第4話 林檎令嬢と迷子の竜モドキ
「美味しそうな匂いがする」
そう言いながら菓子工房に入ってきたのは、ルネでも抱えることができるくらいの大きさの、見た目だけならば竜だった。
ひょこひょこと短い足を使い、二足歩行で床を歩く生き物の体は硬そうな鱗で覆われており、トカゲに比べたら僅かに首が長く、短い足もしっかりしている。
何より背中に生えているのが小さいながらも立派な翼。
全体的にとっても小さいけれど。
ルネは竜をひょいと持ち上げてみた。
ちょっと重たいが、普段からお湯で一杯の大鍋なんかを運んでいるお陰か、持ち上げられない重さでもない。
他のご令嬢ではそうもいかないだろうと思いながら、小さな客の顔を覗き込む。
「確かに林檎のお菓子を作っていたのだけど、その前に確認させてもらってもいいかしら?」
そうすれば竜は足をジタバタさせ始めたので、近くの丸椅子に乗せてやる。
「何だ、人間」
改めて眺めてみるが、やっぱりルネには物語でしか存在しない生き物である竜に見えるのだ。
これは大発見かもしれない。
「えっと、貴方は竜なの?」
「違う」
即座に否定されてガッカリする。
売り飛ばして一攫千金という言葉が、心の中からあっという間に消え去っていった。
絵本で読んだ竜という生物によく似ているのに、否定されるだなんて。
詐欺じゃないかと思ったところで、相手が別に騙していたわけではないのだから責めることもできやしない。
ならば新種の生き物の可能性もある。そうなると研究者である従兄の領分だから、研究用に引き渡せばいいだろうか。
どうやって運ぼうかと思案し始めたルネに対し、竜ではなかった生き物が言葉を続けた。
「人間は実に愚か。
我は秋の落ち葉を司る精霊だ」
思いがけない言葉が返されて、ルネの目が丸くなった。
落ち葉の精霊、と反芻してみて竜を見れば、なるほど、マスタードカラーから深みのある赤へと移り変わる多色な体は、秋に色を変えて落ちていく葉にも見えなくもない。
しかし落ち葉の精霊と言われて考えることは、どうにもこうにも下っ端感が否めないということだろうか。
樹木そのものでもなければ美しい花でもない、落ちた葉っぱの精霊。
「なんか、しょぼい」
ついつい零した言葉の意味を理解したのだろう。竜モドキが尻尾をテーブルの脚に叩きつけた。
小さな体のどこにそんな力があるのかわからないが、尻尾を叩きつけられた木製のテーブルは重くて頑丈であるはずなのに小さく揺れる。
「我々より魔力も命も劣る人間種のクセに!」
どうやら下っ端感が否めないことに自覚があり、そしてそれは地雷だったらしい。
人間のくせに生意気だと地団駄を踏み始めれば、ギシギシと悲鳴を上げる椅子。
破壊神と化した竜モドキ精霊をどうにかしようとルネはテーブルへと目を向け、林檎のジャムを載せたクッキーを急いで一枚手に取って差し出した。
「食べる?」
匂いにつられて入ってきたのだ。きっと食べている間は大人しくしてくれるのかも。
途端に暴れるのを止めた竜モドキ精霊に安堵しつつ、実は最初からこれが狙いで暴れ始めたのではないかと思わなくもない。
実に切り替え上手な竜モドキだ。
器用に短く太い前脚でクッキーを受け取れば、実にお行儀よく食べ始めた竜モドキ、もとい落ち葉の精霊。
とりあえず工房内が破壊される危機は回避できたようだと安心する。
厚かましい竜モドキ精霊は更にお代わりを希望し、暴れてほしくないルネもドライフルーツにした林檎を混ぜ込んだクッキーを差し出す。
食べ終えたら再び暴れないか心配だが、この竜モドキ精霊のご機嫌具合をまったく知らない。
できればテーブルの上にあるものだけで満足してほしいと思いながら見守ること少し、どうやら2枚のクッキーを食べ終えたら気が済んだらしい。
コスパが大変よろしい生き物のようだった。
後はどうにかこうにかして、従兄の研究所へと運ぶだけだ。
従兄との交渉に成功して幾らかのお金が手に入ったら、大きな街で売っている赤い琺瑯の鍋を買おう。
可愛い道具というものは、あるだけで乙女のテンションを爆上げするのだ。
本来ならば貴族として化粧品とかリボンとかレースの日傘なんかを欲しがるべきだろうが、片田舎で生きるルネには必要の無い物だ。
子爵令嬢だなんて肩書はあるけれど、僻地の弱小領主の三女なんて嫁の貰い手があるはずもなく。
