わたし、今あなたの家の前に居るの
音愛トオル
わたし、今あなたの家の前に居るの
扉が開いた瞬間、あの日から何度も思い返しては焦がれていた顔が見えて、わたしは……。
※※※
またね、の中のまたがどんどん遠のいていって、それなのに私は手を伸ばすどころか降ろしてしまった。きっとその瞬間に、終わってしまったんだ。
いい加減先に進まなきゃいけないのに、私はずっと焦がれている――だからこそ、私の方から連絡することがどうしても、出来なかった。
――もし拒まれてしまったら、きっと……。
「あや、それじゃあ戸締りよろしくね」
「うん。いってらっしゃい」
夏休み、午前10時、寝起き。
私は家族を眠気眼で見送った後、リビングのソファに埋もれた。家族共用のサブスクアカウントから目に入ったドラマを選んで、大して興味もないのにとりあえず再生する。目の前を滑る映像に、思考を引っ張ってもらいたかった。
でないと、部屋に置きっぱなしのスマホを取って、1日中でもメッセージの確認をしてしまいそうで。
「やっぱり、会いたいよ……かがみ」
私、
かがみとは、毎朝毎晩覗いているあれではなく、小学校から中学2年生までずっと一緒だった幼馴染、
「なんで連絡、くれなくなっちゃんだろ」
画面の中で主役か脇役かも分からない役者さんが身振り手振りで誰かに何かを訴えている。音を出しているのに、顔の周りで滑って全然入ってこない。
その代わりに、最後に電話をした日の事が脳裏に浮かんできた。
『寂しいよ、かがみ』
『わたしもだよ文音……ほんとは、行きたくなかった……』
『ねえ、これからもいっぱい電話してね』
『もちろん。高校卒業したら、絶対そっちの大学行くから』
テレビの中の私でもかがみでもない人たちが、まるであの時のセリフを言っているみたいだった。
「はは、やばいな。だいぶ、かがみロスだ……」
そうやって自嘲しても何の益にもならないと気が付いたのは最近のことで、いくら後悔しても現実は冷ややかなまま。かがみは、引っ越してから1か月後のその電話を最後に、ぱたりと連絡をよこさなくなった。
送ったメッセージには既読がつくから、何かあったわけではないと思う。
去年の10月の誕生日、おめでとうのメッセージを送った後も、2か月後くらいに既読になって、とても痛かったのを覚えている。
「かがみ――私」
何かしちゃったなら、せめて謝らせてよ。
ソファに座りながら寝返りを打つという技で、私はテレビから顔を背けた。クッションに顔を押し付けて、声を押し殺して――肩が、震える。
私の顔がぶつかってくる前よりもほんの少しだけ重くなったクッションをお腹に抱いて、ソファの上で猫のようにうずくまる。
「……怖い、なぁ」
私が気づいていない何かの理由でかがみを怒らせてしまって、あるいは、理由なんてなにもなくてただ物理的に隔たっている距離の問題で――いずれにせよ。
またメッセージを送ったとして、それが返って来るか期待しながら、ただの既読が付くまでまた何日も待つことが、私は。
「かがみに、もう――」
会えないことが、私は。
空調で冷えた空気も汗が飛んだこの肌も、私の心の内でくすぶるかがみへの熱をなかったことには、してくれないのだ。
※※※
私は「ああ目が覚めた」と思ってから初めて自分がいつの間にか寝ていたんだと気が付いた。そして同時に、何が自分の目を覚ましたのかを、家の中を木霊するインターホンの音で知る。
そういえばお母さんが、お昼ごろに荷物が届くって言ってたっけ。
「……置き配じゃないんだ」
いやに重たい身体をソファからひっぺがして、私はよたよたと玄関へ向かった。途中で洗面所を経由して鏡を――姿見を確認する。そういえば顔洗ってない。寝ぐせついてる。パジャマよれよれだ。
でもまあ――なんか、まあ、もういいや。
どうせ、荷物受け取るだけだし。
「はいはい、と。出ますよ~」
配達員の人どころか自分にさえ聞こえないくらいの小声で言った私は、左はサンダル、右はローファーという適当なチョイスで、あくびを噛み殺しながら玄関の扉を開けた。
数センチ開いたくらいで根を上げる室内の冷たい空気、そんな外の熱気に顔をしかめたかった私は、扉を半分ほど開いたところでそれどころじゃなくなった。
仮定そのいち。まだ寝ている。
否、私は明晰夢とか見ないし。
仮定そのに。幻覚を見ている。
否、いくらこんなに想っているからって配達員さんと見間違うはずないし。
仮定そのさん。私に、会いに来てくれた――
「……久しぶり、文音」
――バタンッ!
