百年の恋

@ace_joker

第1話

西東京にある郵便局。

若き女性郵便配達員。

原付バイクで郵便を配達する日々。

「ばあちゃん!ばあちゃん!・・・家には居ないなぁ・・・裏の畑かな?」

 女性郵便配達員が家の裏手に廻ると一人の老婆が畑の脇に咲いている花を摘んでいた。

「ばあちゃん。やっぱりここだ。はい!手紙持ってきたよ!」

 ばあちゃんと呼ばれた老婆は立ち上がり女性郵便配達員を向くと

「あんた・・・確か・・明日花(あすか)ちゃん・・だっけ?手紙は郵便受けにいれておいてって言ったじゃない」

 明日花と呼ばれた女性郵便配達員は

「ばあちゃんの安否確認も兼ねてるんだよ」

老婆は

「そんなこと頼んだ覚えはないよ」

すかさず明日花は

「息子さんから頼まれてるんです!郵便局にはそういうサービスがあるの」

 老婆は摘んだ花を持って明日花に近づくと

「仕方ない。休憩にしようか」

と言って二人で縁側に腰を降ろす。

「ばあちゃん。その花どうするの?」

明日花は話のきっかけに聞いてみた。

「仏壇に供えようと思ってね」

ばあちゃんと呼ばれた老婆は答えた。続けざまに

「じいさんが昔から好きな花でさ。花の咲く季節は2~3日おきに供えてるよ」

 それから老婆は、じいさんと呼んだ今は亡き夫のことを話し始めた。雨の降る日にずぶ濡れになりながら走ってバス停まで傘を持って迎えに来てくれてね。とか、新婚旅行で行った先で二人で砂浜に座って二人のこれからを真剣に話しあったり、兎角『じいさん』のことばかりだった。そして老婆は

「あの人がね、プロポーズの時に言った言葉に」

と一旦区切り

「僕は君を金持ちにも出来ないし、贅沢もさせられそうにないけれど絶対に幸せにしてみせるからって言って」

 老婆は遠くを眺めるように目を細めて

「プロポーズの言葉通り金持ちにもなれなかったし、贅沢なんて全然できなかった・・」

 老婆は明日花の顔を見ると言葉を続ける。

「でもね・・・不幸だと思った日は一日もなかったよ。あの人の言葉に嘘なんか一つもなかった」

 老婆の言葉に耳を傾けながら明日花はつい思ったことを口にした。

「でもこんな田舎に何十年も暮らすのは大変でしょ。それこそ苦労の連続だったでしょう?」

 老婆はキョトンとした目で明日花を見ると言葉を返す。

「あんたの言うようにここに住んで長いけど、昔は東京の町の中に住んでたんだ。結婚してから借家住まいでさ。あの人は通勤に便利だしスーパーや病院に行くのも便利だ、学校に子供を通わせるのも楽だから都内の借家住まいでいいだろうって」

 老婆は言葉を続ける。

「不便な郊外に家を買ってもローンや、税金に追われる生活じゃ余裕なんて出ないだろう。なんて事もあの人は言ってた」

 明日花は老婆の言葉に要領を得ないというような顔をしていた。老婆はそんな明日花の顔をチラッと見ると言葉を続ける。

「あの人は町工場の工員で真面目というか・・・愚直に働いていたよ。残業の無い日は寄り道もせずに真っ直ぐ家に帰って来て・・・二人で向かい合って晩御飯を食べるのが幸せだった」

 そのとき柔らかな風が吹き、二人を包みこんで行った。老婆は昔を思い出すように言葉を続ける。

「やがて子供が生まれてね。もっと広い部屋を借りて親子三人で暮らすようになって。子供が生まれてからは、あの人は残業もしないで家に帰ってくるようになってさ。子供の世話をしてくれて、育児に追われる私に毎日安らぐ時間ができた」

