後輩の先輩

 初日の俺の仕事は棚出しから始まった。

 新人は基本的に先輩と一緒に行動するの決まっていて一人で行動することがあまりない。

 ここで言っておかなくてはならないのが先輩と言っても——あの齊藤佑樹のことではない。

 今日、俺の担当になってくれたのは近所に住む大学生の男の人だった。基本的には俺はその人に付き添い、まずは仕事のやり方を覚えると言うのがメインな仕事だった。

 その間に後輩の——ここでは一応“先輩”の齊藤佑樹はレジに立っていた。

 休憩室にいた時と同じような少し気だるげな雰囲気を装いつつも客が来るとそれとなく笑顔になって対応する。

 お客さんが利用するのは無人レジの方が多いためか、他の作業をしていることの時間が長い。時々ボーっとしている時も見たが周りからのヘルプが来ると真っ先に駆けつけてあっさりと解決してしまっている。

 周りからの信頼もあるようで彼女を頼る人は客だけではなく店員も見かけた。

 ——完全にできる側の人間だった。


 まさに俺の理想とする先輩……。あの不愛想な感じで周りを支えているなんて完璧じゃないか。

 くそう、いいなぁ。


 そんな嫉妬を抱えながら俺は本を並べていた。

 基本的に俺は新刊の詰まった大きな箱を台車に乗せて、『表紙が見える面陳列』か「背表紙だけが見える棚差し」を分けて並べる作業をやっていた。

 ちょっと気を付ける事と言えば本の置き場を探すことだと俺は思った。

 入荷した新刊がシリーズ物ならばその付近に並べるだけで済むのだが、単体の物だった場合は同じジャンルのところに新しく置かなくてはならないので確認することが増える。

 実際ちらっと確認すればいいだけの話なのだが、そのちらっが面倒になるらしい。

 大学生の先輩は慣れればタイトルだけ見てジャンル分け出来るようになると笑った。

 ——しかしそうは言っても本の中にはめちゃめちゃ長いザ・ラノベってやつもあれば逆に端的にまとめられたザ・文学的ってやつもあって俺からするとやっぱり確認した方が早いと思った。


 ——というのもついさっき意見が変わった。

 大学生の先輩が急に呼び出しを受けて一人で行動することになってしまい、一応まだ箱の中の本が残っていたのでそれを並べておくように指示された。

 ただ自分一人しかいない状況も相まって、いちいち表を確認するのが手間に思えてきてしまったのだ。

 だから俺は悪気があったわけではなくちょっとした出来心で確認をせずに感覚で置き場所を選んでみた。

 置いた後で確認してみるとまさかの的中。


「よっしゃ」


 小声でついつい零してしまった。

 同じようにもう一度やってみるとまたまた的中。

 ——どうも俺は文学的な嗅覚があると言うのか、タイトルを見るだけでジャンル分けが出来てしまうらしい。

 それからだんだんと確認するのを怠り始めた。

 どうせ大丈夫でしょ、と慢心してしまった。


 箱の中の本が残り僅かになったぐらいに、全くジャンルが読めないタイトルの本が出てくる。しかし若干そういうどっちかを悩むというのが楽しくなっていた俺にはどうと言うことはなかった。

