第6話 襲撃、少女の小さな夢

 PM6:00


 陽は傾き、月が空を占める時間になった。

 グレイブの下っ端である、キツネ耳の獣人はたった今、スラムの飲食店から出たところだ。

 

 「ふひ〜、食った食った」


 満腹になった腹をさすり、満足気な顔でアジトへの帰路についている。

 

 「これで女でもいたら最高なんだがなぁ」


 頰が紅潮し、表情が弛緩している。酔っ払っているのだろう。まわりの目を気にせず、そんな下卑たこと呟いていた。


 「ずいぶんと酔いやがって……酔い覚ましでもくれてやるよ」



 男の声が背後から聞こえるのと同時、後頭部にひんやりと冷たいモノが当てられた。


 「ん?あぁ、ありがと……って、えっ?」


 思わず間の抜けた声が漏れた。


 「どうだ?これでスッキリサッパリだ。感謝しろ」


 背中全体に冷たい電撃が走った。この感触は間違うはずがない。毎日のように自分が握っているモノの感触……銃口を当てられている。


 「酔いも覚めたようなら、なによりだ。あとなにか変なことをすればお前の想像通りに眠ることになる。家に帰って、ベッドの上で眠りたいのなら質問に答えろ」


 キツネ耳はごくりと固唾を飲み込む。


 「質問第一。お前、グレイブの構成員だろ?」


 「お、お前!オレらに手を出したらどうなるか……!」


 「言われたことだけを答えろ」


 銃口が強く押し当てられる。そこで死と生の境界線に立たされていることを強く実感した。生きるも死ぬも後ろの男の才腕しだいだ。


 「あ、あぁ。そうだよ」


 「そうか、なら質問第二だ。お前らのボスの名前を教えろ」


 「ブ、ブランペ・ボーマ様だ。そんなの知ったところでボスにかなわ……」


「余計な私語は慎め。学校で習わなかったか?」


 「わ、わかった」


 「理解が早くて助かる。次は質問第三。ボスの扱う攻勢魔法について教えろ」


 「し、知らねえよ。見たことがねえからな」


 「嘘は吐いてないな?」


 「本当だ」


 そこで背後の男は一拍ほどの間をおいた。反応を観察し、真偽を確かめているようだ。


 「なるほど、信じよう。次が最後の質問だ。正面扉のパスワードを教えろ」


 「1207だ。お前なんかが……」

 

 「オーケー。以上で質問は終わりだ。いい夜を」


  背後の男は、キツネ耳の首に腕を回し、 慣れた手つきで締め上げた。血流が遮断され、視界がブラックアウト……気絶した。




 ジョンはキツネ耳の男を引きずり、近場のゴミ捨て場にポイッと放り投げた。

 これからやることを考えると、コイツはこれで済んで幸運な方だろう。

 

 「さてと……」


 ブランペ・ボーマ。携帯端末で賞金首リストを調べたところ、B級賞金首ターゲットに位置していた。C級ハンターでは太刀打ちできない相手だが、ジョンは格上相手にも動じない。

 つい先ほど、ヤツらグレイブのアジトを視察しに行ったが、電子ロックがかかっていた。南京錠なら銃でなんとかなるが、電子ロックだと心許ない。パスワードを聞き出せてまずは一安心だ。


 「あとは何人在中している構成員がいるかだが……わからねえか」


 とりあえず正面突破するしかない。キツネ顔の男があの程度なら10人いても問題ないはずだ。

 ジョンはグレイブのアジトを目指し、走り出した。



 それはスラムにある建物にしたら、異様な大きさと材質で建てられていた。

 コンクリートで構成されている建物は、高さにして、都市の4階建のビルに匹敵するであろう。

 そこだけ切り抜かれて、都市の建物に置き換えられたような違和感。

 そこがグレイブのアジトだ。

 守衛などは見当たらず、杜撰な体制だとわかる。

 ここ一帯で刃向かえる者はいないと慢心しているのだろう。

 黒いロングコートで夜闇に紛れながら正面扉の前に立つ。

 パスワードを入力すると、ピーという電子音が響き、上に備えられたランプが赤から緑に変わる。

 扉が自動的にスライドして、侵入しようとした矢先、そのフロアの中央に置いてあるソファに狼顔の獣人が座っていた。


 「フォッキーかぁ?ずいぶん遅かったじゃ……」


 即座に懐から銃を抜き、2発の弾丸を発射する。


 「……な!?」


 狼顔は反射的に立ち上がるも、もう遅い。

 反撃の暇も与えない光速の早撃ち。右肩に1発。もう1発は右腿に着弾した。


 「あがぁぁぁぁぉぉ!!!」


 断末魔の叫びを上げながら、バランスを失った身体は横に倒れた。

 ジョンは影を縫うように建物内に滑り込んだ。断末魔を上げられたため、上の階からうじゃうじゃと構成員が降りてくるだろう。

 

