モラハラ婚約者のせいで心を壊した令嬢は…

うさこ

エリ

 私、エリ・モンクレール男爵令嬢には幼馴染の婚約者がいる。


 子供の事から結婚を決められていた子爵子息ツカサ・セドリック。

 外面は感じが良くて誰からも好かれる彼。

 貴族令嬢子息として生まれたからには自由な結婚なんてありえない。


 いくら子供の頃から一緒だからと言っても恋心なんて抱かない。私達は特になんの感情も抱かずに結婚するんだろうな……。

 そんな風に思っていた。


「君には赤は似合わない。青のドレスを着なさい」


「顔に傷跡がある令嬢と僕は婚約するんだ。言う事を聞け」


 私の顔には傷跡がある。記憶に彼方にある幼少期に事故にあったと聞いた。その事故の影響で幼少期の記憶は何も覚えていない。

 分かっているのは……私は男爵家令嬢で、ツカサの婚約者という事だけ。


 私達が大きくなるに連れてツカサは私に命令をするようになった。


「君の趣味は僕は好きになれない。泥臭い土いじりはもうやめてほしい」


 私の趣味を否定する。私の好みを否定する。あの目が冷たくて怖い。でも、他の人がいる時は私に優しく接する。自分がどんな風に見られているか、だけを気にする男。


「君は食事の量が多すぎじゃないか? 食べ盛り? 言い訳は僕は好きじゃない。わがまま言わないで僕の言う事を聞いて。はぁ……」


 まるで善意の忠告のような物言い、わけも分からない敵意……。私を見下していた。


「買い食い? お菓子なんて食べてはだめだ。もっと健康に気を使いなさい……はぁ……ちっ」


 嫌なため息。無意識の舌打ち。

 ため息を吐かれるたびに、私の胸がきゅっと嫌な感じがする。

 身体の中の何かが奪われていく感覚。


「活劇小説がほしい? 活字なら何でもいい? 君に娯楽は必要ない、無駄な知識もいらない。ただ、僕のそばで着飾ってくれればいい。…君ももう17歳なんだからいい加減大人になってくれ。それでも僕の婚約者なのか? 欠陥品を押しつけられた気分だ……」


 言葉は《ひにく》トゲのように私の心に突き刺さる。決して抜けないトゲ。抜けたとしても何かがなくなる。

 欠陥品と言われた私は自分が本当に欠陥品だと思えてくる。


 大好きだったガーデニング。いつしか嫌悪の象徴になっていた。


 大好きだった赤は否定されて嫌いになった。


 大好きだったお菓子も本も料理も……何もかも嫌いになった。



 いつしか私は自分でモノを考えることができなくなった。勝手なことをすると叱られる。ツカサの言葉に縛られる。


 だから……、何も考えないのが一番楽に思えた。


 ずっと幼い頃から一緒。物心付く前から決められた婚約。

 恋愛感情も何も覚える前に一緒にいることを家から決めつけられる。


 私はそのことに疑問を思っていなかった。


 優しいと思った事もない。

 好きと思った事もない。

 私にとってツカサは……私を否定する人。


 他人の事を想うってどうな感情なんだろう?

 人を好きになるって、家族を好きになるってどんな感情なんだろう?




 両親にも、なんの感情が抱けない。

 ただ一緒に住んでいるだけの人たち。


 嬉しいってなんだろう? 悲しいってなんだろう? なんで人は怒るんだろ?


 子どもの頃は知っていたはずなのに、もう、わからないよ……。


 私――ツカサが言ったとおり、欠陥品なんだ…。




 ****



「エリ、お前は男をたぶらかす悪女という噂を聞いた。伯爵子息、侯爵子息、それに辺境伯に取り入ろうとしたな? そんな女は俺には必要ない! 二度と俺の前に姿を表すな! 貴様とは婚約破棄をする!!」


