第3話

一章 2 覚醒直後


 それは、二週間前。久がなんとか自分の名前を発音できた次の日のこと。

(これは……いわゆる、SNEGってやつっっ!)

 明るく、心地よいはずなのに猛烈に居心地が悪い。ふかふかした気持ちよさと、甘い香り。体温と軟らかいリアルな肉体の感覚。

(……まさに、それなんてエロゲ? というか……)

 あの女性。多分二十歳くらい。けっこうな美人さんの顔が間近にあって。腕から胸板にかけて感じるやわらかくボリューミーな感触。

(当たっているっ。当たっているからっ)

 明らかにやわらかく気持いい感触が当たっているのだけれど、感極まっているらしい女性はまったく気づいていない。肩も、すがりつく手も震えている。

 服装はシンプルなブラウスと、膝くらいまでのスカート。かなり地味なはずなのに、綺麗な女性が着るとすごく上品に見えて。

 扉を開けた瞬間、目を見開いて。かろうじて扉を閉められるくらいに慌ててベッドに駆け寄った女性は、脇にあった椅子に目もくれずに、一直線に少年に飛びついたのたった。

「お兄ちゃんっ……ううっ。ほんとうに、目がさめたんだねっ……」

 言葉が思いつかなくて。とりあえず微笑んで見せただけで、泣き崩れるようにして抱きつかれてしまった。

(目覚めたら、知らない美女に抱きしめられているって、なんだよ)

 異世界転生? それとも転移? ギャルゲー? いろいろな言葉が頭の中をぐるぐる回る。再び意識を取り戻した少年にすがりつくようにして抱きついた女性がひぐひぐとすすりあげながら繰り返すのは。

「お兄ちゃん。よかったよぉ……目が覚めて、よかったよぉ」

 もう一度考えてみる。自分の名前は北見久で年齢は十八歳。母の子が久で、義父の連れ子が比奈子だったはずだ。両親の再婚時、比奈子はまだ幼稚園児だったせいか、久に懐くの早かった。

 義妹は、確か八歳違いで入院当時は十歳。思いっきり年下で、手を引いてコンビニにいって駄菓子を買い与えて無邪気な笑顔に目を細めながら笑った記憶がある。

(ぼくはお兄ちゃんって呼ぶのは比奈子と、えーと……)

 それに対して。目の前の女性は。多分、身長は百六十以上あって、女性としては長身なくらい。比奈子は百二十くらいだったろうか。明らかに、大きい。年齢も、多分二十歳くらいだろうか。女性の年齢なんてわからないけれど。

(大人だし。むしろ、年上な感じ? ムネあるし)

 髪も記憶より長いし。やたらいい匂いがするし。比奈子は手足が細くて心配なくらいだったのが、目の前の女性はふっくら軟らかくてヤバい感じだし。

(えーと、比奈子の知り合いとか? それとも……)

 あらためて、目の前の涙をハンカチで拭う女性を見つめる。こちらの視線に気づいた女性ともろに視線があってしまった。

「…………」

「…………」

 しばしの沈黙。お互いの困惑の表情に気づいた二人の口が同時に開いて。

「あ、あの……」

「あ、あの、お兄ちゃん? あたしのことぉ……わからない?」

 ただでさえ泣きじゃくっていたというのに、一気に涙が溢れてきて。「ちょ、ちょっと待って。泣かないでっ」

 身に覚えのないことで誰かに泣かれるなんてごめんだった。女性の場合は特にだけれど、『泣き』は苦手だ。いたたまれない気分になる。

(思い出せ、思い出せ。この人は……知っているはずっ)

 髪の色。栗色ということは、比奈子と同じ。瞳の色も、鳶色で一致。口調も語尾がちょっと伸びる口癖でそのままだ。外見というか、年齢以外に以外に否定要素がないことに気づく。

(ちょっと、待て。この女性、比奈子と比べて……)

 ちょっと弱気そうな、目。顎は細くて、鼻は小鼻が上品な感じ。それから……。ブラウスの襟元から、窮屈そうなネックレスが目に入る。いかにも安物な、チープなプラスチック製のカラフルなネックレス。

 近所の縁日で、まだあまり懐いてくれていない義妹のご機嫌をとろうとして買ってあげたもの。高校生の小遣いで買った、テレビアニメのヒロインの絵がついたパッケージを思い出す。

 多分、あんな色だった。というか、多分同じものだろう。

(あれ……もしかして、本当に?)

