運命との出会い
四月九日。
始業式前日となり、新たな始まりが顔を出しつつあった今日であったが、狩﨑家の居間ではシャープペンで走り書く音が聞こえ、最早沈黙に近しい空間を作り上げていた。そして、そんな静寂を破らんと、メイが叫ぶ。
「もぉぉぉぉ! なんでこんなに課題があるの!!」
悲痛な叫びと共に、万歳をして後ろへ倒れこむ。目の前の課題に嫌気が差して、踠く姿はさながらハムスターのようである。その様子を見かねた託斗は苦笑しながらメイを起こそうと手を差し出す。
「仕方ないでしょ。メイが課題を後回しにするのが悪いんだよ」
「なんで託斗君は終わってるの! なんで誘ってくれないの!」
「……僕、五回くらい一緒にやろって誘ったよね」
図星だったのか、メイは顔から冷や汗を流し、鳴りもしない口笛を吹こうと話題をそらそうとする。このような光景は託斗と楓のお約束となっていた。
メイは成績優秀であり、地頭もよいという非の打ち所がないと言えるような存在であるが、唯一の欠点として課題を後回しにする癖があり、後々に痛い目を見ることになる。
一方で、託斗は平均的な成績を維持しつつ、課題を早期に終えて、余裕があるのだが、結局は楓の補助を行うので、課題を早く終えようが終えまいが関係ないのだ。
だからといって、メイ一人でやらせようものなら、日が跨ぎ、翌朝終えるというリスキーな選択肢を取ったこともあり、徹夜は健康やその他諸々に影響することを考慮して、託斗は監視につくことになった。
「でも、もう十ページもないよ? 頑張ろうよ」
やる気を促すように声をかけるも、苦虫を噛み潰したような顔をしたメイは少しの間を空けた後に手を叩く。
「そうだ! 今日は新作の辛口チキンの発売日だ!」
「そうやって話題をそらしても駄目だよ」
「お願い! 買ったらちゃんと向き合うから!」
子犬の如く瞳に涙を滲ませたメイを目の前にした託斗は特に悪いことはしていないが、罪悪感を感じる。とはいえ、心を鬼にしようと提案を拒もうとするも、一度目にしてしまえば拒むことなど出来るはずもない。
「……はぁ。本当に買いにいったら続きやるからね」
「やったー! 託斗君は話が分かるなー!」
万歳をするメイを前にして、託斗は笑みをこぼす。大袈裟だと指摘するのは無粋であろう。
「準備してくるから託斗君は先に向かっておいてー!」
そう言うと、メイは二階へと姿を消す。託斗はテーブルの勉強道具を一度仕舞い、言われた通りにコンビニへと向かう。
外に出ると強風が託斗を迎え、一度玄関へと戻った後にハンガーラックに掛けていた薄手のジャケットを羽織り、改めて外へと出ていく。
桜の花びらが辺りに散乱しており、一種のフラワーロードと言っても過言ではないほどに無機質な道路に彩りを与えていた。花びらを踏む罪悪感があるのか、託斗は可能な限り避けて歩いていく。その間に幼児に指を指されたので、足早にその場を去る。
住宅街を抜けると、先程まで建物で隠れていた山の頂上が姿を現し、そこには託斗たちが通う高校がそびえ立っていた。
「明日で二年生か……何か実感湧かないな」
頭を掻くようにしていると、行き交う人々の中には「明日から学校めんどくせー」、「明日から高校生だー!」といった意見を友人と交わしている様子からもやはり十人十色のようである。
託斗自身も特段学校が嫌いなわけではない。しかし、進路については負い目を感じている。本来ならば、レベルが一つ上の進学校へと受験する予定だったものの、試験当日に体調を崩したことにより、現在の高校へと進学したのだが、その際にメイは受験校の合格通知を蹴って託斗と同じ高校を選んだのだ。
本人曰く「やはり進学校は堅苦しそうで苦手」と述べていたものの、自身に気を遣ったのではいかという想いもある。とはいえ、それは本人のみぞ知るものだ。あまり考えないように託斗は雑念を取り払った。
「それにしてもメイのやつ遅いな……」
ポケットのスマホを取り出し、時間を確認しようとすると、視界の隅に足が見え、託斗は顔を上げた。
「遅かったね。何かトラブルでも」