 貴族のパーティーの最中。激昂するツカサ様、飛んでいくるワインのグラス。濡れる私の身体。白いドレスが赤く染まる。


 まったく身に覚えのない言葉。ツカサの横には伯爵令嬢が寄り添っている。

 否定するのも馬鹿らしい。

 ……言う事を聞かないと……いけないんだ……。


「はい……その通りでございます……。婚約破棄、かしこまり、ました……」


「ふんっ、このパーティーから出ていけ!!」


 唯一の私のアイデンティティ、ツカサとの婚約。それも全て泡となって消えた。

 私が欠陥品だから……。

 この時、私は令嬢としての存在価値を失った、と自覚した。


 周りの貴族たちからの好奇な視線。何も感じない。

 悲しい? 恥ずかしい? ううん、もうよくわからないんだ。


 知らず知らずのうちに駆け出していた。パーティーを抜け、王都を走る。息が切れて苦しいのに走るのをやめられない。


 王都の森林公園。

 お姉様のお下がりのヒールが壊れた。衝撃、転んでしまった。

 好きだった土の匂いが間近で感じられる。ドロだらけのドレス。


 足が痛い、身体が痛い、土とワインで汚れたドレスを見て……『家族に叱られる』と思っただけ。


 なのに、私の身体は動かない。じっと土の上で何かを見ていた。蟻さんがトコトコ歩いていた。

 私は家族や婚約者にとってこの蟻さんと変わらない。

 踏みにじられても何も思われない。

 ぽつりぽつりと雪が振ってきた。


 冷たい雪が身体を冷やす……。


 悲しくなんてない。怒りなんてない。そんな感情が雪とともに儚く消えてしまう。


 それでも、私は立ち上がろうとして……、足をすべらせて……尻もちをついて……。


 空を見上げる。大嫌いな土の匂いが鼻につく。

 なのに――


「……雪……ふわふわ冷たくて……嫌いになったのに……、綺麗……」


 手を伸ばす。手についた雪はすぐに溶けてしまう。


 と、その時、雪が見えなくなった。


「くっ、貴様は何をしている……、はぁはぁ……」


 知らない男の人が私の視界を塞いだ。

 血走った目、荒い息遣い、赤い顔……。顔には古い傷跡があった。


 ああ、また私は怒られるんだと思った。もしかしたらこの人は悪い人で、誘拐されて殺されてしまうかもと思った。


 そんな幕引きでもいいのかも……。どうせ、もう何も残っていないから。


「……口が聞けないのか?」


「……邪魔、どいて、雪、見てるの」


 何故か発した言葉はそれだけだった。……なんだか眠くなってきた。身体は冷たいのに、大嫌いな土の匂いがまとわりつくのに……。


「おい、こんな所で寝るな、馬鹿者。……おい、本当に寝たのか? ――おい……お前は……モンクレール……」




 ****




 目が覚めるとベッドの上にいた。覚醒する意識。私が感じたのは、ただ申し訳ないという思い。


 眼の前に広がる男の人の顔。

 なんだろう、すごく長い夢を見ていた。小さな頃の記憶。私は幼少期の記憶が思い出せない。


 ただツカサ様の婚約者として命令に従う毎日。

 夢の中の私は、どこかの森で私はツカサじゃない誰かといた……。


「リュウセイ……? ……ううん、違う、あの子は死んじゃった? あれ? よくわからない……」


 眼の前の男の人の顔が一瞬だけグシャリと歪んだような気がした。

 うん、きっと気の所為。だって、すぐに怖い顔に戻る。


「……俺は、リュウセイ、じゃない。……俺は……」


 怖い顔……だけど、妙に愛嬌がある。それにこの傷跡……、不思議な力を感じる。

 私は彼の顔に手を近づける。




「……すごく、素敵な模様」




 彼は私の手をそっと取り、何かをこらえるような仕草をしていた。なんだろう?