「あ、あやね!?」
否、あ、いや、えっと、その……うん。
無理、無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理――!
私寝起きだし、寝ぐせひどいし、たぶんよだれのあとついてるし、パジャマ雑だし、あくびの顔だし、目ほっそいしすっぴんだし全然おしゃれな服着れてないし。
だから、無理、いやそうじゃなくて。
「う、う、嘘……」
かがみが会いに来てくれたの……?
でも、私、今は。
「あ、文音?大丈夫……?」
扉をノックしながら心配そうにそう言ってきたその声は間違いない。かがみだ。
私が大好きなその声を、聞き間違えるはずがない。
「……い」
「文音、えっと、これはね――」
「大丈夫なわけないでしょ!」
「――は、はいっ、えと……ご、ごめん」
この際、こんな姿を見られたのは許す。だって昔はよくお泊りしてたし。その時の寝起きなんていくらでも見られたことある。
でも。
私は半紙が通るくらい扉を開け、これだと声が通りにくいかなと思って大学ノートくらいの隙間を作った。そこからちら、と覗くと、たぶんかがみだろうけれど、見たことのないシルエットが映る。
ほとんど3年間、見てない、もんね。
「――なんで、連絡してくれなかったの」
「そ、それは……」
「なんで今更会いに来たの!」
違う。
こんなこと言いたいわけじゃない。
私は期待してしまったんだ。玄関先で前髪をいじりながら、見たことないくらいおしゃれしたかがみの、その緊張した面持ちに。
私に会うためにおしゃれしてくれたのかなって。
でも口をついて出て来たのはそんな期待を嘘だと跳ねのける、今までに砕かれた想いの数々。
「ずっと連絡返してくれなかった。既読スルーして、電話も――全然してくれなくなって。嫌いになったなら言ってよ。私がなにかしちゃったなら、はなしてよ……何も言ってくれないのは、つらいよ……かがみ――」
「――文音」
それでも、私の熱は消えていなくて。
「私に、かがみのこと大好きなままで、いさせてよ……」
「――!」
だってねかがみ。私、諦めようとしてたんだよ。
高校を卒業するまで連絡がなかったら、って。
「文音。ごめん。わたし、文音の気持ち、全然考えられてなかった。文音、わたしに謝らせて。今までのこと――連絡、出来なかったこと」
「……1回引っぱたくけどいい?」
「うん。1回でも、10回でもいいよ」
「じゃあ――入って」
私は扉を開けた。そこに立っていたかがみの頬を伝うのが、汗だけではないことが、目を見て分かった。
炎天下の中歩いて来たのか、せっかくおしゃれしてきたのに汗だくで、そうまでして私を直接訪ねて来たことに、今更ながらはっとした。だって、かがみ、飛行機じゃないと来れないって。
ここに来た経緯は分からないけれど、たしかに今、ここにいるかがみが、遠慮がちに玄関に入って来る。昔は我が家のように出入りしていたのに。
「――お邪魔します」
靴を脱いで上がっている私とかがみ――段差のぶん、私の方が背が高くなって、気が付いた。段差があるというのに対して身長差がない。かがみ、背伸びたんだ。
肩を緊張させて、目を閉じているかがみは多分、私が叩くのを待っているのだろう。私も、かがみが家に入って来る直前までは叩く気でいた。でも、今目の前にあれだけ焦がれた人がいることに。
かがみのその姿に。
「――かがみ」
「……っ」
私は、膝から崩れ落ちた。
かがみの腰に手を回して、お腹に顔を押し当てる。
「え、あ、文音、わたし、汗かいてるから……っ」
「うるさい。私だって寝起きのくそすっぴん見られてるし」
「で、でも汚いから……」
「汚いわけないでしょ馬鹿!私は、私――私は!ずっと触れたかった、話したかった、会いたかったんだよかがみ……」
もう二度と離すまいと、私は強く、強くかがみを抱きしめた。
私の頭を抱き寄せたかがみは、ああ、いったいどんな顔をしているんだろう――
※※※
扉が開いた瞬間、あの日から何度も思い返しては焦がれていた顔が見えて、わたしは自分の愚かさを悟ったのだ。
※※※
かがみの服は濡れてしまった。汗と、汗以外と。
それくらいは許してと内心で頬を膨らませた私とかがみは今、涼しいリビングで向かい合っている。ソファに座った私と、クッションをお尻に敷いて正座するかがみと。
(あ、そういえばあのクッション、さっき私が顔押し付けて……涙とかいろいろついて……!?)