託斗は言い切る前に言葉を止める。それもそのはず、そこにいたのは狩﨑メイその人ではなく全く初対面の少年であったからだ。灰色の短髪に牡丹の如き彩りを備えた紅の双眸は見るもの全てを威圧するかのような恐ろしさを持っていた。
「すまない。少し聞きたいことがあるんだが」
少年の声色は何の変哲もない淡々としたものであったが、その奥にはある真意を託斗は何故か汲み取ることができた。
──返答次第ではどうしてやろうか。
喉元に銃口を突き付けられる心地に陥り、じんわりと冷や汗が吹き出す。逃げ出したくなるような緊迫感……喉が異常に渇き初め、声を出すことすら叶わなかった。
その様子を不信に思ったのか、少年は怪訝そうな顔を浮かべる。
「……具合でも悪いのか」
「い、いや! 全然! それよりも僕に聞きたいことって……」
「このようなカードを見なかったか?」
少年は懐から一枚の紙を取り出す。そこに描かれていたのは、太陽に照らされた一人の少年が描かれた絵画のようなものであった。
手を大仰に広げた姿はまるで、何事にも束縛されない自由を象徴せんとする姿には惹かれるものがある。
だが、主題はこのようなカードの所在である。託斗には検討もつかない代物である。
「うーん、すみません。見かけなかったですね」
託斗は申し訳なさそうに頭を掻きながら謝罪するも少年からは訝しげな表情は消えなかった。
「……そうか。邪魔をしたな」
何か思うところがあるのか少年は最後まで視線を外すことなく、その場を去っていった。
ようやく威圧から解放され、呼吸を整える。託斗は自身が不自然な応対をしていないかを振り返る。あれほどの殺気である、もしも疑念を持たれていたら命はなかったであろう。
「託斗君? どうしたの?」
「うわぁ!? め、メイか……よかった」
そんな不安に切り込むようにしてメイが到着する。託斗の驚いた様子に首を傾げるも、気にする様子もなく、目を輝かせた。
「ほら! コンビニいくよ!」
メイは託斗の手を掴むと、一目散にコンビニへと向かった。笑みが溢れる横顔を眺めていた託斗はそんな笑みのおすそわけを受けとると自分も笑みが溢れ、先程の出来事も忘れるように心掛けコンビニへと向かった。
入店するや否や、メイは直ぐ様ホットスナックを取り扱うケースの前に行き、目を輝かせながらレジへと向かう。そんな様子を遠くから見守っていた託斗であったが、輝かしい笑顔から一転、メイの顔色が徐々に悪化しているのが窺えた。
「どうしたの? 体調でも悪い?」
「たたた、託斗君……財布……忘れちゃった……」
──その刹那、店内に不穏な空気が漂う。
既にチキンを取り出した店員、現状無一文な少女、左に同じく無一文な少年といった三つ巴の状況に託斗とメイの冷や汗は吹き出すことを止めない。
「お客様? どうかされましたか?」
二人の様子を察した店員が不思議そうに首を傾げ、袋に積めたチキンを差し出す。こうなればもう返品など不可である。そして、託斗は申し訳なさそうに店員に話しかける。
「えっと……財布を忘れてしまったので、少し取りに戻っても大丈夫ですか……? 直ぐに戻るので!」
「お客様ー!?」
「た、託斗君!? ま、待ってよー!」
託斗はコンビニを飛び出す。自宅からコンビニまでは凡そ十分程度。全速力で向かえば五分と掛からない距離であった。後方にはメイが息を切らしながら追跡してくるも、体力の差があるため、メイを突き放すこと(突き放すのが目的ではないが)など託斗には造作もない。
「ったく。なんで財布を忘れちゃうのかな……まあ、僕も人のことは言えないけど」
自身の不手際も自覚した上で託斗は足を止めずに大通りを抜けていく。しばらくすると住宅街へと連絡する橋を視認し託斗は駆け抜けようとする。速度を落とすことなく、橋に足を踏み入れた瞬間、心臓を締め付けられるような息苦しさが託斗を襲う。
「っ!? か……くる……」
思わず、託斗は減速すると膝から崩れ落ち心臓を握るかのように胸を掴む。無数の針が己の心臓を刺すかのような感覚、今にでも燃えてしまいしまいそうな程の熱が籠っており、託斗はスマホを手に取り、緊急通報のボタンに手を掛けた。しかし、記憶が抜け落ちたかのように先程までの痛みが嘘のように引いていたのだ。
「な、なんだ……今の……」