 おそるおそる、まだ違和感のある口を必死に動かして。

「もしかして……比奈……子なのか?」

 ぎゅうっとさらに強い力で抱きしめられた。息苦しいくらいに強く。「そう、そうだよっ。ヒナだよっ。ぐすっ……」

 今度こそ感極まったらしい女性はしばらく言葉を発することもできずに、荒い呼吸のまま肩を上下させていた。

(そうか……ずいぶん、時間がかかったんだな……)

 人工冬眠が予想以上に長かったらしい。少なくとも、十歳だった義妹が年上になってしまうくらいには。

「すぐに気がつかなくて、ごめんな、ヒナ……」

 背中に手をまわし、そっと抱きしめるようにすると、少し落ち着いてくれたらしい。粘りつくような、全身の重さを感じながら、一言ずつ区切るようにして口に出す。

「治療……成功したんだな」

 腕も、記憶にあるよりもふっくらと肉が付き、病的な細さからは脱している。

「うん。成功したんだよ。お兄ちゃん。本当によかったよぉ」

 ぐしぐしと泣きじゃくる、年上にしか見えない『妹』の頭を撫でてやる。艶やかな髪はちょっと細めで。手入れが大変だから伸ばさないと言っていたはずなのに、けっこう長くしているようだ。

「何年……たったのかな。ヒナ、今いくつだい?」

「じゅう、ねん、だよ。あたし、もう二十歳だもの」

 思った以上に長かった。目を丸くする少年の前で顔を上げた比奈子のまつげに涙の粒が光っていて。病室の窓の光がちょっと逆光ぎみで、やけにまぶしく見える。

 整った顔立ちが涙で濡れていて。涙が鼻に流れ込んだのか、ハンカチで顔の下半分を隠しているのが、なんだか懐かしく、ほほえましい。「そっかあ……だいぶ長く、待たせちゃったなあ。ただいま」

「うん、うん……お帰りなさい、お兄ちゃん」

 ようやく椅子を引き寄せた比奈子の表情だけは、昔のままだった。

「お話することがいっぱいあるんだ……」

「ああ、頼むよ」

 病院のスタッフが巡回に来るまで、比奈子は文字通り堰を切った水流のように話し続けた。


 北見久は、目が覚めたら二十八歳になっていた。およそ十年間、眠っていたことになるらしい。当初の予定は、確か5年だった。その間に原因究明や治療法の開発がなされ、その最初か、二番目、三番目くらいの治療になるはずだった。

 しかし、症例が極端に少ないことと、研究予算が他の難病にも分散して十分に集まらなかったことなどから、想定より随分長く冬眠することになったらしい。

(それでも、あのままだったら一、二年で死んでたらしいし)

 低体温睡眠法。いわゆるコールドスリープにより難病の進行を食い止め、治療法の確立を待つのが一般的になりはじめたころ。進行性の、原因不明の病気を持っていた久少年はコールドスリープを選択した。

 運もよかった。少年はいわゆるネットマニアで技術系のオタクだったため、世界中に友達がいた。彼らがカンパを集めてくれた。いくつかある医療関係のクラウドファンディングの規程を満たし、無事に目標金額を達成したのだった。

(ありがたいんだけどさ……母さんには間に合わなかったんだよな)

 息子と同じ病気を持っていた母親は、三年前に死んていた。コールドスリープを選択することなく、技術者として最後まで仕事をしていたらしい。彼女の活動はブログに残っていて、死の直前まで更新されていた。

