小星は瞬く

翡翠

ー消失-

 夜のとばりが市内に静かに降りた頃、繁華街はその騒めきを徐々に失い、秋風が通りを吹き抜けている。


 雨上がりの街路灯が、濡れた路面に光の筋を描く。そんな静けさの中、少女の誘拐は起こった。


 桜井美香さくらいみかが目撃したのは、そのほんの一瞬の出来事だった。


 いつものように夜の帰り道、通りの先にある小さな細い路地を何気なく見る。


 そこにいたのは、男と一人の少女。二人の間には不思議な距離感があった。


 しかし、美香は少しの違和感を抱いたが然程さほど気にも留めなかった。



「ただの親子だ」



 そう思い込み、彼女は帰路を早める。




 その晩、家に着いても何故かあの光景が頭から離れない。


 揺らめく街灯の光の中それを背にして立つ男と少女。


 美香の胸の奥に段々と小さな不安が芽生えはじめた。


 ただその形を成さない違和感を心の片隅にグッと押しやる。




 ♢♢♢




 翌朝、真新しい新聞を見た時彼女に大きな衝撃が走る。



「繁華街で少女誘拐か」



 見出しの下に掲載された写真は、あの晩路地で見た少女だった。


 顔が段々鮮明に思い出され、同時に昨日の光景が脳裏に鮮明に蘇らせる。


 胸の中に広がる後悔と焦燥感。それは、小さな火種が大きな炎となり、彼女を飲み込んでいった。



「あの時、何か出来たかもしれない」



 その思いは、一層重く彼女を固く締め付ける。


 一方、警察署では篠崎譲二しのざきじょうじがそのニュースを静かに見つめていた。


 長年刑事を務めてきた彼にとって、事件は日常であり、感情を抑える術を心得ている。


 だが、この失踪事件だけは、唯ならぬ予感を感じて息苦しい。


 直感的なものか、それとも経験からなのか――


 篠崎には分からなかった。しかしその違和感は静かに増幅していく。


 相棒の山崎颯太やまざきふうたは、その隣で新聞を読みながら眉をしかめた。


 若さと直感に頼る彼は、事件に対する興奮を隠せない。


 被害者の無垢な姿に感情移入し、犯人への憤りが早くも彼に滲む。



「絶対に見つけ出してやる」



 彼の誓いは、まだ捜査が始まったばかりだというのに、既に突き動かし始めた。


 署内の空気は酷く重苦しく、二人は次の一手を考えている。


 篠崎は冷静に捜査の糸口を探る一方で、颯太は早々に感情を抑えられず苛立つ。


 二人の捜査方法は対照的でありながら、その違いがこれまでの事件を解決へと導いてきた。


 美香が警察に出向いたのは、その日夕方になってからだった。


 彼女の証言は断片的だったが、篠崎の敏腕はその細かな言葉の違和感を察知する。



「男の姿がどうしても気になるんです」



 美香の声は小刻みに震え、過去に自分が見た光景がその心の重荷となり、枷となる。



「もしかしたら私が見たあの男が…」



 篠崎は彼女の証言を冷静に受け止めたが、颯太の視線は強く、鋭かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る