掠れた記憶『絵』
"君"は絵を描くのが得意だった。
昔から絵を好きで描いていたらしく、芸術的な才のない僕から見て、"君"の描いた絵はどんなものでも面白く思えた。
「■■■の絵って、なんていうか幼稚園児の絵みたい」
「……言うね、人が真面目に描いた絵なのに」
「いや、でも、ほんとに」
「くっ……」
隙間時間、話すのが僕と"君"二人だけの時、机を挟んで向い合わせに、僕達はノートの余白に好き勝手落書きをしていた事を覚えている。
才能の無さからか僕はあまり絵を描くことに興味はなかったけれど、絵を描く"君"に触発されて落書きには僕も参加した。
"君"が簡単に形になった絵を描くその向いで、僕は子供のお遊びのような絵を描いた。それはもう我ながらに絶望的な出来で、とても本来なら人様に見せられるようなものではない。
一緒のノートに絵を描く"君"には当然見られる訳で……でも、あまりにも絵の実力が乖離しているからか、"君"に絵を見られる事に然程抵抗を感じなかった。
或いは、そんな僕の絵を見せて、少しでも二人だけの話題を作りたかったのかもしれない。当時の僕はそんな事意図していたとは思えないのだけど。
「まず、線を思った通りに引けないんだよね。直線は歪むし、円は楕円になる」
「簡単だよ、ん」
「えぇ……訳分からん……」
"君"は僕の出来ない事を平然とやってのける。
正直、本当になんでそれが可能なのか訳が分からなくて、口から溢れた言葉は全て本心だった。
僕達は時間を見つけては何度も何度も絵を描いた。
何を描いていたか、その間にした会話すらも全く覚えてないけれど、それでも僕達はあの二人の時間を渇望していたように思う。
時には授業中ですら僕と"君"はその時間にのめり込んだ。
席が隣だった時、二人の机の間に破り取ったノートを一枚置いて、そしてそれを二人で隠しながら共有の財産とした。
授業中だから言葉は交わせない。だから僕と"君"は絵で語り合った。
紙に文字は決して書かない。不細工な絵と器用な絵、そして少しの矢印や記号だけが、僕達の間の無言の会話を成立させた。
隠しながら同じ紙に絵を描く二人。授業中、教師から見ればあからさまに怪しい行動だと思う。だけど、それを授業中に指摘された事はなかった。
ほんの少しの自慢だけれど、僕は所謂優等生だったから教師達の警戒から大きく外れていたのだと思う。
例え、僕と"君"が怪しげな行動をとっていても、授業の内容を教えているのかな、その程度にしか思われなかったのだろう。
"君"は僕を隠れ蓑に悠々と授業をサボっていた訳だ。
でも、今思えばこの会話は"君"の負担が圧倒的に多かったように思える。
考えれば当たり前な事で、僕の絵は下手くそなのだから読み取る"君"の方が難しいに決まっている。
それでも"君"はこの二人だけの会話を楽しんでくれていたのだろうか。
本心は分からないけど、二人だけの会話はずっと続いていた事に僕は未だ縋っている。
楽しんでいたからこそ、僕達は会話が出来たに違いない。そう思い込んでいる。
ある日を境に、僕は絵の練習を始めた。
"君"程ではないにしろ、人に見せても恥ずかしくない程度の絵は描けるように、と。
練習を始めた切っ掛けは覚えている。これは単に、"君"の注意を引く為だった。
絵という共通の話題で、少しでも僕と"君"の時間を作りたかった。
我ながらに自分は不器用な人間だと自覚している。
もう癖がついてしまった下手くそな自分の絵を矯正するのには時間がかかるとも分かっていた。
それでも僕は絵を練習したのだ。他でもない自分の為に。
先ずは模写から始めた。
少しでも何か理解出来るんじゃないかと思って。
確かにそれらしいものは出来た。でも、それで?
