ほしのまたたき

紫陽_凛

作家、この業深い職業

 他人の人生を物語に昇華しながら作品を書きつづけてきて、死後は地獄行きかななどと思う。ある人は死んだら人は天国に行くのだといい、またある人は巡礼の旅に出るのだと言う。私はどの神様も信じていないけれど、死んだらきっと苦しいところで罰を受けるんだと思う。他人の必死に生きてきた人生を切って継いで剥いで、娯楽に仕立て上げてメシを食っている。こんな女、どの神様も願い下げに違いない。

 

「はなちゃん、ひとみの墓参りに行くんだけど、一緒に行かない?」

「ごめん、締め切り近いからパス」

「そっか、そうだよね、原稿頑張って」


 いよいよ日付の感覚も分からなくなるほどの修羅場に突入していたからすっかり忘れていたんだけれど、私達の共通の友人、佐伯ひとみが不慮の事故で死んでからもう十年になる。雪穂ゆきほはまだその命日に花を手向けることを怠らない。雪穂の中でひとみはまだ二十歳の若い女のままで、もっといえば私達三人が仲良くつるんでいた十七の少女のままで、永遠に輝き続ける恒星みたいに瞬いている、らしい。私は私で、もうとうにこの世を去った彼女に見切り、のようなものをつけていて、だからこそ雪穂の誘いには乗らないようにしている。

 私にその資格がないからだ。


 ちょうど私達が二十歳のころ、ひとみは火災に遭って死んだ。青年海外協力隊として滞在していたベトナムで、住んでいたアパートが燃えたのだ。人を助けるために海外に出向き、不幸にも炎に遭って死ぬ――志なかばの、悲劇の主人公として私は彼女をした。死んだひとみを描いた作品はある短編の公募で優秀賞に引っかかり、私を文筆の道へと誘った。短編は編集者のメスを入れられ、加筆をくわえられ、原型がなくなってしまうほど膨らみ、長編に仕立て直された。もうひとみは作品の中にはいなかった。そこに彼女がいるとしても、もう元の形を失ってしまっていた。ひとみは私にバラバラにされてしまったのだ。

 本になったその作品を読んで雪穂は号泣した。「これでひとみが生きた証を世の中に残せたんだね」と言った。

 違うそうじゃない、むしろ私はひとみを殺したんだ――とは言えなくて、私は雪穂のまえで、嘘くさい薄ら笑いを浮かべてうなずいた。どうしようもなかった。

 その本はさほど売れなかったが、私は結果的に「ひとみの物語」を踏み台にして文壇に上がることになる。

 

 私は凝った目の筋肉をほぐすためにこめかみを揉む。青白い光を放つパソコンの画面から目をそらし、スマホの通知を目にする。そこにたった一枚の画像が、花を供えられた佐伯ひとみの墓が写されていて、雪穂の鈍さというか太さというか、そういうを憎めばいいのか愛せば良いのか分からなくなる。


 私達三人の間には奇妙な絆があった。いまとなっては「奇妙な」というほかない、若さ故の盲目が導いた複雑な関係性。世間一般、人間の言葉に即せば、それは「少女三人で付き合っていた」としかいいようがなかった。同じリップクリームから潤いを摂取し、おそろいのキーホルダーを提げ、ファストフード店で割り勘をし、タピオカドリンクは三種類頼んでシェアした。もちろん、ここでは語れないようなこともやった。きっと私達は、多感な時期に自分自身を見失わないように、互いに互いを確かめ合える相手を捜し求めていたんだろう。それが私達三人の間で合致した。ただそれだけなのだ。


「あたし、レズかもしんね」と言ったのはひとみだけだった。「男とかどうでもいいかも。どっちかというと、女の子のほうがエッチに見えるかも」

「本当に?」と私が言う。

「疑ってるの、花菜はな

「疑ってないけど、そういうの、世間一般ではいっときの過ちみたいな扱いされるよ」

「でたよ、花菜の『セケンイッパン』の話。違うの、私がそう思うからそう言っただけなの。ね、雪穂」

 制服の上からハグをして、頬をすり寄せる二人の姿を思い描きながら――私は、ひとみが死ななかったら雪穂は妊娠しなかったかもな、と思う。そしてひとみが死ななかったら、私は適当な会社で簿記の資格でも取って事務員をしていたかもしれないな、とも。