王子様が婿入りした親戚との血が混じって、顔の良い美男美女と量産型標準顔の二極化した子爵家の中で、ルネはドゥシーと呼ばれる一族の直系らしい薄い茶色の髪と菫色の瞳は父親譲り。そして外見も、やっぱりドゥシーの色濃い父親譲りだ。
つまりはごく普通の顔。
別に自分の容姿が嫌いではないが、領地を一緒に走り回っても色白のままの従姉妹を見ると、年頃の少女として羨ましくはある。
だからこそルネが必要としているのは、一人でも生きていける経済力だけ。
領内で量産される林檎を使ったお菓子を売りさばき、いつか大きな街でお店を開くのが目下の夢。
少し大それたことを考えるならば、お金持ちのお貴族様がスポンサーになってくれて、腕のいい菓子職人を雇って左団扇で生活したい。
だからお金はあるだけ欲しい。
お金があればお高い器材も食材も買える。そうすれば作るお菓子も今より美味しくなる。
なお、メイン食材である林檎については品種改良を頑張る兄に期待しているが、長い目で見守る必要があるだろう。
閑話休題。
竜モドキ精霊は未練たらしく前脚を綺麗に舐めとると、そうしてから居住まいを正した。
「人間、お前の作るお菓子は含まれる魔力の配分がいい。
この地の林檎をふんだんに使うから、我々には馴染みやすいのも高得点だ。
それにお前自体もここらの人間にしては魔力が高い。
だから我が見えたのだろう」
「魔力が高い?
……もしかして、他の人には見えていないの?」
そう言ってから気がつく。
竜モドキ精霊は歩いて工房に入って来たが、工房は町の中央寄りに位置している。
恐らくは町の中を歩いて回っていたはずなのに、ルネの工房にまで問題無く辿り着いていた。
これだけ珍しい外見をしているのだから、誰か一人くらいは捕獲を試みてもおかしくないのに、外で騒ぎの声は聞こえなかったし工房を覗きに来る者もいない。
「人間如き、魔力がないと気配も感じない」
「え、なんで私は見えるんだろう?」
別に家の誰かに魔力があるなんて聞いたことがない。
ドゥシーと名の付く一族は、利も無ければ害も無い、ないない尽くしの平凡な家門だ。
ルネが首を捻っていると、竜モドキ精霊が尻尾を揺らしてテーブルの上にある赤スグリを拾い上げた。
「これは我らの森の恵み。
我々が住まう森の実りは含まれる魔力が高い」
そういえば、林檎ジャムに鮮やかな色を付けようと、三日前に籠に入るだけ採取してきたし味見も散々した。
さらに言うなら、幼少期から大人の目を盗んで、禁じられた森に入っては色々食べている。前科は数えきれないほどあり、身に覚えがありすぎて否定の言葉すら出やしない。
だとしたら言いつけを守っていなかったルネにしか竜モドキ精霊は見えず、従兄に持って行っても見えないのだったらお金も手に入らないのは確実だ。
さよなら、赤い鍋。お菓子が沢山売れたら必ず買いに行くから。
「ちなみに味の感想は?」
「我は食べれるぞ」
「それって食べれたら何でもいいんじゃ…‥」
黙れといわんばかりに尻尾が振られて、ルネは慌てて口を噤む。
いくら他の令嬢より頑丈といっても、あれが当たればルネだって怪我してしまうに決まってる。
大人しくなったルネを確認して、竜モドキ精霊の尻尾がゆっくりと下げられ、代わりに小さな口がパカッと開いた。
「喜べ、我の主に献上するための菓子を探していたが、お前の菓子にする」
いえ結構です、という言葉を発する前に、竜モドキ精霊は椅子からドサリと盛大な音を立てながら下り、器用に前脚で自分の鱗を一枚剥がす。
それを床に落とした瞬間、瞬く間に工房の床は秋の色に埋め尽くされていった。
赤や黄色、茶色に染めながら工房の床を侵食していくのは枯葉だ。
カサリカサリと葉が擦れる音が空気を震わせ、見る間に足の踏み場を奪っていく。
「嘘!やだ、掃除が大変じゃない!」
ルネが叫ぶと同時に、後ろで枯葉を踏む音がした。
「おやおや、グランニョル。
呼び出しがあったから来てみたけれど、これは一体どういうことだい?」
後ろから聞こえる、覚えの無い声。
「主のお菓子見つけた!グランニョルはこれを主に献上する!」
竜モドキ精霊が呼び出したのは主らしい。
工房の持ち主であるルネの許可もなく、勝手に林檎菓子を差し出そうとするのはいくら何でも厚かましいと思い、とりあえず飼い主にでも注意するか嫌味の一つでも言ってやろうと振り返ってから、ルネはぴたりと動きを止めた。
