繫ぐと結ぶ
増田朋美
繫ぐと結ぶ
やっと涼しくなってきて、これが本当に秋だなと思われる気候がやっとやってきた。カールさんの店である、増田呉服店にも、袷の着物を欲しがる人が、少しずつ増えてきている。
その日も、カールさんが、商品である着物を売り台の上に出したりして整理していると、店の入口のドアに設置されている、ザフィアチャイムがカランコロンとなった。
「こんにちは、いらっしゃいませ。」
と、カールさんはお客さんを出迎えた。手伝いにやってきていた杉ちゃんが、
「ご来店は初めてか?」
と聞いた。
「すみません。私は、上村順子と申します。こちらは姉の上村詩織です。ご覧の通り男顔で毎日悩んでいますので、着物を着れば女らしくなってくれると思い、連れてきました。ぜひ、女性らしい柄をご伝授願います。」
そう言いながらやってきたのは、二人の女性であった。確かに、上村順子さんと名乗った女性は、長髪で、いかにも女性らしい顔つきをしているが、もうひとりはショートヘアにメガネを掛けて、確かに男性と間違われそうな顔をしている。
「はあ、確かにこれじゃ男顔と言われても仕方ないや。まず初めに、髪はショートで、それにただTシャツとジーンズじゃ、ちょっとカジュアルすぎるわな。」
と、杉ちゃんが言うと、
「そうですよね。一緒に温泉に行けば必ず男性用の鍵を渡されるし、保育園に子どもを迎えに行けば、姉ではなくパパと間違えられます。あたし、恥ずかしくって。なんとかなりませんか?」
と、順子さんは言った。
「そうですか。わかりました。それではこちらの方から、いくつか質問させてください。上村詩織さんと言いましたね。まず初めに、なんの着物を着たいのか、明確にしてもらわないと困りますので、どこへ着ていきたいか、お伺いしてもよろしいですか?」
とカールさんは言った。
「それが全く初めてで、何を買ったら良いのかわからないのです。」
順子さんが言った。
「ちょっと待て。今、お前さんに聞いているんじゃないんだよ。お姉さんの詩織さんに聞いているんだ。どこで何を着たいのか、ちょっと言ってみてくれ。」
と、杉ちゃんが言った。
「それをはっきりしてもらわないと、うる側も困るんだ。着物は場違いが一番怖い。もし、変な着物を着てしまって、着物のおばあちゃんに、ちょっと何を着ているのなんて叱られるほど、嫌なものはないからね。」
「うーんそうですね。姉を女性らしくしてもらうことはできませんか?」
順子さんが代わりに答える。
「僕はお前さんではなくて、お姉さんに聞いているんだがねえ。お姉さんの詩織さん。お前さんは、着物を着たいという意思はあるか?あるんだったら、どこへ着ていきたいか、ちゃんと言ってみな。それを明確にしないと着物は、着られないんだよ。」
と、杉ちゃんに言われて、姉の詩織さんは、なんだか返事を考えているようであるが、ちょっと苦しそうで、返事に困ってしまった顔をした。
「はあなるほど、そういうことか。それで通訳に妹さんを連れてきたというわけか。失礼だけど、耳は聞こえてるんだろうな。」
「ええ、それは大丈夫です。聞こえすぎているくらい聞こえていると思います。」
と、順子さんが答えた。
「そうか。それなら、一度に一気に言ってしまうと、大変だと思うから、一つ一つ聞いていくぞ。着物を、普段のくつろぎ着としてきたいのか?」
杉ちゃんに言われて、順子さんはやっと理解してくれたらしい。杉ちゃんの問いかけに、
「違います。」
と答えてくれた。
「そうか。じゃあ、どこかへ外出着としてきたいのか?」
杉ちゃんがもう一度聞くと、
「そうです。」
と答える。
「じゃあ、外出する場所はどこだ?」
改めて聞かれて詩織さんは、
「山奥のお寺。」
と答える。カールさんはそれを手帳に書いてしっかりメモをとった。
「そこで何をしに行くんだ?」
杉ちゃんに遠回りされて質問されて、詩織さんはやっと、
「写経会。」
と答えた。
「わかりました。つまり、お寺で行われている写経会に着物を着ていきたいので、その着物を選びに来たわけですね。それでは、そのお寺で、本尊さんつまり、阿弥陀さんや、観音様は人前に現れますか?」
カールさんができるだけ口調を落としてそう聞いた。詩織さんはこたえが出るのに時間がかかるタイプらしい。少し考えて、
「人前に現れるとは?」
と言った。
「ああ、つまりだな。お寺にもよりけりだけど、観音様や阿弥陀さんがおいてある、お寺もあるよなあ?」
と、杉ちゃんが言うと、
「あります。」
と詩織さんは答えた。