 「めんどくせえな」


 軽く舌打ちをして逃げ場を探す。今アジトから逃げ出したら次からは建物外に守衛がつけられることだろう。そうなると侵入は容易にはいかなくなる。

 倒れた狼顔の獣人に近づき、声帯を踵で踏み潰した。これで他の構成員に逃げ場を知らされる心配はないだろう。

 辺りに逃げ込める場所を探して、片開きの扉を見つけた。

 今逃げ込めるのはそこしかなかった。そうと判断すれば行動は早い。

 すぐさま扉を開け、その中に。


 その扉の先は薄暗く、肌寒い空気が漂っていた。その雰囲気はまるで監獄の中を思わせた。

 右壁には並ぶように幾つもの金属製の扉。


 「監禁部屋ってやつか」


 身寄りのない子供を収容するための空間なのだろう。

 

 「〜〜〜〜〜〜♪」


 「…………?」


 耳を澄ますと、今にも霧散して消えてしまうような微かな声が聞き取れた。それはジョンも知らない言語でなにかの旋律を奏でていた。


 「この声は……?」


 聞き覚えがあった。ジョンのサイフを盗んだ少女。その声に間違いない。

 ジョンはその旋律を辿り、それが聴こえる扉の前に立った。

 扉に備え付けられた鉄格子から中を覗くと、そこに少女がいた。

 透き通る白髪に琥珀色の瞳、雪のような肌をもつ人形のような姿。

 壁に備え付けられた簡易ベッドに腰をかけ、鉄格子の窓から差し込む月光を一身に受け、何かの歌を口ずさんでいた。

 その幻想的な姿に惹かれ、いつのまにかドアノブを握っていた。扉はあっさりと開いた。外からは開くことができ、中からは出られない仕組みなのだろう。

 少女はそこでジョンの存在に気づいたようだ。しかし、一切の動揺も見せず柔らかに微笑んだだけだった。


 「お前は……なんなんだ?」

 

 ジョンはつい問いかけてしまった。浮世離れしたその雰囲気は天上に住む天使を彷彿とさせるようだった。


 「……なんなんだろうね」


 少女は物憂げに呟き俯く。


 「それよりも今、危ない状況じゃないの?」


 その言葉で現実に引き戻された。少女が奏でる旋律につられてしまったが、ここは独房。つまり袋小路だ。


 「クソッ。やっちまった」


 長年ハンターをやってきて、こんな凡ミスは初めてだった。それほどこの少女には人を惹きつけるなにかがある。


 「……大丈夫。助けてあげる」


 「なんだって?」


 少女が言った言葉をにわかには信じられなかった。こんな少女になにができるのか。

 しかし、その朗らかな微笑みは不思議と納得させるような、なにかを秘めていた。

 



 「侵入者だ!」「フェンさんがやられた!誰か治療しろ!」「クソッどこに逃げやがった!?」「ぶっ殺してやる!」

 けたたましい構成員の声が扉の先から聞こえる。その声を聞いても少女の表情はピクリとも動かなかった。

 バンッ!と、監禁部屋に続く通路の扉が乱暴に開かれた。

 下っ端たちはしらみつぶしに監禁部屋を開けていった。

 次々と乱暴に扉は開かれていく。

 そして、足跡が少女の部屋の前で止まり……バンッ!と音をたて扉は開かれた。


 「おい!ガキ!ここで誰か匿ってるんじゃねえだろうな?」


 つんざくような乱暴な声は一本角の鬼人オーガから発せられた。

 少女はそれに臆することなく無表情を貫く。


 「……知りません」


 少女は淡々と告げる。

 鬼人は監禁部屋を舐め回すように眺め……チッという舌打ちとともに扉を閉め、去ったようだ。


 「……ハァ」


 と、少女が肺から空気を吐き出すと、突如なにもない空間が歪みだし、その歪みは人の形を形成していった。歪みは次第に色づき、そこから黒いロングコートを纏ったジョンが現れた。


