ドゥシー家にまつわる令嬢の物語

黒須 夜雨子

第1話 私の11番目の王子様

「ナタリー、王子様をもらったよ」

どことなく上機嫌な父に連れられてきた王子様は、妖精とか精霊なんじゃないかと思うくらい綺麗な子どもだった。


ナタリーが生まれたドゥシー家は国の端っこの森林と険しい山々に囲まれた、鉱山も肥沃な土地も特産も無い、それゆえに隣国からは狙われにくい至って平和な村ばかりの小さな領地を治める子爵である。

ナタリーだって令嬢だから礼儀作法を習ったり、音楽を嗜んでみたりはしつつも、幼い頃から領地で果樹園の採取を手伝ったりしており、王都に住まう優雅な令嬢とは全くかけ離れている。

また兄二人も領民に交じって畑仕事に精を出す長兄と、独り立ちできるように領地で大量に生えている草から薬を開発しようとしている次兄がおり、そこそこ裕福な平民と変わらない生活を送っていた。

つまりは田舎領主の小娘であったはずのナタリーとドゥシー子爵家に王子様が下賜されたのは、身分相応とはとてもいえなかったのだ。

とはいえ王家でも他に下げ渡すものがなかっただけであるが。


事の発端は昨年から各国で流行り病が蔓延し、対策として高い金を払ってでも薬を求め始めたことである。

需要が急激に膨れ上ろうとも、供給が追い付けるはずもなく。

薬は数ヶ月も経たないうちに何倍もの価格に膨れ上がってしまった。

自分だけは助かろうと身分の高い者は法外な値段で薬を買い、その金額で売れるものだから一般的な国民には手の届かないものとなるのも時間の問題で。

更に国民を救うための対策とはいえ、予算外かつ度外視できない金額のせいで、どの国も一気に国家予算の大半を失う始末。

高額な薬によって他に予算が回らないか、それとも国民が病気で動けなくなって国の経済が回らなくなるか。

ナタリーが住まう国も危うく傾くかと思った中、兄が研究中だった薬の成分、領地のそこらに生えていて皆がお茶の代わりに使っていた草が流行り病に有効だと判明したのだ。


そこからの対応は早かった。

王都へ報せを送れば多くの薬師や医者が訪れ、最終的には大半の葉を採取したうえに研究第一人者であった次兄の襟首を掴んで王都へと帰っていった。

ナタリーの父も領民たちも「タダで草むしりをしていってくれた」とホクホク顔であったし、普段からお茶として飲んでいただけに免疫ができていて、病に伏せる者もほとんどいないから何も困らない。

道端に生えた邪魔な草を大量にむしっていかれたが、森に入ればまだ沢山残っているし、繁殖力も強いので放っていても暫くしたら元に戻っているだろう。

ありがたいことに研究三昧で領地に貢献していたのか疑わしかった次兄も、めでたく王宮薬師として召し上げられた。


そんなこんなでドゥシー家は瞬く間に国を救った献身的な領主として脚光を浴び、欲にまみれて暴利を貪ることもなく薬草だったらしい雑草と次兄を献上したことから、何かしらの褒美を授けようという話が出るのも当然のことで。

さりとて流行り病対策で虫の息の国家予算からは何も出ず、陞爵するにも分け与える土地がない。

更に言えば同じようなことが起きた時に、ドゥシー家のような善良な一族が草を管理したほうが国としても大助かりなので、わざわざ領地を変更させたくもない。

結局色々な思惑、特に予算の関係上で少々の褒賞金、それから使用人へのお手付きで生まれたと言われている王位継承で揉めない11番目の王子、ルカ・ラバールを与えるということに落ち着いたのだった。

初めて見る王子様にナタリーは興奮したけれど、お淑やかにできるかは別の問題である。

綺麗な王子様を大切にしようとしながらも、二人は長閑な領地で健やかに育っていくこととなった。


そんなナタリーであっても、数年もすれば分別も多少つくもの。

少し日に焼けて健康的になったルカは幼い少年から青年に変化しても美しさが損なわれることなく、綺麗な王子様に見合うためにナタリーもできるだけの努力はした。

ただ、想定以上にルカが王子様すぎたせいかもしれない。

僻地へと出してしまった余り物の王子様の様子でも見ようと、夜会に呼び出そうとしたことが騒動となることを誰もが知らないでいた。




「……どの令嬢もルカを見てるわね」

「気のせいじゃない?」

気のせいじゃない。

王都に辿り着いて数日後。夜の帳が下りる頃、招待状を出されたばかりにドレスを新調したナタリーをエスコートする美しい青年に、年頃の令嬢達は礼儀を忘れたかのように見つめ続けているし、他の貴族からもざわめきが起きている。

ルカの夜を染め抜いた艶やかな黒髪は夜会の照明を反射して星の瞬きを起こしたかのよう。後ろへと流した前髪のせいで理知的な額が露わとなり、そのすぐ下でエメラルド色が本物の宝石よりも輝いていた。

