第2話 お菓子が好きな令嬢と、王子様でなくなる1番目の王子様

ニコルは王族の血をほんの少しだけひいた令嬢である。

とはいっても王位継承権なんて遥か彼方の雲の上。

しがない子爵家でしかないニコルには関係のない話であるのだが、それでも腐っても王家の外戚という立場と好ましい外見は、周囲の貴族が求めることもあるらしい。

らしい、と書き添えているのは、夜会の真っ只中に婚約解消を告げられているからなのだが。


「ニコル・ドゥシー子爵令嬢、どんなに君が美しかろうと、平民のように礼儀も知らない女性とは婚約を続けられない」

目の前で声高に婚約解消を宣言した婚約者を見ながら、こてん、とニコルは首を傾げた。

「夜会の迎えもできない相手なんて、別に解消しても構いませんけど」

ゆっくりと扇を広げて、けれど考えなく広げたせいで使い道に悩み、今度は反対側に首を傾げる。

婚約した日に初めて顔を合わせ、ニコルの見た目だけを気に入ったのか早々に手を出そうとしたのを殴り飛ばして以来、全く会うことのなかった婚約者から何を言われようとショックな気持ちなど湧くはずない。

「相手に瑕疵なくお断りした場合には違約金が発生しますので、金貨200枚、耳を揃えてお支払いだけはしてくださいね。

後日契約書類を持って両親と法務官が取り立てに参ります」

そう言ってニコルを嫌っていた婚約者へと美しいカーテシーを披露すれば、驚きに目を剥いた元婚約者がいた。

きっと彼の中では簡易的な礼すらできない田舎の猿という認識だったのだろう。

アップルパイに使う林檎を手に入れるためだけに、年頃になっても木登りを得意としているニコルだから、田舎の猿という部分においては間違いではないけれど、やる気になれば礼儀作法の一つや二つ華麗にこなすことができるのだ。


背後で元婚約者が何か言っている気もするが、デザートへと意識が向いてしまったニコルにとってはもはや興味の対象などではなく。

正確にはまだ解消はできていないのだから一緒にいたほうがいいかもしれないが、王家の開催する夜会で人の目を憚らず言ってしまったのだ。

無かったことになんてできるはずもないので、ニコルの中ではもう終わった話。

ならば本来の目的である、王都で流行りのデザートを物色するためにブッフェスペースへと歩き出した。

田舎領地の子爵令嬢では、見目麗しいうえに味まで最高なデザートを毎日なんて食べられない。

季節のパイとお土産のチョコレートが精々だ。

夜会の時間は有限である。今のうちに食べられるだけ食べなければいけない。


「一応君の婚約は王命なんだけど、いいのかい?」

唐突に降って湧いた軽やかな声は、揶揄いを含んでいて。

可愛らしいピンクに色づいた苺のムースに狙いを定めているニコルへと声をかけてきたのは、使用人にお手つきしてできた11番目の王子様の孫なんかじゃ到底及ばない、とっても高貴なお妃さまから生まれた本物の王子様だ。

「殿下、隅っこ領地の小娘に話しかけるのを止めてもらえます?

後々すごく面倒くさいんです。主に殿下に近づきたい、あわよくば婚約して結婚したい令嬢達が」

「私達は親戚だろう。そんな水臭いことを言わなくても」

水臭いというよりは胡散臭いが勝る。

口に出さずとも顔に出ているのを隠そうともしないニコルに、王位継承権一番であるはずの王子様が苦笑する。

「隠そうと思えば隠せるはずなのに、わざわざ顔に出したりするとか」

「礼儀作法を使う相手を、正しく選んでいるだけです。

それに王命と言いますけど別に私から解消したいと言ってないし、言い出したのはあちらの……」

「ルーベル伯爵令息」

「忘れていませんよ。あの勘違い下心野郎と心の中で呼んでいたせいで、爵位と名前を思い出すのに時間がかかっただけです」

言いながらも流れるような美しい所作で一口サイズのショコラをサーブした。

王冠の形をした甘いお菓子は、王家主催の夜会であっても王冠を食べるなんて不敬ではないのかと考えるも少し。すぐに美味しければなんでもいいかと他のデザートへの物色を再開する。

「あちらの祖母君が妖精姫と呼ばれていたとか聞いていますが、そんなこと言って周囲が持て囃すから、自分の外見を勘違いした馬鹿が生まれるのです」

「うーん、辛辣だね」

否定はしないけれど、と笑いながら王子様が玉子の殻に入ったお菓子を載せてくれる。

「最近雇った料理人が作ったブリュレだけど、これが一番お勧めかな」

「それは今日聞いたお話の中で一番ありがたい情報です」


そんな二人をちらちらと見ているのは周囲の令嬢達だ。

どうにかして王子様に話しかけてもらいたいのだろうが、身分が低い者から声をかけるなんて、ましてや王族に対して不敬な態度を取れるわけがない。

結果としてデザートブッフェを前に呑気にお菓子トークをしている二人と、距離を空けて様子を窺う令嬢達、更に距離を空けて諦める令嬢の誰か一人でもお近づきになりたい令息達、それを見守る貴族の親達という図式が出来上がっていた。

