僕が恋した"君"との色褪せた思い出
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掠れた記憶『手』
何時の記憶だろうか。
或いは思い出なのかもしれない。
……いや、それは間違いなく、僕を形作る思い出だ。
ある日、思えば寒くなって来た頃のようだった気がする。
学校の教室でしか見たことがないストーブ、暖まったその上面に腰掛けて、椅子に座っている周りよりも少しだけ高い目線から教室を見ていた。
……違う。教室を見ることも出来たが、僕の視線は"君"に向いていたのだろう。
隠せているつもりだった。けれど、今考えれば見え透いた好意の視線だったと思う。"君"がそれに気付いていたかは分からないけれど。
「■■■、聞いてる?」
「……あぁ、ごめん、ちょっとぼーっとしてた」
褪せてしまった僕の思い出。それでも思い出そうと思えば、徐々に視界は晴れていく。色がつくのは"君"だけだけれど、何があったかは思い出せそうな気がする。
僕と"君"、そして席の近かった二人の男女。僕達は時間があるといつも四人で静かに会話を楽しんでいたように思う。
何か共通点があるような四人ではなかったけれど、自然と会話は弾んでいて、どうにも退屈しなかった。
ぼーっと呆けていた、僕の名前を呼んだのは"君"じゃないもう一人の女の子。名前は……どうにも思い出せないけれど、此処では"Q"と呼ぶ事にする。
"Q"は彼女の不名誉なあだ名だった覚えがあるけれど、それでもこれが僕が彼女を呼べる最後のピースだから。
「それで、何の話だった?」
「手の大きさの話。見て見て、私の手」
「あぁ……うん」
どうしてこんな会話をしていたのか、掠れた記憶は前後の状況を僕に知らせる事は出来ない。
だけどこの時、僕達は笑いながら、けれど真剣にこんな話をしていたような気がする。
僕は"Q"に言われた通り、彼女の手をじっと見た。
女の子らしい手だなと思った。だけど、僕よりも強そうな手だとも思った。"Q"はテニスをやっていたからだろう。
性別的な特徴で、手の大きさは僕の方が大きいように思えたが、運動嫌いな僕よりも彼女の手は立派だった。
「■■■の手も見してよ」
「いいけど……ほら」
そう言って、僕は彼女に見えるよう手の平を前に向ける。
でも距離によって見える大きさなんて変わるのに、本当にこれで何か分かるのかなと疑問に感じた。そして、それは"Q"も同じだったらしい。
「手、合わせてよ」
「いいよ。はい」
大きさを比較するなら手を合わせた方が早い、そういう判断に至った。
僕と"Q"は手を合わせる。女の子と深い仲になった事はなかった僕だけれど、彼女と手を合わせる事に特別変な想いを抱く事はなかった。
僕達はそれなりに勝手知った感じではあったし、僕自身どちらかといえば昔から女の子の方が友達は多かったから。
僕の覚えている記憶ではないのだけれど、僕が本当に小さい頃、男の子の友達が出来ない僕に対して本気で心配していたらしい。
想像通り、僕の手は"Q"の手よりも大きかった。
人肌の温もりはストーブの熱よりも冷たいけれど、何処か安心する特別な熱だと思う。
「意外と■■■の手でっかいんだね」
「まぁ、そうだね」
「■■■も運動部だからじゃない?」
最後の言葉は"君"でも"Q"でもない、もう一人の言葉。
やっぱり名前は思い出せないけれど、僕は彼を"R"と呼ぼうと思う。
"R"に関しては何でRだったのかすら覚えていないけど。
"R"は比較的丁寧な話し方をする男の子だった。
問題児の多い僕の学校で、彼はかなり『普通』を極めていたような覚えがある。
勿論、これは彼が平凡だったなんていうつまらない話じゃない。彼はなんというか……とても落ち着いていて、彼自身の周りに『普通』が漂っているような、そんな感じだった。
ただ一点、彼は常にキャップ帽を被っていた。
外でも教室内でも、彼がそれを外すことは滅多にない。
その理由だけれど、その時彼には髪が生えていなかったからだ。
髪が生えてない理由は聞いた事がない。何かの薬の副作用だったかもしれないし、事故の後遺症だったかもしれない。
だけど、そんな事は僕達の間ではどうでも良かった。
個性なんて言葉は好きじゃないから使いたくはないけれど、言ってしまえばそれは"R"の個性であって、誰にでも存在する身体的差異の一つに過ぎないものだったから。
「運動部って言ったって■■■幽霊部員じゃん」
「一応、一年間は真面目にやってたし、こんなんでも男だからその差かな」
「ふーん」
僕達四人の中でも"Q"は会話を引っ張るムードメーカーだったように思う。
彼女はいつも会話好きで、そしていつも笑顔だった気がする。
僕の視点から見た勝手な見え方だけど、"R"はツッコミ役といった感じで誰かの笑いの種を回収するのが上手かった。
そして僕は笑いの種を意図的に蒔いていた。"R"が回収してくれるという信頼があったからこそ、僕はあの中で皆を笑わせるような会話が出来ていた。
僕は比較的淡白な受け答えで、きっと面白いと言えるような人間ではなかったと思う。だけどあの中では、僕にも誇れるような役割があった。
そして"君"は天然の笑いの種だった。僕の視点からじゃきっと贔屓目も混ざってしまうだろうけど、誰よりも僕は君を見ていただろうから何となく分かる。
"君"が紡ぐ笑いの種はきっと狙ったものではなかったんだろうな、って。
「ちょっと□□も手合わせてよ」
「……ん」