目の前にいたのは大層なイケメンだった。
燃えるような赤の髪は毛先だけ沈む夕日のような橙に染まっている。よく日焼けした肌は褐色に近く、この国では見かけない彫りの深い顔立ちの中でアンバーの瞳がきらきらと輝いていた。
竜モドキ精霊は主と言っていたが、ルネの前に立っているのはどう見ても人間だった。それも異国情緒溢れるイケメンの。
イケメンはテーブルを見てから、なるほどと声を上げる。
「私に献上する菓子を探してくれたんだね」
次いでルネを見て、複雑に生地を編み込んだアップルパイを指差した。
「林檎菓子の乙女よ、こちらを食べても?」
イケメンによる乙女という表現と丁寧な言葉に頷きそうになったルネだが、途中ではたと動きを止める。
「いいですけど、お代を頂けますか>
お金がないなら何かと交換でも構いません」
食材と光熱費と人件費はタダではない。
どんなに顔が良くても、それだけではルネの懐が温かくなるわけではないのだ。
ルネがそう言うとイケメンは少し考え込んだ。
「人間の価値と精霊の価値は全く違う。
人間が望む金とやらを用意してやることはできない。
代わりに違うものを与えよう」
「できれば左団扇、働かない生活に繋がる何かがいいです」
なかなか図々しいことを言ってみるが、別に期待はしていない。
絵本で読んだ妖精とは少し違うが似たようなものだから、幼少期に読んだ物語に書いていたみたいに山の幸とか珍しい果物が手に入ればぐらいの程度である。
だが、イケメンの至った考えはルネの思考の斜め上だった。
「ならば対価として、お前を八番目の花嫁としよう」
「待って待て待て、花嫁が多すぎる」
驚きが自分のキャパシティを超えると、存外冷静になれるものなのだとルネは知る。
思わず棒読みで返せば、イケメンは名案だといわんばかりに笑顔で頷いていた。
さすがに8人は多すぎないかと思うが、ルネの常識は人間のものであって精霊はハーレムが普通なのかもしれない。
ちらりと竜モドキ精霊を見た。
「一応聞くけど、お嫁さんはいる?」
「我の伴侶は一人いるぞ!」
一人で十分、と胸を反らせて意気揚々とした様子の竜モドキ精霊。
つまり、精霊でも多いのはスタンダードではないのか。それとも竜モドキ精霊が少数派なのか。
考えれば考えるほどわからなくなって頭を抱えるルネから察したらしいイケメンが、からからと笑いながら教えてくれる。
「グランニョルは小さな精霊なのでな、身の丈にあった数が一つなのだよ。
精霊は階位が上がるほど豊かとなり、持てるものが増えていく。
言ってみるならば身の丈に合っただけ、多くのものを持てるのが精霊だ。
それは魔力であり、住まう土地であり、従える下位の精霊であったりといったように、花嫁の数も同じであるといえる」
「つまりイケメンさんは精霊としては格上ということでしょうか」
ルネは聞いた話を整理しながら、首を傾げてイケメンを見上げた。
「イケメンが何かわからないが、私のことを指すならば肯定しよう」
褐色の眩しい顔のやたらいい男、やっぱりイケメンでまとめた方が楽ないい男は大らかな性格なのだろう。
アップルパイには手を出さず、交渉に応じてくれている。
「私は豊穣と赤の季節、秋そのものを司る精霊だ」
下っ端落ち葉なんて目じゃない、季節そのものが目の前にいる。
「……それって、かなり偉いのでは?」
「上位であることは間違いなかろうな」
「さて林檎菓子の乙女よ、今食べる菓子一つではさすがに伴侶として迎え入れるのは難しい。
等価交換だと言ったのは乙女だからな。
そなたに求める務めは、私が望む時に菓子を作ること。それだけだ」
「なるほど、大変興味深いですね。
お話をもう少し聞いてもいいですか?」
左団扇に近い待遇がきたかもしれない。ルネは知らず身を乗り出してイケメンの言葉を待つ。
「私が食べたい時に菓子を焼いてくれれば、後は特段何も望まない。
精霊の森で生きてもらうことになるが、好きな時に寝て起きて、好きな物を食べ、興味の赴くままに道楽へと興じるといい。
私達は上位になるほど道楽に耽ける傾向にあり、伴侶達にも同じ待遇が約束される」
聞けば聞くほど美味しい話だ。
新手の詐欺かもしれないと思わないこともないが、竜モドキの存在が確かに精霊という生物がいるのだと証明してくれていた。
「林檎菓子の乙女よ、秋に実る果物や野菜に興味はあるか?