 明日花はその話を聞いて疑問に思ったことを口にする。

「その時代に男性が育児に携わるって珍しいよね。今、ようやく男性の育児参加が叫ばれるようになったのに」

 老婆は記憶を遡りながら独り言でも言うように言葉を紡ぐ。

「あの人は『子供は夫婦二人の責任で育てるもんだ』と常々言ってたよ・・・」

 そう言うと老婆は縁側から腰を上げ、明日花の顔を見ると

「さて、この花じいさんに供えないとね。あんたも仕事の途中なんだろう?」

 老婆が言うと

「はぁ〜。後三分の一位配達あるんだよなぁ」

 明日花はため息混じりに言葉を吐き出す。

 老婆は笑うと

「それでよくサボる気になるね!・・・でも、あんたと話すのは嫌じゃないから。また、サボりにおいで」

 明日花が原付バイクに戻ろうとしたとき、老婆が

「今度来るときは美味しいもの食べさせてやるから!昼頃おいで」

 明日花はその言葉に直ぐに反応し

「ありがとう。ばあちゃん!」

 とびきり元気に応えると、明日花は仕事に戻って行った。

*   *   *

「この肉じゃがすごい美味しい!」

 明日花は、褒め言葉を言うと同時にじゃがいもを口に放り込んだ。

「ここまで味が染み込んだ肉じゃが初めて!」

 老婆は明日花が肉じゃがを食べる様子を感慨深げに眺めていた。

「あたしの肉じゃがを褒めてくれたのは、あんたで3人目だよ」

 老婆はそう言葉をかけるが、明日花はまるで聞いていないという感じで〔肉じゃが〕〔焼き魚〕をおかずにご飯を平らげていく。

「あー美味しかった!ばあちゃん、ご馳走様でした」

 そう言うと明日花は自分の顔の前で両手を合わせた。

「おかわり、要らないのかい?」

 老婆が笑顔で聞くと

「もう十分!腹八分目て言うしね」

 明日花が言うと

「何が『腹八分目』だよ!ご飯3杯もおかわりしたくせに」

老婆が呆れ顔ですかさず言うと

「だってばあちゃんのご飯美味しくてさ」

 明日花が申し訳なさそうにちょこんと頭を下げる。

「あんたを見てると死んだじいさんを思い出すよ・・・」

 老婆がしみじみ言った。

「へ?女のあたしを見て?」

 明日花が疑問を口にする。その疑問に応えるように老婆が話し出す。

「じいさんも肉じゃがが好きでさ、わたしが作る肉じゃがが世界一美味いなんて言って・・」

「肉じゃがなんて日本にしかないのにさ、世界一も何もないのに・・・」

 老婆はしみじみと語った。

「さ!あんたも仕事に戻らないとまずいんだろう?」

 ふと我に返った老婆が明日花に仕事に戻るよう促すと

「本日の配達は終了であります!」

 明日花が敬礼すると、すかさず老婆が言い返す。

「郵便局内で仕事があるだろう?」

 老婆の鋭い指摘に

「も〜おばあちゃんたら、わかってるくせに〜。い・ち・お・う私は今、配達中だよ!」

 甘えたような声で明日花が言うと、老婆はため息交じりに

「こんな子雇ってつぶれないのかねぇ?」

 と言うと、何故か明日花は胸を張り

「日本郵便株式会社は『みなし公務員』だよ!つぶれるわけがない!」

 明日花は姿勢をただすと、真剣な表情で

「だから安心して、ばあちゃん。あたし、実はばあちゃんの話を聞きたかったんだ。ばあちゃんとじいちゃんの話を・・」

 その言葉に老婆は改めて明日花を見ると、つぶやくように

「それなら少し話そうか・・・わたしとあの人、じいさんの話を・・・」

*   *   *

 少しの沈黙の後、老婆は静かに語りだした。

「私は若い時、東京都内に暮らしていてね。私とあの人〔じいさん〕は同じバス停を利用して仕事に行ってたんだ」

「お互い顔見知りという訳じゃなかった。たまたま同じバス停を利用してただけでね」

「ある日仕事帰りにバス停に降りてみると雨が降り出してさ。雨足が強くて私はバス停の屋根の下で途方に暮れながら雨宿りしていた」

「そうしてる内にバスが止まってじいさんが、あの人が降りてきたんだ」

「あの人は少し汚れたバッグから折り畳み傘を取り出し、傘をさして帰ろうとして・・バス停の屋根の下で呆然と立ち尽くしている私に気付いたんだ」