「お前さんが、写経会に行ってる寺は、観音様や阿弥陀さんは置かれているのかな?」
もう一度杉ちゃんが言うと、
「あります。みんなの前に。」
ということは、本尊さんが設置されているお寺だということがわかった。
「そうなんだね。実は、着物というものはね、本尊さんより派手にしては行けないという決まりがあるんだ。だから、綸子みたいなキラキラ輝く生地は、本尊さんの前では着てはいけないわけよ。例えば、こういう感じのやつね。」
杉ちゃんは、綸子の色無地を彼女に見せた。綸子というのはどこをさしても美しく光る、有名な生地である。
「地紋のみが光る、紋意匠ってのも避けたほうが良いな。だから、全く光らない、一越というやつを選べ。ここまで理解してくれたか?」
「どうして、だめなんですか?」
上村詩織さんは聞いた。
「本尊さんが着ているものは、木彫であろうと、キラキラ輝く服装であると、仮定されているから、人間がそれより美しくなっては行けないのさ。」
ここはどうしても、わかってくれない人もいた。宗教というものから、離れてしまう若者が多いというか何と言うか。そういうところは、仏様を信じている人でなければ理解されないことも多い。
「そうなんですね。私、まだ仏法を習って少ししか経っていないので、阿弥陀様のことはよくわかりませんが、阿弥陀様より人間が美しくなっては行けないということはわかります。だって私は、阿弥陀様や観音様に生かされているのですから。」
「それがわかってくれれば大丈夫。じゃあ次は着物の種類の説明をするね。まず、写経会に行くときは、柄のまったくない色無地か、細かく全体に柄が入った江戸小紋などがおすすめだが、色無地は、使い方が難しいので、江戸小紋を着ると良いと思う。こんなふうにだな、全体に、隙間なくびっしりと、小さく柄が入っている着物が妥当だろうね。」
詩織さんの発言に杉ちゃんは、すぐ言った。するとカールさんが、売り台から江戸小紋を出してくれて、
「江戸小紋の有名な柄として、鮫、通し、行儀がありますが、それ以外の柄を入れた言われ小紋というものもございます。こちらの小さな点を入れたものが鮫小紋。そして、この花がらが、言われ小紋です。」
と言って、彼女の目の前に赤い鮫小紋の着物と、赤い花がらの言われ小紋をおいた。基本的に若い女性であれば、たとえ最上格は鮫小紋であると言っても、言われ小紋を欲しがる人が多い。鮫小紋のような柄は不人気であることが多いのであるが、
「わかりました。私、鮫小紋にします。」
と、詩織さんは言った。順子さんが思わず、
「お姉ちゃん、せっかく可愛くなりたいって言ってくれたんだから、鮫小紋は少し地味すぎるのでは?」
と言ったのであるが、
「いえ私は、鮫小紋が好きです。ちゃんと、本尊さんの前にも立つのだし、鮫小紋で行きます。」
と、詩織さんは言った。
「じゃあ、そうしようか。次は帯を買ってもらうことになる。帯は、着物が地味な分、派手にしないと年齢に合わない。袋帯か丸帯が良いだろうね。」
と杉ちゃんが言うと、カールさんはすぐに袋帯を何本か出してきた。
「多分、写経会という、日本の神聖な会に参加するのですから、古典的な松とか梅などが良いでしょうね。これなどいかがでしょうか。おすすめできますよ。」
カールさんが出した帯は、緑色に、金で松の柄を刺繍した袋帯だった。
「でも、こんな豪華な柄高いんじゃ?」
詩織さんがそうきくが、
「いえ大丈夫です。古典的な柄は人気がないことが多いので、こちらは、1000円で大丈夫です。」
と、カールさんはすぐに答える。
「良いんですか?」
と詩織さんが言うと、
「はい、着物も1000円で、帯も1000円ですから、2000円で大丈夫です。」
カールさんはサラリと答えた。
「あとは、長襦袢や腰紐などもありますけれども、それは、着るようになってから揃えれば良いものだし、ここで全部買う必要もなく、通販などでも買えますよ。」
「そうなんですか。呉服屋さんっていうと、いろんなものを無理矢理買わされるイメージあったんですけどそうでもないんですね。」
詩織さんはそう言った。
「まあ誰でも、そういうイメージ持ってますけどね。だけど、それのせいで、着物の本当の良さが伝わっていきませんからね。だったら、僕は、他の買い方も否定しないでおすすめしてるんですよ。」
「そうですか。それなら安心して買えますね。じゃあ、この赤の鮫小紋と、緑の帯をいただいていこうかな。お願いできますか?」
詩織さんがそうきくと、
「はい、2000円で大丈夫です。」
