第6話 西日屋の空

査夜「・・・で、時間が余ったからってウチに来たと。今から学校に行くって選択肢は無かったのか?」


天城「今行っても何してたのか、質問攻めに会うだけだ。それに今日は大事な授業も試験も無いから、このまま休んでも遅れは取らない」


織螺の家を抜けた天城は、半刻足らずで事務所に来ていた。

もう残り二つにまで減った文旦を、更に最後の一つに減らしながら話す。


査夜「・・・でぇ?どうせ行って来たんなら、報告くらいはしてくれないか」


天城「体の中に別の何かが棲みついていた。憑依じゃなく、どちらかといえば共生関係にある宿主と共生者みたいな・・・とにかく変な感じだった」


査夜「・・・ふむ、興味深いな」


天城「それと・・・例の事件の真相も分かったよ」

査夜「何?」


ガタリと机の荷物が落ちる。

彼女が驚いて手を引っ掛けたのである。


査夜「例の事件とは、西日屋の暴行事件か。どう分かったんだ?」


天城「_彼は、体の部位ごとに保持している遺伝子が違うんだ。先天性のキメラ症だろう。被害者の体内から採取された精液と、容疑者の遺伝子検査に使った血液で遺伝子が違ったのは、恐らく骨髄と睾丸が別人なんだ」


査夜「お前・・・それよくわかったな、見て判別できる物じゃ無いだろう?」


天城「・・・腕と足で肌質が大きく違ったし、足の方には不自然な斑があった。これだけなら別の病気の可能性もあるけど・・・さっき話した“内にいる別の誰か”が決め手だ」


査夜「・・・なるほど。先天性のキメラ症候群は、母親の胎内で双生児が片割れを吸収する事で発症する。となると織螺 金剛の中にいたのは・・・」


天城「認知すらされていなかった、彼の双子の兄弟だ。ある意味、水子の霊とも言えるのかもしれないな」


査夜「・・・祓って来たのか?」


天城「・・・」


査夜「まぁ、私はどうでも良いがな。分かってるんだろう?最悪の場合織螺は」

天城「彼にとっては、何も裁きが無いまま生きるのがその“最悪”だよ」


査夜「・・・」


天城「例え今から彼の体質を調べても、最高裁で無罪判決が出た以上、法ではこれ以上彼の罪を糾弾できない。そもそも時効だろうし、有罪判決が出たとしても、老いた彼が逮捕される可能性は低い」


査夜「・・・ふ」


事務所の主人は、呆れたように笑いを溢し、

溜め息と共に背もたれに寄りかかった。


査夜「思い切りが良すぎるんだよ、そこがお前の長所だがな。この前だって四階建ての屋上から飛び降りたんだろう?死にたいのかお前は」


天城「別にそう言う訳じゃ・・・」


査夜「織螺 金剛は確かに罪深い男だろうが、彼も被害者と言えなくも無い。内にいた誰かの暴走で、彼もまた人生を大きく狂わされた。そんな人間に対して、適切な罪を償わせるのは・・・個人の度量と裁量に収まる物じゃ無い」


査夜「哀れな一人の老骨に、十年以上前の出来事の責任を求めるのは・・・酷な話だったんじゃ無いか?」


天城「・・・それは違う。彼の罪は彼の物だ。内にいた誰かも含めて彼だ。どんな人間も生まれた時点で、それぞれの原罪を持っている。多少人と違う十字架を背負わされた所で、それが許される事はない」