ニコルも気づいているが、隣に立つ王子様が対処するべきことだと考えているので何かしようと思わない。

お菓子を載せたお皿を手に、近くのソファへ腰掛ける。

「ブリュレは美味しく頂きます。気兼ねなくデザートを楽しみたいので、さっさと立ち去ってくれませんか」

給仕からワインではなく果実水を受け取って、横に座ろうとしている王子様には手で追い払う仕草をした。

「そんなこと言わないで。

君に婚約者がいなくなったから、ようやく交渉できると思って来たのに」

「私では殿下に釣り合いませんので、婚約者候補の皆さまに交渉してください」

定型文なお断りを申し上げて、ブリュレを口に運べば、その美味しさにますます王子様がどうでもよくなってくる。


「君って本当、僕に興味ないよね」

「王様になる人の伴侶は、相応の人が選ばれるはずですので」

少なくともニコルのような弱小勢力ではない。

「あんまり王様には興味ないから、もう少ししたら臣籍降下するつもり。

だから婚約者候補の令嬢達も解散することになるよ」

ニコルが視線だけ送れば、悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。

「ほら、叔父上のところに跡継ぎがいないからね。

ちょうど空いている席があるのなら、遠慮なく座らせてもらおうかと」

目の前の本家本元みたいな王子様の叔父様といえば公爵様だ。

子爵令嬢ではまだまだ身分が釣り合わないが、王家の血筋がゴリ押ししてくれてセーフといったところだろうか。


けれど。


「そんなに私と結婚したかったとは知りませんでした」

「いや、婚約者候補の一人が弟とラブロマンスを始めたせいで、二人して僕の命を狙っているんだ」

ラブロマンスという甘酸っぱい成分が含まれているはずなのに、物騒さしか感じない発言に眉をひそめる。

「僕としては穏便に事を済ませたいし、弟とコッソリ会っている婚約者候補が隣国の王女様なので、後々のことを考えると二人揃って始末もしにくい。

そうなると若い二人に後は任せて、僕が身を引いた方が早いんだよね」

自身もまだまだ若い王子様は、フォークをニコルへと向ける。

「おそらく公爵になったぐらいでは弟達も諦めないだろう。公爵でも立場が強いから。

ならば野心がないことを見せるのに、血筋は尊いながらも後ろ盾になりえない家を見繕うのが一番だ」

フォークの先にあったスクエアケーキは一口サイズで、チョコレート色のスポンジに挟まれたベリーの鮮やかなジャムとピンクのクリーム、同じクリームで小さな花が飾られているのが可愛らしい。

これは頂いていいのだろうと判断して口に入れれば、周囲のご令嬢方から悲鳴が上がった。


「それに他国の血を入れるのならば、次代で王家の血筋が濃い家から婚約者を見つける必要がある。

そうなったときに僕と君の血筋はちょうどいい」

「大変政略的な視点での発言、ありがとうございます」

ブリュレを食べきり、さてお代わりをどうしようかと考える。

王子様から分けてもらったケーキも美味しかったので味違いがあれば食べてみたいし、お勧めされたブリュレもお代わり必須だ。

答えを返さないことには席を立ちにくいが、ニコルの判断だけで返事をしていいものではない。

持ち帰って両親と相談することになるが、きっと家族は王子様を気に入るだろう。

ドゥシー家はデザートに目がないから。


王子様は立ち上がると、ニコルの前で膝をついた。

「ニコル、僕の妖精姫。

王子様でなくなっても自由な生活は約束できないけど、それなりに野放しにしてあげるから首を縦に振ってくれない?」

「その外堀を力ずくで埋めてくる態度。

逃がす気がないのだけ、よくわかりました」

お皿とフォークを持ち上げて、手を取ることができないのだとジェスチャーで返す。

この王子様のことだ。それもわかったうえでやっているのだろう。

明確な王位継承権放棄の宣言と、逃げる選択も残したプロポーズ。

さてさて、後で話を聞いた家族が何と言うか。とりあえず盛大に笑われるのは確実だ。


王子様は気にした様子も無く立ち上がると、お代わりを取りに行こうと誘ってくれる。

「ブリュレ、美味しかったでしょ?

僕が個人で雇用しているから、臣籍降下した時には公爵領か王都の持ち家に連れて行くと思うよ」

「む、それはお断りできないお話になったじゃないですか。

仕方ないですね、ブリュレだけではなく他のデザートも含めて交渉しましょう。

ちなみに流行りを追いかけてほしいので、料理人は王都に置いていてください」

いっそ清々しいまでの欲望にまみれた回答をしたニコルは、けれども優雅な手つきでお皿を手にしたまま立ち上がり、お淑やかに見える笑みを浮かべた。

「とりあえずアップルパイを焼くための林檎の木を庭に植えてくれる甲斐性があるのか、もう少しお話を伺いましょう」


これは後日談だが、王子様が臣籍降下して養子に入った公爵家では、庭の片隅に多種多様な果物の木が植えられることとなり、長く公爵夫人の胃袋を楽しませたらしい。

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