「……あの時と同じ言葉…か。……気にするな。それにしてもやっと起きたか」


 私は状況に気がつく。倒れた私を介抱してくれたんだ。


「あっ、申し訳ありません。……ご迷惑、おかけしました。すぐに出ていきます」


 立ち上げろうとすると、目眩が起きた。大丈夫、苦しいのは慣れている。

 ……あれ? 私、服が……。

 土とワインで汚れたドレスを着ていなかった。暖かい寝間着を着ている。


「……うちの侍女が勝手にやっただけだ。おい、裸足でどこへ行こうというんだ」


「家に、帰ります。あの、介抱してくださってありがとうございます」


「……ふん、さっきは俺に向かって『どいて』と言い放った令嬢が随分と丁寧な物言いだな。それにしても貴様はやせ細っている。これを食え」


 テーブルの脇に置いてあったスープ。まだ湯気が立っている。

 私は疑問に思った。


「あの、勝手にご飯を食べると……叱られます……」


「……貴様の習慣など知るか。いいから食え。さもなければ家に帰さないぞ」


 彼は何故か拳を強く握っていた。血管がはち切れそうなほどの力で……。




 私はスープが入ったお皿を覗き込む。透き通ったスープに細かく切られたお野菜、帝国特有のポトフと言われる煮込み料理。

 ……なんだろう? この匂い、私、この料理、知ってる?


 スプーンを手に取り私は一口食べた。

 味なんてしないはず。なのに――

 言葉が出なかった。わけもわからない何かが私の心の奥から込み上げる。

 やがてそれは嗚咽に変わり、眼の前がぐしゃぐしゃになった。


 自分自身に何が起きたか理解できない。


 知らない男の人は「ふん」と言いながらも食べている私を見つめているだけ。


 気がつくとお皿は空っぽになり、私は自分の厚かましさに恥ずかしくなってしまった。

 ……恥ずかしい? そんな感情は捨ててしまったのに?


「ご、ごちそう様でした。あの、美味しかったです。ありがとう、ございます」


「ふん、少しはマシな顔になったな。……俺にはどうでもいい事だ。元気になったならさっさと出ていけ」


「はい、本当にありがとうございます。……あの、お礼できる物を持っていなくて……自由に使えるお金が無くて……、その……」


「そんな物いらん。……いや、まて」


 男の人がしばらく思案していた。真剣な表情。


「この街を案内しろ。俺は昨日着いたばかりでよくわからない。使いの者を出す」


「私にできる事でしたら何でもしますね。……あの私はモンクレール男爵令嬢のエリと申します。貴方様は?」


 この時の気持ちは今でもわからない。

 感情を失ったと思っていた私の心に……楽しさというモノが生まれたような気がした。



「俺は……帝国……王、騎士団……団長……リュ……リュ、リューヤだ」



 ***




 家に帰ると私は両親に罵られた。

 婚約破棄されたいらない娘と言われた。

 今まで育てたお金が無駄だと言われた。

 その金は私への借金として将来取り立てるとも言われた。

 野垂れ死んだ方がが手っ取り早いとも言われた。

 王国死亡保険に加入しているから、保険金が入る、と言われて……。


 楽しいと思えた気持ちが一瞬で消えてなくなった。


 私は自分の部屋へと帰る。

 小さな小さなお部屋。最低限の物しか置いてない。無機質な部屋。


 私は机の引き出しの中にあるネックレスを出した。

 何故か私が子供の頃から持っているネックレス。素人が作ったような細工で、よくわからない石が付いている。

 それを見ると心が落ち着く。これが無かったら私は……。


 久しぶりにネックレスを手に取った。


「……リュウセイ……、誰だったっけ? ……だめ、思い出せない」


 そして私はネックレスを握りしめ、薄い布団の中に入った。

 いつも寒くて凍えそうだけど……、今日はなんだか心が温かいから、身体も暖かいんだ。








「ふん、昨日よりも顔色はいいようだな」


「は、はい、あの……、リューヤ様、私学園に行かないと……」


「……今日だけは休め。無理にとは言わん。だが、体調が戻っていないはずだ」


 確かにまだ体調は完全に戻っているわけじゃない。

 学園を休んだら……ツカサに怒られて……。


「俺が全部責任を取る」


 手を引かれた。大きくて暖かい手……。うん、たまになら、いいよね?