天城「それにあのまま放置してたら、また事件を起こすかもしれないだろ?」


査夜「・・・口の回る奴」


「ただいま〜!」


事務室で話し込んでいると、どこからか明るい声が聞こえて来た。

飛龍の物では無い。より高い少女の声である。

扉を開けて入って来たのは、髪を伸ばした女子高校生だった。


「ああ!?何でこの時間にいるのアンタ?」


天城「ただいまって・・・ここはお前の家じゃ無いだろ」


査夜「おかえり春雨、文旦食べるか?」


春雨「あ、食べる食べる。あと何個ある?」

査夜「最後の一個だ」

春雨「は?食べ過ぎじゃない?」


彼女は秋町探偵事務所の三人目の手伝いである。

十日ほど前から部活動の強化合宿のため留守にしていた。

お裾分けされた文旦について、メールで聞いて楽しみにしていたのだろう。


天城「・・・」


もう残りが無いと知り悲しむ彼女を見て、

半分以上一人で平らげた天城は、追求を恐れて静かに逃げた。




自宅に戻った天城は、土間に人の姿を見つける。

不審者では無い。彼の父親、赤峰 赤城である。

天城同様和装に身を包んだ、刃物のような鋭い目付きの男である。


赤城「早いな、早退して来たか?」


彼は天城が秋町探偵事務所を出入りしている事は知っているが、

怪奇現象に関わっているとは知らされていない。

やや放任的だが、息子の趣味を縛る類の父親では無いのだ。


天城「・・・何をしているの?」


赤城「味噌に納豆を落としちまった。勿体無いが、これは処分するしか無いか・・・」


赤茶色のペーストで満たされた壺に、古めかしい藁入りの納豆が落ちている。

納豆菌の繁殖力は、味噌麹を駄目にしてしまう。大事な風味が別物になるだろう。


赤城「早く帰って来たなら、夕飯の仕込みをしておけ。ズル休みなど認めんぞ」


天城「う・・・はい・・・」


赤城「米を買って来る、留守は任せるぞ」


彼が立ち去ると、屋敷は天城一人になった。

台所に立った天城は、手を洗うと冷蔵庫から真鯖を取り出す。

慣れた手つきで三枚に下ろすと、塩で臭みを抜き酢に漬け込む。


バットを冷蔵庫に戻し、交換するように食材を取り出す。

青葱を刻み、油揚げを湯に通し、人参と大根を一口大に薄切りする。

残り少なくなった米を研ぎ、炊飯器に纏めて放り込む。


天城「一汁は・・・お吸い物にしておくか」


豆腐を小さめに刻み、軽く下茹でを済ませる。

茹で汁を入れ替え鰹節を投入し、取れた出汁を炊飯器に注ぐ。

残った分に醤油を足し、火に掛けながら庭の三つ葉を洗って浸す。

溶き卵を流し込み、カニカマを解し入れ、最後に豆腐を戻す。


・・・時間がある時は、時間のかかる手の込んだ料理を作る。

天城にとっては自然な日課である。

彼の舌が肥えているのは言うまでも無い。


天城「・・・後は直前にするのが良いな」


二人で食すには少し多いであろうお吸い物を、

茶の代わりのように湯呑みに注ぎ、自室に戻る。

そして明晰な筈の彼の頭脳は、ここでようやく思い出した。


天城「・・・あ、飛龍に連絡入れてない」




高校生天城、初の欠席から十日後。

織螺 金剛の邸宅前に、一台の軽自動車が停止する。


「織螺さーん、いませんかー?石川ですー」


金剛と同じ老人会のメンバーである。

数日彼から連絡が無かった事で、確認のために訪れたのだ。


天城が訪れた時と同様に開け放たれた玄関口から、

彼が日常的に時間を潰していた縁側へと進み、

石のように静かに横たわる彼を見た。


石川「織螺さん?・・・ちょっと!」


人の人生を破壊した者に訪れるには、

分不相応な程に安らかな最期であった。


傍には封の切られていない一升瓶が置かれ、

濡れた様子のない升がいくつも散らばっていた。




査夜「自然死か」


石川「はい。すみませんねぇ、折角会いに来たいと仰っていたのに・・・」


査夜「いや。あの歳だ、無理も無い」


天城が接触した事を受け、

金剛への取り調べに向かった査夜は、

到着と同時に訃報を耳にした。


石川「それにしても、話を聞きたいと言って、こっちに連絡して来る人はアンタが初めてだったよ。何でそんな二度手間を?」


査夜「昔一悶着ありましてね。ご友人の紹介なら、警戒心も和らぐと思いまして」


石川「もう少し早ければねぇ・・・」


査夜「ええ。ですがまぁ、そんなに大した話をしに来たのでもありませんので。大変な時に来てしまいましたね」


石川「あの人身寄りが無かったから、こっちで葬儀を上げる流れになるだろうけど。まぁー費用が大変だね。遺書でも残ってりゃ良いけんど」


石川「・・・あの人もねぇ、少し前から変だったよ。顔出せない日は連絡くれてたし、会うとビックリするくらい元気でねぇ・・・それがまるで、人が変わったみたいに静かになってさぁ。あぁ、人は死ぬ時ってこんなに穏やかになるんだなぁって・・・」


