黄金の左

鍛冶屋 優雨

第1話

私、川上奈緒子は物心つく頃には自分が特別だと気づいていた。


特別って言っても、複雑な公式が理解できたとか、絵が上手いとか、音楽を聴き分けられたとか、何かに才能があったということではない。


私は産まれた時から左手が動かなかった。

身体や神経には異常はないらしいのだけど、左手が動かないのだ。


そして、もう一つ私は、父親が産まれたときからいない。

これは父親が碌でもない男で逃げ出したわけではなく、私がお母さんのお腹にいる頃に、父親が死んでしまっただけだ。


父親は生前はボクサーで、私が知らない外国の映画俳優のファンであり、その俳優が中国拳法のワンインチパンチという技を披露していたのに感化されて、ボクシングでも活用できないかと色々試していた変なボクサーだったらしい。


結局はできなかったみたいだけど、おかげでインファイトからのショートアッパーが得意になってそこそこ人気だったらしい。


たまに懐かしのスポーツヒーローみたいな題名でテレビで紹介されたり、過去の映像が流れたりするのを子供の頃みたりしていた。


数少ないけど、ファンからは父親が好きな外国人俳優の名前から取って「ブルース川上」なんて渾名を付けられて、「俺はまだあの人には及ばない。」なんて言っていたけど、少し嬉しそうだったらしい。


しかし、試合で後輩との試合中に、KOからの昏倒、病院に運ばれたけど意識は戻らず、そのまま他界したという。


子供の頃は、母親は気が弱くなったとき、


「ちゃんと産んであげられなくてごめんね。」


なんて謝ってきたけど、私自身はちゃんと産まれてきたつもりなので、心外な気持ちになった。


別に母親は普段は普通(?)の母親と同じで、気が強く、私が悪いことをしたら、叱ってくれて良いことをしたら褒めてくれる優しい母親だった。


私は子供の頃は、左手が動かない事で特例な保育園かと思ったらそうでもなく、普通の保育園に預けられ、他の子供達と一緒になって遊んでいた。


もちろん、他の子供達とは違うので、同じようにはできなかったけど、母親や保育士は別け隔てなく育ててくれたと思う。


私は子供の頃、保育園に行く前に母親に髪を結んでもらうのが大好きだった。

なんか特別な時間と思えてとても幸せな気分だった。


でも、私は自分が大きくなるに連れて、母親の忙しさが分かるようになってからは、動画サイトなどで片手でも髪を結ぶ方法を検索して、自分で結ぶところをお母さんに見せた。

片手では上手く髪を結べず、綺麗に纏まらずボコボコしていた頭で偉そうにしていた私を、お母さんは誇らしげに褒めてくれたのを今でも憶えている。


お父さんの命日に必ずお父さんの位牌に手を合わせにくる男の人がいた。


小さな頃は、ちょっとこの怖そうなおじさんが苦手だったけど、遺影に写る嬉しそうな笑顔のお父さんに比べて、このおじさんは小さくなって謝っている姿が可哀想に思えて、小学校の低学年のある時、仏壇を拝んで家を出るおじさんに声をかけてみた。


「おじさん。いつもお父さんが死んだ日に来てくれてありがとう。」


私がそう声をかけると、おじさんは泣きそうだけど、嬉しそうな顔をして、


「奈緒子ちゃん、大きくなったね。声をかけてくれてありがとう。」


おじさんは、そう言ってしゃがんで私の目線に合わせてくれて頭を撫でてくれた。


「だけどね。おじさんは君に御礼を言われるような人じゃないんだ。」


するとお母さんが、私の後ろから、

「気にすることはないさ。貴方は何も悪くない。こうしてあの人の命日には必ず仏壇に拝みにくるじゃないか。」


私が不思議そうにお母さんやおじさんを見ていると、お母さんが


「まだ奈緒子には早いかもしれないけど、お父さんの事を教えておこうかな。」


そう言って、お母さんは、おじさんを再び、家の中に招いて、お茶を出す。


「いいかい。奈緒子、このおじさんはね。お父さんの最後の試合の相手だったんだよ。」


おじさんは頷き、


「奈緒子ちゃん、おじさんはね。川上さん・・・お父さんが、最後に闘った相手だったんだよ。それまで優勢だったお父さんに、おじさんの最後に出した悪足掻きのパンチがヒットしてね。お父さんは昏倒、最後まで起きてこなかったんだよ。」