とカールさんは言った。詩織さんが、その通り2000円支払うと、カールさんは彼女に領収書を渡した。
「ありがとうございます。じゃあ他に必要なものが出たら言ってください。とりあえず、今回は着物と帯を買っていっていただいてありがとうございます。」
「いいえこちらこそ。」
と詩織さんは、にこやかに笑った。そう笑ってくれる顔が、初めて女性らしく見えた瞬間だった。
「お前さん、笑うと女性らしく見える。そうすれば風呂屋で男性用の鍵を渡されることも減るよ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「はいありがとうございます。この着物は大事にしますから。絶対大事にします。」
と、詩織さんは言うのであった。妹の順子さんは、ちょっと嫌そうな顔をしていたけれど、杉ちゃんたちは止めないことにした。
「それではお品物はこちらでどうぞ。」
カールさんは詩織さんに、紙袋に入った着物を渡した。
「ありがとうございます。」
と詩織さんはそれを受け取った。そうして、また店の入口のザフィアチャイムがカランコロンとなって、二人の女性は店を出ていった。
それからしばらくして、また増田呉服店の店の入口のザフィアチャイムがカランコロンとなる。
「はい、いらっしゃいませ。」
カールさんがまたいうと、今度は一人の女性客がやってきた。
「あの失礼ですが、ここで着物を売っていると聞いたものですから。」
と女性は言った。
「はい。そうですが、なにか買いたいものというか、欲しいものはありますか?」
カールさんが聞くと、
「ええ。実は、娘の学校行事に着ていきたいと思いまして。二三日したら、娘の授業参観があります。なので、そのときに着ていきたいと思いましてね。」
と、その女性は言った。
「はあ、お前さんの名前はなんで言うんだ?」
杉ちゃんが聞くと、
「成田と申します。」
女性はそういった。
「娘さんの授業参観に着ていきたいということですが、娘さんはおいくつなんですか?」
カールさんが言うと、
「はい、小学校の1年生です。」
と答える。40代くらいの女性なので、遅い子というやつだろう。
「そうですか。どうして着物を着て授業参観に行こうと思ったんですか?」
カールさんが聞くと、
「ええ、実は、前回の授業参観のときに、娘にきれいな格好をしてくるようにと言われました。そのときは洋服で参加したんですが、周りのお母さんたちが、みんなきちんとした格好をしていて、私だけ一人浮いてしまったので、学校から帰ったあと、娘から罵倒されてしまいました。」
と、成田さんは答えるのであった。
「二度とくるなって怒鳴られてしまったんです。あんな怒った娘を初めて見ました。そういうわけですから、私も美しくならなければならないと思ったのですが、何しろ、ずっと機械屋だったものですから、高級な洋服を買う余裕もなく、それなら、着物を着ればいいと思いまして、こさせていただきました。」
「そうですか。それはお辛いですね。そういうことなら、着物も、あまりカジュアルすぎるものではなくて、ある程度フォーマルな感じのほうがよろしいでしょうね。そういうことなら、訪問着はいかがですか?こういうふうに、肩と、袖と、下半身に大きな柄を入れてあるのが訪問着です。」
と、カールさんは、訪問着を一枚出して説明した。
「そこしか柄が入っていないんで、見分けは難しくありません。あとは素材のことなんですけど、テカテカに光る、綸子の訪問着では、学校行事では少々、仰々しい場合がありますので、一部だけ光る紋意匠か、全く光らない一越をおすすめします。」
「そうですか。私、着付けというか、着るのにあまり自信がないので、できれば洗える着物というものはございませんでしょうか?」
と成田さんはカールさんに言った。
「ああ、洗える着物ですが。でも、それですと、人が集まるところには向いていないと、主張する方もおられますので、正絹のほうが安全だと思いますよ。」
カールさんは、ポリエステルの着物の現状を言った。確かに、洗えるということは、とても魅力的な着物なのだが、着ると静電気が発生するとか、体になじまないなどの理由で、受け入れられないことも多いのが洗える着物である。そこら辺をもう少し正絹に近づけるように改良してほしいがそれはしないらしい。
「まあ、着物と言うのは、人になにか言われるのが一番怖いからね。そのためにもみんな正統派の正絹にするよね。」
と、杉ちゃんが言う。
「人に言われるのは慣れていますのであまり気にしませんが、娘にきれいな格好できてねと言われたのは、気になります。」