「それで二人で相合い傘で帰ったんだぁ。うんうん、王道だね~」

 明日花が少し身を乗り出して口を挟む。

「人の話しはちゃんと聞くもんだよ!まだ話しの途中だよ」

 老婆がたしなめると、老婆は話を続ける。

「あの人はこっちをじっと見てさ。やがて思い切ったように『もし、良かったらこの傘使って下さい・・・』て言って私に折り畳み傘を差し出したんだ」

「突然そんなこと言われても初対面だしさ、私が受け取らずにいると・・あの人は『俺はもう一本予備の傘があるから』と言って私に傘を押しつけてあの人は走り去って行った」

「雨の中を傘をささずに、駆けていくあの人の後ろ姿を見て予備の傘なんて持ってない事に気付いてさ」

「ただ私はその場に立ち尽くしていたのさ」

 明日花は頬杖をつきながら

「そういう素敵な『偶然』ってあるんだなぁ。あたしには全然無い」

 明日花は老婆の思い出語りに応える。

「でもね・・・今にして思うと偶然じゃなくて『必然』だったのかな?なんて考える事もあるよ」

 老婆も明日花の言葉に応える。その時、縁側の軒に吊された風鈴が風に撫でられ涼しげな音を奏でる。

「それから私は傘を返そうと自分の鞄にあの人の傘を入れて毎日仕事に行った」

「同じバス停を利用してるはずなのに、中々会うことが出来ずにいると・・・」

 老婆がそこまで言ったとき

「おお!遂にその瞬間が来たんだね!」

 老婆の話を遮るように明日花は身を乗り出す。そして話の続きを促す。

「『あの・・・この前借りた傘お返しします。』そう言ったらさ」

「じいさんは嬉しそうに『ありがとうございます。実はこの傘、上京するときに母が持たせてくれた大切な傘なんです』そう言ってさ、傘を受け取ってくれた・・」

「その人にとって何が大切かは、それぞれだけど、そんな大切な傘を見ず知らずの私に貸すなんてねぇ」

「傘の貸し借りなんてよくあることだろう?でも、そんなよくあることさえも、その二人にとっては『特別な瞬間』になることもあるのさ・・」

「だからじいさんと私の出逢いは『偶然』じゃなくて『必然』だと今になって思うわけさ」

 明日花は老婆の話に感銘を受けていた。老婆は記憶を辿るというより、夫との思い出の日記を読み返すように明日花に聞かせる。

「私はね、傘を返すのが目的じゃなかった。次の一言を言いたくて傘を返す機会を待っていたのさ」

 明日花は老婆の目を見ていた。そして、『その一言』を待っていた。

『・・・もし、良かったら今度お食事でもどうですか?きちんとお礼したいので・・・』

「私は絞り出すような声で『その一言』を言ったのさ」

 老婆が照れるようにその一言を言うと

「おお~」

明日花が感嘆の声を上げる。老婆は改めて明日花を見ながら

「今どきの子はみんなこんな感じなのかねぇ」

老婆のその言葉に明日花は

「う~ん、あたしがこんな感じなだけで他の子は違うと思う」

老婆は軽くため息をつくと、話を続ける。

「あの人と初めての待ち合わせの時、本当にあの人が来るかどうか不安だった。そして、あの人は来てくれた。でもその時のあの人の服装ときたらシワだらけのシャツを着てきてさ」

明日花はその話を聞いて

「その当時の男の人ならそんなところじゃない?」

老婆は話を続ける。

「私としてはデートのつもりじゃなかったけど、もう少し服装に気を使ってほしかったよ」

「私は(食事だけ済ましてさっさと帰ろう)なんて考えていた」

「ところが食事時、どのお店も満席でさ。4~5軒店を渡り歩いたけど、どこにも入れなくて・・」

明日花はいかにも現代人らしい、今さら遅すぎるアドバイスをする。

「スマホで空席状況調べるとか、レビュー評価の高い店をネットで調べて予約・・とか出来てたらねぇ」

 老婆はまたしてもため息をつくと話を続ける。

「もう諦めて帰ろうか、そう考えた時、あの人がさ『もし・・俺を信用してくれるなら、これから俺の部屋で食事しませんか?・・俺、自分で料理とかするんです!俺作りますよ!』なんて言い出した」

