第4話 新米軍人の午後

 「おかえり!!」



 僕が何か言う前に、ソファの上からセフィアの元気な声がした。犬だったら尻尾をぶんぶん振っている感じだ。両手を広げて満面の笑みで僕を迎える彼女に近寄って、おでこに軽くキスをした。


 「ただいま帰りました」

 「待ってたよー淋しかったぁ」


 ぎゅっ、と抱き着いて来るセフィアの背に手を回して、二回ほど軽く叩く。


 「着替えてくる」

 「ハンカチは洗濯籠にね」

 「はいはい」

 「はいは一度」

 「はい」


 洗面台で手洗いとうがいをし、ハンカチをポケットから出して靴下と共に洗濯籠へ。軍服もここで脱いでしまい、ハンガーにかける。洗濯機の横にはセフィアが今日の部屋着を用意してくれているのでそれを着る。軍服はそのまま自室のクローゼットにしまえば全てOKだ。


 とんとんとん、と階段を降りるとリビングからセフィアがこっちを見ているのが判る。ソファの隣をぽんぽんと叩いている。はいはい今行きますよ。


 セフィアの隣にどっかりと腰を降ろすと、にこにこしながらセフィアがしな垂れかかってきた。僕はその銀の髪を手で漉いて、大きく息を吐く。


 「お待たせしました」

 「お待ちしてました」


 彼女の重みと暖かさを半身に受け止める。時計はもうすぐ十二時半。


 「お昼は何にする?」

 「白いお鍋に野菜スープ作ってあるよ。バターロールと食べよ」

 「ありがとう、じゃあ温め直してくる」


 僕はキッチンに向かい、白い鍋の蓋を持ち上げて中身を見る。様々な野菜を二センチ角程度に刻んで煮てある。透明に近いスープはたぶん薄い塩味だろう。僅かにコンソメの香りがする。つわりの時期には無理だった、繊細な味付け。


 蓋を戻してコンロに火をつけ、中火にする。これはスープ皿というより大きめのお椀だなと振り返ると、戸棚から塗りのお椀を取り出してセフィアが微笑んでいた。


 「ありがとう。座っててよ」

 「うん」


 鍋の中身がことことと音を立て始めたので、火をさらに弱める。もう少ししたら、具の中まで温まるだろう。戸棚からバターロールパンの袋を取り出して、封をしていた輪ゴムを取る。


 「あたしはひとつでいいよ」


 白い皿の上に、バターロールをふたつ置く。昼食は軽めでいいだろう。野菜スープの甘い香りが漂い始めたのでコンロの火を止め、鍋からお椀にスープを注いだ。具もたっぷり入れる。僅かに刻んだベーコンも見える。そういえば最近、彼女お得意のカリカリベーコンはご無沙汰だなぁ。


 「はいお待たせ」

 「わーい、ありがとう」


 こうして二人の昼食が始まる。うららかな春の午後、まだ新年度は始まったばかり。そして僕の軍隊生活も始まったばかり。とは言え、想像していたような厳しいものでなくて、実のところほっとしているんだけれど。



 昼食が慎ましやかに終わり、僕たちはリビングのソファでのんびり過ごす。待機任務中なので、さすがに昼寝までは出来ない。いつ呼び出しがかかっても、即応できる体勢でいなければならない。ただし、緊急呼び出しの場合は軍服の着用を免除されているので、部屋着で大丈夫なのだ。



 「明日は一日、自宅待機だよね?」

 「うん」

 「むひひ、明日はずっと一緒だねっ」

 「待機だよ、休みじゃないんだから」

 「んもー、もっと肩の力を抜いていいのよ。あんまり気合い入れてると、いざという時に頑張れないよ。だから明日はゆっくりいちゃいちゃしよ」


 この人これで艦隊司令官、准将なんですよ。説得力があるような、ないような。いや、やっぱり説得力皆無だよ。


 「上官命令である。楽にしなさい」

 「はい」

 「耳を」


 僕が返事をする前に、もうセフィアは僕の耳をはむはむし始めた。キツネ座人伝統の、情熱的な求愛の儀式。


 「レイジの耳美味しい。あたしのこと大好きって味がするよ」

 「言葉いらずだ」

 「浮気もしてないみたいで感心感心」

 「そんなのまで判るの?」

 「ひっみつー」


 まぁ、メンタル的に安定するのも産休の主目的だと聞くので、彼女がこうして上機嫌なのはいいことだ。予定日まではあと二ヵ月以上あるけれど、双子は早産しやすいとも聞くので油断してはならない。


 僕が気張ったところで、どうなるものでもないことだと判っているんだけれどね。


 耳を食まれながら、僕は空中に小型モニターを呼び出して軍務についての資料をもう一度読み返す。そろそろ推進剤の補充も頼む時期に来ているなぁ。


 「こら、あたし以外のこと考えちゃダメ。味が濁る」

 「そういうものなの?」

 「そういうものなの」


 しゅん、とモニターを閉じ、ついでに目も閉じる。熱い舌先が耳朶を舐り、んふふんとご機嫌な鼻歌も聞こえる。これは何の歌だろう、僕の知らない星の歌だろうか。



 いつまでもこんな平穏な日々が続くといいんだけれど。いつ来るか判らない敵の来襲に備え続けるには、ずっと緊張していては耐えられない。こういう弛緩もきっと必要なんだろう。新米軍人の僕には判らないことが、まだまだあるのだ。




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妻は艦隊司令官! 小日向葵 @tsubasa-485

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