皇帝を復活させたら後宮入りさせられました ~屍術死・蓮玲の事件簿~
天堂 サーモン
序章 皇帝、復活させます
死者を甦らせること―――古今東西を問わず、数多の土地や文化で忌み嫌われてきた禁忌。
死とは誰にも平等に訪れる安らぎであり、それを犯すことは何人にも許されないことである。それは、この国の人間であれば誰に教えられたわけでもなく感じていることだ。しかし、その一方で今この瞬間にも多くの人々が誰かを甦らせたいと願っている。禁じられていたとしても、その奇跡を願わずにはいられない者は後を絶たない。
今、私の目の前にも復活を望まれる死者と死者の復活を
瓊玉様はその白魚のような手で、青白い天成帝の頬を撫でる。暗闇で蠟燭の明かりにうすぼんやりと照らされた二人の横顔は、それぞれつい見惚れてしまうほどに美しい。皇帝陛下が密かに亡くなっていて、その復活を依頼されているという、常軌を逸した状況を忘れてしまいそうになるほどに。
「これが皇帝陛下の
「は、はい」
「本当にできるのか。死者を復活させるなどということが」
瓊玉様が私にそう尋ねた。瞳の内に秘めた鋭さが、気迫となって私を射抜く。美しさと冷ややかな賢さが同居するその視線は、心の奥底までを見通すような鋭さを感じさせる。私は密かに呼吸を整え、言った。
「はい、できます。多少、制限はございますが」
死者を復活させる禁断の術を操るもの―――それをこの国では『
私、
「
私の答えを聞いて、瓊玉様がふっと笑う。張りつめていた空気が少しだけ和らぐ。
青玄というのは
「して、制限とは記憶のことか?」
「はい、復活した皇帝はしばらくの間、過去の記憶がない状態になります。また、それに伴って性格も多少変わったように感じられるかもしれません」
「しばらくの間とは、具体的にどれほどだろうか」
「場合によって差が大きく、正確にはわかりませんが……長いと数年かかることもございます。また、過去には完全には記憶が戻らない例もあったようです」
皇帝が急に数年記憶を失うとしたらなかなか大変な状況とは思うけれど、瓊玉様は特に慌てた様子もなく「数年か……まあ問題なかろう」とひとりごちた。どういう事情があるかわからないが、大丈夫らしい。
「それでは、早速皇帝を生き返らせてもらおうか」
「畏まりました」
改めて、死せる皇帝に向き直る。寝台に体を横たえ静かに目を閉じている様子は、月並みな表現だが眠っているようにしか見えない。青玄がうまく肉体に手当をしたのだろう、なんだかんだ有能な男である。
夜空に溶け込むかのような漆黒の髪に、白磁のようななめらかな肌。まっすぐに伸びた鼻梁は気高く、凛々しく形の良い眉に頬に影を落とす長い睫毛は鮮やか。天が授けた美貌を備えた
すでに反魂の儀式の準備は整えてある。あとは
「天と地の狭間に漂う精霊よ、我が命に従い死者の魂を呼び戻せ。陰陽の門を開き、冥府よりこの者の魂をこの世へと引き戻さん」
精霊のひそやかなささやき声や亡者共のうめき声がそこかしこから起き、空気がざわめく。私が皇帝陛下の額に手を伸ばすと薄紫の光がほとばしり、辺りをまばゆいばかりに照らし出した。
「生と死の契りを越え、再びこの世の光を浴びるがよい。
光は急速に収束し、皇帝陛下の額へとゆっくりと吸い込まれていく。そして、にわかに皇帝の身体全体がうすぼんやりと発光し、それが収まるとあたりには再び静寂が訪れた。
「……終わったのか?」
瓊玉様の言葉に、私は皇帝陛下から目をそらさず頷いて答えた。儀式はいつも通り終わった。あとは目覚めを待つだけだが……。
ふと、皇帝陛下がわずかに指先を動かした。そして広い胸がゆっくりと膨らみ、薄く閉じられた唇から微かな息が漏れると、長い睫毛に縁取られた瞼がゆっくりと開かれた。焦点の定まらぬ瞳が微かに震えている。さっきは死体だったのであまり気にならなかったが、生き返ってみると皇帝陛下の美しさはそのお名前の通り、夜空に輝く月の光のようだ。
「瓊月! 私がわかるか?」
皇帝陛下は視線だけで瓊玉様を見るが、答えない。やはり記憶がないないのだろうか。その瞳には戸惑いの色が浮かんでいた。皇帝陛下の視線はゆっくりとあたりを彷徨いふと、私のところで止まった。心なしか濡れた瞳で見つめられ、鼓動が抑えがたく跳ねる。
「天女……」
「えっ……?」
(てんにょ……天女? いや、私が? 幻聴、かな……)
そんなことを考えているうちに、皇帝陛下の瞳は再びゆっくりと閉じられてしまう。呼吸はしているようなので、眠ってしまったようだ。
「えーっと……術は成功したようですが、やはり多少混乱があるようですね。先にお話しした通り時間はかかるかもしれませんが、徐々に過去の記憶は戻ってくるはずです。お仕えしている青玄がそのように取り計らうとは思いますが、皇帝陛下におかれましては当面はどうぞ安静にお過ごしください」
動揺した心を押し隠し、瓊玉様にそう伝えた。とりあえず無事仕事は終わったのだから、あとは青玄にでも迎えを呼んでもらって屋敷に帰ろう。私は世間から姿を隠さなければならない屍術師の末裔なので、特に用事がないときには屋敷に引きこもって三食昼寝付き生活を送らなければならないのだ。
「なんだかもう自分は関係ないというような口ぶりじゃな」
「え? あ、はい。平時は屋敷で研鑽を積んでおりますので……」
普段は屋敷で猫と戯れて、機敏さを磨いたりしておりますので。
「皇帝陛下の死を知ってしまった者を、
「え? あの、そのつもりでしたが……」
「その皇帝陛下は記憶を失っており、平時とは異なる状態じゃ。つまり、皇帝陛下や
瓊玉様の唇の片端が持ち上がり、美しい弧を描く。にやり、と笑ったその表情には、子供のような無邪気さと、大人の余裕が同居している。……嫌な予感がする。
「蓮玲。貴様、後宮に入れ」
「は……えっ?!」
『嫌です!』そう言えたらどれだけいいことか。どういう身分で後宮に入るかはわからないが、後宮に入るということは、死ぬまで皇帝陛下に使え続けなくてはならないということ。しかも権力闘争に必死な女性たちに揉まれながら。そんなの、屋敷でぬくぬくと育ってきた私に務まるはずがない。
けれど、目の前のこの方はこの国の公主様で、今上皇帝の実の姉君だ。逆らうことなんて、できようはずがない。
(終わった……)
こうして、禁忌を犯す術を操る屍術師の私は、華やかで麗しい後宮に身を投じることになる。重く暗く沈む私の内心とは裏腹に、格子越しに見える空はうっすらと白み始め、柔らかな朝の光が霧のように都を照らしていた。
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