第8話 王弟殿下は慧眼の力を跳ね返す
レイチェルの想い人にショックを受けたせいか、シリルの酔いは醒めていた。アイゼルのテントへ入り、会釈をする。
「食事と寝る場所をご提供いただき、ありがとうございます」
改めてアイゼルに礼を述べた。
「レイとモエには友人のように話すのに、僕には敬語なんですね」
アイゼルの物腰は柔らかい。荒くれ者をまとめる革命軍のリーダーとは思えない。王子様と聞いて納得がいく気品と知性を感じる。
「なんとなく。僕より年上に見えたので。あの赤髪の方にも敬語で話しましたよ。『僕は男です』ってね」
シリルはアイゼルが十九歳であることを知っている。本当はもっとフランクに返してもいいのだが、ここは年下ぶっておく。
シリルはシラを切ることにした。身分を明かせば、あれこれと詮索されるだろう。手の内は見せたくない。
「確かに貴方はお若く見える。ギリギリ十五歳は過ぎているくらいに見えるかな」
アイゼルはシリルの目をじっと見つめた。その時、蒼い瞳の奥から赤い光が見えた。シリルは息を呑む。その赤が血に見えたからだ。
(吸い込まれる……!)
シリルはとっさに左手を押さえる。少しだけ神力を解放する。シリルの中まで入ってこようとする侵略の眼。シリルの真実を見ようとしている。似たような魔術の技なら知っている。でもこれは魔術とは違う。神力に近い性質のものだ。
パァンッ! と破裂音が頭に響き、その力を跳ね返した。アイゼルは驚きに目を見開いた。
「貴方は……一体…………」
(まだ手の内は見せないよ、オリオン殿下)
今の力こそ、めった刺しにされた後にアイゼルに入り込んだオリオンの力。アイゼルを守護する力だ。
(なるほど。今のは
シリルを守護する猫神の力を借りたから跳ね返せた。普通の人間なら、例え大魔術師であったとしても慧眼の力で見抜かれてしまうだろう。
これまで、この解放軍に裏切り者は出ていないようだ。オリオンはアイゼルを託す人物をこれで選定しているのだ。
「今、なにかしました? アイゼル様?」
されたことはわかっているのだが、またシラを切ることにした。
「…………なぜ、たった一人でここに現れたんです? 貴方の兄上のご命令ですか?」
慧眼が通じなかったからか、アイゼルは最大級の警戒をする目つきでシリルを射抜いた。
「兄は僕に命令なんかしない。こう見えて僕は、八百屋のナンバー2なんだ。ナンバー2には強い権限があるんだよ」
シリルは王宮執政官であり、国王とほぼ対等の権力と権限を保持している。例え反逆を起こしたとしても、国王は一方的に王宮執政官を断罪できない。
「貴方がうちの野菜を買ってくれる人か見極めるよ。うちの野菜はね、変な人には売らないんだ。貴方はこの集落の村長さんなんでしょ?」
天使の微笑みを作りそう言うと、アイゼルは緊張を解いたようにフッと力を抜いて笑った。
「そうですか。僕は肉も好きですが、野菜も大好きなんですよ。美貌にはやはり食物繊維が大切ですからね」
そう言ってアイゼルは笑った。
「さぁ、寝ましょう。大丈夫ですよ、僕は今の貴方に危害を加えることは絶対にないですからね」
アイゼルは先手を打ってシリルにそう言ってきた。そのまま寝袋にくるまって、シリルに背を向ける。やれるものならやってみろ、と言われている気分になってきた。
「おやすみなさい、アイゼル様」
そう言ってシリルも横になる。
なかなかの胆力だな、と感心した。シリルが神力もない生身の人間だったら、意図が掴めない相手と一晩を過ごすのは怖くてムリだ。
(神力もない状態で、もし、アイゼルと同じ立場だったとしたら、僕は立ちあがるだろうか)
王子と言う
そこまで考えて、シリルはとても悲しい真実にぶち当たった。
(そういや、僕。友達いないな……)
眠ったようで眠れない夜を過ごす。気がついたらテントの外が明るい。そっとテントを抜け出した。
今日は晴れている。明るい太陽が地平線の上から登り始め、雪に覆われた白い草原を
そんな雪の草原を、軽装のまま剣を振るう少女がいる――レイチェルだ。無駄のない、しなやかで、かつ、華やかな剣舞のようにも見える。
