレッド。


 君たちの旅に幸多からんことを――


 


 さて――


 私も旅に出なければ。


 この世界で生き続け、取り返せねば。


 自分の記憶と――


 自分の名前を――

 

 まずは――西へ向かってみよう。

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転生猫、異世界を歩く 名前はまだない みさと @misato310

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