7: 霞峰

ヨルガミが消え去った森は、静寂に包まれていた。まるで、嵐が過ぎ去った後のような、不気味な静けさだった。深く沈んだ闇の中、響と柚葉は、言葉もなく、ただ立ち尽くしていた。二人の耳には、風の音、木の葉の擦れ合う音だけが、現実感を伴って響いている。


「…いなくなったのか…?」


響は、かすれた声で呟きながら、辺りを見回した。懐中電灯の光が、闇を切り裂くように、木々の間をゆっくりと移動していく。しかし、そこには、先ほどまで確かに存在していた、二つの光の姿はなかった。


柚葉は、深く息を吐きながら、ゆっくりと目を開いた。その瞳は、闇の中でも、不思議なほどに澄み渡り、どこか遠くを見つめているようでもあった。


「ええ…鎮まったわ…」


柚葉の声は、安堵とも、緊張から解放されたことによる脱力感ともつかない、複雑な感情を含んでいた。響は、改めて柚葉の姿を見つめた。白いワンピースの裾は、森を歩くうちに汚れ、所々、木の葉や土が付着している。しかし、そんなことは、どうでも良いと思わせるほどの、神々しさが、彼女を包み込んでいるようだった。まるで、森の奥深くから現れた、精霊のようにも見えた。


「柚葉…お前、一体…」


響は、問いかけようとしたが、言葉を途中で止めてしまった。今の柚葉の姿、そして、あのヨルガミを前にして見せた、彼女の力強い姿を見てしまうと、自分が今まで知っていた柚葉は、一体何だったのか、分からなくなっていたのだ。


「さあ…帰りましょう、響」


柚葉は、何もなかったかのように、いつもの穏やかな笑顔を響に向けると、森の出口に向かって歩き出した。響は、複雑な思いを抱えながら、その背後を、無言で追いかけた。


数日後、響は霞峰を離れる日を迎えた。駅まで見送りに来てくれた柚葉は、いつものように、静かに微笑んでいた。その姿は、あの夜、森の中で見た、神秘的な姿とは対照的に、響の知る、懐かしい幼馴染の姿だった。


「もう…神隠しは起きないだろうな…?」


響は、どこかで、そう信じたい気持ちと、拭い切れない不安を感じながら、柚葉に尋ねた。しかし、柚葉は、何も答えず、ただ静かに首を横に振った。その表情は、何かを言いたげではあったが、結局、柚葉は何も語らなかった。


響を乗せた電車が、ゆっくりとプラットホームを離れていく。窓の外を流れる風景の中に、柚葉の姿は、どんどん小さくなっていく。しかし、響の心の中から、森の中で見た柚葉の姿、そして、あの夜のことは、決して消えることはなかった。


霞峰は、今日も、深い緑の山々に囲まれ、静かに佇んでいる。しかし、その美しい自然の奥底には、今もなお、人知れず、深い闇が、渦巻いているのかもしれない。

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あなたの故郷は、本当に安全ですか? スタジオ額縁 @gakubuchi_1997

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