第2話

 翌日、ピオーヴェレ公爵邸に婚約者のチェーロが訪れた。


 ビアンカはフレイやヘレン、ポーラの四人で出迎える。家令やメイド長はいない。チェーロは硬い表情だ。


「ごきげんよう、チェーロ様」


「ああ、ビアンカ」


 二人は真顔で挨拶を交わす。ビアンカはちょっと、不満に思う。けど、顔には出さない。


「……ビアンカ、とりあえずは公爵閣下に挨拶をしたいんだが」


「分かりました」


 ビアンカは頷く。後ろにいたポーラに目配せをした。頷いて、チェーロに声を掛ける。


「チェーロ様、旦那様の執務室にご案内します」


「ああ、頼むよ」


「こちらです」


 ポーラが言うと、チェーロは頷いて行ってしまった。いつもの事だが、ビアンカはため息をつく。フレイやヘレンは気遣わしげに見るのだった。


 ビアンカには兄弟がいない。代わりに、両親は彼女を可愛がってくれた。それでも、寂しさがある。


「お嬢様、今日もお部屋で読書をしますか?」


「そうするわ」


「でしたら、お茶を淹れますね」


 フレイが気を使ってお茶を淹れたり、お菓子を用意した。ビアンカは悲しげに笑う。


「……フレイ、ちょっと一人になりたいわ。良いかしら?」


「私に訊かずとも良いのです、分かりました。お茶やお菓子はこのままにしておきますので」


「ありがとう、フレイ、ヘレン」


 ビアンカが言うと、フレイはヘレンと共に部屋を出た。一人になると脱力してソファーの背もたれにより掛かる。


(……やっぱり、チェーロ様はいつも通りね。いつから、こうなってしまったんだろう)


 そんな事を思いながら、天井を見上げた。しばらくはそうしていた。


 一時間くらいは経ったか。ビアンカは冷めてぬるくなった紅茶を一気に飲み干した。近くにあったお茶菓子のクッキーを何とはなしに食べる。

 そうしていたら、ドアをノックする音が聞こえた。


「……ビアンカ、ちょっといいか?」


「え、父上?」


「ああ、入るぞ」


 父公爵がそう言って中に入ってきた。が、傍らには意外にもチェーロがいる。二人はビアンカの向かい側にあるソファーに腰掛けた。人一人分の間をあけてだが。


「あの、父上。何故、チェーロ様も一緒なのですか?」


「うむ、どうしてもビアンカと話したい事があるそうでな。それで連れてきた」


「はあ」


「実はな、ビアンカ。チェーロ君はお前にソーレ公爵領に一緒に来てほしいそうだ。何でも、ソーレ公爵が急の病で倒れたとか。お見舞いがてら、領地にある邸にしばらく滞在するんだが」


「え、ソーレ公爵閣下が?」


 ビアンカが驚いて言うと、父公爵に代わりチェーロが口を開いた。


「ああ、ピオーヴェレ公の言葉通りだ。ビアンカ、君には領地にあるタウンハウスにしばらくいてもらいたい。また、結婚式もそちらで挙げる予定だから。そのつもりでいてほしいんだ」


「急に言われましても……」


「すまない、父からの強い要望があってな。母や兄弟達もビアンカには早めに、嫁いでほしいと言っていた」


 珍しく、チェーロが饒舌に話す。ビアンカは茫然としながらも仕方なく、頷いた。


「分かりました、公爵閣下がおっしゃるなら。ソーレ公爵領に行きます」


「……出立は五日後だ、俺が迎えに来る。荷造りはその間にやっておいてくれ」


「はい」


 頷くと、チェーロは立ち上がる。父公爵も同じようにした。二人は去って行く。ぼんやりと見送るのだった。


 それから、五日間はビアンカは忙しく過ごした。荷造りや日々の日課を並行しながらだったが。必要な着替えや細々した物をボストンバッグやスーツケースに詰め込んだ。まあ、ビアンカとフレイ達の四人でやったら、三日と掛からなかったが。そうこうする内に、出立当日となる。

 ビアンカは旅装用の足首丈のワンピースに着替えた。編み上げのブーツに、つばが広い帽子を被る。けど、心配したフレイが「夕方や夜は冷えます」と言って、厚手のショールを羽織るように言ってきた。それを羽織り、迎えに来たソーレ公爵家の馬車に乗り込む。中から、チェーロが降りてきてエスコートしてくれる。

 ちなみに、二輌編成だ。一輌目にチェーロとビアンカが乗り、二輌目にはフレイ達が乗った。


「ビアンカ、ソーレ領までは片道で四日は掛かるが。宿屋に泊まりながらだから、そんなに気負わなくていい」


「はあ、そうなんですか」


「まあ、俺は御者や護衛達と相部屋になるから。君はゆっくり休んでくれて構わないよ」


「分かりました」


 ビアンカは素っ気ない返答をしたが。チェーロは気にする素振りはなく、すぐに普段のように無言になる。馬車が走り始めてからは車輪の音や馬の蹄の音、二人の息遣い以外は静かな時間が流れた。


 ビアンカはため息をつきたくなる。チェーロの態度が婚約したばかりの頃に戻っているからだ。最初は彼もビアンカに笑いかけたり、普通に接していた。それが徐々に冷淡なものに変わっていったのはビアンカが十六歳になってからだ。確か、デビュタントの夜会で父や母と一緒に出席した辺りだったか。

 その時に、偶然にもいとこのスティーブ・ブレンダ侯爵子息と再会した。久しぶりだったので会話に花を咲かせていたら。酷く不機嫌そうにチェーロはしていた。彼はスティーブを睨みつけていたのは覚えている。

 それくらいしか、ビアンカには浮かばなかった。チェーロが冷たくなった理由がだ。

 窓からの景色をぼんやりと眺めるのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白き雨が降る 入江 涼子 @irie05

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画