「あ、ありがとうね。上げてくれて」
「あ、う、うん」
かがみは私の内心の動揺など露知らず、ぎこちなくお礼を言ってくれた。私はというと、跳ねた襟足を指でちょいちょい触りながら、頷く。へこへこしているみたいだ。
手洗いうがいをするかがみを先にリビングに入れ、顔だけ洗った私。着替えて歯磨きして色々したら1時間はかかってしまうし。
「……」
「……」
3年ぶりに見るかがみは、本当に可愛かった。
数年間直接見ていなかったこともあって、スマホで写真を撮りまくりたいほどには、私の胸を衝く魅力がある。けれどスマホは2階、手元にあったって撮りはしないが。
かがみの方は、さっきから私を直接見てくれなくて、寝起きだからかな、と思う。
「あー、えっと。それで、その。どうして、かがみはここにいるの?」
「あはは。なんか怖い面接みたい」
「嫌だよ縁起でもない」
「うん、そうだね――わたし、わたしはね。文音に、会いたくて」
「……っ。そ、そっか。それは――」
嬉しい、でも、かなり痛い。
喉元まで出かかった「なんでもっと早く来てくれなかったの」が、ぐるぐると胸中で渦巻く。玄関で抱きしめた時、かがみは私の頭に触れてくれた。
あの瞬間、少なくとも否定的な動機で私を――例えば絶交とか――訪ねたわけではないと分かった。そこから一歩進んで、素直に「私に会いに来てくれた」と信じるには、出来てしまった溝が大きい。
それなのに、かがみはそう言ってくれる。
「――なんで、今なの」
意識と無意識の3対7くらいの比率で私の声に含まれた棘に、かがみは眉を下げた。肩を縮こまらせて、太ももの間に手を挟んで。
そんなに萎縮、させたかったわけじゃない、のに。
「引っ越しね。わたし、本当に嫌だったの」
「……言ってたね」
「でも、中学生だし、子どもだから我慢しなきゃって。そしたら、ここからかなり離れた所になって。簡単にはもう、来れなくて。そしたら、ね……わたし、わたし」
「ちょ、ちょっとかがみ。落ち着いて、大丈夫だから……」
かがみはゆっくり、努めて冷静に話だそうとしていたが、途中からぽろぽろと大粒の涙が頬を伝って、肩が、声が、震えてしまっていた。私は自分の胸中とかちょっと語気を強めてしまったこととか放り投げて、咄嗟に駆け寄った。
隣に膝立ちになって、肩をさする。冷房がこんなに効いているのに、熱い身体。
「あ、ありがとう……ごめんね」
「――ううん。大丈夫。ゆっくりでいいから」
「うん……それで、ね。引っ越してしばらくは、電話とかメッセージがある、って思ってた。大学はこっちに来れば、って。でも、そんなに……簡単なことじゃなくて。文音を、想えば想うほど、距離が、遠くなっていくの」
「――!」
私は、想像した。
かがみと離れ離れになって、飛行機でないと会いに行けない所で。まだ14歳の自分が、会いたくても会えない現実を前に、それでも無邪気に連絡を取り続けられるだろうか、と。
「お母さんもお父さんも、休みの度にわたしだけのために飛行機代払えるほど余裕ないって」
――それって、つまり、行こうとしてくれてたって、こと?