「泣けるよなあ……本当にさ」

 独り言をつぶやきながら、母親の生きた軌跡を追っていく。義父から渡された端末を操作し、ブログの記事を読み進めた。技術者のメモを兼ねた記事はよく整理され、関連する外部記事へのリンクも丁寧に作成されていた。

「畜生。がんばってたんだな、母さん」

 母親は元々は3DグラフィックスとAIを組み合わせた、グラフィッカー兼プログラマーといった職業で、いくつかの特許などにも関わって雑誌などにも紹介されていた。。

(専門家じゃないから詳細はわからないけど、すごいな)

 母親は文字通りの専門家で、3Dグラフィックスの互換性についてかなり深く考察した記事が多い。専門的な解説の詳細は読み飛ばしてしまうけれど、技術の進歩やその流れはだいたい頭に入ってくる。

 母親の奈美子のブログは専門的な内容が多い割りには華やかな印象があるのは、美少女や美男子などの画像がサンプルとして豊富に掲載されているからだ。

(データの変換じゃなくて、汎用フォーマットで対応……か)

 そして、単なる画像データではなく、ポーズや表情を変えられる3Dモデルが掲載され、電脳世界のアバターとしても利用できるようになっているようだ。

 VRML、OBJなど多くのフォーマットがある3DCGのフォーマットと互換性を保ちつつ、関節の曲げ伸ばしや変形を司る汎用骨格システムはデータの重心など物理演算の基準ともなるように設定されている。

(そうか。いつの間にかアバターも互換性重視になっていたんだな)

 アバターというのはゲーム等で扱うプレイヤーの分身だ。はるか昔は自機とかマイキャラ、PCなどと呼ばれた仮想世界での『自分』は、グラフィックが精細になり、3D化が進むとともにカスタマイズ可能になり、ついには写真と見分けが付かないほどに発達していく。

(くー、リアルタイムで見ていたら、面白かっただろうなあ)

 母親はハンドル名『NAMI』としてさまざまな魅力的なアバターを発表すると同時に、さまざまなゲーム等で使えるように互換性を高める工夫していたらしい。

 その結果、Aというゲームから別のゲームにアバターやアイテムを移動したりすることが可能になっていく様子がよくわかる。

 病室のベッドの上で、思わず熱中してしまうほどに技術の発達が面白い。母親が関わっていたとなるとなおさらだ。

(うわ、マジか。Dクエストの勇者アイテムをFFファンタジーに持ちめるとかっ。すげえな)

 最近のゲームでは有償で外部からアクセサリやキャラクターのデータを持ち込むことが可能らしく、持ち込んだデータにゲームアイテムの性能、特性を適用することができるらしい。

(うわー、これはもう、流れが決まっちゃうでしょ)

 市場では母親の所属していた団体、財団の提唱する統一フォーマットがすでに一定の需要を掴んでいるようで、新規参入メーカー等はほとんどが統一フォーマットを使用し、アイテム等の持ち込み可能をウリにしているゲームも多いようだ。

 ゲームで使われるアイテムは、定番の機能のものも多い。使い慣れたグラフィックのアイテムを別のゲームでも使いたい、というユーザーは確かにあるだろう。実際、例えばハンドガンなどでもいい加減なデータもあれば実銃をスキャンしたのではと思うほどに精密なデータもある。

(うんうん。新しいゲームでグラフィックしょぼいとガックリだもんなあ……)

 特に、一見よさそうなグラフィックなのに、入手して細部を見てみると外見だけ、しかも表面の模様だけで細部形状を再現していないゲームはかなり多い。わざわざ課金して入手したアイテムが期待したほどデキがよくなくて、悲しい思いをした経験もいくつもある。

(データ量の制限もあるからしょうがないんだけどさ)