そんなレイチェルを見て、ふと記憶が
それは、先日手に入れた、ナルメキアが起こした暗殺計画の証拠となる音声だった。第二王子の肉声が収められたそれには、暗殺の動機についても語られていた。
ナルメキア王太子の元婚約者であるレイチェル嬢がカグヤ王太子のルナキシアのファンであった。彼女はルナキシアのブロマイドを集め、それに激しい嫉妬をしたナルメキア王太子がルナキシアに殺意を抱くようになった、というもの。
あくまで第二王子が「兄はこう思っているに違いない」と勝手な推測を語ったに過ぎないのだが、登場した「レイチェル」は彼女なのではないかという気がしている。
女性の名としてはそう珍しくもないが、ルナキシアのファンという共通点がある。
(とすると、彼女はナルメキア王太子の元婚約者か。王太子の婚約者に選ばれるとなると、公爵、侯爵、伯爵クラスの家柄かな)
そう考えると、彼女の持つ気品と、彼女が家に抱いていた息苦しさもわかるというものだ。
朝日を浴びながら雪山で剣を振るうレイチェル。彼女の令嬢時代の息苦しさは、親兄弟と祖国を裏切り、反逆者になった方がマシと考えるほど、耐えがたいものだったのだろうか。
今の彼女は自由だ。しかしそれと引き換えに失ったものの方が多いだろう。
彼女は永遠に祖国には戻れない。家族、友人とも会えない。いつ命が消えてもおかしくない。殺戮と茨の道。
「シリル、起きるの早いのね」
シリルに気付いたレイチェルが声をかけてきた。
「貴方、昨日すごい酔っ払ってたわよね。覚えてる?」
レイチェルの笑顔が眩しい。気取った令嬢の微笑みではなく、素のレイチェルの笑顔だ。
「実はぜんっぜん覚えてないんだ。変なこと言ってた?」
全部覚えている。九割本当の身の上話も。
五男、六男を殺したのは事実だ。自分の私怨だけではない。
彼らは愚かで軽率だった。弟である第七王子が国王に選ばれたことについて、周囲に不満を漏らしていた。
キャッツランドには外国からも
それに加え、二人は王族でありながら臣下と国民を下に見ていた。爵位の低い家柄の令嬢を
演技力の高い貴族の子弟を選定し、甘い言葉で兄達をそそのかし、謀反をけしかけた。国の主だった幹部で仕組んだ茶番。その中心にいたのがシリルだった。
秘密裏に行われた会議では「そこまでしなくてもいいのでは」という意見もあった。それをすべてシリルが論破し、退けた。
冷酷なシリルに、臣下達が怯えた視線を向けてきた。兄殺しの弟というレッテルが、シリルのこれからの人生に付きまとうだろう。後悔は一切していない。
後悔はしていないはずなのに……兄達の「シリル、すべてお前が仕組んだことか!」という断末魔の怒りの声が耳から離れない。消えないシリルの罪。一生背負っていく業。
「貴方、カグヤ王国の麗しいルナキシア王太子殿下の悪口を言ってたわ」
レイチェルはからかうようにシリルを見上げた。身長は少しシリルの方が高い。
「誰それ。八百屋の僕には、外国の王太子殿下のことなんてわからないな」
そう言ってとぼけた。朝食前の訓練時間ということで、テントから次々と屈強な男達が現れた。
「シリル、君も参加してみる?」
テントから出てきたアイゼルがシリルに提案してきた。
「僕達の訓練はとても厳しいんだ。みんな剣客揃いだしね。君に怪我させるといけないから、無理にとはいわないけど」
実力の半分も見せてはいけない、挑発されたらできないふりをし、プライドは捨てる。昨日の反省点だ。しかし、シリルはあえてその反省を棚にあげた。
アイゼルはシリルの正体を見破っている。
(見せつけてやる。南海の雄と呼ばれた国のナンバー2の実力を)
シリルはそっと、兄から預かったおまもりペンダントをアイテムボックスへと仕舞った。本来の実力で勝負すると決意した。刻印も今日は封印だ。
「どこまでついていけるかわかりませんけど、参加してみようかな」
愛らしいと言われる笑みを浮かべ、アイゼルにそう返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます