第3話 暴食令嬢は菓子職人を逃がさない

「お前が大きくなったら、ジョゼのお菓子を一杯作るのよ」

キラキラと薄い菫色の瞳を輝かせ、暴君のように言い放ったのはデビュタントだってまだまだ先の幼い少女。

それが菓子職人の息子であった13歳の俺と、6歳になったばかりのジョゼットお嬢様との出会いだった。



ー*ー*ー*ー



「お嬢、ちょっと食べ過ぎじゃないですか。

今日の夕食が食べれないとなったら、怒られるのは俺なんですからね」

優雅な手つきのくせに、恐ろしい速度でデザートの試作品を胃へ流し込んでいくジョゼットお嬢様を見ながら、侍女に目配せして目についた皿から片付けさせていく。

「やだ、酷いわ!マリーの下げたお皿にはシトロンのフィナンシェとマドレーヌが残っていたのに!」

非難の声を上げて恨めし気に見るお嬢様だが、少しでも食べ尽くそうと手元の皿にケーキを追加している。視線を向けもしないで手際よく移していく動きに、洗練よりも訓練という言葉がぴったりだ。

「それに、夕食は夕食で問題なく頂くもの。

アルだって知っているでしょ。私とお母様は甘い物が別腹だってこと」

そう言いながらドレスの上から撫で下ろされた腹部はぺったんこである。

一体どういう体の作りをしているのか知らないが、公爵夫人もお嬢様もデザートをどれ程食べようと体形が変わることなく、スリムかつメリハリのある姿を保っている。

世間のご令嬢によってはケーキ1個がウェストのくびれを脅かすこともある中で、なんとも羨ましい話だろう。

夫人曰く、ご実家の体質らしい。一体どういう遺伝子を持ってるんだ、僻地の子爵家とやらは。

「食べれるならいいです、って言えないですよ。明らかに食い過ぎです。

人間の限界を超えようとしないでください」

「まあ、失礼な」

頬を膨らませて拗ねた様子を見せるお嬢様は、16歳にしてはなんというか、そこらのご令嬢より幼いというか令嬢らしくなかった。


これぐらいのご令嬢ともなれば、誰もが社交用の笑顔を貼り付けて流行りを話しながら、社交場の噂話や情報を得ようと歓談に興じる。

けれどお嬢様は風変り公爵家の末っ子令嬢のため、少しばかり規格外だ。いや、かなり規格外だ。

公爵家自体はとても立派で血統も格式も高く、跡継ぎの賢い嫡男がいて、菓子職人を連れて王家へと嫁いだ長女もいる。

かと思えば次男は研究職にまっしぐらに育ったらしく、辺境に群生する薬草を調べるため、公爵夫人の生家に身を寄せたきり帰ってこない。

昨年に届いた手紙にはアップルパイが美味しいから帰りたくないと書かれていたので、あちらに恋人ができたのかもしれない。

そして次女は運命の恋に落ちたと言って、他国で商売している大きな商会の次男坊へと嫁いでしまった。

なお運命の恋とは結婚した相手ではなく、絹糸にも似た細い飴細工を幾重にも巻き付けた不思議な食感のお菓子のことである。ジョゼットお嬢様の姉君だと思えば納得の内容だ。

たまに公爵夫人のもとに魅惑のお菓子が届けられることがあるそうだが、どうやら夫人が全て食べてしまうらしく、ジョゼットお嬢様の口には届かないことは知られないように箝口令が敷かれている。


そして5番目のジョゼットお嬢様。

長男長女で公爵としての義務は果たしたと言わんばかりの公爵夫妻は、後の子ども達に対して実におおらかな教育方針へと切り替えた。

『生きていけるだけの生活水準を保てて、美味しいお菓子が食べれるならば婚姻相手は好きにしていい』

なんというか自由過ぎる。

一応公爵夫妻も子どもは可愛いから、次男の時も次女の時も適当な貴族を見繕っていたらしい。

そう、一応次男次女には候補が用意されていたのだ。後で謝罪とともに相応の慰謝料を払って終わらせていたが。

なのに目の前のジョゼットお嬢様には誰かを探している様子は見受けられない。

お嬢様も16歳。後2年もすれば成人して婚姻することだってできる。

なんだかんだとお嬢様の侍従兼菓子職人となってからの付き合いは長い。

小さな頃は生意気な妹のように思っていたし、今は立派に育ったと思いながらもお菓子の食べ過ぎに注意しなければいけない、まだまだ手のかかる方だと思っている。

できることならお菓子の食べ過ぎを咎められない程度には裕福な家へと嫁いでもらいたいし、相応の婿をもらって離れに住むなりしてくれたらいいのだけど、公爵夫妻から何か聞いているはずの家令の話も曖昧で、一体何を考えているのかさっぱりわからない。


「ねえ。後一つ、マドレーヌでいいわ。

それを返してくれない?」

気づけば取り皿にあったお菓子を全て食べ尽くしたジョゼットお嬢様が、物欲しげな顔を隠すことなく俺と侍女を見ていた。

「駄目です」

夕食まで2時間を切っている。さすがに今これ以上食べさせては、お嬢様を管理できていないと怒られるかもしれない。

それなのにジョゼットお嬢様は、こちらを懐柔する術をよくご存知なのだ。

「だって、マドレーヌを焼いたのはアルでしょ?だから最後に残していたのに」

「まさか、厨房まで覗きに来たんですか?」

そんなわけないでしょう、と笑ったジョゼットお嬢様がお行儀よくデザートナイフとフォークを構える。

「アルが作るものを、この私が間違えるわけないわ」

侍従兼菓子職人アルベール・ディオン、何度目かとなるお嬢様の我儘に陥落した瞬間であった。



ー*ー*ー*ー



「──本当、何とかならないかなぁ!」

明日の仕込みをしながら俺が叫ぶと、うるせぇと罵声が返ってくる。

公爵家にいる料理人は、朝食から夕食までを扱う料理人が5人。

そして公爵家のデザートを作る菓子職人が3人。そのうちの1人が俺の親父だ。

公爵様が王子様だった時に引き抜かれたという親父の腕は確かで、ボロクソ言われるのは腹も立つが、職人としては姿勢から尊敬できる人間だ。本人には絶対言わないが。

もう一人、奥様がどこからか引っこ抜いてきた菓子職人のローランさんは30歳半ばの穏やかな人物で、親子の罵り合いを見ても仲がいいと評してくる、ある意味空気を読まないタイプだが飴細工などの繊細なお菓子をつくる腕は父親よりも上。

そして焼き菓子ならば出してもいいと、ようやく許可が出た俺。

ケーキもスポンジを焼くまでなら任せてもらえるようになったが、氷菓子のような繊細な味のものはまだ任せてもらえていない。


まだまだ修行中でジョゼットお嬢様が試食として希望してくれるから、色々お試しで作れるのだ。

「あんの人たらしお嬢様!早く嫁にいけ!ちくしょう!」

「ジョゼットお嬢様はアルがお気に入りだからね。

私のお菓子はあんまり食べてくれないのだから、大変羨ましい話だけど」

「そういうところ!」

会話しながらも手を動かさないと作業は終わらない、手早くパイ生地を伸ばして円形のタルト型に嵌めていく。

今日の間にアップルパイを焼いて一晩置いたところで、明日の午前中のおやつにするのだ。

一緒に添えるシナモンとミルクティーのアイスクリームは作ってもらっている。

「俺の菓子を間違えたことないの!見ただけでわかるの!