 ぶつぶつつぶやきながらも読み進めていくと、新しいアバターのデータの画像が表示された。

「……! これっ……」

 そこにあるのは、自分。北見久のデータだった。正確に言えば、北見久をすごく美化した、十代半ばの少年のデータだ。病気が発症する直前の、まだ元気だったころの。

「ぼく、こんなお目目キラキラじゃないよ。足も短いよ……」

 口に出してみた。涙が浮かんできて、服の袖で拭う。データ名は少年。ただそれだけで、奈美子にしては珍しく固有の名前がなかった。

 写真などを見て作成したのだろう。さすがプロの技で、データ量を抑えながら見栄えをよくするにはどうしたらいいか、という問題に対してそれまでのブログの記事を踏まえた内容になっているようだ。

「もう一人は……比奈子か。こっちも、デキいいね、母さん」

 少年と対になる、少女のデータ。やはり美化は激しいけれど、確かに義妹の比奈子だ。十歳近く年下だったはずだけれど、先ほどの久をモデルにしたアバターと同い年くらいに設定しているらしい。少年の記憶の中の義妹よりもだいぶ大人びている。

 目が覚めたときにいた、あの女性を思い出す。あれはやはり比奈子だった。二十歳になったと言っていた。記憶にある比奈子は小学校低学年。アバターの比奈子は確かにその中間くらいだった。

「やっぱり、美化しすぎだけどさ。可愛くできてるじゃん」

 デジタルフィギュアというのか、アバターになっている比奈子は特徴を上手く捉えながらもいやみのない美少女だった。大人しそうな、清楚な雰囲気だが、ちょっと童顔な印象もある。

(美人に……なってたな)

 久が十八歳のまま足踏みしている間に、義妹はずっと先に歩みを進めていた。なんでも、大学に通いながらすでに就職しているらしい。以前からアルバイトしていた職場なので、気負わず仕事をしているということだ。

(ぼくは……どうするべきなのかな。今更プログラムとか……)

 久も母親に習って幼い頃からデジタル教育に親しみ、プログラムに関してはちょっとしたものだった。いくつか賞もとったし、ライブラリに自作のプログラムを登録したりもしていた。

(でも、十年のタイムラグだもんなあ。通用するかなあ……)

 頭をかきながらも母親のブログを読み進める。怖くて自分のブログは確認していない。今でも削除されずに残っているのだけは確認したけれど、もうパスワードもうろ覚えだ。

(今は、こっちの情報を身につけないと)

「あ、またHULKさんの記事の紹介だ」

 リンク先は海外サイト。すでに見慣れたアドレスが端末の下部に表示される。HULK氏と母はお互いに翻訳サイトを通じて記事を引用しながら、新しい技術を構築していくのがわかる。

 どうやら、ゲーム等で使えるアバターの自動作成システムを作っているらしく、AIを使って対話形式でデータを拡大縮小や変形を使ってアバターやその服装などを変えていくことができる。

 すごいのは体型を変更すると衣服も自動で体型に合わせて変わることだ。身長、股下、腕回り、足回り、腰回りなど、男性、女性、無性、両性などの性別や年齢で制限こそあるものの、かなり自由に変更できる。

「へえー。いろいろできるんだなあ」

 HULK氏のサイトではアバターの作成を行ったあと、ダウンロードも可能になっている。詳細な設定をせずとも、ある程度要望に沿った衣装を設定してくれるのもありがたい。

「ああ、ここでさっきの技術が開発されたんだー。なるほど」

 奈美子のブログでは技術展などの主要な発表からのピックアップがされていて、それを見ていくだけで、さまざまな技術の発達の概要を確認できるようになっていた。それを追っていけばネットワーク、プロセッサ、メモリ・ストレージ、プログラム、AI、セキュリティなどさまざまな技術がからみあい、繋がっていくことがわかる。

 膨大なプログラムの同士の互換性を確保し、生産性を高めるためのチップレット・システム。プログラムを機能ごとに細分化してチッププログラムとし、ほかのチッププログラムと組み合わせることにより大幅に生産性を高めることが可能になっている。ソケットと呼ばれるインターフェイス部分の規格もすでに国際規格化されている。

(ぼくのころにあれば、ずっと楽ができたのになあ)

 母や父に愚痴を言いながらも、自分の書いたコードの互換性を高めるためにいろいろ手を加えたことを思い出すと同時に、自分の考えていたやり方が正しかったことを確認でき、少し得意になる。