そういうおじさんの顔はとても辛そうだった。


「貴方は何も悪くないでしょ。試合だったんだしね。」


お母さんはそう言ったけど、おじさんは首を振って、


「いや、僕が悪いんです。あの時は負けたくない一心でパンチを放った。それこそ、殺してやるという気持ちもこもっていたかもしれない。そうして放ったパンチで人が死んでしまった。僕はもうボクシングが怖くなったんです。だから僕は選手の福利厚生や健康を第一に考えるようになって、それには学生の頃から、選手本人や育成する指導者が健康や育成に関して留意するように伝えないといけないと思ったんです。」


お母さんは少し微笑んで、


「そうして今や教育現場でも一目置かれる存在になれるなんて凄いわね。」


おじさんは首を横に振り、


「まだまだです。未だに体罰はなくならないし、成績を優先で健康を考えてないトレーニングや練習が実施されているのも事実です。もちろん、少なくはなっていますがね。」


私は、左手が動かないのでスポーツをするなんて考えていなかったけど、他人の事をここまで考えるなんて凄いなと思った。


おじさんが帰って後、私はそれまで聞いてこなかったお父さんの話をお母さんからたくさん聞いた。


お父さんはボクサーのくせに、甘い物や美味しい物をお腹いっぱい食べるのが好きで、私がお母さんのお腹の中にいるって分かったら、自分が試合前の減量中にもかかわらず、お母さんが好きな物や健康に良いものをたくさん買ってきて、自分のお腹がグーグーなっているのにも関わらず、お母さんに食べてと言って、お母さんが食べている様子をニコニコした顔で見ていたお父さんの笑顔を今でも憶えていると言ったお母さんの顔が印象的だった。


お父さんの話を聞いた夜、私に話しかけてくる人がいた。


私とお母さんは同じ部屋で寝ているから、最初はお母さんだと思ったけど、話しかけてくる人の声はお母さんじゃなかったし、何処にも姿が見えないのだ。


「驚かせてすまない。俺の姿を探しても何処にも見当たらないはずだ。だって、俺は君の中にいる。そう、君の動かない左手の中にね。」


私が左手をみるけど特に変わった様子はない。


「俺が居たって、左手の外見は変わらないから安心してくれ。俺はある願いがあってね。その願いを叶えるために、君の左手に宿っているわけだ。だけど、俺がいるせいで産まれた時から君の左手が動かないのを、神様がね、気の毒に思って、こうして俺が自分の名前や正体を明かさない事を条件に少しだけ話しをする事を許してくれたんだ。」


私の左手が動かない理由がそんなことだったなんて!

もう出て行ってと言いたくなったけど、左手に居る存在が申しわけなさそうな声を出すのが、何故か可哀想に思えて、何もいえなかった。


「本当にすまないと思うけど、俺がしたい事は、君にとっても大事なことなんだ。だから、少し時間はかかるけど、君の左手に居させてくれないか?その代わりとは言っては何だけど、俺は君より長く生きているからね。相談にのってあげられるし、話し相手にもなれるぞ。話せるときは、月がでている夜の時だけだけどね。」


私は、何となく左手の存在が気に入ったので、


「分かった。貴方のことは人に言っても大丈夫かな?」


左手の存在は、少し考えるように時間をおいて、


「いや、誰にも話さない方が良いね。君のためにも俺のためにも。

そういうので私は、


「分かった。内緒にするね。」


こうして私は子供の頃の妄想なのか分からないけど、自分の左手に宿った存在と内緒話しをするようになった。


私は小学校の高学年になる頃、近所の子供達から虐めを受けるようになった。


虐めと言っても、私の左手が動かない事をからかってくるだけの事で、

私は自身が物心ついた時から左手が動かないことは当たり前だったので気にしてはいなかったのだけど、相手を蔑む事で、自分が上位の存在だと勘違いするという精神が未熟な子供に有りがちな考え方によるものだった。


私はそんなに気にしていなかったけど、私の左手の事を気遣って給食当番など色々、免除してくれていた先生に対して、


「先生、お気遣いありがとうございます。免除までしてくれなくて大丈夫です。私は他人よりは上手く行かないかもしれませんけど、先生が思っているよりは、出来る事が多いと思いますので、これからは普通の生徒と同じようにして、上手く行かない時に手助けをお願いします。」


