第9話 王弟殿下は革命の女剣士と対決する

 重石を背負いながら山道を全力で十往復し、ウォーミングアップを済ませる。ウォーミングアップのレベルではないが、闘志に燃えるシリルは難なくクリアした。


「マジかよ、シリルちゃん。本当に八百屋の娘なのか?」


 ぜぃぜぃ言いながら赤髪の青年が尋ねてくる。アイゼルが男だよと言ってくれたのに、まだと呼んでくる。


「娘じゃなくて息子ですよ、ジョイさん」


 赤髪の青年――ジョイにそう返した。女の子だと思っていたから本気を出せなかった、なんて言い訳はさせたくない。


 ジョイと剣術と体術の一本勝負に挑もうとしたところで、アイゼルが声をかけてきた。


「シリル、レイとやってみない?」


 レイチェルは木刀をぶんぶんと振り、シリルを見ている。


「レイはここでナンバーワンの剣士なんだ。君の実力を見てみたい。防具はちゃんと用意してるから、一本勝負でどうかな?」


 レイチェルが歩いてくる。シリルの身体に緊張が走る。彼女は強い。ビリビリと殺気を感じる。


「シリル、一本勝負っていうのは殺し合いよ。貴方をルナキシア様を狙う刺客と考えて勝負するわ。卑怯な手でもなんでも結構よ。ガチで殺すから」


 ルナキシア――不快な感情が込み上げてくる。


「じゃあ僕は、君をルナキシアだと思ってやればいいんだね」


 シリルにルナキシアに対する私怨はないはずなのだが、なんとなく今は彼の存在が面白くない。


 愛しのルナキシアを呼び捨てにされたレイチェルはシリルをキッと睨み付けた。


「様か殿下をつけなさいよ! 八百屋が生意気よ!」


 シリルもまた挑発的に笑う。


「君の考えはいかにも貴族のご令嬢だ。王太子と八百屋、どっちが偉いと思ってるの? 八百屋の方が偉い。王族なんて公僕だ。ちっとも偉くなんかない」


 アイゼルが息を呑み、レイチェルがハッとした表情を浮かべた。


「い……言われてみればそうね。でもルナキシア様は貴方より強いわ」


「へぇ……ルナキシアが俺より強いって言いきるんだ?」


 シリルの瞳に冷たい殺気が宿る。レイチェルは強い。もしかするとルナキシアより強いかもしれない。


 互いに身構えた。なぜか周りは訓練をそっちのけで二人の試合のギャラリーと化した。


 審判はアイゼルがやるようだ。観察するような眼差しをシリルへ送る。


(負けられない。死んでも勝つ)


 シリルの感覚は研ぎ澄まされ、周りの声が遠くなる。


「始め!」


 戦いの火蓋が切られた。



◇◆◇



 レイチェルが地面を蹴る。しなやかにシリルへ飛びかかり、胴を目掛けて一閃させる。シリルは剣を受け止めて弾いた。木刀とは思えない衝撃音が草原に響く。


 シリルの手が軽く痺れた。想定よりも打撃が重い。レイチェルは間髪入れずに上段から剣を振り下ろす。受け止めてから薙ぎ払う。レイチェルの殺気の籠った突きが喉元を襲い、シリルはすかさず横に逃げた。鋭い風が刃となる。軽く皮膚を切った。


「そっちからは仕掛けてこないわけ?」


 そう言いながらも反撃の機会を許さず、レイチェルは頭を狙い上段から攻めてくる。シリルは跳びすがって距離を取った。


 レイチェルの動きは無駄がない。仕掛ける早さが尋常でなく先が読めない。


 再びレイチェルが動いた。トップスピードから喉を突いてくる。喉には防具がない。本気で殺す気だとわかる。シリルは身体を旋回させてかわす。シリルも本気の突きを喉に向けた。瞬間、シリルの胴に隙ができた。


「もらった……!」


 レイチェルの横薙ぎがシリルの胴を狙う。シリルは横っ跳びでかわし、地面を勢いよく蹴りあげた。上段、籠手を狙い、下半身を狙う三段攻撃を仕掛ける。すべて剣で受け止められ、今度はレイチェルが後ろへ身体を逃がし、距離を取る。