(なんか、技術の発展が加速しすぎている気がするけど……)

 そして、久が人工冬眠に入ったころに前後して発達を初めていたナノマシンを使った無執刀手術や脳神経電子ネットワーク接続技術は急速な発展を遂げ、仮想空間技術と結合したそれは「完全没入型電脳世界」を実現した。

(そして、これで一気に電脳化に進んでいくんだ……)

 膨大な利権が絡む中でも急ピッチで規格化と世界統一ルールがが検討され、業界団体の内部規格が国際規格として標準化されていく。

 それから五年近くがたち、法整備も進んで日本でも一般向けの電脳スペースが公開された。全人口の一割弱が『完全没入』を可能とするインターフェイスの埋め込み手術を受け、十代後半から大学生くらいまででは三割以上がこの手術を受けているとされる。

 電脳化──。人間の頭脳に直接情報端末を接続するというアイデアは古くからありSF小説の定番テーマのひとつだったそれが、ついに現実のものとなり、しかも一般化した。

 これまでテレビ画面等の平面から覗いたり、ゲームコントローラなどで体験していた「ゲームの中の、データの世界」に入り込むことができる。補助金があるとはいえそれなりに高価な手術や関連設備だったが、それに飛びつく若者は多かった。

 地球規模の電脳化ブームは慢性的に世界的な半導体不足を引き起こし続けており、とてつもない電脳バブルに景気の高揚も続いていた。

(それで、ぼくもうじき電脳世界に……)

 少年の手首には、うっすらと黒いラインが透けて見える。電脳機器との接続端子が埋め込まれているのだ。

(本当に、たったこれだけで、電脳世界にアクセスできるのかなあ)

 量子コンピュータもインフラレベルでは実用になりつつある。お金だけではなく、膨大なプログラム、数え切れない人の労力と時間。そういったものが今の世界に繋がっているのだと、少しだけれど納得できた。

 母親のブログの最後は、こう締めくくられていた。

「病気が悪化して、入院することになりました。私はおそらく戻れないかと思いますが、皆様のよりよい行く末を祈っております。このブログのコンセプトは、財団の同志が引き継いでくれることになりました。私の親愛なる家族、友人、そして関係者の皆様に感謝申し上げます」

 コメント数は、千ちかくにも及ぶ。追悼と感謝のコメントだ。すでに目に貯まっていた涙がぼろぼろと落ち、シーツに吸い込まれていく。(ありがとう。母さん。こんなにしっかりとまとめてくれて……)

 息子がブログを読むことを確信していたのだろう。『財団』の初期メンバーの一人だった奈美子は財団メンバーのブログなどの画像も引用しながら、わかりやすくさまざまな内容をまとめてくれていた。

 リンクから財団……健康と電脳福祉財団のページに移動すると、奈美子のブログを再構成したらしい記事があり、それを引き継いだ形で財団の誰かが奈美子が亡くなった後のIT、電脳技術の情報をまとめてくれている。

 ほかにもより専門的な記事をまとめたサイトもあり、財団が久が眠りにつく前とは別物といってよいほどにさまざまな事業をしていることもわかった。

(すごいな。財団ってこんなに大きくなったんだ)

 久が入院した当時の財団はフリーのIT技術者の健康保険や共助サービスを提供するだけのもので、アメリカ本部と違って日本支部は人数も少なく、運営費用も本部からの支援に頼っていると聞いていた。

 義父の雄介は日本支部の事務を担当していたけれど、妻よりも収入が少ないとぼやいていたのを思い出す。人の役に立つ仕事なのだから、と奈美子が慰めるのもいつものことだった。

「こんにちは。健康と電脳福祉財団のサイトへようこそ。」

 財団のトップページに移動するとペルソナAIのアルティナの挨拶があった。天使や女神をイメージしているらしいデザインは母の奈美子のものだろう。ストレートの銀髪に緑の瞳、ギリシャとかローマみたいな服装が似合っている。