査夜「・・・いつ頃からですか?」

石川「先週か、先々週くらいからでしょうかねぇ。何か、吹っ切れたようでしたよ」


人の死体はすぐに腐敗する。

火葬は儀式ではなく、公衆衛生のための作業である。

翌日にも彼の遺体は火に焼べられ、彼の体の秘密も闇に葬られるだろう。


その前に、彼を知る老人会の面々は、残された遺書に目を通していた。


“近い内に、俺もお迎えが来る予感がする”

“だからそうなる前に、ちょっと遺書っぽい物を書こうと思う”

“先週、ウン十年ぶりに奇妙な客を相手にしたよ”

“神様の使いかと思うくらい小綺麗な小僧だった”

“あるいはアレがお迎えだったのかね、ははは”

“最初は報いが回ったかと思ったよ、昔相手にした強盗に近い物を感じた”

“ただ、どうやら話をしに来ただけらしいから、酒の席で聞かせてやった”

“思いの外気分が晴れたんで、何か返せないかと思ってな”

“俺が死んだ時、傍に酒瓶が置いてあったら、それをそいつに届けて欲しい”

“ついでに・・・酒は大人になってから飲むように言っておいてくれ”

“そういや、名前も聞いていなかったな。見つからなけりゃ、墓にでもかけておけ”

“苦い記憶を思い出させられたが、体は妙に軽くなった”

“・・・遺産に関しても書こうかと思ったが、俺には相続人がいねえな”

“これじゃただの書き置きだが、まぁ誰も困りはしねえだろ”

“俺は地獄に行くだろう、もう二度と合えなければ良いな”


