約束
あまりに落ち着きがなかったので、ついつい失念してしまった。
シキはのちに、反省した。
お菓子をもらってそのお菓子を食べてからでなければ合体は成功せず、不完全な合体はただただ暴れ回る巨大羊の骸骨になる事をすっかりめっきり忘れていたのだ。
ああまた大目玉を喰らうなあ。
やばいなあ、今後十年間は人間界出禁になってしまうなあ、人間界のお菓子を楽しみに生きてきたって言ってもいいぐらい、人間界のお菓子が好きだったのになあ。
(あ~あ~。変なお節介を焼くんじゃなかった、なあ)
「ん?あれ?どーなってんだ?」
シキは首を傾げた。
心輝が人間の姿のままなのだ。
シキは心輝に肩車されている状態のままだったのだ。
「???おい。おまえ。おい。おいってば」
シキは肩に乗ったまま大きく身体を揺らしたが、心輝に反応はなかった。
そればかりか、心輝だけではなく周囲にも異変が起こっていた。
止まっていたのだ。時間が。
誰も彼も飛んでいる蝙蝠も飛行機も止まっているのだ。
そして、三日月にも満たない、とても細い形をした月の色が、金から深紅に変わっていた。
「何だこれ?」
「可愛くないなあ。小僧。少しは怯えんか?」
「いや。下級種族でも魔界の生物だし。怖いもんなんかないし。っつーか。おまえ。こいつに憑いているのか?」
心輝の肩から下りて前に回ったシキは、心輝を見上げた。
顔も体格も変わらず、雰囲気だけが格別に違う。
深淵の闇。一度触れてしまえば瞬く間に取り込まれ、もう二度と光を拝む事は叶わないだろう。
「っふ。この日は魔界の生物だけが闊歩するのではない。吾らのような霊もまた、闊歩する日なのだ」
「へええ。でも俺初めて見たけど?」
「そうか」
「ふ~ん。こいつどうなってんの?おまえ。殺害する系の取り憑き霊?殺されちゃあ困るんだけど。俺、こいつから菓子をもらう予定だし。そもそも霊って何?」
「すでに死んだ者の事だ。生者には触れる事も話す事も叶わぬ、か弱き存在。だが。時にはこうして取り憑く事ができる。ハロウィンのような特別な日は特にな」
「へえ~。取り憑いてどうすんの?」
「後悔を取り払う」
心輝に取り憑いた霊はそう言うや否や、歯を剥き出しにして、
と、同時に、止まっていた時間も動き出したかと思えば、正もまた心輝に向かって一直線に駆け出した。心輝ではない名を吠えながら。
「人間界では今、跳躍が流行ってんのかあ」
シキはあくびを出しながら、心輝に取り憑く霊と正をぼんやりと見つめたのであった。
身体が痛い。
心輝は腰を屈めながら、コスプレをしている人たちで賑わっている道路をヨタヨタと歩いていた。
「身体のあちこちは痛いし、ヤンキー先輩には泣きながらありがとうって言われ続けたし。いつの間にかヤンキー同士の闘いは終わってるし。もう意味がわかんないんだけど。僕、どうなってたの?あなたを肩車してからの記憶がないんだけど」
「泣くなよ。紳士たる者早々容易く感情を露わにすべきじゃないぞ。常に冷静沈着でないとな」
「ううう。すみません。あ。ここだ。ちょっと待ってて。財布持って来るから」
「ちょっと待て」
一つの古めかしい建物に入ろうとした心輝を呼び止めたシキ。大きく呼吸しては、その建物から数多く多種多様なお菓子の匂いを嗅ぎつけたのだ。
「お。おまえ。まさか。菓子屋の人間だったのか?」
「え?あ?うん。駄菓子屋だけど」
「よし。ここで一番人気の菓子とおまえが好きな菓子を一つずつくれ」
「え?」
ギャングの子にこんな庶民も庶民の駄菓子を献上していいのだろうか。
心輝は躊躇したが、早く菓子を食べないと限界だと訴えられれば否とは言えない。
二階の家に繋がる扉を開いて、階段を上がり、祖母に頼んで一階の駄菓子屋を開けてもらい、シキを店の中に招き入れた。
「これが駄菓子の中で一番人気のポテトフライチキン味。そして、僕が一番好きなパチパチわたがし青りんご味」
「うん。感謝する。いただきます」
「どうぞ」
店の奥に置かれた縁台に座って食べるシキを傍らの丸椅子に座って見ていた心輝。祖母に厄介なもんを連れて来たねえと言われたが、疲労困憊で何を言われたかわからずただうんとだけ言った。
「何だ?眠ったのか。こいつ」
「あんた。魔界の住民だろ?孫を誑かして菓子をせしめたのかい?」
心輝の祖母はシキの前に立ってはシキを見下ろしながら尋ねた。
シキは誑かしてはないと言おうとしたが、思い直して、そうかもしれないと答えた。
「合体して紳士たる振る舞いを教えてやるから、代わりに菓子をくれって言ったけど、邪魔が入って合体できなかったのに、菓子をくれたから。まあ。誑かしたと言えば、誑かしたのかも」
「ふうん。紳士たる振る舞いねえ」
「こいつ。落ち着きないから」
「まあ。否定はしないがね。ふうん。ま。好きなだけ食べていいよ。孫の小遣いからあんたが食べた分を引いておくから」
「………喜んでがっつきたいけど。我慢しておく。約束を破っちまったからな」
「そうかい。なら、来年また来な。孫と合体して紳士の振る舞いを教えてやってくれよ」
「まあ。気が向いたらな」
「ああ。楽しみにしている」
丸椅子に座ったまま眠っている心輝を難なく抱きかかえた心輝の祖母は、じゃあ今日はこれで失礼するよと言っては、二階へと上がって行った。
「ふうん。かっけえじゃん。あのばあさん」
満面の笑みを浮かべたシキは、パチパチわたがしを初めて口にした。
口の中で慌ただしく弾ける様は、まるで心輝みたいだなあと思った。
「しょうがないな。約束を破ったまま別れるなんて、俺の流儀に反する。から」
また来年、な。
(2024.10.31)
ハッピーハロウィン 藤泉都理 @fujitori
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