第5話

 誰かの口から「あっ」と声が漏れた。静かな湖面に魚が躍り出たような『波紋』だった。


 その波紋はどんどん大きくなり、ついには意味のある通信となって別のモニタに現れる。


「通信復旧! 『オケアノス』との通信、復旧しました!」


 直後、僕らは久しぶりに呼吸をしたかのような気分になった。腹の底にたまった息を口から吐き出して、暗澹とした状況に希望を見いだしたことに安堵した。


「まだだよ」


 教授の声は僕らを引き締める。状況が好転を見せたことで管制室内の空気は緩みかけたが、まだ確証がないうちは安心できない。


「怪獣に動きは?」


「妨害電波は検知されていません。ほかの変化をNASAに問い合わせています」


「あと二〇分だけ『オケアノス』に招待状を送らせよう。それだけの電力は十分にあるはずだよね? 笹目くん」


 突然に話を振ってきた教授の目はいつになく鋭い。僕がへどもどしながら腕時計を見て、やっと「はい」と答えると、教授は小さくうなずいた。


 やがて五分もすると、怪獣が地球の衛星軌道を離れたという連絡が入ってきた。

 頃合いとみた教授が僕を見た。


「笹目くん。やろう」


「はい。『オケアノス』からの現在位置データを確認してスイングバイ航路を作成。送信します」


 スイングバイは、加速に使う惑星をかすめるように飛ばなければならない。


 惑星の近くならどこを通ってもよいということはなく、ベストの結果を得るためには針の穴のように小さく、狭いエリアを通過させる必要がある。


 星の近くに射的のマトが置いてあって、そのど真ん中目がけて遠隔操作のボールを投げ込むようなものだ。つまり、とてつもなく難しい。


 だから『オケアノス』の航路はコンピュータを使って何通りも計算する。


 その中でベストな位置を通過できる航路を『オケアノス』に送ると、『オケアノス』はその計画に従ってエンジンをふかしたり姿勢を変える。


遠隔測定テレメトリデータ確認」


 通信が復旧したときにそなえて、自動的に現在位置データを送るようコマンドを送っておいたのが良かった。


 僕らはすぐさま『オケアノス』の現在位置を元にコンピュータへ条件を打ち込み、シミュレーションを命じる。


 やがてコンピュータがはじき出した計算結果から得られたいくつかの航路候補のうち、一番いいと思われるプランを選んで『オケアノス』へ送信した。


 すでに頭は疲労と寝不足でクラクラしていたが、僕の指は不思議とプログラムのコーディングミスもバグも出さなかったし、みんなもつまらない間違いをしなかった。


 僕らは狂奔のさなかにいた。



 ***



 怪獣が地球の近くから離れていき、電波状況は急速に回復した。


 地球に日常がもどり、人類社会に迷惑をかけた怪獣は人々の話題に上らなくなった。


 そして相模原の管制室につめている僕らも、その意識は目の前のモニタへ注がれている。


 妨害電波で通信が途絶していたときと同じように、そのモニタにはまっすぐな細い線が、一本だけ横に走っている。


 三月十九日。

 僕らはその日も『オケアノス』からの合図を待っていた。


 『オケアノス』は、予定どおり木星のスイングバイを決行した。木星をかすめながら追い抜くのだが、一時的に木星の裏側に隠れることになってしまう。


 つまり、地球と『オケアノス』は物理的に隔てられる。これは通信だけではなく、太陽光も遮られる。


 だから『オケアノス』が木星の裏側に隠れている間、電力の供給が途絶えることになってしまう。


 僕らはいま、『オケアノス』が無事に木星の裏側から顔を出すのを待ちかまえていた。


 待つことしかできない、もどかしさを感じる時間が過ぎていく。

 だけど僕らには自信があった。怪獣による思わぬ妨害にも対処できたのだ。


 それに比べれば、これは通常のミッションだ。


 いつも通りのことをやれば、『オケアノス』はしっかり飛んでくれる。その確信があった。


 モニタを走る横線の上に、唐突に小さな山が現れた。

 それを見つけた瞬間、管制室を割らんばかりの喝采と拍手が沸き起こった。


 安堵でへたり込む者。達成感をかみしめる者。『オケアノス』への情にむせぶもの者がいる。


 ついに『オケアノス』は加速ミッションを成功させて、目的地である木星小惑星帯への切符を手に入れたのだ。


 達成感にどっぷりと浸って体が軽くなった僕は、部屋を見渡した。


 休憩スペースのカウチに体を投げ出した鳥飼教授が、船を漕ぐように「うんうん」とうなずいていた。



 ***



 その後、怪獣の行方はわからない。


 土星と天王星、海王星のオーロラをハシゴしたあと、北極星のほうへと針路を変え、もと来た道を帰っていったきりだ。


 またあの怪獣に会いたいかと聞かれると困る。僕らはあの怪獣のどんちゃん騒ぎで大迷惑を被った当事者なのだから。


 だがいつか、僕らの子孫が彼らと再会したらどうだろう。

 「話せば良いやつらだ」となるかもしれない。


 でも今はまだ、僕らは彼らと話すことすらできない。


 それでもいつの日か、人類はかならず同じ舞台ステージに立てるはずだ。


 その日に思いをはせ、今日も僕らは『オケアノス』と星の海をく。



 了

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大事な宇宙ミッションが迷惑な宇宙怪獣で台無しになりそうだしついでに人類滅亡しそう 日向 しゃむろっく @H_Shamrock

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