第1話 屍術師ですが、後宮に入ります①

皇帝復活の儀式から数刻、大陸を制するしんの首都、大瑶だいよう。その最奥に位置する皇帝の居城、昇陽宮しょうようきゅうにある瓊玉けいぎょく様の屋敷の一室に私と、私の実質的な庇護者である家当主・青玄せいげんは呼び出されていた。庇護者とはいってもあくまで名目上の話で、年も近く兄弟のように育った仲なので、雰囲気は相当に気安い。


「青玄……あなた知ってたよね? 私が後宮に入れられるかもってこと」


じろりと私が睨むと、青玄はわざとらしく慌ててみせる。


「え? いや、知らなかったよ! そんなの全然聞いてないし」

「本当に?」

「本当、本当。というか蓮玲れんれいに今回のことを依頼したのもものすごく緊急で、その後のことまで全然話してなかったしさ」


いや、そこはちゃんと話せよ。私の眉間のしわが一層深くなる。


「今、司家が居所を把握している屍術師しじゅつしは私だけなのはわかってる?このまま私がずっと屋敷に帰れないと屍術師の技術が絶えてしまうんですけど、どうするのよ?」

「わかってるって。それは流石に司家として許容できないから、何とか瓊玉様に俺からお願いするよ」

「一刻も早く帰れるように頼んで頂戴ね」


私が三食昼寝付き生活に戻れるように!そう念じてさらにさらに、睨みをきかせるが、ふと青玄が珍しく目の下に大きな隈を作っていることに気付いた。皇帝陛下が一度亡くなったのは昨日の朝方と聞いているが、それから碌に寝ていなかったのだろうか。……とりあえず、文句をいうのはこのくらいにしてあげてもいいかもしれない。


そんなことを考えていると、廊下の方から早足な足音が軽やかに響き始める。部屋の隅に控えていた宮女が重厚な扉を音もなく静かに開くと、瓊玉様が姿を現した。青玄と同じく皇帝が亡くなってからしばらく動き続けているだろう瓊玉様のお顔には、一切の疲労の色がない。艶やかな黒髪はきちんと纏められ、結い上げた髪飾りが揺れる度に微かな音を立てていたが、その響きは穏やかで乱れのない彼女の歩調にぴたりと合っている。私と青玄は慌てて椅子から立ち上がろうとするが、瓊玉様は視線でそれを制され、私たちと向かい合う椅子に腰を下ろした。


「まずは司青玄、司蓮玲よ。この度は大儀であった。皇帝陛下に代わり、わたくしから礼を言わせてほしい」

「もったいないお言葉でございます」


鷹揚な瓊玉様の言葉に、青玄がすかさず返事し、私も慌てて頭を下げる。公主様に直接褒められるなんて機会はなかなかないので、こんな状況ではあるが素直に誇らしい。そんな私の内心を知ってか知らずか、瓊玉様は私に優しく微笑みかけられた。


「早速だが、本題に入りたい。既に聞いていることとは思うが、蓮玲を後宮に欲しい」


穏やかな微笑みをたたえたまま、しかしきっぱりと瓊玉様は私と青玄に言った。


「目覚めたときの様子から、私は皇帝陛下は記憶を失っている可能性が高いと考えている。そうなると当面は事情を知らぬ者の前に皇帝陛下を出すことは難しくなる。そこで、蓮玲には宮女として後宮に入り、後宮の居城にて皇帝の世話をしてほしいと考えておる。力を貸してくれるな?」

「そのことですが瓊玉様。蓮玲は近く輿入れを検討しております。なので、出来れば後宮に入ることは遠慮させて頂きたいのですが……」


青玄、よく言った! 実際、お年頃をやや過ぎた私には縁談の話が何度か持ち掛けられている。色々あってすべて断ってはいるけれど。このタイミングで後宮に入ると婚期を逃してしまうというのは良い言い訳ではないだろうか。


「輿入れとな。して、相手は決まっているのか?」

「いえ、それはまだこれからでして……」

「なら良いではないか。然るべき時に婚期を逃したとしても私が面倒をみてやろう」


選り好みして今まで粘っていたのが仇になったな……。青玄も同じことを思ったのか、恨めしそうな顔で私をちらりと見て、再び瓊玉様に向き直る。


「それはもったいないことでございます。しかし後宮に入りお勤めをさせて頂くこと、本来は生半可な覚悟でできることではありません。本人の意向について改めて確認してもよろしいでしょうか」