成田さんは、母親らしくそんなことを言った。
「なので、洗える着物でも大丈夫なんですが、娘に可愛くないと言われるのは困ります。なんとかなりませんか?」
カールさんと杉ちゃんはちょっと考えて、
「じゃあ、こちらはいかがでしょうか。東レのシルックというブランドの着物ですが、これであれば、見かけも正絹に近いですし、わざと、変な現代風の柄を使用していませんので。」
と、一枚の紺色の着物を差し出した。柄は、大きな黄色いゆりの花の柄。あまり古典的ではないけれど、女性の美しさを引き立てる柄である。
「これであれば、娘に罵倒されることはないのでしょうか?」
成田さんはそう聞いた。
「ええ、あとは着方の問題です。きちんと衣紋を抜いて着ることになれば、娘さんも納得してくれると思いますよ。」
カールさんは、そう言うと、
「じゃあ、こちらを購入してもよろしいでしょうか?おいくらですか?」
と成田さんは言った。
「はい。1500円で結構です。」
カールさんがそう言うと成田さんはそれを差し出した。カールさんは、領収書を書いて彼女に渡し、紺の訪問着を、紙袋に入れて、彼女に渡した。成田さんはありがとうございましたと言って、店を出ていった。
それからまた数十分立って、店の入口のザフィアチャイムがまた鳴った。
「いらっしゃいませ。」
と、カールさんが言うと、また女性が一人来訪した。今度の女性は、若い女性で、ちょっと悲しそうな表情をした女性だった。
「はい。なんの着物をご入用ですかね?」
カールさんがそうきくと、
「あの、どれがほしいっていうわけでもないんですけど、この店にあるもので、かわいいなと思ったものを買っていくことはできますか?」
と若い女性はそういった。
「そいつは困るな。着物ってのはいつどこで誰が何をどのようにどうしたが、本当に、大事だからな。」
と杉ちゃんが言うと、
「いえ、具体的に何処か用事で出かけたいとかそういうわけではありません。ただ、着物を着てみたくて。暇なときでいいから、数時間だけでも着物を着ていたいんです。」
と彼女はいう。
「お前さん、なんか訳アリか?なにか着物に対して、こうなりたいとか、そういう気持ちがあるのかな?」
杉ちゃんがそうきくと、カールさんが選ばせてあげましょうといった。彼女は、売り台にある着物を一つ一つ出して吟味し始めた。杉ちゃんたちも本来であれば、これは小紋、これは訪問着などいちいち説明をするのであるが、それは辞めておいた。
「あの、こちらの着物をいただいていいですか?」
彼女は、リメイク用として売り出すつもりだった、唐草文様の赤い着物を取り出した。
「はあ、また、派手なのを選ぶなあ。いわゆる、アンティークと言われるタイプの着物だぞ。それでどっかへ行く予定でもあるのかな?」
杉ちゃんがそう言うと、
「いえそういうわけではありません。ただ、家の中で着たいだけです。強いて言えば、勉強するときとかにきたいかな。」
とその女性は言った。
「勉強って、お前さんはまだ学生さん?」
杉ちゃんが聞くと、
「一度は、働いていたんですけど、会社の人間関係で辞めてしまったんです。だから次の会社を受けるまで、しばらく家に一人でいなくちゃならなくて、その間、とてもつらいから、着物を着ていればそれも和らぐかなと思って。あ、こんな使い方はまずいですか?」
と女性は言うのであった。カールさんも杉ちゃんもこの女性が、社会から居場所を失ってしまっているのに気が付き、
「そうですか。そういうことなら大丈夫ですよ。着物を着て、今度こそ本当に楽しく仕事ができる道を考え直してください。」
と、カールさんは言ってあげた。
「もし、一人でいるのが辛かったら、福祉施設を紹介してあげられるよ。」
杉ちゃんが言うと、
「ありがとうございます。まだそういうところに行ける自信がないので、また必要になれば聞くかもしれません。このお着物いただいてもよろしいですか?」
と、彼女は聞いた。
「はい。大丈夫ですよ。500円で結構です。領収書を書きますので、お名前はなんですか?」
と、カールさんが聞くと、
「野島ゆうなと申します。」
彼女は初めて名乗った。
「わかりました。野島ゆうなさんですね。」
ゆうなさんが500円払うと、カールさんは領収書を書いて彼女に渡した。そして、品物である、アンティーク着物を、優しく手渡してあげた。
繫ぐと結ぶ 増田朋美 @masubuchi4996
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