"Q"に言われて、"君"も"Q"と手の大きさを比べ始める。
"君"は所謂ダウナーって呼ばれるような性格で、大抵何時だって眠たそうにしていた。
眠たそうな"君"はどうも不機嫌な表情に見えて、知り合って始めの頃は怒りっぽい人なのかと心配にもなったものだ。
でも、そんなのも悪くない、なんて思えるようになってしまった僕は、完全に魅入られてしまっていたのだろう。
"君"に不機嫌そうな表情を指摘すると、"君"は何時だってこう返した。
『だって、朝は眠いんだもん』
でも、朝に限らず何時だって眠たそうにしているのを僕は知っている。
だから、その事を伝えて二人で軽く笑い合うのがいつもの定番のやり取りだった。
"君"の手の平は"Q"の手の平よりもずっと小さくて、でも指の長さは"君"の方が長かった。
「わ、□□指長いね」
「……そうかな?」
「え、長いよ長い。ねぇ、長いよね?」
"Q"が僕達に聞く。
先に答えたのは"R"の方だ。
「□□はピアノやってるし、そのせいじゃない?」
「ん、まぁ、指は開くね」
「ピアノって、そんな目に見えて指伸びるもんなんだね」
そうだ。"君"はピアノをやっていた。
習い事として小さい頃からピアノを弾いていたようで、毎週木曜日には先生に教えてもらう、なんて事を言っていた筈だ。
木曜日の朝になると、朝会終わりくらいにいつも"習い事が面倒くさい"なんて僕に話してきて、二人で習い事に対して恨み言を言って笑っていた。
でも、そんな面倒な習い事のお陰か、或いは"君"自身の才能によるものか、事あるごとに"君"は伴奏者として学校の様々なイベント事で活躍しているのを見た。
その時の"君"は凄まじく格好良かったのだけど、でもやっぱり眠たそうで"君"らしさに溢れていた。
「■■■も□□と手合わせてみてよ」
「いいけど……なんで?」
「ほら、どっちの指が長いか見てみたいし」
本当に気になるのだろうか。若干僕は疑問に思いながらも、手の平を"君"に向ける。
"君"は若干面倒そうにしながらも"Q"に応える為、僕と手の平を合わせた。
"Q"の時は特に何とも思わなかった癖に、"君"との手の平合わせは何処となく緊張してしまった。
たかが手を合わせるだけ。握手をするのと何ら変わらない。ただ、触れ合う面積がちょっと広いだけ。それでも"君"の手に触れる事に、馬鹿らしくも僕は意識を割かずにはいられなかった。
"君"の手の平はやっぱり小さかった。そして指は僕よりも"君"の方が長かった。指は女の子らしくとても細くて白い。
実は僕の肌も全く日焼けしていない分信じられないくらいに白いままだったけど、それは若干病的な白さがあった。"君"は健康的な白さがあって、指先だけでも何となく魅了される物があった。
尤も、これは僕の贔屓目が混ざった主観なのだけど。
でも、何より僕が気になった事。
君の手の平はひんやりと冷たかった。
さっきは人肌の温もりが安心出来るなんて言ったけれど、君の冷たい肌は逆に余計なものを無くしていくような冷静さを与えてくれた。
でも、そんな冷静さが僕と"君"の目が合っている事を気付かせてしまう。手を合わせながら僕と"君"が目を合わせている現状に、僕はとてつもない気恥ずかしさを感じて目を逸らす。
口からは誤魔化しの言葉が出た。
「……□□の手って、体温低いね」
「あ、確かにそうかも」
「うち、なんか身体冷たいんだよね。首とかもかなり冷たいし」
「そうなの? 触ってみてもいい?」
露骨な誤魔化しで流れは"君"の体温の話へ。
"Q"が"君"から許可を取りながら"君"のうなじを触る。
この時の"君"の髪はショートボブで、少し下を向けばうなじが簡単に露わになった。
僕にはうなじに対して欲情するような性癖はなかったけれど、それでも何となく"Q"の事は羨ましいと思ってしまった。
自分の事ながら、これは中々に終わっている思いだと思う。だけど、それを直接口にしなかっただけ、僕は未だマシな部類だと信じたい。
「確かに首も冷たいかも」
「でしょ。うちもなんでか分かんないんだけどさ」
「へぇ~、■■■も触ってみたら?」
内心、"Q"の事をエスパーかなんかなんじゃないかと本気で疑った。
いくら僕に男らしさがないからといって、僕の事をなんだと思っているだろうか。
あまりに急な事でたじろぎながら、僕は"君"の様子を見たけれど、"君"も特別困っているようには見られない。
つまり、僕に首を触られたとて、別に気にしないという事だ。
動揺してるのは僕だけか。
変な孤独感を覚えながらも、僕は現状に目を向ける。
合法的に"君"のうなじに触れられる機会を得た……という言い方はかなり気持ち悪いのだが、つまりはそういうことだった。
遠慮と欲望の狭間、少しの間悩んだけれど、結局僕は"君"の首を触らせてもらう事にした。
そして軽く声をかけてから、僕は"君"のうなじに触れる。
"君"のうなじは確かに冷たいような気はしたけれど、手の平よりは確実に温かった。
血の巡りが多いのだから、それは当然なんだけども。
……或いは、僕自身の体温が上がっていたのかも。
顔は紅潮していなかっただろうか。
チャイムが鳴る。
記憶がどんどん掠れていく。
白黒な思い出の中、"君"の色だけは瞳に灼かれている。
嗚呼、それでも、年月というのは残酷で……
ずっと見つめていた筈の君の顔でさえ、僕の記憶は曖昧になってしまったようだ。
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