ー二度の消失ー

 冷たい雨が降りしきる早朝。雨音はただ静かにアスファルトを叩き、街は冷たい空気に包まれている。


 誰もがいつものように忙しなく歩いていたが、重いかげりが漂う。


 それは、数日前に起きた少女の誘拐事件の余波が今も尚、街の住人たちの不安を煽っていたからだ。


 この日もまた一つの誘拐が報告される。


 今度の被害者は十五歳の少年・井上健太いのうえけんた。昨日の夕方、学校からの帰宅途中で姿を消した。


 彼の母親が通報したのは夜遅く、警察はすぐに捜索を開始したが、少年の行方は依然として掴めないままだ。


 健太の母親は警察署の取調室で震える手を膝の上に置き、篠崎の前に座っている。


 その目は赤く腫れ、眠れぬ夜を過ごしたことを物語る。彼女は何度も繰り返すように言った。



「どうして…どうしてあの子が…」



 彼女の声はか細く、涙が頬を伝いポタポタと落ちる。


 篠崎は静かに彼の母親の言葉を聞きながら、冷静に彼女の表情を観る。彼は、数多くの失踪事件を担当してきたが、今感じている不安はいつもと違った。


 彼女の訴える痛みは確かに真実だったが、それ以上に篠崎を捉えて離さなかったのは、彼女の目に宿る漠然とした不安だった。


 それは、母親が本能的に感じ取ったものかもしれない。



「健太君は何か変わった様子を見せていましたか?」



 篠崎は声を落として訊ねた。美咲はしばし言葉に詰まった後、ゆっくりと首を横に振る。


「いいえ、何も…。彼は普通に学校に通って、普通に友達と遊んで…ただの普通の子です…」


 随所に現れた普通という言葉が、篠崎の耳に引っかかる。どこか、無理やり自分自身を納得させようとしているような。


 だが、それ以上は何も言えなかった。


 一方、山崎颯太は捜査本部の机に向かい、昨晩の捜査資料を読み返す。


 彼の心の中には、焦燥感しょうそうかんが募る。二人目の誘拐。それは偶然ではない。



「この犯人は、まだ終わっていない…」



 颯太の直感は鋭かった。捜査資料の隅に書かれた小さな目撃証言に、彼の目が留まる。


 最後に少年が目撃されたのは、駅前の小さなコンビニで店員の藤井美樹がその姿を覚えていた。



「彼、いつも来てくれていたんです。いつも笑顔で元気な男の子でした。でも昨日はちょっと様子が違ってて…俯いていた気が…」



「俯いていた」些細なことに思えるかもしれないが、事件を紐解く鍵かもしれない。


 颯太は直感を信じる性質だ。


 その証言の微妙なニュアンスが、何かを指し示しているように感じる。彼はすぐに篠崎の元へ駆け寄り、その目撃証言を報告した。


 篠崎は無言で颯太の言葉を聞いていたが、冷静さが宿る。彼は長年の経験から、この手の事件において一見何気ない証言こそが、最も重要な手がかりになることを知っていた。



「俯いていたということか…。それが、何を意味するのか」



 篠崎は、藤井美樹の証言をもう一度丁寧に読み返し、何か手掛かりになりそうなモノを探す。


 その夜、篠崎は自宅に帰ったものの、事件のことが頭から離れない。


 彼の記憶の中で、過去に扱った数多くの事件がフラッシュバックされるが、どれもこの連続誘拐事件とは微妙に異なる。


 犯人の狙いが、連続誘拐により、ただの偶発的なものではないことは明らかだった。


 篠崎の脳裏に、一つの疑い深く根を張り始める。



「犯人は、もっと大きな計画の一部を実行しているのではないか」



 冷たい夜風が窓を叩く音が、彼の耳に静かに鳴り響いた。

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小星は瞬く 翡翠 @hisui_may5

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