俺の失恋を見てくれ

Does

セオ→クーク→エリゼヴィータ

 早速だが俺は死んだ。

 死んだがグールになって蘇っている。

 死因が吸血鬼に噛まれたからだ。

 俺を噛んだ吸血鬼はエリゼヴィータとかいう貴族のご令嬢だ。

 吸血鬼に噛まれた者は吸血鬼かグールになる。どちらにしても、噛んだ『親』には逆らえない。

 俺はエリゼヴィータの屋敷で働くしかなくなった。

 俺は今、エリゼヴィータの慈悲のもとで生きている。


 エリゼヴィータはとても優しい。俺が生前に聞いていた、吸血鬼のイメージの半分くらいしか合致していない。

 吸血鬼は嚙んで眷属にした者たちから財産を貢がせ、その金で豪遊する貴族であり、眷属を生かすも殺すも指先三寸ということで好き放題虐げている、という話は、俺が子供のころから語り継がれている吸血鬼のパブリックイメージだ。

 エリゼヴィータの父親はその通りらしい。だがエリゼヴィータ自身はそうではなかった。

 眷属から巻き上げた財産で生きる父親からの扶養に、他生物を餌食にしないと生きていけない己に、罪悪感を抱きながら、日々粛々と慎ましやかに生きている。

 エリゼヴィータの父親は自らが噛んで眷属にした下僕たちを常に五人以上は従えているが、エリゼヴィータ自身の眷属は俺を含めて四人しかいない。

 侍女ふたり、執事ひとり、見習いの俺、セオ。

 その執事の名を、クークという。

「お嬢様に仕えられることの、何が不満なんですか」

 クークに言われて、俺は思いっきり舌を出した。

「あいつのせいで俺の人生台無しだ。人を襲うのが数年に一度だって、その一度に引っかかった俺には何の慰めにもなってねえ」

 俺はエリゼヴィータを憎んでいる。クークはエリゼヴィータを崇拝している。

 クークは元傭兵なのだそうだ。死にかけていたところをエリゼヴィータに噛まれ、眷属の吸血鬼になったことで蘇った。それを、命を救われたと考えているのだ。

 まったくくだらない。ひどい勘違いだ。眷属になるということは、親吸血鬼の支配下に置かれるということ。その崇拝の正体も、エリゼヴィータに刷り込まれたものかもしれないのに。

 俺がそれを強いられていない時点でその嫌味は言いがかりだとは自覚していたが、心底腹が立つのでクークに言ってやった。

 クークは言った。

「それならば、生きている間に味わえなかったこの感情の美しさを教えてくださったお嬢様に、感謝しなくては」

 クークの、エリゼヴィータへの信仰心は相当なものだとわかってからというもの、俺はクークのことも嫌いになった。

 嫌いの正体に気付くまで、三年かかった。

「お嬢様の身体は、吸血鬼としてはかなり虚弱です」

「もう何度も聞いたって」

「聞いても理解していないのですから、何度でも言います。お嬢様はどれほど御父上の扶養を厭うても、自ら労働することができない身です。眷属である我々が、お支えしなければなりません」

 お嬢様が欲した本を、侍女が図書館から取り寄せた。俺とクークはその本の山を手分けして運び、並んで屋敷の廊下を歩く。

「そんなにお嬢様お嬢様って、お前にプライドってもんはねえのか。生きている間は、相当強い傭兵だったんだろ」

「強い者が自分の意志決定を自分自身で握るのが好きというのは偏見です」

 つまり、クークはエリゼヴィータに支配されている今が心地よいのか。

 それを聞いた瞬間、今まで腹の底で煮えたぎっていた苛立ちがカッと沸騰した。

 それでも、『親』のエリゼヴィータから喧嘩を禁じられている俺には、クークに掴みかかることもできない。

 クークが俺の大嫌いなエリゼヴィータに盲目的に従っているのが我慢できない。

 傭兵という仕事は、生前の俺の憧れだった。屈強な心身で戦場を渡り歩く人生に、俺はなれなかった。クークは俺が憧れた強い傭兵だったのに、その生き方を捨ててエリゼヴィータに従っている。

 それは、俺が憧れたものより、エリゼヴィータの下僕でいることが幸せだと言われているようで、気に食わなかった。

 エリゼヴィータが憎い。

 俺の人生を奪った。

 クークの人生を掠め取った。

 エリゼヴィータの私室の前に到着する。

「お嬢様、御本をお持ちしました」

「入って」

 鈴の鳴るような声に従い、クークは部屋のドアを開ける。

 ドレスに身を包んだ華奢で可憐な女の子。

 俺たちの主。親個体。支配者。エリゼヴィータ。

 クークがテーブルに本を置き、エリゼヴィータに一冊ずつ間違いないか確認をとっている。

 俺はずっと、エリゼヴィータを睨んでいる。

 エリゼヴィータはその視線に気づいて、申し訳なさそうに微笑んだ。

 反吐が出そうだ。


「なあ」

 三年経っても反抗的なためクークから一人前と認められていない俺は、クークより先に仕事から上がる。

 自室に戻る前、俺はクークに声をかけた。

「逃げちまわねえ?」

「馬鹿を言っていないで寝なさい」

 一蹴されたが食い下がる。

「馬鹿みてえじゃねえか。勝手に殺されて、殺した奴に従うなんて。大きい街へ行けば眷属の解呪もできるって聞いたことがある」

「解呪されて、どうするというのです」

「自由に生きるんだよ」

 俺は言う。腹の底にたまった鬱憤を吐き出す。

「俺は、お前に自由になってほしいんだよ」

 堰を切ってぶちまけた。俺の憧れ、それが汚されている現状、エリゼヴィータはお前を助けてなんかいない。

 クークは黙って聞き終えて、言った。

「何を言っているのかわかりましたが、余計なお世話です。さっさと寝て、明日の労働に備えなさい」

 そしてクークはエリゼヴィータの部屋へ向かった。

 まだ仕事が残っている。

 俺よりも仕事を、エリゼヴィータを優先して。

 俺は取り残された。

 悔しかった。

 わかってるんだ。俺はクークが好きで、クークに自由になってほしい。けれどそれは、クークが俺のものじゃないのが嫌だという我儘だ。俺が考えるクークの幸せを、クークが受け入れてくれないのが嫌なんだ。

 でも『俺が考えたクークの幸せ』を、クークは幸せだと認定しない。

 俺が言ったことは、偏見と願望の押し付けだ。

 でもエリゼヴィータは違う。

 クークはエリゼヴィータに仕えられるのが嬉しくて仕方がない。クーク自身が選んだ幸せの形が、今だ。

 エリゼヴィータは、その気になればクークも、俺も、完全に操ってしまえるのに、そうしない。侍女ふたりにも。エリゼヴィータは、俺たちの幸せがどういう形をしているか、押し付けたりしていない。

 結局、俺は、クークが俺といるよりエリゼヴィータといるほうが幸せだと思っていることに嫉妬しているだけだ。

 自分の幼稚さとエリゼヴィータへの敗北感で、膝から崩れ落ちそうになるが、堪えた。

 自室に戻る。

「……畜生」

 今頃クークがエリゼヴィータへ向けているであろう笑顔を思い浮かべた。

 部屋の隅のゴミ箱に、夕食を吐いた。

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