 その日はとても天気が良い日だった。

 使いの者を出すと言っていたリューヤ様だけど、何故か御本人が登場。

 その事を聞くと――


「き、騎士団長程度なら使いの物は出さんだろ? ……いいか、俺は王都の事は知らん。俺が満足するまで案内するのだ」


「はい、それでは――」


 様々な所を案内した。

 王都で一番大きな野菜市場であったり、活気あふれる商店街であったり、カップルに人気の海の見える公園、それに王都劇場の前、王都で一番人気のカフェも案内した。


 時間があっという間に過ぎていく。

 無骨で変わった物言いのリューヤ様だけど、とても好奇心旺盛で博識な方だった。


 そして――とある雑貨屋さんで私は気になるものを見つけた。

 私が持っているネックレスに似た商品。でも、雑貨屋さんにある商品の方が整っている。


 私は思わずポケットに入れているネックレスを触る。失くさないように大切に保管しているネックレス。でも、今日はこれを持っていたかった。


「……どうした。何を持っているんだ?」


「あ、いえ……、その、ただのネックレスです」


 私は恐る恐るネックレスをリューヤ様に見せた。ツカサにも見せたことがない。今思うと絶対に捨てられてしまう、という心配があったんだ。


 リューヤ様がそのネックレスを見た時、彼は天を仰いだ。

 なんで?

 手を顔で覆っている。往来のど真ん中なのに足を止めている。

 何かをこらえるような呼吸音。



「……貸せ」



 言葉とは裏腹にとても優しい声色だった。だから、私は勝手に手が動いていた。


 それを受け取るリューヤ様。


「……この付け根が少し壊れている。大切な、ものなんだろ? 俺は騎士団長だ。こういった修理は得意だ。修理して……1週間後エリに渡す。構わないか?」


 騎士団長だから得意? 

 大切なネックレス。絶対に誰にも触れさせなかった物。

 ……なのに――



「はい、お待ちしております」


 私は何故か笑って答えていた。




 ***




「ツカサが婚約破棄したって聞いたか?」


「ああ、何でも伯爵家のタリア令嬢と親しくなって……」


「……んだよそれ、エリさんが可哀想じゃねえか。あんなに必死になってツカサの言う事を聞いていたのに……」


「まあな、でも貴族の世界ではよくある事だろ? 正直、男爵家と結婚しても、な。お前も同情だけで近づこうとすんなよ」


「わ、わかってる。俺には愛する婚約者がいるんだからな」


 学園では私の婚約破棄が話題になっていた。

 それも日に日に噂は消えていく。新しい噂が次々と学園に広がる。

 貴族の子息令嬢は噂が大好きだからだ。


「タリア様ったらツカサ様に愛想を尽かしたらしいですわ」

「笑っちゃいますね。なんでもひどい言葉を浴びせたとか、今王都で社会問題になってるモラルハラスメントですわね」

「気の強いタリア様のことですから平手打ちでも差し上げたと思いましてよ」

「あらあら、でもツカサ様の事ですからまた『傷物令嬢』と元サヤに戻るんじゃないですか?」

「ふふっ、お似合いのカップルですこと」

「そんなことより、王都ではあの最強国家『ガリア帝国』の第二王子様がいらしてるらしいわ」

「怖いですわ……、王子自ら戦場を駆け巡り、戦果を上げている方ですわね。次の王として準備をしているみたいですわ」


 帝国、王子様……。

 あまり私には関係無いこと……あっ、でもリューヤ様は帝国の騎士団長だから護衛来ているのかな? それにしては、毎日私と会っているような……。


 私は中庭のベンチでサンドウィッチを頬張る。リューヤ様のお弁当に作ったものの余り。家では作れないからリューヤ様の下宿所で作った。


 それよりも私は問題に直面している。

 リューヤ様に出会えて私は感情を少し取り戻せた。……幼少期の記憶も少しずつ思い出してきた。


 私には友達がいた。

 リュウセイっていう男の子。顔はよく覚えていないけど、顔に傷があったような気がした。彼は王都で出会った。色々あって、私の家に一時的に住むことになったんだ。


 ネックレスも彼からもらったもの。自分で手作りして、それを見てた私に「やるよ」と言ってくれたんだ。


 一緒にお出かけした時に事件が起きて……、崖から一緒に落ちてしまった。

 私は九死に一生を得たけど、その時に顔に傷を負った。


 リュウセイは死んだと聞かされた。

 抑えきれない悲しみが私の記憶を……消してしまったんだ。


 もう少し思い出して――



 走り寄る足音が聞こえた……。それだけで私の身体が硬直した。

 ツカサ・セドリック。


 彼が泣きそうな顔をしながら私の元へとやってきた。


「はぁはぁ、ここにいたのか。……すまない、俺は真実の愛に気がついたんだ。やはり俺は婚約者はエリじゃないと駄目なんだ! 婚約破棄を撤回する。もちろんエリの両親には了承済みだ。ははっ、両親はエリを今年の『生贄』にするみたいだったからな! 俺はエリの命の恩人だな。感謝しろ――。……おい、返事をしないのか?」