意味が分からない!」

バターと砂糖で煮込んだリンゴを並べて、キャラメルソースを刷毛で塗り付けていく。

レーズンを散らして格子状に編み込んだパイ生地を被せたら、熱したオーブンへと放り込む。

焼けるまでにもすることは沢山だ。

「その意味がわからない間は、ジョゼットお嬢様の相手は決まらないと思うよ」

ローランさんが含み笑いをしながらピスタチオのペーストを混ぜ込んだアイスクリームを入れた瓶を抱えて、氷室に向かうのか厨房の扉へと歩き出す。

ノブに手をかけたローランさんは親父を見て、大変ですねとだけ言い残して去っていった。


「本当に意味がわからない……」

ローランさんを見送って呟いた俺を無視して親父は作業を再開し、近くにいた他の料理人たちが生温い目で俺を見ながら口々に頑張れとだけ言ってくる。

料理長が溜息をつきながら、俺に声をかけてくれた。

「心配しなくてもジョゼットお嬢様のことは公爵様も奥様も考えていらっしゃる。

本人達の問題だから放っておいているだけだ」



ー*ー*ー*ー



「今日はアップルパイだと聞いたのだけど?」

「気分が変わったんです」

昨日は皆の言ったことの意味が分からないまま考え込んでいたら、アップルパイが大惨事になった。

表面は真っ黒で上の生地だけ外せば食べれないことも無いが、公爵家で提供される菓子としての体裁は保てていなかった。

久しぶりの失敗に俺は呆然としたし、親父からはそれ以上菓子を焼くことを禁止された。

今ジョゼットお嬢様の前にあるのは親父が用意したフルーツケーキだ。

ショコラ色のスポンジ生地に淡い緑のクリーム。ケーキの上にはピンクのクリームで花がデコレーションされていた。

一緒に添えられたフランボワーズと赤すぐりが華やかさを添えてくれる。

公爵が夫人を射止めるときに食べさせたといわれるケーキは種類が増え、カラフルなスポンジケーキとクリームが絶妙なバランスで組み合わされた目にも楽しいデザートだ。

一口サイズにされたケーキを公爵夫人は殊の外お気に召し、公爵領に帰りたがらない理由は親父だと言われている。

けれどジョゼットお嬢様は面白くなさそうな顔をして、そっぽを向いてしまった。

「いらないわ」

嘘だろ。

お嬢様のデザート好きはもはや暴食の域である。そんなお嬢様が食べないなんて、食べてはいけないものを食べてお腹を壊したときか風邪が悪化したときぐらいだ。

一体何が気に入らなかったんだろうか。

つんとした横顔をみながら昨日の会話を思い出す。


それは、つまり。


「お嬢様、少し失礼します」

声をかけて部屋を辞する。

扉を閉めた瞬間に人目を気にせず厨房へと駆け込んで、昨日の焼き過ぎてしまったアップルパイの残骸から表面の焦げを落して皿に盛り、

「はい、アイスクリーム」

すぐにローランさんがアイスを盛り付けてミントを飾ってくれる。

一緒に添えられる生クリームは親父から。

「お嬢様を待たせるな」

と、リーフ型のパイ菓子が差し込まれ、表面のザラメが照明を反射していた。

昨日同様に生温い目でいる料理人たちに見送られ、お嬢様のお部屋までの短い距離をいつもより長く感じながら進んでいく。

丁寧にノックをして、部屋の主の了承を得、そうして部屋に戻った時にはデザートナイフとスプーンを構えたお嬢様が笑顔で待っていた。


ジョゼットお嬢様は俺のおやつが見分けられて、そして未熟な俺のお菓子を希望している。

俺はお嬢様が俺のお菓子を食べてくれるのを阻止できないし、こうやって食べたいと言われたら用意してしまうのだ。


お嬢様は俺の失敗したアップルパイを食べ、それから親父のケーキを食べ、ローランさんの飴細工でコーティングされたアイスクリームを食べきり、ちらりと俺を見る。

「もう一度だけしか言わないわ」


「アルは私のためだけにお菓子をずっと作るのよ」


それはジョゼットお嬢様の告白だった。

俺はテーブルを回り込んでお嬢様の近くに両膝をつく。

悲しいかな、こういった時の作法なんてわからないくらいに俺は平民なんだけど。

けど多少は見栄を張って、格好もつけたい。

「お嬢様が望むのならば、俺のお菓子はお嬢様のものだ」

声が震えているのがバレないか心配になる。


「だからお嬢様がいつか嫁ぐときには、愛人でも単なる菓子職人でもいいから俺も連れて行ってくれ」


次の瞬間、フルスイングされたジョゼットお嬢様の右拳が俺の顎を捉え、思いがけない一撃に脳震盪を起こした俺が他の使用人たちに怒られるのは少し後となる。

さらにお嬢様は俺と一緒になるために屋敷の離れへと移り住む許可を貰えるよう、長い時間をかけて公爵夫妻を説得し、いつか夫となった俺が持つ店の準備をしていたと知ったのは翌日で、自分の勘違いに死にそうな顔になったのはいうまでもない。

それから姿を見せてくれなくなったジョゼットお嬢様と会うために、お菓子を持ってお嬢様の部屋へと通い続ける俺の姿が公爵家名物となるのは少し後の話だ。


それでどうなったかって?

ジョゼットお嬢様は、いつまでも俺のお菓子をずっと食べ続けた。

それだけだよ。

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