ナタリーの瞳と同じ菫色を差し色にした衣装は、彼の落ち着きと上品さを表現している。

ナタリーの視界にいるどの貴族令息よりもルカは美しい。

なんなら他の王子様と比べても、一番ルカが麗しい。

大切な宝物である彼が、今日ここでお披露目されたのは満足であるし、婚約者として長い彼が不貞を起こすなんて全く考えていない。

美しく着飾った令嬢も、夜会の絢爛さも、全てがどうでもいい。

彼らの目的は領地で食べられないような珍しい食事、ただそれだけだ。


それなのにハプニングとは起きるもの。

「ルカ殿下にご挨拶申し上げます」

そっと近づいた可憐な令嬢が、これまた美しいカーテシーを披露してきた。

ピンクブロンドの髪はふわふわと波打ち、質の良い金糸のような淡い輝きを放っている。

小柄で華奢な体に纏う水色のドレスは紺と白の糸で刺繍がされ、それが色の変化を作る美しいデザインだ。

が、ルカは興味なさそうに視線だけを彼女に向けた。

「誰?」

「アンジェリーヌと申します。

ルカ殿下にお会いできました喜びをお伝えしに参りました」

瞬く星をきらめかせた濃紺の瞳は期待に満ちて、ルカを見ている。

「ルカ、デュシャン侯爵様の末の令嬢よ。

ほら、前に言ったじゃない。王都に妖精姫と名高い方がいるって」

気を利かせてお姫様のような令嬢について教えれば、ふうん、気のない返事だけがナタリーに返ってくる。

ルカはアンジェリーヌへと向けた目を眇めた。


「顔の造作で言ったら僕の方が上じゃない?」

「ちょっと、ルカ?」

慌てて窘めようとするナタリーを気にすることなく、明らかに品定め目的の視線を投げかけて鼻を鳴らす。

「妖精姫って言われても、別に妖精や精霊の血筋でもなければ見た目だって僕より下。

何でそんなに自信満々で挨拶に来たわけ?」

ふるり、とアンジェリーヌの体が震えた。

まさか自慢の容姿を貶められるなんて夢にも思わなかったことだろう。

隣で手綱を取るはずだったナタリーだって考えもしなかった。

「ルカ、ルカ、それ以上喋らないで。

このままだと楽しみにしていたデザートを食べる前に帰らなきゃいけないわ」

慌てて喋るのを止めようとするも、慌てていたせいでついつい本音が出てしまう。

「大丈夫だよ。本当のことしか言ってないし」


全然大丈夫じゃない。


こんな時に限って両親も兄も遅れてきている。

周囲の人々も迂闊に口を挟めないのか、挟んでボロクソに言われるのが嫌なのか、遠巻きに事の成り行きを見守っているだけだ。

「大体さあ、自分の価値を見た目だけに依存している時点でどうなの?

これから年を取るわけだけど、30年後にも妖精姫ですって言っちゃうわけ?

それとも美魔女とかへのイメージチェンジを狙うの?痛々しいと思わない?」

僅かに頬へと赤みが差したのは、羞恥か怒りかわからない。

まあ、眉のつり上がり具合からして、相当お怒りではないだろうか。


「な、ならば、どうしてドゥシー子爵令嬢を横に置かれるのですか」

自身の矜持が許さなかったのか。

涙目と震える声で抗議する姿は、庇護欲をかきたてられるかもしれない。

言っていることが他人の容姿を馬鹿にして、自分より格下だと言いたいのだとバレさえしなければ。

そして残念なことに、考えていることは手に取るようにバレバレであった。

「ナタリーが僕の横にいるのは当たり前だけど。

だって彼女は僕の婚約者なんだから」

ルカがナタリーの肩を抱いて引き寄せる。

「それとも何?外見至上主義でちやほやされてきたお嬢さんは、自分の姿に誰もが不埒な気持ちを抱いて、婚約者を蔑ろにすると思ってるの?

随分と性格が悪いうえに、身持ちまで軽い女が声をかけていいと思ってるのが図々しい」

浮かべたのは嘲りを含んだ笑みで。

「で、外見も僕以下、性格もクソみたいなご令嬢が僕に何か用?」

妖精姫アンジェリーヌ、轟沈の瞬間だった。




「もう少し手加減してあげてもいいのに」

蒼白に染まった顔を隠しもせずに娘の頭を下げさせたデュシャン侯爵が、娘を強制連行して夜会から退出していったのは少し前の話。

誰にも邪魔されることなくファーストダンスを始めた二人を見守る周囲の目は、どうにも腫物を持て余すような余所余所しいものである。

「あれくらい言っておけば、もう誰もアプローチしてこないでしょ」

これでデザートも心置きなく食べられると、満足そうに笑うルカを見て溜息を一つ。

とはいえ妖精姫の噂は事前に聞いていたので、起きるべくして起きてしまったのだと思うことにした。


ナタリーの11番目の王子様は、自身の顔の美醜と価値を正しく理解していたが、同時に政略結婚を実に正しく把握してナタリーを大事にしてくれる。

それはありがたいのだが、領地で大らかに育て過ぎたのかもしれない。

ナタリーの両親は反省したのだが、育ってしまったものはどうにもならない。

せめて他の貴族と会わせることなどせず、領地で仲睦まじく暮らさせておけばよいと思っていたのに、まさかの招待状に慌てたのはルカ以外の家族全員だ。


王太子様がルカの言葉を反芻しては涙目になりながら大笑いしていたので、多分結果オーライにはなるだろう。

後で説教くらいはあるかもしれないが、実際妖精姫のせいで婚約が破綻しかけた貴族もいるらしいので、大事とされるようなお咎めはなさそうだ。

これに懲りてルカへと招待状が送られなくなれば、ドゥシーの者達も心配事が減る。

ならばこれが最後の夜会になるかもしれないと、もう一曲踊ろうとナタリーは考えてルカを見れば、同じことを考えていたのかルカも頷いてくれた。

手を取って、踊る人々の中に混ざる。

「もう一曲踊ったら、あそこにあったチェリーケーキを食べよう。

さっき兄上が滅多に食べられないと言っていたからね、あれを一杯食べて、いい思い出にしようよ」

「それは素敵ね」

くるり、とターンする。

奏でられている曲が終わりを告げるのはもう少し先。

次もワルツだといいなと思いながら、ナタリーは自分だけの王子様の手を離さないよう、強く握りしめた。

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