こうして、普通の生徒と同じようにしていれば、私が特別扱いされていないということが明らかになり、虐めやからかいは少なくなるだろうと思ってやったら、今度はなんか生意気だと言うことで、中傷されるようになった。


直接的な暴力とかはなかったので、私はお母さんには言わなかったけど、何処からか虐めの件がお母さんにも伝わり、お母さんが、私に確認してきた。


「奈緒子、あなた学校で虐められているの?」


私は頷き、


「私の左手が動かない事をからかってくることが虐めだとすればそうだね。」


すると、お母さんはその時は、

ふーんと軽く流すような感じで、


「奈緒子はなんとも思ってはいないの?」


なんて聞いてきて、


「悔しいけど、私の左手が動かないことは事実だし、先生は気遣ってくれて、色々してくれていたから。でもこれからは違うよ。ちゃんと普通の生徒のようにさせて下さいって頼んだから。最初からじゃなくて、できない時は頼むからその時に手助けをお願いしますって伝えた。」


それを聞いて、お母さんは微笑んで、


「奈緒子はえらいね。左手が動かない事を卑下する必要はないよ。そして、誰かがそれを馬鹿にする権利もないからね。」


そして、翌日、虐めの件を学校に連絡して、相手からの謝罪を求めた。


事を大きくしたくない学校側と相手の親との話し合いの結果、相手側の謝罪で終わり、表面上は丸く治まった感じだった。


相手の子は、相変わらず学校に通っているので、ネチネチと嫌味を言うけど、当人である私が気にしてはいないので、周囲の人達もまたアイツが何か言っている程度で気にはしていなかった。


だけど一人だけ、もういい加減止めろよなんて言って止めてくれる人もいるので、その人にはありがとうと御礼を言っておいた。


中学、高校と成長していくうちに、身体的特徴でバカにすることは良くないと気づいたのか、私に対する嫌味は言われなくなった。


相変わらず、私の左手は動かず、月の夜の内緒話は続いており、


「ねぇ。あなたの願い事ってなぁに?まだ終わらないの?」


私が左手の存在に何百回目のかの質問をするけど、左手の存在は済まなそうに


「そいつは秘密だな。」


と告げてくる。

左手の存在は、自分の正体と願い事だけは絶対に言わなかったけど、私の相談事にはのってくれて、


「私、ずっと同級生だったあの人が好きなんだけど、どうかな?あの人は高校卒業すると大学に進学するって、言っているから告白したほうが良いかな?左手が動かないと嫌われるかな?」


左手の存在はうーんと考える素振りをして、


「うーん。あれだろ。小学生の時からお前を何かと庇ってくれた子だろ?いいんじゃないか?告白するのは自由だろ?」


私は左手の存在に背中を押され(ちょっと表現がおかしいけど)高校を卒業前に気になるあの人に告白してみた。


すると、意外にもその人も私の事を気になっていて、告白を受け入れてくれた。


でも、気になるのは相手の親御さんだ。左手が動かない私にどのような反応をするか、私はお母さんに相談した。


すると、


「相手の親御さんに会いに行くよ!」


私は驚いて、


「えぇ!急に!いきなり告白を受け入れてくれたからって、親御さんまで会いに行くなんて、重い女たと思われないかな!」


お母さんは良い笑顔で、


「何言ってんの!私とあの人の大事な貴女を嫁にあげんだ!お互いに支え合うんだよ!重かろうがどうしようが、本音を聞かせてもらおうよ!」


そう言って、私のスマホから相手の人の連絡先を調べて、いきなり電話していた。


すると、相手の親御さんも私の事を知っていて、


「是非ともお会いして、ご挨拶をしたい!」


との返事が返ってきたのでとても驚いた。


私の恋はトントン拍子に進んで、なんと相手は地元の大学に進学、私は相手の親御さんが経営する会社に事務員として、働きながらの親御さんと同居することになった。


相手の親御さんは良い人で、私が左手を動かせない事を承知していて、正社員として雇ってくれて、経理関係の仕事や簡単な事務作業をすることになった。



私と彼は、彼が大学卒業後に結婚することになり、私は彼の期待に応えるために、料理の勉強(片腕しか動かない人のためのまな板とかもあるので、人よりは遅くなるけど、私は一人でも料理が出来るのだ)したりして、花嫁修行をしていた。