「私は戸惑いながら(この人何を言ってるんだろう?)なんて考えてた」

その話を聞いていた明日花は

「おじいさん料理もしてたんだ」

老婆は話を続ける。

「あの人は『家の近所のスーパーで食材買って、俺が作ります。俺の家狭いけど落ち着いて食事ができると思うんです』なんて言い出してさ」

「私はその時、まだじいさんを信用していたわけじゃないけど、悪い人には見えないし万が一の時は逃げよう、そんなこと考えていた」

明日花は

「そんなに親しくない人の手料理を食べに行くのは勇気がいるなぁ」

老婆は

「だろう?私はあの人と並んで歩いている時(なんて言い訳をして帰るか?)そんなこと考えていたよ」

「そしてあるスーパーマーケットの前まで来たときにあの人が『ああ、ここですよ。俺がよく行くスーパーは』て言ってさ・・・」

「あの人は勝手知ったるものだから、私がいるのも忘れたように一人でどんどん進んで食材を買い物かごに入れてね。買い物かごの中を見てみると〈じゃがいも〉〈人参〉〈玉ねぎ〉そして、牛肉と迷った挙句〈豚肉〉をかごに入れてさ。私は(カレーか肉じゃがかな?)なんて考えていた」

 老婆は少し間を置いて話を続ける。

「・・あの人の部屋を見て驚いたのは、ほとんど何も置いてなかったこと。部屋の真ん中にちゃぶ台、隅には畳んだ布団。流し台には調理道具が少し、それくらい」

「男の一人暮らしはこんなもの?なんて考えた」

「あれこれ考えをめぐらす私をよそに、あの人は料理を始めてね、私はその後ろ姿を見つめていた」

「でも自信たっぷりに『料理をする』と言っていたわりに手つきが覚束なくて・・とうとう私は・・」

「『私がやります!』て言ったんでしょう?」

明日花が口を挟む。

「よくわかったね。」

老婆もにこやかに応える。

「料理の仕方を見ていて肉じゃがかな?と思っていたから『肉じゃがでいいですよね?』と確認して私が交代したわけ」

「あの人は『・・本当にすいません・・』なんて謝ってた」

老婆は話を続ける。

「やがてご飯が炊き上がり、肉じゃがもできて、ちゃぶ台に二人で向き合ってほとんど同時に『いただきます!』て言った」

「そしてあの人は肉じゃがを食べて」

 そこで老婆は笑顔になり続きを話そうとすると、明日花が間髪を入れず

「『この肉じゃが世界一美味い』って言ってくれたんだよね!」

と口を挟む。

「その通りだよ・・・」

先手を取られた老婆は言葉を紡ぐ。

「私もそんなに料理が得意な方じゃなかったけど、あの人は『美味い』を連発してくれて・・・」

 明日花は、愛すべき夫との〔初デート〕の思い出を嬉しそうに話す老婆をうらやましく思いながら、ふと聞いてみた。

「ねぇ、ばあちゃん・・・他には何話したの?」

 老婆は懸命に〔その時〕を思い出そうとしたが諦めたように

「何話したかなんて忘れたよ・・・でもね(この人と結婚したら二人でこんな風にご飯食べるのかなあ)なんて考えてたよ」

 明日花は少し笑みを浮かべると口を開く。

「初デートで二人で食卓を囲むイメージまでできるなんて、それってさぁ・・多分・・・ 〔運命〕・・だよ」

 老婆は明日花の〔運命〕という言葉を嬉しく思ったのか

「あんたもキザなこというじゃないか」

 喜色を魅せた老婆を見て、明日花は老婆自身も〔その瞬間〕を運命だと感じていたんだと直感した。

 その時、明日花のスマホが鳴り響く。明日花は慌ててスマホをスワイプすると

「はい!あ!主任。はい、配達は・・い、今終わったところです!」

 老婆は(やっぱり・・)という表情で明日花の様子を見ている。明日花は必死に取り繕うように電話で話す。

「いえ、特に異常があったわけではなく・・い、今すぐ帰局致します!」

明日花は慌てて身支度を整え

「ばあちゃん、ゴメン。今すぐ戻らないと・・」

老婆はにこやかに

「主任さん、怒ってた?」

と聞いてきたが明日花は

「帰局が遅いから心配して電話してきたみたい。じゃああたし仕事戻るね」

老婆は

「今度来るときはあんたに渡したいものがあるからさ」

そう言うと、明日花は

(渡したいもの?)