 私は否定したかった。リューヤ様と出会えて感情を取り戻せた。


 なのに――

 全てがこぼれ落ちていく……。


「……はい」


「そうと決まれば今週末にパーティーをする。その傷を隠せるようにメイクしろよ」


 去っていくツカサ。

 私は頭の中でツカサの言葉を反芻する……。


 こぼれ落ちていく何かを必死で拾い集めようとする。

 トラウマが心をえぐり、本心ではない返事をした自分に後悔をする。


「……なら、いっそ……、パーティーの場で……」


 全部否定して逃げ出そう……。

 そう思うのに……足が震えて……怖くて……。

 倒れそうになり――


 誰かが私の身体を支えた――

 驚いて振り返ると……怖い顔をしたリューヤ様が立っていた。学園なのに?


「え……」


「……俺が支える。だから、お前の本当の気持ちをあいつにぶつけろ」


 足の震えが止まる。恐怖心が吹き飛んでしまった。

 冷たくなった心が温かくなり――


 私は小さく頷いた




 ***



「はははっ、これで子爵家の金が手に入るな!」

「役立たずのエリが初めて役に立ちましたわね! 育てたかいがありましたわ!」

「それよりエリはどこだ?」

「知り合いからドレスを借りるって言ってたわよ。あら、伯爵夫人じゃないですか、あらあら素敵な指輪ですこと――」


 男爵家と子爵家主催のパーティー。

 主役はツカサ様と私。


 リューヤ様はこのパーティーのために力を貸してくれた。

 リューヤ様の知り合いの方からドレスを借りて、メイクまでしてもらった。


「……あなたすごいわよ。とっても整った顔立ちしてるわね。メイク、化けるわよ」


 とんでもなく美人なお姉様にメイクをされて――


「リュウ……リューヤ様からお願いされて持ってきたドレスだよ。ささ、これに着替えて。……………うん、寸法はばっちりだね。というか、君すごね〜、あの孤高のリュ……リューヤ様と対等に接してるんだもんね」


「孤高? 騎士団長様なのでお仲間は多いのでは?」


「あはは、騎士団長……リューヤ様、それ、すごく笑えるよ」



 ……

 …………


 そして、私はパーティーへと向かう。

 少し緊張している。

 ツカサや両親に会うから緊張しているのではない。


「……もっとこっちに寄れ。誰が危険かわからん」


「は、はい、これでいいですか?」


「……いいだろう。その……衣装、よく似合うな。いや、違う、衣装じゃない。き、綺麗に、見える、ぞ」


 絞り出すように喋るリューヤ様。なんだかおかしくなって私は笑ってしまった。

 そんな私の顔を見て、固まってしまったリューヤ様。


 こんな時間が永遠に続けばよかった……。

 私はツカサ様と結婚するか、王国の『生贄』にならなければいけない。


 ……私達はパーティー会場にたどり着いた。


「あの、リューヤ様……、その、くっついたままでいいのですか?」


「構わん、と言いたい所だがそうもいかないようだな」


 私達が会場に入ると喧騒がより一層激しくなる。


「あれがモンクレール令嬢? なんと……美しい」

「帝国の……!?」

「ま、まて、誰が招待した!! 誰か王家に使いを出せ!」

「あら、とてもイケメンな子息ね。私達の娘に――」

「ほほう、あれだけ美しい令嬢がこの王都にまだいたとは……、ふむ、ツカサ殿は大変幸福なお方ですな」

「これは良縁ですな。……しかし、婚約者がいる身でありながら、男性と腕を組むのはいかがかと思うぞ」

「……なんだ? お前ら事の重大さがわからないのか? 帝国のアレがこの場に――、俺は死にたくない、帰る!」

「やはり悪女という噂は本当だったのか?」


 会場のざわつきが収まらない。

 中央にいるツカサと私の両親たち。

 何故かツカサは私を見て誇らしげな表情だった。


 そしてツカサ様が手を叩く。

 会場が少しだけ静かになった。


「はい、静粛に静粛に! ……どこぞの下級貴族だかしらないが、エリをエスコートしてくれたようだな。感謝しよう。そこをどけ。今日は俺ツカサ・セドリックとエリ・モンクレールが主役だ!」