「・・・以上です」


呼び出されていたスーツの紳士は、遺書もどきを読み終えた。

集まっていた金剛の知り合いの老人達は、聞き届けると解散した。


「なんか変わった遺書だったな」

「俺も今のうちに書いとくかねぇ」


査夜は何故か引き止められていた。

元より時間は取っていたので、拒む事無く耳を傾けていた。


査夜「奇妙な客ねぇ・・・一体どこの誰なのやら」


石川「秋町さんは探偵でしたね?その少年を探して、渡しておいてくれませんかな」


査夜「・・・はーやれやれ、遺産相続は身内限定だろうに・・・まぁ、酒の一瓶くらいなら黙ってりゃ良いだろう。邪魔した詫びだ、請け負った」


石川「ありがとうございます・・・」



その日の夜、天城と飛龍は再び西日屋を訪れた。

本当に霊を祓えたか、改めて確認するために。

訪れた古い温泉宿は、何の怪も発生しない、ただの廃墟となっていた。


屋上から街を見下ろしながら、飛龍は天城を待っていた。

今回は前回とは逆に、天城が下の階を調べている。


天城「調べ終わったよ、異常無しだ」

飛龍「こっちもね。お腹空いたし、そろそろ帰らない?」


天城「心配いらない。父さんも今日は留守だし、ここで食べよう」

飛龍「最初から食べる気で来たんだ・・・」


背負っていた楽器ケースを開き、刀ではなく弁当を取り出す。

赤と緑の二つの箱、それぞれのパーソナルカラーである。


飛龍「炊き込みご飯と締め鯖か、こっちのは何?」

天城「西日屋は鮭が美味しかったらしいから。茹でて解して皮で囲ってみた」


日の丸弁当のように、橙色の円が中央に埋め込まれていた。

続いてポットから味噌汁を注ぎ、冷めない内に器を空ける。


飛龍「美味しい・・・あれ、味噌変えた?」

天城「料理下手なくせに、すぐ気付くよな・・・」


飛龍「で、その治安の悪い瓶は何?」


楽器ケースに一升瓶が入っている。


天城「何か査夜さんに渡されて・・・“酒は大人になってからにしろ”とか言われた。俺ってそんなに不真面目に見える?」


飛龍「まぁ・・・いきなり飲み始めても驚かないかな。大食らいは大酒飲みだ」


天城「俺は体に悪い物は飲まないし、暴飲暴食もしない」

飛龍「本気で言ってる?」


文旦を食べ尽くした口から出たにしては、物覚えの悪い発言である。

二人はしばらく、黙々と弁当を食べ続けた。

遠く地上から虫の声が聞こえて来る中、

月明かりだけを頼りに箸を進める。


飛龍「・・・今日は月が明るいね。中秋の名月って奴?」


天城「西日屋と言うより満月屋だな、周りも建物だらけだし。昔のチラシを見る限り、当時は景色も良かったんだろう。もう二十年くらい早く生まれてたら見られたかもな」


飛龍「そのお酒も合法的に飲めたね」


天城「・・・飲みたいのか?」


飛龍「般若湯って言い張れば大丈夫だよ」


天城「言い張らなくても、未成年飲酒に罰則は無いぞ。大人が勧めるのはダメだけど・・・いや、言い張っても意味無いけど」


彼は「ちょっとだけだぞ」と付け加えると、

瓶の封を開け、何故か一緒に持っていた盃に酒を注いだ。


飛龍「うへぇ・・・こんな味なんだ・・・」


天城「そんなに不味い?・・・何だ普通じゃないか」


盃は一つしか無いので、順番に注いで回し飲む。

飛龍は顔を歪めたが、天城は平気な顔で飲み干した。


飛龍「・・・味に五月蝿いのにソレは飲めるんだ、変なの」


天城「料理に使う酒の風味も、完成した時の味に関わって来るからな。酒気は飛んでも混ざっている。どの酒が料理に適すのか、飲み比べてたら慣れちゃったんだよ」


飛龍「だから般若湯だって」

天城「・・・そこまだ擦るの?」


天城「・・・ああ、ほら、酔わない」


飛龍「?」


少しだけと言っておきながら、

天城は瓶の中身をかなり早いペースで減らして行く。


天城「・・・この前、例の容疑者に会いに行ったんだ」


飛龍「この前?・・・あー、あの欠席。君が珍しいと思ったよ。一人で行ったんだ」


天城「事件の話を聞いて来たんだ。約束だから話せないけど・・・誰も幸せにはならない話だったよ。せめてと思って祓っておいたけど、正しかったのか分からない」


飛龍「君も気にするんだ、そう言う事」


天城「・・・気にしなければ、いちいち怪異も相手にしない」


飛龍「それもそうか。まぁ何をやったのか知らないけど、“祓った”なら君が気負いする事じゃ無いでしょ。死後の霊が現世に影響を与えるなんて理に反するし」


天城「・・・」


飛龍「・・・それでも気になっちゃうなら、一発殴られとく?」


天城「いや・・・やめとく。お前容赦無いし」


飛龍「それが良いよ、君に正しさは必要無い。正解は問題が定まって初めて決定する。模索する者に間違いは無い。遠くの景色は暈けて見えるけど、色が混ざってる訳じゃ無い。選んだ道が正しいかどうかは、間近に迫ってようやく分かるのさ」


天城「・・・」


盃に注がれた不思議な水に、月錦が浮いている。

同じ場所に位置しても、それらが混ざる事は無い。

諸共飲み干したとしても、本物の月は空に残っている。

混ざる事ができるのは、同じ世界にあるモノだけなのだ。


であるのならば、死霊と生者は相容れない。

現世に在らべからざる者を、生きた彼らは祓い続ける。

唯一二者に共通する、心が混ざり合わないように。


天城「・・・飲むか?」

飛龍「いやもう良いよ、僕はどうやらお酒は苦手っぽい」

天城「そうか」


酒瓶を仕舞い、天城は残りの弁当を掻き込んだ。

飛龍は飲んでいないためか、彼より早く食べ終えていた。


飛龍「そろそろ行こうか」

天城「ああ。明日は平日だ」


二人の若き怪異払いは、古びた宿屋を後にした。

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月詠の庭 ふろーらいと @Fluorite414

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