服の襟を引っ張り、自身の胸部を確認するが何ら異常は見られなかった。吹き出ていた汗も乾き、余計に今の現象に不気味さを重ねていた。
橋の柵を掴み、立ち上がろうとすると、ふと川がが視界に入り、半透明な水面に浮かぶ奇妙な物体の存在に託斗は目を惹かれた。何故かそれは流れに逆らうようにして泳いでいるとも見受けられる。
財布を取りに帰らなければならない。託斗は思考していてもその物体の魅力のようなものに囚われてしまっていた。立入禁止と掲示されている金網のフェンスをよじ登り、川へと着水する。
流れに逆らうように歩みを進め、託斗はそれを取り上げる。
一枚のカードだった。少年が何者にも縛られることなく生を訴えかけてるかのような絵は託斗の心を掌握したのだ。だが、そんな心など忘却せんとする出来事に襲われる。
「え?」
間の抜けた声と共に突如としてカードは眩い閃光を発生させ、辺り一帯を光で埋め尽くす。至近距離の託斗に至っては視界は完全に奪われ、状況確認など叶うはずもない。終わることのない光の世界に託斗は困惑するもそれらを遮断する一筋の声が聞こえてくる。
「······君······たく······託斗君!」
「! め、メイ!? なんでここにいるの?」
「それはこっちのセリフだよ! 川でぼけっとしてて。具合でも悪いの?」
メイが額に手を当てるも首を傾げて平熱であることを確認する。無論、それは託斗自身がよく理解しており、健康体ということは自覚している。だからこそ、先程の現象に対する衝撃が大きいのだ。発言を汲み取るにメイには閃光の件は認識できておらず、託斗だけで完結している事柄であったのだろう。
「財布取りに帰るんだよね? 早く行こうよ。ほら、手貸してあげるから」
「う、うん······」
不可解な現象に襲われたものの、夢か幻と片付けて託斗は川から出ようと、メイの手を取ろうとする。
その時であった。
「――貫け、
二人の間に割って入るようにそれは突き抜ける。その拍子にメイは思わず手を離し、託斗は背中から川に着水する。背中に激痛が走るも状況を確認せんと、託斗は腰を上げようとするが後頭部に鉄の感触を突き付けられる。
「やはりお前だったか。どうりで微量の霊力が滲み出ていたわけだ」
声色は低く何処か軽蔑を感じさせる男性のものであった。聞き覚えがない――と言えば嘘になるが、数分会話した程度であるためその正体に辿り着くのには少しの時間を有してしまった。
ゆっくりと腰を上げた後に振り返ると、そこには託斗の予想通り、カードの所在を問うてきた灰色髪の少年であった。先程よりも目つきは鋭く、その手には一丁の拳銃が握られており、指先は引き金に掛けられていることからも不用意に動けば射殺されるであろう恐怖が辺りを包む。
「おい、さっさと愚者のタロットを渡せ。さもなければ······お前を殺す」
「え」
その言葉と共に引き金は引かれ、銃弾が託斗の頰を掠める。血液が頰を伝う感触が見えずとも認識し、死がこちらを手招きしているということを実感させられる。持ち逃げするつもりは毛頭なく託斗は胸ポケットに収めたカードを取り出そうとする。
が、ここで背筋を凍りつかせる出来事に襲われる。先程までポケットに存在していたカードが無くなっているのだ。穴が空いた形跡もなく、ましてや手に取らなかった記憶もない。
冷や汗が吹き出し、体中に手を当てカードの所在を探るもやはりどこにもなく血の気が引き始める。
「さっさと出せ。何を渋っている。まさか何処かに隠したのか?」
「ち、違います! 本当にここの胸ポケットにしまったんです! 信じてください!」
「ならそこにあるはずだろ。何を言って······」
少年は言い切る前に察し、眉をひそめ溜息を吐く。
「チッ。そういうことか。なら、予定変更だ。お前を殺すしかないな」
「なっ!? ま、待ってよ! 話を!」
しかし、有無を問わずに少年は引き金を引き、弾丸を放つ。銃声に驚き、託斗は仰け反るように体を倒すと弾丸は背後の塀に激突する。少年との距離は凡そ5m程。避けられたのは奇跡と言えるだろう。
体を起こし、託斗は少年に対して顰めた顔を向ける。
「危ないじゃないか! そんなものが当たったら怪我どころじゃ済まないの分かってるよね!」