「貴方、本当に八百屋の娘?」


「それは八百屋を舐めてるということか? 八百屋は王太子より上だ。そして俺もルナキシアより強い」


「ルナキシア様への侮辱、許さないわよ」


 レイチェルは殺気を込めた連鎖攻撃を仕掛けてくる。シリルは必死に剣で受け止め、狙いを定め、雪を蹴りあげた。雪が舞い、レイチェルの視界を遮断する。シリルは高く跳躍した。頭上から渾身の力で振り落ろす。レイチェルは受け止めたが、一瞬の隙ができた。


 胴を勢いよく突いた。レイチェルは後ろに跳んだが、そのスピードよりもシリルの突きが勝る。剣が伸び、軽く胴に当った。レイチェルが体勢を崩す。


 シリルが追撃の横薙ぎを入れ、レイチェルがかろうじて受け止めた。そこへシリルが回し蹴りを入れた。その攻撃は予測していなかったのか、まともにレイチェルの足に当る。レイチェルは雪山に倒れ、すぐに起き上がる。


 シリルはレイチェルが体勢を立て直す前に懐に入り、剣を弾き飛ばした。これで終わりかと思った瞬間、レイチェルの拳がシリルの頬を襲う。剣を失ってもまだ終わりではないようだ。


 レイチェルの足蹴りをギリギリでかわし、シリルは渾身の力で胴を突いたが、レイチェルは瞬間下に避けた。そしてシリルの胴を回し蹴りで蹴る。


 シリルが雪山に転がると、レイチェルはシリルの剣を握る右手を蹴りあげる。手首が折れた感覚がして、剣を落とす。痛みが脳まで駆け巡るが、シリルは怯まずに左拳をレイチェルの頬へ向けて繰り出す。


 かわされると足で胴を狙った。レイチェルはギリギリでかわし、バランスを崩した。


「はい、そこまで」


 アイゼルは二人の間に入った。瞬間、シリルの身体から緊張と殺気が抜ける。


 固唾を呑んで二人を見ていた男達は一斉に感嘆の溜息を突いた。


「シリルちゃんやべぇ……! 戦闘狂のレイと互角の戦い……!」


「マジで八百屋やめてうちに来なよ」


 口々にシリルを囲んで肩を叩いて賞賛する。


 モエカもシリルに頬を上気させて駆け寄ってきた。


「シリル、剣を握ると『ボクっ娘』から『オレっ娘』に変化するんだね! 漫画のキャラみたい! 萌える!」


 レイチェルもゆっくりと起き上がり、先ほどまでの殺気が抜けた穏やかな表情で歩み寄ってきた。


「参りました」


 シリルはレイチェルに頭を下げた。


「……引き分けじゃないの?」


 レイチェルは不満げにそう言った。


「右手が潰れた。利き腕がやられては素手で戦うのも無理だ。僕の負けです」


 それに、うまくゾーンに入れたから互角の戦いができただけだ。実力的にはレイチェルの方が上だ。時間が長引けば長引くほどシリルに不利になる。


「ごめんなさい。貴方があまりに強いから、理性を失ったわ。腕を潰すのはやりすぎだわ。本当にごめんなさい」


 謝るレイチェルに、シリルは微笑む。


 剥き出しの殺意を身にまとった、美しい野獣。それがレイチェルだ。


「僕は大丈夫。本気の君と戦えて嬉しかった」


 シリルは左手に魔力を集め、右手首を治癒する。


「八百屋が治癒魔術使えるの?」


 レイチェルが怪訝な表情でシリルを見上げる。その美しい緑がかった瞳にシリルは吸い込まれそうになる。

 

 なぜあれほどまでにルナキシアへ殺意に近い感情を向けたのか。その理由はもうわかっている。


 この子を手に入れたい。この子と共に夢を追いかけたい。はかない、束の間の恋であったとしても。

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ヒイラギ皇国建国記~その男の娘は革命軍を勝利へと導く~ 路地裏ぬここ。 @nukokoko

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