と一瞬考えたが、老婆は

「さ!早く戻らないと!」

と言うと明日花は慌てて

「ばあちゃん、また来るから!」

 明日花は駆けるように老婆の家を出て行った。

*   *   *

「葉月!今日は遅配か?」

一人の男が、駆け込むように局に入ってきた明日花に声をかける。とっさに明日花は

「主任!?じっ実は・・宇宙人があたしをバイクごと拐おうとして・・あ、あたしは必死で逃げまわりまして・・それで遅れました・・」

明日花は自分なりに言い訳をしてみる。それを聞いていた局内からは笑い声が聞こえる。主任と呼ばれた男は

「その〔宇宙人〕とやらはあの一軒家のおばあちゃんか?」

 主任の鋭い看破に明日花はタジタジになる。更に主任は明日花にダメ押しの一言を言う。

「葉月・・小学生でももう少しマシな嘘をつくぞ!」

明日花はうなだれ

「うぅ・・スイマセン・・でした」

主任は軽くため息をつくと

「それで、あのおばあちゃんは元気だったか?」

主任の問いに明日花は

「!?は、はい。」

主任は安堵のため息をつくと

「この地区で〔見守りサービス〕の対象者は、あのおばあちゃんだけだ。安否確認に行ってついつい長居したんだろう?」

明日花は

「・・その通りです。申し訳ありませんでした。・・」

主任はやれやれといった表情で

「まあ、事故とかじゃなくて良かった。安否確認の結果は報告書に書いて提出すること」

 明日花は自分の机につくと、パソコンを立ち上げ〔見守り報告書〕というファイルを開いて作成に取りかかる。報告書を途中まで書いたところでふと考えた。

(ばあちゃんか渡したいもの、てなんだろう?)

