救済エンド『リル』

※ 悲恋エンドに耐えきれなかった人向け




 両手がいっぱいになるくらいの大きな花束を抱えた私は、今日もまた、ある病室に向かっていた。

 父が勤めるこの病院は、新設されて間もないこともあってか、いまだに新しい建物の匂いがする。私もつい先月まではここに入院していたことを思い出し、もうそれほどの月日が流れたのかと、つい溜息が零れそうになる。


 今の両親に引き取られたときに渡された、お守り代わりのペンダント。

 胸部を撃ち抜かれたはずの私は、そのペンダントを肌身離さず身に着けていたことにより、結局、またも一命を取り留めた。粉砕したペンダントの破片がいくつも胸に突き刺さっていたそうで、危険な状態であることには変わりなかったらしいが。


 倒れた私を発見してくれたのは、私の無断外出を知った母から指示を受けていた尾行者たちだと聞いた。

 母はあの日、両親に気づかれないようこっそりと外出した私に、数名の尾行をつけていたという。しかし、あの爆発騒ぎのせいで、彼らは私を見失ってしまった。その後、別の場所から放たれた銃声を聞いて駆けつけた彼らの手により、私は発見と同時に病院へ搬送されたそうだ。


 正確には、私と、もうひとりの人物が。


 まるで、私を庇うように覆い被さっていたという。頭から血を流して意識を失っていたその人は、それでも握ったままの私の手を少しも放そうとしなかったらしい。

 現場には凶器と思しき武器はなく、銃もなかったそうだ。だから、そのまま彼も一緒に搬送されたと……そういう話だった。


 きっと、私が狙われたところを庇って被弾したと、皆には解釈されたのだろう。


 凶器が現場に残っていなかった理由は、私にも分からない。ただ、あの日のそれが綿密に仕組まれていた暗殺計画だったという事実は、父の話からも理解していた。

 ならば、直接私に手を下す役割を担っていた彼の他に、あの現場を監視していた人間がいたのかもしれない。彼が任務を遂行したという事実を見届けるために配置された人間が。


 私の尾行に携わったひとりは、自分たちが近づく直前まで何者かがその場にいたらしい気配がした、と証言した。

 一部始終を見ていた人間が、状況の異変を察知して私たちに近づき、その直後に尾行組の気配に気づいたのだとしたら――それなら、私たちの生死を確認する間もなく、取り急ぎ武器だけを回収したということもあり得る。

 武器に、彼らの組織にまつわるなにがしかの目印が刻み込まれていたと仮定するなら、その信憑性はさらに高まるだろう。


 私を撃った後、彼は気づいただろうか。私がかつてともに飢えをしのいだ同志であるということに。

 その私を殺してしまったと嘆き、自害を図ったとでも。


 銃の扱いは、慣れた人間でも油断できないという。

 自害のために頭に突きつけた銃口、そこを飛び出した銃弾が彼の頭を貫かなかったという事実。それは、もしかしたら暗に、彼がひどく錯乱した精神状態に陥っていたことを示しているのかもしれなかった。


 そして結果的に、銃弾は彼の命ではなく、彼の記憶だけを余すところなく連れていってしまったらしかった。


 個室の扉の前、厳重な警備が施されたそこに、ゆっくり足を伸ばす。

 私の姿を確認すると、警備員たちは静かに会釈をして一歩下がった。その中のひとりは、あの日私を尾行していた男性だ。思慮深く私を見つめた後、彼は静かに扉へ視線を向け、私に入室を促した。


 コンコン。

 軽くノックして名を告げると、はい、と低めの声が返る。


 扉を開いた先、車椅子に乗って窓の外を眺めていたその人と目が合った。

 以前よりも少しだけ伸びた髪の毛先、頭部にはいまだ包帯が巻きつけられている。それが、彼の右側の目をも隠してしまっており、痛々しい。


 それでも、今日も、この人は。


「ああ、こんにちは。今日も来てくれたんだね……リル」


 ふわりと片方の目元を緩ませて笑うその顔には、確かに見覚えがあった。

 互いの名前をつけ合ったあの夜、半ば投げやりに告げたなんの変哲もない男性名。それを耳にしたときの照れくさそうな笑顔――あの顔と、同じ。


 記憶を失ったとしても、この人が私の慕った彼であることに変わりはない。


 どれだけ多くの命を殺めてきたのだとしても、そんなことは関係ない。

 もし逆の立場だったなら、私も同じことをしただろうから。再会の約束が忘れられず、期待する心を止められず、死を選ぶことをズルズルと先延ばしにしていただろう……そう思うから。


 滲んだ涙をごまかしながら微笑み返した私は、静かに室内へ――窓際に佇む彼のもとへ、足を踏み出した。




〈了〉

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かみさまのこどもたち 夏越リイユ|鞠坂小鞠 @komarisaka

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