私の花嫁修行は成功したのか、彼とは円満に結婚でき、しばらくしたら子供もできた。


片腕しか動かないので、子育てが出来るか不安だったので、最初、妊活はどうしようか、彼やお母さんや義母さんとは相談していたけど、お母さんや義母さんが、


「「心配しないで、プロの私達がいるからね!」」


なんて二人して言ってくれたので、妊活することになった。

妊活そのものは順調に進み、無事に女の子を出産することができた。


私は子供が産まれたら色々な悩みや相談事をお母さんや義母さんだけではなく、左手の存在にもしていた。


左手の存在は、


「俺は子育てはしたことはないけどな。」


なんて言いながらも結構、適切な事を言ってくれてとても助かっていた。


私は、


「ねぇ。あなたの願い事ってなぁに?」


私が何回したかも憶えていないその質問をすると、


「もう少しだな。」


そう左手が言った。

いつもと違う回答に私がびっくりしていると、左手の存在は少し寂しそうに、


「俺の願い事が叶うのはもう少しだよ。」


そう呟いて、それっきり黙ってしまった。


しばらくして、子供が歩き始めた頃、夫の家で私のお母さんや会社の人達を呼んでホームパーティーを開く事になった。


私は片腕ながら料理の下ごしらえをしたりしていると、娘が外に出たいとグズったら、夫が


「俺が準備をするから、愛莉(娘の名前だ。)と一緒に外を散歩してきなよ。」


お母さん、義父さん達も準備に忙しそうだったので、私が娘と散歩に出かける事になった。


私が家を出ると、どこかで見たような男の人が家の前に立っていた。


新しく入社した会社の人かな?

なんて思って、


「こんにちは。」


なんて話しかけると、


「何で俺じゃないんだよ!何でアイツと結婚してガキを作ってんだよ!」


そう言って血走った目で睨みつけてきた。

その顔を見て私は気づいた。

あぁ、コイツは私を虐めていた奴だ。

最後まで私をからかっていたけど、それは私のことが気になっていたからだったのか。


私が身体を強張らせていると愛莉が私の緊張を悟ったのか、グズり始めた。


その泣き声が気に入らないのか、

目の前の男は、


「やっぱりアイツのガキだな、うるせぇぞ!」


そう言って、愛莉を蹴ろうとしたので、私は自分の身体で愛莉を護る。


「痛た!」


私は男に蹴られたけど、大声を出して人を呼ぶ。


「あなた!お母さん、助けて!」


するとその声で異常に気づいたのか、家族が家から出てくる。


すると男は更に興奮してきたのか、持っていた鞄から包丁を取り出し、


「こうなったら、コイツを殺してやるよ!」


そう言って、私に包丁を向けてきた。

私は自分の身体で愛莉を庇い、

男から目を離さずに、夫に告げる。


「あなた!愛莉をお願い!」


夫が後ろから近付こうとした気配を察知したのだろう。


男が包丁を振り上げ私に近寄ってくる。

すると、私の頭の中に左手の存在の声が響く、


「俺の願い事は今だ!」


すると、動かないはずの私の左手が動き、それにつられるように、身体も動く。


そう、私が昔、テレビで観たお父さんのボクシングの動きだ。

相手の懐に入り、インファイトからの左アッパーは男の顎を捉えて男は倒れた。


私の頭の中に、左手の存在の声が響く、

「俺は死ぬ前に、未来が見えてな。それはお前が娘を庇って包丁で刺されるところだった。俺はこの未来を変えたくてな。左手に宿ったわけだ。今まですまなかったな。もちろん、俺がいなかったらコイツに虐められることはなかったかもしれないけど、お前は今の旦那と結婚する未来だったからな。どうやってもコイツに恨まれていたからな。」


そう言って、左手の存在は、最後に、


「お前を護れて良かった。」


そう呟いて消えていった。

夫と義父が倒れている男を押さえているところをみながら、お母さんが、


「あの人は死んでも貴女を護ってくれたんだね。流石、私が惚れた男だね。」


そう私に言ってニヤリと笑った。

私が、


「今ので分かるの?」


と聞くと、


「何度、リングサイドで、あの人の背中を見ていたと思っているの?さっき動き、あの時、貴女の背中に、あの人の背中がダブって見えたんだよ。」


そう言って、空に向かって、


「ありがとう。」


とお母さんが呟いた。


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