 私とリューヤ様は少しだけ離れた。それでもまだ近い距離。

 その距離感にツカサ様は眉を顰める。あの舌打ち。でも今日は絶対に負けない。


「……ちっ、これだから無能貴族は……。おい、誰かこの男をつまみ出せ! 俺の婚約者に手を出そうというのか!! ……さあ、エリ、こっちへ来い。ここで俺たちは愛を誓いあおう!!」


 ツカサ様が私の所へやってきて跪く。

 そして――



「俺の愛しいエリ。また婚約者になれて嬉しいぞ。……さあ接吻を俺にくれ」



 私は手を大きく振りかぶり、全身のバネを使って振り下ろした。

 手の向かう先はツカサ・セドリックの頬。


 バチンッという音とともに私の手が痺れる。ツカサ様は衝撃で吹き飛んでしまった。


 ざわつく会場、罵声をあげる両親。


「き、貴様!! エリの分際で何をする!!」

「気が狂ったの?? あなたは婚約者でしか存在価値がないのよ!!」


 そして起き上がるツカサ……。


「……エリ……今、謝るなら、笑って許してやる。……俺を怒らせたらどうなるか、知ってるだろ?」


 大好きだったものが大嫌いになった。

 大好きな趣味を否定された。

 自分の存在価値を否定された。

 私は『欠陥品』として扱われた。


 そんなの……もう――


「ごめんです! あなたとなんて一緒になれるわけない!! 気持ち悪いし、ナルシストだし、気持ち悪いし、否定ばかり!! 私は……あなたと婚約するくらいなら生贄になった方がマシ……。でも、私が生贄になって性根が腐っている両親が得するくらいならこの国を出ていきます!!」


 生まれて初めてこんな大声を出した。

 生まれて初めて自分の気持ちを表に出した。


 強くなる。だって、そうじゃないと、こんな世界で生きてられない。


「エリ……、お、俺を愚弄したな? 『傷物令嬢』ごときの分際で!! 許さん、絶対に許さん!! おい、その剣を貸せ!!!」


 警備兵が持っていた剣を奪い取るツカサ。そして私の胸元めがけて――


 ガキンッという音が響いた。

 手を抑えるツカサ。ツカサの喉元に剣を構えるリューヤ様。




「……貴様を傷物にしてやろうか?」




 リューヤ様の冷たい声色。それは戦場をくぐり抜けた特有の覇気を身にまとう。

 突然私の身体を抱き寄せられた。

 リューヤ様を見ると耳が赤くなっていた。

 それなのに平然と――




「聞け、王国民よ――。この俺、ガリア帝国第二王子リュウセイ・ガリアが令嬢エリを娶る――」




 リュウ、セイ……? リューヤ様がリュウセイ?

 なんで? 死んだはずじゃ……?




「……エリ、俺はずっとお前を愛していた。子供の頃初めて出会った時から。……俺はお前に再び会うため、迎え入れるために死ぬ物狂いの努力をした。俺の気持ちを受け取ってくれ――」