 本とにらめっこしていたところ、後ろから声が聞こえる。


「何をしてるんですか?」


 聞き覚えのない声——ではあったが聞いたことのない声ではない気がした。

 それもつい最近聞いた声。

 そう、確か休憩室で聞いた『履き違えないでもらいたいのですが』——


「あ」


 齊藤佑樹。

 後輩でありながら先輩である同じ高校の女子。

 彼女はスタスタと隣に並び、ふわっとしゃがみ込む。両足を曲げたから同じ目線になった。

 そして一冊の本を——さっき直感で置いてきた本の両端を左右の指で摘むように持ち俺の前に見せびらかす。


「これさ、ジャンルがラブコメじゃなんですけど、どうしてあそこに?」


 彼女は人差し指を伸ばしてその本のあらすじをなぞる。そして俺の持つ確認表を指す。

 見るとそれはサスペンス物でラブコメとは全くの別物だった。

 思わず背筋に冷たいものが走る。


 相変わらずのジトーっとした瞳で見つめながら彼女は淡々と口を開く。

 耳が痛い。反論の余地はない。どう考えても調子に乗ってタイトルだけで仕分けたことが招いたことだ。

 いくら先輩を参考にしたと言ったところで悪いのが俺であることに違いはない。

 ——怖い。


「比良田さん——」


 名字で呼ばれてつい眉唾を飲んだ。


「これだけじゃなくてほかにも結構間違えてましたよ? まぁ大体想像は出来ますがね。——あの人になんか言われたことを真に受けた感じですね。……バカなんですか?」


「バカって——そこまで言わなくても」


「その、一応一年先輩なんですよ? 比良田さんは。私に指導されないでくださいよ、もう」


 その時、偶然、大学生の先輩が戻ってくる。

 どういうわけか俺と齊藤佑樹が並んで座っていることに疑問を浮かべていた。

 まさか初日でダサいミスをして、迷惑をかけることになって申し訳なく思う。とりあえずちゃんと謝ってやり直しに行くしかない。

 大学生の先輩の気まずそうな顔を逸らし気味に見る。隣を見てはいないが齊藤佑樹の圧を感じる。覚悟を決めて謝った——


「すいま——」


「勝手にいなくならないでもらえませんか? 比良田さんは新人だから付いて回らないといけないはずです。あとはこれだけですのでよろしくお願いしますね」


 年上の先輩にも動じずに淡々と言い切ってから彼女は髪を揺らし去っていった。

 その一瞬に彼女がこっちをちらりと見たような気がした。

 それから俺は本を間違えて置いてしまったことを言ってもう一度確認に回ったのだがどうも間違いは見つからなった。

 ——まるで誰かが正しい場所に直したかのように。

 その後、出来るだけ丁寧に仕事をこなし、なんとか初日を乗り切ることが出来た。


 俺は疲労感を瞼に浮かべて今にも眠ってしまいたい気持ちで着替えを済ませ——店を出る。自転車置き場に向かい、さっさと帰って眠ろうと考えていた俺の瞳はふと視界の端で見覚えのある姿を見かけた。

 あの特徴的なサイドテールは。

 ——齊藤佑樹。

 サドルに跨りひじをハンドルにのせてスマホを弄っている。少し長い袖のカーディガンを着た制服姿。

 部活帰りにそのままバイトをしていたのか……マジか。


 なんというか今日は気まずいからなるべく会いたくなかったんだけど、俺の自転車が隣に置いてあって八合うことは免れないようだ。

 俺はなるべく欠伸とかをして気づかない素振りを続けたまま近づいていく。

 近寄るに従いなんだか嫌に緊張が走る。

 すると、パッと偶然、目が合ってしまった。

 ——やらかした。やばい気まずい! どうしよう。

 思わず目を伏せてしまった。


「お疲れ様です、比良田さん」


 ——ん?

 俺は全く想定していなかったセリフを訊き、つい顔を上げた。

 齊藤佑樹は相変わらず不愛想な表情をしているが少し顔を傾けて、やけに気まずそうな雰囲気を出している——気がした。

 気のせいだろうか、いや、流石に初対面であんなことを言った後輩だしそんなわけないか。


「えーとどうでしたか? 仕事……」


 いやどう見てもなんか様子が変だ。

 顔には出していないみたいだけど目がちょっと合わない。


「…………」

「…………」


 どうしよう。

 めっちゃ気まずいんだけど……。


 そもそも女子とそうそう話す機会は今までなかったし、それに齊藤佑樹って割と可愛い系の見た目で普通に話すとなると緊張する。

 俺はこの雰囲気に耐えられなくてつい口が滑ってしまった。


「なんか飲む、みますか?」


 ——俺が一年生の頃の先輩もこんな気持ちで奢ってくれたんだろうか。会話する話題が見つからなくて困ってたから奢ってくれたってことなんですか? 先輩!


「え! あ、あの、えーと、すいません」


 俺は齊藤佑樹を連れてすぐそばの自販機の前に立った。俺はカフェオレを、齊藤はミネラルウォーターを買った。

 無言のまま俺たちは喉を潤した。

 言葉がないせいでペットボトルはあっという間に空になってしまう。

 相変わらず齊藤佑樹は黙ったまま何も言わない。

 何か話題はないだろうか。

 ——そうだ。

 『置き間違えたはずの本』について聞いてみよう。


「えーと、齊藤さん、あの、今日さ俺が置き間違えた本ってもしかして直してくれた?」


「あ、はい。なんか時間があったから」


「な、なんで?」


「…………」


 齊藤佑樹はまた黙ってしまった。

 対する俺もどうすればいいのか分からないため、悩みに悩んだ挙句何も言えないまま無言になってしまっていた。

 すると沈黙を破るように振り絞って声を出したのは齊藤佑樹だった。


「あの」

「——うん」


「実は今まで先輩と言える人と会話したことがなくて、なんて会話すればいいのか分かんなくて……」

「うん」


「なのに、新人の人がまさか同じ学校の先輩だなんて、思わなくて。——アルバイトの先輩として立ち回ればいいのか、それとも後輩として立ち回るべきなのかわかんなくなっちゃって——つい、よくわかんないことを口走っちゃって、……申し訳なく思って」

「な、なるほど……」


 彼女は途中から髪を指先で弄りはじめ、顔を少しずつ伏せていった。

 その姿は初めて休憩室で会った時の絶句するような雰囲気はなく、どこか不安の漏れた印象を感じる。

 俺は彼女が泣いてしまうかもしれない、どうしよう、どうしよう、と心の中は騒ぎに騒いでいて変にフォローのセリフを言えるほど先輩らしさはなかった。

 それでも彼女は——

 

「あの、だから、えっと仕事辞めないでくださいね——先輩」


 仕事中は一度もみなかったような優しい微笑みを浮かべそう言って彼女はそそくさと去って行く。

 放心状態でその後ろ姿を見ていたが、途中で意識を取り戻して聞こえるように口を開いた。


「本直してくれてありがとう、齊藤さん」


 声だしなんてしたことがなかったから掠れてしまったし、彼女は髪を靡かせてもう信号を渡って行ってしまったから聞こえたかは分からない。

 その後、自分のしたことが急に恥ずかしくなって急いで自転車に跨った。

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後輩は先輩 真夜ルル @Kenyon_ch

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