 「透明魔法クリアーか、こんな高等魔法が使えるとは思わなかった」

 

 ジョンが関心したのは束の間。少女の足が自重を支えきれないのかクラクラとした足取りになり、尻餅をついた。


 「お、おい!大丈夫か?」


 少女の頰は紅潮している。体内にある魔素を使いすぎたのだろう。


 「うん、大丈夫。今日はちょっとだけ魔法を使いすぎたみたい」


 少女はジョンを心配させまいと、柔らかな微笑みを浮かべる。しかし、ジョンが見てもその笑顔は無理矢理取り繕ったものなのは明け透けだ。


 「そうか、ならいい」


 ジョンは少女の強がりを通した。

 外からはまだ騒々しい音が響いている。ここで待機してほとぼりが冷めるのを待つことにした。


 「となり、座ってもいいか?」


 少女はコクリと頷く。ジョンは少女の隣に腰を落とし、尋ねる。

 

 「お前、名前はなんていうんだ?俺の名前はジョン・パリサー。気軽にジョンとでも呼んでくれ」


 「ジョン……ジョン……わかった」


 少女は何度かジョンの名前を口にした。名前を覚えてくれたようだ。そして、少女はすこしばかり思案する。まるで遠い過去の記憶から、自分の名前を探し出しているかのような間だった。


 「…………ルミナ」


 細々とした声で呟いた。


 「なんだって?」


 「たしか、ルミナって名前だったと思う」


 少女は自分の名前ですら、一瞬忘れてしまうほどの粗雑な扱いを受けてきたのだろう。

 名前を呼んでくれる人間がいない環境。それを想像するだけで胸に針を刺された気持ちになる。


 「そうか、ルミナか。たしか輝きって意味だったか。いい名付け親がいたんだな」


 ルミナはコクリと俯く。親のことを考えているのだろう。これ以上の深入りは無粋だと思い、話を切り上げる。


 「疑問だったんだが、どうして俺を助けてくれたんだ?俺はルミナたちにとって敵だろ?」


 その問いかけにルミナは表情を曇らせた。


 「悪いこと……しちゃったから……」

 

 「悪いことって……サイフを盗んだことか?」

 

 コクリと頷いた。

 ルミナは根本的に優しい心をもっているのだろう。その純真さが悪意によって無理矢理捻じ曲げられただけで。そんなところに世の不条理さを感じずにはいられなかった。


 「まあ、たしかに悪いことだが、こりゃ不可抗力だ。命がかかってるから盗みをしたんだろ?俺も同じ立場だったら同じことをするさ」


 そこで懐をまさぐり、煙草を出そうとしたが、うら若き少女の前なので自制した。

 ふと、ルミナに聞いてみたいことが浮かんだ。


 「なあ、ルミナって夢とかあるか?」


 「…………夢?」

 

 「ああ、将来なりたいもの。やってみたいこと。欲しいもの。そんなのはないのか?」


 「…………分からない」


 ルミナはなにもない空間をじっと見て、真剣に考えているようだ。


 「そう固く考えることはないさ。遠くを見過ぎなくていい。もっと身近な、手が届くほどの小さな夢でいいんだ」


 「そう、なの?」


 「ああ」


 どうもこの少女に自分を重ねてしまっているらしい。その生い立ちや境遇は、遠い昔の古い鏡に映る自分を見ているようで、つい手を差し伸べたくなってしまう。


 自分と同じ道を辿らないように、と。


 「なら…………美味しいものが食べたいかな」


 少女は先ほどのように朗らかな微笑みを浮かべた。


 「美味いもんを食う、か。そりゃ最高だ」


 ジョンは重い腰をあげ、少女の前に立った。


 「ここから出たら、満腹になるまで食わせてやる」


 ジョンはルミナに手を差し伸べる。


 「いいの、かな?……そんな幸せを望んでも」


 「ああ、俺が許してやる。だからいくらでも望め」


 ルミナの小さな手がジョンの手を掴む。

少し無骨で大きな手のひら。少し優しいあったかい体温を感じてルミナは立ち上がった。


 狭くて小さい独房に優しい月の光が満ちていた。

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