「バイトも、高校に入ってから、授業終わった後に少しずつやるだけじゃ、行って、ホテルに泊まって、帰って来るぶんまで溜まらなくて」
かがみは、ずっと……。
「わたし、わたし、文音に連絡したら、愛おしくて、現実を受け入れらないと思ったの。だから、連絡できなかった――でも、そのせいで、わたし、文音に悲しい思いをさせ――」
「ごめん」
「……え?」
謝るのは、かがみじゃない。
会いに来てくれたかがみに、あんな風に接してしまった私は、ああ、なんて愚かなんだろう。
「私、自分のことばっかで、かがみがどういう状況だったかって全然頭回らなかった。ただ、連絡が来ないって、それだけで――嫌われたんじゃないか、とか」
「そ、そんなっ。わたし、だって、文音のこと……!」
がばっ、と、今まで身体を揺らしながら泣いていたとは思えない勢いと力で私の方に身体ごと向いたかがみは、逆に私の肩を掴んできた。真剣な眼差しで、私の目を覗き込んでくる。
ふわ、と漂った香水に、かがみのこの日のための気持ちが、こもっている気が、して。
「ずっと、ずっとあいたかったんだよ。大好きな文音……今年ね、お姉ちゃんが手伝ってくれて。お金とか、おばあちゃん家に夏休みの間泊めてくれるように頼んだりしてくれて」
「……かがみ」
「あ――ご、ごめん。その、好き、とか」
「――私も大好きなんだよ、かがみ」
この時、私たちは今日初めて――再会してはじめて、見つめ合った。その目の輝きは昔と変わらなくて、うまくなったメイクもおしゃれになった髪型も知っている姿とは少し違ったけど、そこにはかがみが居て。
私の方はたぶん、3年分歳を重ねただけのありのままの姿が、かがみには映っていて。
「かがみ。ちょっと、1時間ちょうだい」
「え、ええ?」
「ここで映画とか見てていいから。1時間後、私が呼んだらもう一回外出て、インターホン押して」
「――!あ、文音……わ、分かった」
かがみは何かを察したような表情になって、私を送り出してくれた。
その前に、名残惜しむように2人して手に触れ合って。
――やり直そう。私たちの、再会。
※※※
いつかかがみに会ったら着たい服と、かがみが昔好きだと言ってくれた髪型と、精一杯のおしゃれに時間をかけたい。だから私は10分でシャワーを済ませた。
緊急時だし、身体の汗を流すだけにとどめ、急いで自室に戻り――1時間後。
『かがみ。いいよ』
『分かった』
学校の友達に会う時の数倍は気合を入れた格好で、私は自室からメッセージを送る。そのメッセージに間髪入れずに既読が付いて、それから数秒で返事が返ってくることが、この上なく嬉しい。
一度会って話して感情を吐き出した後なのに、そわそわと緊張が止まらない。
「かがみ……会いたいな」
私は、インターホンが鳴るのまでの数十秒を正座して待った。
※※※
わたし。文音の――幼馴染。今、あなたの家の玄関の前に居るの。会いたくて会いたくて、やっとここまで来れた。
あれだけ遠かった文音が、すぐそこにいる。
「……ふう。大丈夫。うまく言える」
わたしは、前髪を気にしながら、インターホンを押した。
※※※
鳴った瞬間、私は走り出した。
どたどたと足音を響かせて階下に行き、靴を履くのもおっくうでちょうど履きやすい位置にあったサンダルとローファーに足を突っ込んだ。さっきは1時間あったけど、今は1秒さえ惜しい。
そして玄関の扉を開けて、私は見つける。
そこに佇む、懐かしい人。
前髪を気にしながら待っている、愛しい人。
きっと、些細なことだったのだ。電話でだって、お互いの気持ちを吐き出すことはできた。私もバイトして、お母さんに無理言って頼んだら1度か2度は遊びに行けたかもしれない。
でも、出来なかった――しなかった。
私が、そしてきっとかがみも、大切過ぎたんだ。だから、近づけなくなってしまった。
「かがみ!」
「文音っ!」
でも、もう、そんなこと。
「ずっと、ずっとあいたかった……!」
「わたしっ、わ、わたしも、ずっと会いたかったよ!」
「好き、好きだよかがみ」
「わたしも。文音が好き」
玄関を飛び出した私と、駆けだしたかがみ。
ほとんどぶつかる勢いで抱きしめて、その場でくるくると回って。
まるで、舞踏会で踊る姫と姫だ――なんて、これはちょっと背伸びした私の妄想だけど。
でも、それでもいいじゃん。着飾った姫と姫が躍る舞踏会だって。
「夏休み中、毎日会いたい」
「終わった後も、毎日電話したい」
私たちは、すれ違ってしまった時間を埋めるように、強く、強く抱擁を交わした。
飛来した大きな雲が、太陽から私たちを隠してくれた。
※※※
部屋見つかってよかったね。一緒にいっぱい探した甲斐があったね。
「……ふふ」
かがみとの会話のログを見るだけで笑みがこぼれる。幸せが溢れる。
この未来にこれたのは、かがみの背中を押してくれたお姉さんのおかげだ。
「呼んだら遊びに来てくれるかな」
お姉さんは2年前からこっちに来て就職している。飛行機は、電車に変わっていた。
そして私たちは、幼馴染から、友達から、恋人へと。
隔たる距離は1000キロくらいから、ほんの扉1枚へと変わっていく。
「お待たせ、文音」
「かがみ!もっとゆっくりでも良かったんだよ」
「ううん。だって、早く行きたいもん――わたしたちの家に」
「……そうだね。私も」
繋がった手、重なった心は、きっともう2度と離れることはないのだ。
私は、かがみと人生を行く。
この足で、ずっと……。
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