(ペルソナAI……マスコットキャラクターみたいなもんか)

 軽くお辞儀をしたアルティナがこちらの名前を聞いてくる。どうやら答えるとそのままログインできるらしい。

 現在の財団で久の個人情報がどうなっているのかわからないので名前は答えずに、そのまま操作を続行する。

 名前を教えてもらえなかったアルティナの残念そうな表情があまりに自然で、ちょっと罪悪感を感じてしまった。

 リアルといいつつも現実の女性とは違う味付けで、年齢不詳で人種もカスタマイズが可能。衣服やアクセサリー、口調なども変更できるようだ。

(うわー、ぼくが冬眠している間に財団、大きくなったんだなあ)

 福祉、健康、教育、保障、プログラミングなどのジャンルが並んでいるのを、目を丸くして確認していく。

 ナビゲータとなるアルティナのアバターだけでも財団がどれだけお金をかけているかがわかる。その応答のしかたや質問への答えなどをみても、文句のつけようがない。

「昔は、こんなに自然でも親切でもなかったのになあ」

 久は母の影響を強く受けてIT全般に強く、AI関連でもいくつかのプログラムを作ったのを思い出す。中には自己学習、成長型の意欲的なものもあったのだが、停電で成長中のまま消えてしまった。特定のハードウエアに依存しないなど成功すれば革新的なものになるはずだったが、今考えてみれば無限に成長を続けるためネットワークなどに迷惑をかけてしまうものだった。

(あれは、珍しく両親揃ってのお叱りだったなあ……)

 なんでも、サーバーのメモリと計算能力と通信量と、つまりはサーバーの全能力を乗っ取ってしまいかねない状態だったそうだ。もっとも、放っておけばそうなるというもので、そうなる前に両親に見つかったわけだが。

(理論上は自分で自分の存在目的を定義できるはずだったんだけど)

 生命進化を模した学習システムだったせいでランダム要素や取り込んだ情報で自己崩壊を起こすことも多く、思うようにはいかなかったことを思い出す。

(まあ、こんなに進化したAIがいるなら不要……なんだよなあ)

 しばらく放置していると、アルティナがデフォルメされたマスコトットキャラが退屈そうに指を動かしたり、頬をふくらませてこちらを窺ったりと、意外なほどに表情が豊富だ。

 待ちかねたらしく、目を閉じて鼻歌を歌い始めているところをクリックすると、目を丸くして、恥ずかしそうにしながら口を尖らせる。

(なんだこれ。けっこう可愛いかも)

 検索をかけてみると、財団のマスコットやガイドとしてでなく、純粋にキャラクターとしても人気があるらしい。さまざまなメディア、サイトに露出していて、アイドル的な活動もあるらしい。

「うわ、技術教育ではこの娘が褒めてくれるんだ。なるほどー」

 単なるガイドやアシスタントだけでなく、時には講師、時には友達として、仕事のパートナーにもなってくれる。財団へのログイン情報やこれまでのこちらの行動からこちらの興味やクセなども把握して、きめ細かい対応をしてくれるという親切さだ。

(こりゃ、人気出るわー)

 といいつつ、ログインしたり登録したりはしないで様子見してしまうのは、ネット詐欺やクラッキングが横行した時代を知っている技術者的思考なのかもしれない。

 画面の横枠からちらちらとこちらを窺うアルティナが、こちらの退去に気づくとお辞儀をして、手を振ってくれる。それだけのことが少し嬉しくなる演出だった。

 アルティナの公式SNSには写真、イラストなどの投稿もあり、財団の力の入れぶりが窺える。

(中の人というか、中のチーム、なんだろうなー。これは……)

 そんな風にして、浦島太郎な少年は空白の十年を埋めるべく、様々な情報を取り込み続けて夜更かししてしまい、病院のスタッフに叱られるのだった。

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2024年10月26日 00:00
2024年11月2日 00:00
2024年11月9日 00:00

目覚めれば、電脳英雄 いまきたみつたか @imakita_m

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