明日花はモニターを見ながら考えていた。

*   *   *

「ばあちゃん!」

明日花は老婆宅の裏に廻ると花の世話に精を出している老婆に声をかける。老婆はその声に立ち上がると

「あれ?手紙はこの前持ってきたじゃない?」

 素直な疑問を口にする。それに対して明日花は

「ばあちゃん。この前あたしに『渡すものがある』て言ってたから・・」

 その言葉に老婆は思い出したように

「そうだった!ちょっと待ってて!」

 そう言うと老婆は作業を中断し家の中に入って行った。明日花は老婆が家の中に入って行った後、先ほどまで老婆が作業をしていた辺りに目を向けると

「・・あの花、亡くなった旦那さん・・じいちゃんが好きな花だっけ、なんて花だろう?後で調べてみよう」

 そう独り言を言い明日花は、花の傍まで行くとスマホで花の写真を数枚撮った。そして明日花の後ろから声がかかる。

「明日花ちゃん!はい、これ」

 老婆は縁側の上で一冊のノートを明日花に見せる。明日花は老婆の元に行くと

「ばあちゃん、このノートは?」

明日花が尋ねると老婆は

「あんたやじいさんが『美味しい』て褒めてくれた肉じゃがの作り方が書いてあるよ!」

 明日花は驚きと喜びが混じった声をあげる。

「え?いいの?大事なレシピでしょ!」

老婆は満面の笑みで応える。

「作り方は私の頭の中に入ってるから。それだけじゃなくて他にも私ご自慢の料理の作り方がたくさん書いてあるよ」

明日花も笑顔で応え

「ありがとう!ばあちゃん。大切にする!」

 老婆は笑顔で何度も頷く。明日花はノートを大事に胸に抱えると

「ばあちゃん・・ありがとう。じゃあ、あたし、仕事に戻るね。また、来るから」

 明日花の後ろ姿を老婆はいつまでも見ていた。まるで懐かしい人の後ろ姿を見送るように。

*   *   *

「葉月。最近はサボ・・じゃなくて遅配せずに仕事しているようだな」

 パソコンに向かってタイピングしている明日花の背中越しに男は声をかける。

 男の物言いが勘に触ったのか、明日花は振り向きもせず声の主に応える。

「主任のご叱責をいただきたくないものですから・・・」

 やや皮肉混じりに明日花は応える。主任と呼ばれた男は話を続ける。

「あのおばあちゃん、元気に過ごしてるのか?体調は良さそうか?」

 明日花は質問の趣旨がわからず

「元気ですよ。畑仕事や花の世話に精を出す毎日ですよ」

 明日花は訪問時の様子をそのまま伝える。その答えに安心したのか主任は話を続ける。

「そうか!それはよかった。あのおばあちゃん、いい年だろう?依頼者の息子さんから『体調の変化に気をつけてほしい』と言われてな・・」

 明日花は相変わらず主任の話を背中越しに聞いている。そして報告書の作成が終わったのか独り言でも言うように

「〔保存〕して〔共有フォルダ〕に入れて・・と。主任、報告書作成終わりました、手の空いた時に確認お願いします」

 明日花はそこで初めて振り返り主任に報告する。明日花の報告を聞き主任は

「〔雛形〕があるとはいえ大分早くなってきたな」

 主任は明日花の仕事ぶりに満足げだった。そのタイミングで別の局員から

「葉月さん!定時過ぎてますよ?今日は残業ですか?」

と声がかかると明日花は

「するわけないですよ!勿論帰らせていただきます」

明日花は即答すると主任に向き直り

「それでは貴男の大事な明日花ちゃんは帰らせていただきます。お先に失礼します!」

 明日花は皮肉をこめて主任に退局の挨拶をする。主任は奥歯をギリッとさせると

「お前時々そういう物言いするよな?・・まあ、いい。ご苦労さん!」

 主任は踵を返し自席に戻る。明日花はドアの手前まで進み、振り返ると

「お疲れさまでした。お先でーす」

 後に残っている局員達に軽く挨拶して更衣室に向かって行った。(主任もたまには、ばあちゃんの様子見に行けばいいのに・・)明日花は着替え終わると自分のロッカーのドアを強く閉めた。

*   *   *

 明日花はベッドに横になりながらタブレットを操作している。

「ふーん。ばあちゃんが大事に育てているあの花、【ムラサキクンシラン】て言うのか・・花言葉は〔恋の訪れ〕〔知的な装い〕〔調和〕・・かぁ」

 明日花はタブレットを脇に置くと、仰向けになり考えてみた。そして独り言を呟く。

「・・ばあちゃん・・じいちゃんが亡くなった今も、じいちゃんに〈恋〉してるんだなぁ」

「ばあちゃん、確かお金にも贅沢にも恵まれなかったみたいなこと言ってたなぁ・・」

「それって〔幸せ〕なのかな?贅沢もできず欲しいものも買えない、そんな人生が?」

 明日花は起き上がると、〔ばあちゃんのレシピノート〕を見てみた。

「・・本当だ。肉じゃが以外にも色々書いてある。ハンバーグに・・カレー!しかもスパイスのブレンドについてまで細かく書いてある。・・このカレーはじいちゃんと二人で考えたと書いてあるなぁ。後は親子丼にチキン南蛮とか・・」

そこで明日花は、ふと気が付いた。

「そうか!このレシピノート、ほとんど子供が好きそうなものばかりだ・・」

「ばあちゃんもじいちゃんも料理は得意じゃないみたいなこと言ってたけど、生まれてきた子供のために美味しいもの食べさせたかったのかな?」

「贅沢をさせられないかわりに・・・」

明日花はしみじみと考えていた。

「お金持ちだから・・・贅沢をしているから『幸せ』というわけじゃない・・・多くを求めないから『幸せ』に気付けて、『幸せ』を実感できる・・・」

明日花はしばらくの間、レシピノートを見つめていた。

*   *   *

 それからしばらくの間、明日花は普段通り仕事をしていた。

変化と言えば家で料理をするようになったことだ。

〔ばあちゃんのレシピノート〕を見ながらだが、時折感嘆の声が漏れる。

「料理の本やレシピサイトよりもわかりやすいなぁ・・食材も基本的にスーパーで手に入るものばかりだ。・・このレシピなんか小学生でも作れそう」

明日花はレシピノートを閉じると、鍋から汁を掬い味見をする。

「はぁー。この豚汁あたしが作ったのかぁ。こんなに美味い豚汁食べたことない」

 明日花は豚汁を大きめのお椀によそうとテーブルに置く。

 どんぶりに炊きたてのご飯を盛り付けて豚汁の脇に置いた。

「おかずをもう一品作れたら良かったけど・・お惣菜のあじフライでも十分だよね」

と皿にあじフライを2尾のせるとテーブルに置く。

「休日の昼ごはんにしては十分贅沢で満足すぎる!・・ばあちゃんありがとう!」

 明日花は手を合わせてつぶやくと、まるで目の前にばあちゃんがいるような気がした。

*   *   *

 蜩の鳴き声が時折聞こえるようになってきた夏の終わり、明日花はいつものようにばあちゃん家に顔を出した。

 今日も配達する手紙は無いけれど、ばあちゃんと話すのが楽しかった。

 最近はレシピノートからあの料理を作ったとか、この料理が美味しかったとか、二人の共通の話題ができたおかげで長居することもあった。

 そんな時はきまって帰局後、主任の有り難い小言を聞くことになるのだが・・・

「ばあちゃん。・・ばあちゃん!・・家にいないとすると・・裏の畑か」

 明日花はばあちゃん家の裏手に廻るといつもの屈託の無い笑顔を探す。だが畑を見渡して見てもその姿はない。

「・・留守の可能性もあるけど、玄関開いてたしなぁ?」

 明日花は花が植えてある所に近づくと人物の足らしきものが視界に入った。明日花は全身から汗が噴き出すのを感じると、すぐに駆け寄る。そこには、ばあちゃんが紫クンシランの中に倒れていた。

