第6話 天へ舞う羽衣
そして、幾日か過ぎていき――
俺は何度目となるか、天空の水鏡の地へときていた。
大きな岩に腰かける。誰もいない、毎回ながら静かなものだ。ここへは度々きている。結衣が去ってから、そろそろちょうど1年経過だろうか。水鏡は空を美しく映し出す。それは、いつもの見慣れた光景だ。
約束通りの桃の果汁が入ったペットボトルの天然水をリュックから2つ出した。いつか会えた時のために、差し入れとしてもってきたけれども飲む相手がいないというのは、寂しいものがある。
ぼんやりとその場で過ごす。水鏡は青色から橙色へと変わりつつあった。いまでも天界で元気だろうか、笑っているのだろうか、と茜色の空を見上げた時に、びゅう、と強い風が吹いた。
ふいに視界を飛ぶ白い布が現れ、とっさにそれを掴もうと思った。俺の手から白い布は易々とすり抜けた。
……見たことがある、あの白い布は。
振り返った時に真後ろに女性が立っていることに気が付いた。
――女性、女性……?
見間違うはずなどない。
白い襦袢、透き通るような肌、一年前となんら変わりない――
「結衣……」
なんだ、いまのは。
いまのは、いま飛んでいったのは羽衣じゃないだろうか。
あれがないと、お前は帰ることができないんじゃないのか。
何してるんだ、なんてことを、とさすがに文句を言おうと思っていたら、上目遣いで俺を睨むように立っている。一年前のデジャヴだ。なぜか、あちらが怒りの優位にいるような、そういった雰囲気で。
「な、なんで怒ってるんだ……?」
「一年間、ずっと考えていたのよ。下界も楽しかったわ、山崎。桃のその水もおいしくて、あなたといるのは案外悪くなかった。会社の人たちだって、いい人たちだし。人間、って捨てたもんじゃないわ」
そういって、結衣は強い瞳で俺を見た。
「私、あなたに……もう一度だけ、会おうと思って」
結衣はゆっくりと首を振る。
「きっと帰るのが惜しくなるから、もし今回いなかったらもう二度と下界へ下りるつもりはなかったの。けど――」
一歩、また一歩と俺に近づいてきた。
「あなたがいると思った瞬間に……」
頬から伝う涙が落ち、水鏡の波紋が増えていった。
「わたしは羽衣を、飛ばしてしまったの。ええ、そうよ……わざとよ」
結衣は俺の手を取って、頬へと添えた。
あたたかな溢れる涙が、俺の手を濡らしていった。
「どう? これで私は二度と帰れなくなったわ……。これは、あなたのせいよ。だから、きちんと責任……とりなさいよね」
泣き笑いをする結衣の頬をそのまま撫でた。
揺らめく風はとうに、遠い山の彼方へと羽衣を遠くに飛ばしてしまって、影も形も見えなかった。
そうでなくとも、俺の視界もぼんやりとして見えなかっただろうし。
つんと鼻の奥に痛みを覚えながらも、俺はただ「ああ」と、小さく頷いた。
【悲報】天女が羽衣をなくしたらしい。 岩名理子@マイペース閲覧、更新 @Caudimordax
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