結局、得られるものはなかった。
今度は動画を見て学んで見た。
他人を参考にするのが一番の近道だと思って。
言っている事の大半が分からなかった。
ネット上に存在する動画は幼稚園児のような絵を描く奴を対象にはしていないのだとわかった。
そして最後には只管描いてみるしかなかった。
何も分からない中、自らの手で試行錯誤する。
意外にも、これが最も効果的な手段ではあった。
結果的に僕の絵は小学生低学年が描くようなものにまで成長した。
自分の才能のなさに呆れた。
正直、悔しさを覚えた。
「……最近さ、絵を練習してるんだよね」
「え、■■■が?」
「うん」
殆どの記憶は欠けてしまった。
覚えているのは此処からのこと。
何を思ったのか、僕は"君"に直接打ち明けた。
自慢出来るような絵ではない。寧ろ馬鹿にされて然るべき、そんなもの。
それでも僕は"君"に話した。
いや、"君"に縋ってみたかったのだろう。
なんだかんだ、僕は負けず嫌いだったのだ。
"君"との時間を作る為の口実だった筈の絵の上達は、いつの間にか僕の目的にもなってしまった。
"君"ならどうにか出来るんじゃないかと思って。
「今、どんな感じなの?」
「いや、全然。正直、基本的な事から全く分からなくて。ちょっと□□に教えてもらいたいんだけど……」
「ん、いいよ」
机の向い、耳に髪をかけた"君"が応える。
何となく"君"は断らないだろう、とは思っていた。
"君"はダウナーで、眠いと不機嫌そうで、何処か無愛想なイメージを持たれがちだったけど、びっくりする程優しくて、頼み事は大抵なんでも協力してくれる事を僕は知っていたから。
頼みとして"君"に協力を願った僕は、もしかするとズルい人間だったかもしれない。
「んー、先ずどんな絵が描きたいの?」
「どんな絵か……敢えて選ぶならアニメキャラとか?」
「いいね。分かりやすい」
僕も"君"もアニメは嫌いじゃなかった。だから、アニメキャラはいい題材になる。
この時、何のアニメキャラを題材にしたかまでは記憶がない。それでも微かに残るのは、有名な女の子のキャラだったという記憶。
"君"は初めに、ノートの余白にそのキャラを描いた。
一分もかからなかったように思える。
「本当に凄いね……いや、ホントに」
「ま、うちは馴れてるから。でも、これには特別な技術は使われてない」
「というと?」
「影は入れてないし、画角も正面から、バランスも適当。ちゃんとした絵として見るならこれは多分間違ってるの。でも、■■■はこの絵を見た時違和感なかったでしょ?」
言われて確かに納得した。
"君"の描いたその絵には一切影が描き込まれていない。それに加えてキャラは真正面を向いている。短時間で描いたからか対称性も取れていないように思えた。
でも同時に、間違いなくその絵は題材としたキャラを描いた絵でもあった。素人の僕では、それが間違いであるとは欠片も思う事がなかった。
「だから、そういうことなの。何処かに応募するものなら兎も角、簡単に描く絵に複雑さは要らない」
「なるほど……?」
「だから、アニメキャラを描くのに必要なのは、目と輪郭と髪だけ。これはお手本を見て覚えるしかない」
呆気ない教えだったとは思う。
でも、"君"の言葉は才能のない僕でもどうにかなるんじゃないかと思わせる力があった。
……いや、本当は単に僕がそう思い込んだだけの話だとは思うけれど。
「絵はね、気楽でいいの」
落ち着いた"君"が絵を好んだ理由が分かった気がした。
それからも僕は絵を描いた。
結局は殆どが独学だった訳だけれど、変に気張らず、絵に拘り過ぎず、楽しみながら絵を描くことは出来ていたように思う。
好きこそものの上手なれという言葉は良く出来ていると思う。あれは疑いの余地のない確かな言葉だ。
何度か"君"に絵の添削してもらった事もあった。
瞳の描き方だったり、輪郭のコツだったり、全体のバランスの取り方だったり、指摘される事は数え切れないほどあったけれど、確かに成長している感覚を僕は楽しんでいたように思う。
初めてちゃんとしたオリジナルのキャラを描いて"君"に見せた時、"君"は僕の成長を喜んでくれた。
あの時は凄い絵が出来たと自画自賛したものだけれど、今思えばあれは大したものではなかった。寧ろ、下手な部類に入るようなそんな絵だ。
それでも"君"は僕の絵を見てくれた。
"君"はあの時間を笑ってくれていた。
チャイムが鳴る。
記憶がどんどん掠れていく。
あの時、僕が描いた絵は未だ写真に残っている。
今見てもあまり上手には思えないのだけど、"君"に褒められたというその記憶が、それを僕の宝にさせる。
そして後に出来た後悔が、それを未練と呼ばせるのだ。
僕は未だ、絵が描けるだろうか。
殆どは、忘れてしまったのだけれど。
僕が恋した"君"との色褪せた思い出 zoom @zofrom
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