 雪穂のおなかには赤ちゃんがいる。あと三ヶ月で生まれてくると言う。父親は、いない。行き逢った男性との間の子だけれど、責任は全て自分にあると雪穂は話した。

 生まれる子の名前には絶対に「星」という字を入れたいと雪穂は話した。私は、雪穂のことならどういうわけか、何でも知っている。

 修羅場を過ぎた頃、雪穂にカフェに誘われた。デカフェの飲み物を頼んだ雪穂にたいして、私はいつものブラックコーヒーだ。

「私達、理科の選択科目で地学をとってたでしょ。だから星って文字を絶対に入れたいの」

 なにが「だから」なのかさっぱり分からなかったが、私はうんとうなずいた。雪穂はまったりと続ける。

「そうしたら、ひとみの生きた証を残せる気がするの」

 今度こそ私は雪穂の言葉を理解できなかった。

「ひとみの生きた証って?」

「はなちゃんが小説でやったように、『わたしたち、三人でここにいたよ』って言えるようなものを、私も世の中に残せる気がするんだ」

 雪穂は洟をすすった。

「毎日毎晩、ひとみのことを思い出そうとするのに、もうわかんなくなっちゃったの。この前、昔の動画を見た。はなちゃんははなちゃんのままだったけど、ひとみは、ひとみは全然知らない人みたいだった。顔も声も。わたし、毎日毎日、ひとみのこと忘れてく」

 雪穂の目は充血していた。涙は出なかった。

「ひとみがどんなふうにわたしたちを好きで愛していてくれたかも、忘れていく」

「雪穂。ひとみはもういないんだよ。その子はひとみじゃない」

「わかってる。でもほしかったの。はなちゃんがひとみの小説を書いたみたいに。でもわたしには、何もないから。……こうするしかないと思ったの。北極星みたいなもの」

「北極星?」

っていう、指針みたいなもの。ひとみがいたから、ひとみがいなくなったから、わたしは今ここにいる。その証」


 私はあっけにとられて雪穂の告白を聞いていた。

「じゃあ、……やっぱりシングルマザーとして育てていくつもり?」

「そう」

 雪穂は決然としていた。私は、大きなため息をついた。

「世間一般的には茨の道だけど大丈夫? 一人で」

「でた、はなちゃんのセケンイッパン」

 雪穂は目立ってきたおなかをするりと撫でた。

「大丈夫、なんとかなるよ。ひとみもみてくれてる。夜空の星のどれかがたぶん、ひとみだから」

 そんなこころもとない支えでどうする。「見てる」だけじゃダメだろう。私はコーヒーのにおいのため息をつくと、雪穂に聞いた。


「パトロンが要るんじゃない? パパが不要でもさ」

「そりゃ、お金は必要だけど。それはなんとか――」

「場合によっては時間と暇を持て余すことがあるパトロン、修羅場の方が割合高いけど、ここにいるよ」


 雪穂は私を見詰めてしばし目をしばたいた。そして、やっと理解したとばかりに笑った。


「そっか、それもありだねえ」

「でしょ。あー、ひとみもいれば最高なんだけどね」


 死んだらいずれ罰を受ける身ではあるけれど。

 私にできることと言えば、人の人生をネタにして物語を書くこと、それを売ること、そしてそれらを続けることだけだ。それで雪穂が隣にいてくれたら、星になったか天国に行ったか巡礼の旅に出たかは不明だけれど、どこかにはいるはずのひとみも安心するんじゃないだろうか。


「そうと決まったら稼がないとなぁ」

 いずれ罰を受けるだろう身ではあるけれど、幸いにして私の生はまだ長い。その間に、私のを育てるのもありかもしれない。

 

 私は凝った肩を伸ばしてうんと背伸びをした。体中からこわばりが解け、筋肉が伸びる。指先まで血が巡っていく。


「次の話は、命の話にしようかな」


 私達の前に、道が拓けていく。

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