 リュウセイ様が取り出したのは……あのネックレス。少しだけ意匠が変わっているけど、私にはわかる。

 それを私の首にかけた。



 私は思わず口を手で抑えてしまった。そうしないと何かが零れそうで、声を上げてしまいそうで――


 知らず知らずのうちに涙が溢れていた。

 悲しい涙じゃない、それは、温かくて嬉しくて……最高の涙。


 思い出の記憶が全て解き放たれた――


 初めて出会ったリュウセイ君。ちっちゃいのに生意気で自分勝手なのに、ずっと私に気をかけてくれた。

 初恋だった。それを忘れるくらいの出来事が起こった。


 でも、いま、ここで、再会できたんだ……。


 私は頷いた。





「はい……、私はただのエリ。リュウセイ君、こんな嬉しい事は……ありません。……私、あなたを愛してます……ずっとずっとむかしから……」




 止まらない涙。困惑する貴族たち。逃げようとする私の両親。

 リュウセイ君が剣を投げつけた。その剣は私の両親の足元に刺さる。


「モンクレール家は不正の山だな。……安心しろ、国王には報告済みだ。良くて没落、悪くて島流しだ」


 両親が口をあけて呆けていた。

 不正だらけの貧乏男爵家。悪辣な性格でお金を裏で溜め込んでいた両親。


「そ、そんなっ!! エリは私達の娘です! なら私達も帝国の――」

「そ、そうよ!! 私達は必死で生きてきただけで!?」


 衛兵が両親の元へ駆け寄り拘束をする。


 そして、放心しているツカサは落ちている剣を再び手に取った。


「お、俺は……エリを愛してるんだ!! 帝国の王子? それがどうした!!」



「…………そんなものは愛じゃない」



 そう言いながらリュウセイ君は私の目を手で塞いだ。

 貴族たちの小さな悲鳴だけが聞こえた。



「……もう大丈夫だ。仮にも俺は次期帝王だ。俺を殺そうとしたら王国と帝国は戦争になる」




 会場には王国の騎士団が到着していた。リュウセイ君にひざまずいている。

 そして、騎士団の剣は血で濡れていた。

 肩で息をしているツカサの姿が見えた。騎士団に連れて行かれるツカサ。



 私はそれを見ても何も感じなかった。きっとツカサへの感情は失ったままだからだ。



「さあ王国の皆、今宵はお開きだ」



 こうして婚約パーティーは終わりを迎えたのであった。





 ***







「――というお話があったのよ、私達には。この後もママとリュウセイ君はトラブルばかりで」


「ねえねえママ続き知りたい!」

「うん、もっとお話して!!」


「今日は遅いからまた今度にしましょうね。次は帝国が舞台よ。……おやすみ、私の可愛いアンネとエリス」


 二人が眠ったのを確認して部屋を出るとリュウセイ君が立っていた。


「わぁ、驚いたわ!? き、聞いてらしたの?」


「……その、変なことを話してないか不安だったからな」


 大丈夫、血なまぐさい事や私のひどい過去は伝えていない。ただ、普通の令嬢だった私がリュウセイ君と出会えて恋をしたお話をしただけ。


「ふふ、リュウセイ君は相変わらず心配性ね。あの雪の日も焦ってたんだもんね。ずっと知らなかったわ」


「……ふ、ふん」


 そう言いながらも私の手を引いてくれた。

 帝国ガリア第二王子リュウセイ・ガリア。


 幼少期にクーデターがあり、王国に亡命をし私に出会った。

 囚われた帝王と皇女。

 逃げたリュウセイ君を始末しようとする追手たち。


 あの時の事故は追手に追い詰められたからだった。

 私をかばうように崖から落ち、リュウセイ君だけは川に流されてしまった。


 記憶を失い、彷徨っていたリュウセイ君は様々な出会い、別れがあり、記憶を取り戻し、帝国を再び取り戻すために決起した。


「と、まあその話はこのくらいで」


「……? どうしたエリ」


「ううん、なんでもないですよ。……ただ、私、幸せだなって思って」


 自分の首にかけてあるあのネックレスを触る。

 沢山の思い出がよぎる。



「……エリ……もうお前を一人にしない。ずっと俺の隣にいてくれ」



「はい、リュウセイ君……。ずっと一緒にいましょうね」




 これは、悲しい令嬢が運命に人と出会って、別れ、再会して幸せになるお話です。

 感情なんていらない、死んでもいいと思っていた。


 でも、消えたはずの記憶が私を守ってくれていた。


 本当の愛を知った時、私は全てを取り戻した。



 ありがとう、リュウセイ君――



(私はあなたの言いなりになんてなりたくないです。そんなものは愛ではありません。 完)







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