5 目玉料理って何があるのだろうか

 俺たちはしばらく黙って見つめ合っていたが、ふと表情を緩めた奴原が電車の待機列を抜け出して俺のそばまで来てくれた。

「目玉が取れたのは初めてです」

 そう言ったあとに伏せている方の瞼を指の腹で緩く撫でて薄く笑った。相変わらずちょっと妖艶というか取れても構いませんよと言いたげな超越的なオーラが全身から漂っているように見える。なかなか不気味だけどまあそういうところがいいなと思ってもいるから物は考えようってことなのだ。

 去っていく電車を横目で見送ってから、何を考えているのか不明な奴原に向き直る。

「目玉、いつ食う?」

 さりげなく聞こうとしたが言い換えなどが思いつかずダイレクトに聞いてしまった。奴原は片目だけで三回まばたきをしたあとに眉を下げて笑ってくれて、鞄に手を入れたかと思えば紙ナプキンに包まれた本日の取れ部位を出してきた。そして迷いなく俺に差し出した。反射で受け取ると安心したような笑みが向けられた。

「僕の意見はいいんです、食べるのは久坂部さんですから。好きな時に食べてくれれば、それでいいです」

「そ、そう……?」

「そうです」

 と涼しげに言われたものの、

「俺が食べるけど、一緒の食卓にはいてほしいよ」

 浮かんだ要望をそのまま口に出した。奴原は何も言わなかったが嫌なわけではないようで、どうしようか考えてくれているみたいだった。俺たちが無言で向き合っている間に電車がまた一本滑り込んできて、これも逃させるのは良くないと思って乗るように促してから後でメッセージを送ると告げたが、奴原は乗り込む前にぱっと俺を振り向き見た。

「久坂部さんの部屋、行きたいです」

 それだけ言って電車の中に吸い込まれていった。俺は見送った。俺の部屋とか何回でも来てくれよって思いながら見送った。手には奴原の片目が包まれた紙ナプキンがずっと手持ち無沙汰にぶら下げられていた。


 目玉料理って何があるのだろうか……。

 仕事をしながら考えてはみたのだが、ぱっと思い浮かんだのはマグロの目玉を煮て食べる目玉料理だった。あれはあれで美味いには美味いんだがデカさ的に人間とマグロでは違いがありすぎる。でも煮るのはありか。焼くよりはそっちか。

 そんなふうにいろいろと考えながら仕事をしていたが閉店して帰路についたところでやっぱりスープかもしれねえと案が浮かんだ。鶏ミンチの団子でも一緒に作って中華風スープに放り込めばなかなかいい一品になるのではないだろうか。

 というわけでさっそく奴原に連絡をした。目玉スープでどうだろう。返事は俺が帰宅して晩飯のミートパスタを食べた辺りで返ってきて、目玉スープいいと思いますという好感触が書かれていたのでガッツポーズが無意識に出た。そうなればさっそく準備だ。俺の部屋に集まる日時を次の木曜日に決めてから、翌日の仕事のあとにスーパーへ駆け込んだ。いやしかし物価が高いな。そんなことを思っていると主婦のようだがこの世に暮らしている人々はだいたい物価が高いなと感じているはずだ。目玉スープは中華風のつもりだが卵など浮かべても美味い気がする。スープだけじゃ腹は膨れないから中華風に合わせて麻婆豆腐とか餃子とか中華料理を並べておくか。

 こんなふうにいろいろと考えながら買い物を済ませ、いざ実食の木曜日を待った。

 ところが前日である水曜日の夜、奴原からメッセージではなく電話がかかってきた。あれっもしかして電話は初めて……だったか? したことあるような気もするがそれはともかく、このタイミングでどうしたんだろうと慌てて取った。

「もしもし、奴原さん?」

『あ、久坂部さん。こんばんは』

「おう、こんばんは。どうしたんだ急に」

『いえ……ちょっとお願いがあると言いますか……』

 奴原にしては珍しく、たいへんわかりやすい声だった。なんせ落ち込んでいると伝わってきたのである。

「大丈夫か? 体調とか悪いんなら、日時変更してもぜんぜん」

『あ、いえ、日時変更とか体調不良とかではなくですね……』

 奴原は言い淀んでから、

『明日、僕の部屋にしてもらっていいですか?』

 と聞いてきた。

「それはぜんぜん問題ねえけど、何かあった?」

『はい、ありました』

「AIみてえな返答だな……じゃなくて、どうしたんだよ」

『はい、実はですね』

「うん」

『逆の目玉も落ちてしまって、部屋から動けなくなってしまいました』

 沈黙が訪れた。数秒理解できなくて固まってしまった。えっ逆の目玉も取れた? とやっとこさ脳に状況が染み込んだあとに、俺は思わず立ち上がっていた。

「待て、ちょっと待て」

『はい』

「えっ、じゃあ今何も見えてない?」

『あ、はい。メッセージが打てなくて、電話に。スマホには音声認証機能があるので、久坂部さんに電話かけて、と声をかければなんとか発信はできました』

 立ち上がったままの俺は冷蔵庫に向かって歩いた。

「奴原さん」

『はい』

「とりあえず……とりあえずさ、今すぐ手元にある目玉食うから」

『え、はい』

「このまま通話繋いでて」

『はい……あの?』

「食えばわりとすぐに復帰するだろ、いつもさ」

 それはそうです、という返事を聞いた時にはもう目玉を冷蔵庫から取り出していた。俺はかなり焦っていた。両目がなくなる怖さっていうか、そりゃ片側取れたんならもう片側もいっちまうよなってここでやっと気付いたっていうか、色んなところが取れちまう奴原の不便さを俺はぜんぜん理解してなかったなと身に染みた。

 取り出した目玉を調理する時間すら惜しかった。ためらわなかったと言えば嘘になるけど心は冷蔵庫を開ける前には決めていた。

 俺は奴原の目玉を生のまま口の中へと放り込んだ。

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