「よかろう。蓮玲、どうじゃ。後宮に入って皇帝陛下と私を支えてはくれぬか」


急に発言を求められ、一瞬頭が真っ白になってしまう。そもそもなんで後宮に入りたくないんだっけ?そうだ、私は屍術師だから必要以上に外界に触れて危険にさらされないように、普段は屋敷にこもって暮らしている。屋敷の生活は穏やかで優しくて大好きだ。まさに何不自由もない、そんな日々。そんな日常を手放したくなくて、ずっと変化を恐れてきた。だから縁談を断ってきたし、今だって家から出たくないと駄々をこねようとしている。青玄には屍術師の技術がどうのこうのと言ったが、そんなのは建前だ。正直、私にとっては屍術師なんてどうでもいい。周囲に求められるから、たまたま才能があったから、他にできる人がいないからやっているだけでさして思い入れもない。

にわかに、瓊玉様の求めに応じて後宮に入り、皇帝陛下をお支えをするというのが正しい道ではないかという気がしてくる。瓊玉様は内心を見透かすようじっと私を見つめていたが、私がなかなか話出さないので穏やかな声色で再度私に呼びかける。


「何もずっとというわけではない。皇帝陛下が人前に出られるようなるまで手伝ってくれればよい。その後は望むなら実家に戻れるよう取り計らおう。どうだ?」


その美しく、優しげな……それこそ天女のような面立ちにしばし見惚れてしまう。そして、私のことを『天女』と言ってくださった皇帝陛下のこと、その時の胸の高鳴りのことを思い出した。そして……。


「……は、はい。一時的にということでしたら、お受けいたします」


つい、言ってしまった……。瓊玉様はにやりと笑みを深め、青玄は後宮入りを受け入れてしまった私を見て、わかりやすく慌てている。おそらくちょっと私を困らせようとして私に話を振ったのだろうが、予想外に私があっさり折れてしまったからだろう。当然だ、私自身も動揺している。


「ひ、人前に出られるようになるまで、というのは完全に記憶が戻るまでということでしょうか」

「いや、あくまでも大きな違和感を相手に抱かせることなく振舞えるようになるまでと考えている」

「そのご判断は瓊玉様が下されるのでしょうか」

「そうなるだろうな。……青玄、蓮玲が心配なのはわかるが、私も意地悪をしようというのではない。それはわかってくれるな」

「もちろんでございます」


青玄が口の動きだけで私に「いいのか?」と聞いてくる。いいのか? いいんだろうか……?ふとまた、皇帝陛下の月光のように淡く優し気な印象のお顔が頭の中にふっと浮かび……私はこくんと頷いていた。


「青玄。蓮玲は良いようだが、どうかな?」

「蓮玲がいいというのなら、またいずれ家に戻していただけるということであれば、司家としても異存はございません。謹んでこのお話、請けさせていただきます」

「よく言ってくれた。それでは蓮玲、これから後宮を案内させよう。青玄は昨日からご苦労であった。一度休んでまた私に顔を出してくれ」

「は、畏まりました」


後宮入り、決まって、しまった……。やや呆然とする私に青玄は心配そうに声をかけてくれる。


「蓮玲、ここから一人になるが、本当に大丈夫か? 申し訳ないけど、ここまで話が進んだらあとはなんとかしてもらうしかないぞ」

「た、多分……大丈夫」

「落ち着いたらまた連絡が取れるように瓊玉様にお願いするから、それまでなんとか頑張れよ」

「うん……」


青玄と私の様子を見て、瓊玉様はゆるやかに肩を落とし、美しく整えられた爪で額のあたりに触れ、苦笑しながら眉間をそっと押さえる。


「仲が良いのは結構じゃが、青玄、流石に過保護が過ぎるぞ。……小花しょうか蓮玲を後宮の部屋へ案内してやってくれ」

「畏まりました、瓊玉様」


瓊玉様いらっしゃる以前からこの部屋に控えていた宮女が進み出る。小柄ではあるが瞳には鋭い光が宿り、いかにも仕事ができそうな佇まいである。


「蓮玲、小花は今回の件についてすべてを知る数少ない者である。困ったことがあれば彼女に相談してほしい。逆に、それ以外の者は皇帝の事情について知らぬ者ばかりだ。不要な波風を立てないためにも決して今回のことや蓮玲の力については明かさないでくれるな。あえて言うが、これは命令である」


命令、つまり破ったら罰があるということだ。おそらくはものすごく重い罰が。うっかり口を滑らせないようによくよく気を付けなければいけない。私にできるだろうか……。そもそも皇帝陛下の世話をすること自体が私にできるのか、自分の世話だって満足にできないのに……。


「蓮玲様、それではご案内します」


思考の海に呑みこまれそうになる私を、小花と呼ばれた宮女の声が現実に引き戻す。急いで椅子から立ち上がり、瓊玉様に一礼をして扉の傍にいる小花のもとへ行く。

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皇帝を復活させたら後宮入りさせられました ~屍術死・蓮玲の事件簿~ 天堂 サーモン @salmon-salmon

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