私の伴侶となれば、林檎菓子以外は美味いものを分け与えられるだろう。
大粒の栗を使ったモンブラン、無花果や葡萄のタルト、パンプキンパイやスイートポテトパイだって他の花嫁が作ったものが食べられる。
焼き菓子だけではない、ラ・フランスのムースにはコンポートが添えられ、葡萄酒のソルベが口直しをしてくれる。
ザクロで作るシロップはワインで割ってもよいし、ゼリーにも最適だろう」
そうして秋の精霊は落陽にも似た、昏く眩しい笑みを浮かべた。
「勿論、秋は命も豊穣だ。
森にいる動物の肉は美味いぞ」
ルネが動きを止め、頭をフル回転させたのは一瞬。
ルネの頭の中にある天秤が具現化されていたら、花嫁という選択肢の方が急激に重くなり、林檎菓子職人という選択肢の皿が軽やかに吹っ飛ぶのが見えただろう。
これは破格の待遇だ。彼が望むときに林檎菓子を作るだけで、もれなく左団扇がついてくる。
他の季節の味覚が食べれなくなるのは残念だが、そこらへんは実家に帰らせてもらった時にでも堪能すればいい話。
これ以上の好物件は現れない。現れるわけあるか。
さようなら労働の日々、そしてようこそ堕落の日々よ。
林檎菓子の乙女、ルネリア・ドゥシーは見事に陥落した。
「それではお世話になります。
嫁入りはいつしたらいいですか?今日ですか?」
「ふむ、思い切りの良さも悪くない。
是非にも本日と言いたいところだが、あいにく人間のままでは精霊の世界に馴染まず生きていくのが難しい。
暫く私の花嫁である他の精霊達が作った菓子を運ばせるので、それを食べて体を作り変えていくといい。
程よいところで迎えにいこう」
契約は成立したと、にこやかな笑みを浮かべたイケメンが、約束の証だと熟した林檎よりも赤い、大きな石が嵌った指輪を渡してくれる。
「姿が見えぬ者への説明は難しいだろう。
これを私の愛の証として与え、菓子を届けさせる時にも林檎菓子の乙女に相応しい装飾を添えておこう」
こうしてルネの交渉は成立し、話を聞いて半信半疑の家族達も、ルネが持ち帰った鮮やかな林檎色の石が嵌められた指輪と日々届けられるお菓子と装飾品の数々から、姿は見えずともルネを迎えようとしている誰かがいることに納得するしかなかった。
届くお菓子を食べながら、ルネも林檎のお菓子を作って贈り返す。
お菓子の数が三桁に入る頃、一年をぐるりと回った秋の半ばに僻地の子爵家の三女が姿を消したことは王都で話題となったが、王都に来ない彼女の顔を知る者もいないため、すぐに話題は他へと移っていった。
近隣の領や好奇心旺盛な貴族から事情を聞かれることがあったが、誰もが同じように嫁にいっただけだと答えたという。
今や精霊となった彼女の姿は家族にすら見えず、けれど精霊から贈られた菓子をお裾分けとして食べていた子爵家の者は気配だけ感じ取れるため、毎年春の季節に林檎の菓子が食堂に置かれると、三女が帰って来たのだと甘酸っぱいベリーや瑞々しい柑橘類を使ったタルトやムースを準備するのだった。
これは小さな子爵家の恒例行事となり、知らぬ間に置かれたお菓子を食べた者は、時折夕日に染まる赤にも似た髪と林檎色の瞳をした健康的な乙女が誰かと笑っているのを見かけることとなる。
そんな林檎菓子の精霊は、末永くドゥシーの家でルネと呼ばれ続けた。
ドゥシー家にまつわる令嬢の物語 黒須 夜雨子 @y_kurosu
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