既に敬語が消え失せ、言葉の節々から怒りが滲み出ており託斗は胸ぐらを掴みに掛かろうとするが、少年は託斗の受け流しその勢いのまま地面へと組み伏せ、銃口をこめかみに突き付ける。
「さっきはどうやって俺の
「ストップストップ! ちょっと待った!」
引き金に指をかけたと同時に一部始終を見ていたメイが深刻な空気に割って入る。
「私が入るタイミングを見計らっていましたけど、取り敢えず話し合いで解決出来ないの!? 初対面の託斗君を信じられないのも分かるけど······そんな簡単に命を奪おうとするなんておかしいよ!」
「君には関係のないことだ。それともなんだ。一緒に殺してもいいんだぞ」
「やれるもんならやってみてよ! 託斗君を殺すなら先ずは私を殺してみろ!」
メイは物怖じせずに啖呵を切ると、少年もそれに応じるようにしてこめかみからメイへと銃口を向け直す。そんな光景に託斗は抵抗しようと藻掻くも組み伏せ方が完璧なのか一切の抵抗も許されなかった。
メイの頰を一筋の汗が伝っていき、決して恐怖なしに
啖呵を切ったというわけではなかったがそれだけ少年の託斗に対する行動が許せなかったのであろう。
少年は顔色を変えず引き金に指を掛ける。
しかし、長い溜息を吐くと同時に拳銃をしまう。
「君の覚悟に免じてこいつを殺すのは勘弁してやる。だが、こいつは重要人物として連行させてもらう」
託斗に手錠を掛けながら淡々と説明する少年に対し、メイは怪訝な顔を浮かべる。
「だったら私も行くよ! あなたみたいな変態不審者に託斗君を任せられない!」
「へん·····たい······だと? と、とにかくだ。部外者の君を連れて行くことは出来ない」
「そこまでですよ。鹿島君」
柔らかな声が二人の間に割って入った。託斗は少年によって踏みつけられた顔を上げ、声の主を確認する。
太陽の舌に咲く向日葵の如く煌びやかなポニーテール、瞳は海を思わせる蒼色。夏を連想させるような少女が橋の上から託斗たちを見下ろしていた。
「望月·····だが、彼女は無関係な一般人だ」
「巻き込んでしまった以上は帰すことも出来ません。それに鹿島君の数々の非礼に対する謝罪も······必要なのでは?」
柔らかな声色からは威圧的でどこか恐怖させるようなオーラが纏っており、流石の少年もバツが悪そうな顔で通信機を取り出す。
「鹿島だ。重要参考人を2名確保。準備してくれ······これでいいだろう」
「はい。じゃあ、彼の手当をするので鹿島君は移動の準備をお願いしますね」
「······了解」
少年が託斗から離れると橋の上から少女は華麗に川へと着地する。思わずその美しさに見惚れた託斗は頰を染め、伏し目になってしまう。
「手荒な真似をしてしまい申し訳ございません。どこかお怪我はありませんか?」
「は、はい! 大丈夫です!」
本当は左足首を軽く痛めているのだが、手を煩わせないように嘘をつく。だが、少女は微笑を浮かべた後に託斗の左足に手を当てると、緑色の光が託斗の足を包み込むと、徐々に痛みが引き始め、その現象に託斗とメイは目を丸くする。
「ふぇぇぇぇぇぇ!? す、凄い! なんかパアって······ま、魔法!? た、託斗君、どんな感じ!?」
「痛みがなくなった······これって······」
「説明は後程。ご足労おかけしますが、とにかく本部までご同行お願いします」
少女の問いかけに対して、託斗とメイは顔を合わせると首肯し、少女たちへの同行を決断する。
「ありがとうございます。申し遅れました、私は望月楓と申します。よろしければお二人のお名前を······」
「あ、天宮託斗です」
「狩﨑メイです! ······あと、あなたの名前も教えて欲しいんだけど!」
メイが指差す方向には少年の姿があり、またしてもバツが悪い顔を浮かべるも目を細め己の名をこぼす。
「······鹿島結城だ。それよりも裏山に戻るぞ」
結城の後を追うようにして託斗たちは足早に裏山へと足を運ぶのだった。
タロット・コントラクター @harunoto
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