「ばあちゃん!ばあちゃん!」

 明日花は、ばあちゃんを抱え起こすと懸命に声をかけ続けた。それは叫びにも聞こえた。

*   *   *

 ばあちゃんの葬儀は小雨の降る中、数人の弔問客で行われた。その中に、ばあちゃんの息子の姿もあった。息子さんが喪主となりしめやかに進み、やがて読経の終わったお坊さんが帰って行った。告別式は滞りなく終わり、弔問客も帰って行った。

 明日花は主任と共に告別式に出ていたが、式が終わった後、喪主である息子さんと三人で言葉を交わしていた。

 やがて話しが終わったのか明日花と主任は息子さんに一礼すると、雨に濡れないよう小走りで軽ワンボックスに駆けて行く。

 軽ワンボックスはばあちゃん家を後にすると郵便局に向かって行く。その車中で主任は呟くように言った。

「息子さんがさ、『母は遺産らしい物は何も遺さなかった』と言ってたな・・」

 主任は明日花を見る事なく、前を見つめたまま言った。

 車のワイパーが時折左右に揺れる。明日花も前を向いたまま、誰ともなしに言葉を紡ぐ。

「息子さんには申し訳ないけれどあたし・・受け取ってるんです」

 明日花の言葉に主任は驚き、慌てて聞き返す。

「お前、まさか・・」

 明日花は運転席の主任を向くと、主任の不安と疑問を打ち消すべく言葉を続ける。

「生前ばあちゃんから一冊のノートを貰ったんです」

 主任は要領を得ない感じで聞き返す。

「ノート?」

明日花もオウム返しに

「ノート!」

明日花は言葉を続ける。

「ばあちゃんのレシピノート!ばあちゃんが考えた料理の数々が一冊にまとめられてます。いくつか作ったけど、初めての人にもわかりやすいんです」

 主任は安堵の溜め息を漏らすと

「それなら問題ないかなぁ?金銭的な何かかと思って焦ったよ!」

 明日花は子供に諭すように話し出した。

「主任!人生で大事な事ってお金じゃないんです。ばあちゃんはその数々のレシピで家族と幸せを噛み締めてきたんですよ!

いわば『幸せのレシピ』です。

あたし、イメージできました。ばあちゃんの料理を囲むじいちゃんと息子さん、そしてばあちゃんの幸せなシーン。

ばあちゃんの料理を食べて、作ったあたしだから判ります!」

 主任は前を見つめたまま、明日花の話しを聞いている。明日花は続ける。

「ばあちゃんとじいちゃんは必然ともいえる偶然の出会いをして、恋をして、愛し合っていたんです。ばあちゃんは最後までじいちゃんに恋していた。あたしにじいちゃんの姿を重ねるくらい。世界一のお金持ちに成るのは無理だけど、世界一幸せになることは誰にでもできると思いました」

 明日花は多少苦手意識のある主任に対して饒舌に話している。

「ばあちゃんの『幸せ』はあたしが引き継ぎます!」

 主任は口角を少し上げ一言、

「なんか・・お前だけずるいな。でも、ばあちゃんも大切な遺産をお前に渡せて安心したと思うよ」

 主任はワイパーを止めた。雨が上がっていた。そしてフロントガラス越しに陽射しが差し込んでくる。

「明日花!多分、虹が出るぞ!」

明日花は改めて主任を向くと

「その虹を渡ってばあちゃんはじいちゃんに会いに行くんですよ!」

 主任は、明日花がばあちゃんの安否確認だけではなく、心に寄り添っていた事に満足げだった。

「さて、俺もたまには女房に幸せをあげないとな!いつも貰ってばかりだから!お前もいい人見つかるといいな」

 明日花は主任をムッとした表情で見て

「主任!『お前』って言うのやめてもらえます?拡大解釈するとパワハラ発言です。たぶん?」

 明日花と主任は笑い合うと、ほぼ同時に窓を開けた。


窓から入って来る蜩の声が夏の終わりを告げていた。


終わり


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