ソラとウミ
水面に映る孤月
ソラとウミ
周りには何もない。ただ、他よりもほんの少しだけ立地がよくて海が見渡せる高台、それが殺風景なこの場所を表す唯一の表現である。そんな高台の先端、切り立った崖のようになっている場所には一人の少女が海を見つめながら立っていた。木々もなく、鳥もおらず、果ては海があるというのに魚もいないこの場において、広がる海の荒々しい波音以外に音を発せられる特異な存在の少女は、ただ沈黙を守るのみだった。
「視てるんでしょう?コソコソしてないで出てきなさいよ。」
終に、静かな時間に終止符が打たれる。少女はいつの間にか体を陸地側へと向けていた。その声は確信を抱いているかのようにハッキリと、大きな声で発せられたが、その眼はただ何もない虚空を映すばかりだ。
「ダンマリなのね……まぁ別に結局のところ、やることは変わらないもの。」
少女は再び陸に背を向ける。その様は先ほどとほぼ変わらないが、違う点が一つだけあった。それは背を以前よりも伸ばしていることであり、そのために空気が緊迫感に包まれているかのように重たい点である。
「……唐突だけど聞きたいのよね。あなたはこの世に神がいると思うの?」
今度は背を返さず空に向かって問いかける。しかし、周囲を満たすのは波の音のみで、その問いに返される意味のある言葉はない。本当はここにあるキャストは質問に対して肯定することも否定することもできるかもしれず、質問の答えも既にこの場所で存在しているのかもしれない。しかし、少女からそれを観測する術が用意されていないのであれば、それは答えがあるという状況にはならないだろうが。
「これにもダンマリなのね。まぁいいわ。なら少し愚痴にでも付き合いなさい。そのくらいはいいでしょ?あなたの時間が減るわけでもないだから。」
「……一般論では、神なんて抽象的なものを信じているって人は宗教的なものを除けば少数よね。実際、私の学校でも信じてる人は少なかったわ。……でも、私はそれを信じてる。」
「そんな神の中でも、都市伝説としてよく取り上げられるのは死神ね。実際にどんなことをする神なのかについては意見が割れてはいるものの、総じて人に死を与える神様ってことは共通してる。まぁ、読んで字のごとくね。」
少女が紡いでいた言葉に混ざって、カラスの「カーッ」という音が響き渡る。今までに無かった音によって静寂を破られたことで、予定調和として捉えられていたものがそうでなくなったことで不快な空気、湿っぽい空気が隙間風のように過ぎ去る。こんなときに限って波音は静かで、この場における海としては不都合なほどに清涼感を漂わせてさえいた。
「ちっ……興が醒める。まぁいい。私が神、特に死神の存在を信じるようになったのには理由がある。ただ、それを話すにはまず私の妹の話をしなければならない……話す気なんて、無かったはずなのにな。」
「私には三歳年が離れていた妹がいたんだ。いや、今日で四歳かな?いや、正直それは別にどうでもいいんだ。私には妹がいて、それがこの話に関係してるということが重要なんだ。」
「続きを話すぞ?その妹が小学校を卒業しようというときに、体調が優れない時期が続いたために近くの病院に罹ったんだ。そこでお医者さんから告げられたのは、『ただの風邪』ということだ。それで様々な薬も処方されて、妹はちゃんとそれを飲んでいた。私や両親、本人であるはずの妹さえも、この話はここで終わりだと思っていた……」
静かな海とは違い、風は徐々に強くなる。太陽は高く高く昇っているが、その光を十全に受けていると言い切れないほど空気は冷たく、乾燥している。雲一つない澄んだ青空がどこまでも広がるこの状況において、その空は全てを突き放すかのような残酷さを秘めていた。
「だけど、話はそこで終わらなかった。そりゃそうか。終わらなかったからこそ私が今ここに立っているんだからな……話が逸れたな。進学先の中学校で行われた入学式を終えても、妹の体調は一向に改善の兆しを見せなかった。それどころか、日に日に体重が落ちたり顔色が青白くなっていたりと悪化すらしていた。それで私たちは別の、もっと大きな病院に妹を連れて行った。俗にいうセカンドオピニオンってやつだな。」
「その病院を受診するなり、妹は色んな検査をやらされてたよ。採血やらエコーやら……CT?MRI?だったかな、なんかよくわからない機械で体を見る検査もあったっけ。まぁとにかく、その体では考えられないくらいに多くの検査をさせられたとわかってくれればそれでいいわ。約半日以上に渡って検査室を行ったり来たりしてへとへとになっていた私たち家族のもとに、夕方にもなってやっと看護師さんが来て、全員診察室に通された。診察室の扉を閉めて、沈痛な表情をしていた医師の前に座った。」
「医師が開口一番告げてきたのは『余命半年』という言葉だけだった。」
少女を中心に空気が
「もちろん、最初はそんなことなんて信じなかったさ。ただ、その後も少しずつ弱っていって、それがもう致命的なくらい痩せ細ったあの子の姿を見たときに、これは現実なんだなって悟ったさ。そのくらいから妹は緩和病棟に入院することになったんだ。馬鹿げた話だろう?でも、本当にこれは過去にあったことなんだ。」
「入院してから一ヶ月、宣告を受けたあの日から数えても二ヶ月とない日の夜に、いきなり病院から電話が来たんだ。あのときのことは忘れようがないよ、夕食を食べてたときで、電話を取った親が血相を変えて、みんなして車に乗って大急ぎで病院まで向かったあの日のことは。」
「いわゆる
先の支配者であった少女の背中は、今となっては哀愁すら感じさせるほどには寂しいものへと変わっていた。悲しみを、悔しさを、無力感を全身で表現し、そのことを受け入れたくないという意思をすべてに突き付けている。ただ、この状況にあるものはそれが響かない故に、ただの雑音としてしか処理されない。いつの間にか、頂点に君臨していた太陽は既に波が荒くなった海に半身を隠している。
「そしたらさ、あの子は私の手を握り返してくれたんだ。氷のように冷たい手でね。一瞬だけど、意識を取り戻したんだ。そのおかげで、私はあの子にさよならを言って、心の中で再会を誓えたんだ。」
「妹はそれから数時間後に、先に天へと向かったよ。きれいな顔に初めてのお化粧もして、白い着物を着て、年相応じゃないくらい美しい体で送り出した。それが、家族にできた精一杯だったからね。」
「長く話したけど、これが私と妹のどこにでもあるような小さな不幸の話よ。私はそれを小さなものとは思っていないからこそ、ここにいるのだけれど。ただ、残念なことに大半の存在にはそんなことは無いでしょうね。」
既に太陽は空に無く、空にはきれいな星空が浮かぶ。どこまでも進んでいけそうな空とは対照的に、辺りは薄暗さを増して閉塞感が漂い始める。また、海は太陽が出ていたときとは打って変わって底なし沼のような不気味さを見せており、波音が半刻前よりも静かなことがそれを一層意識させる。その中で、少女は一歩先へと進んでいた。
「だから私は神を信じてるし、配慮してくれた死神さんに感謝すらしているのよ?これで本当に私の話はおしまい。付き合ってくれてありがとね。」
次に視たときには、既に少女の姿はそこに無かった。しかし、他は何も変わってなどいない。空も、海も、人も、もちろん神でさえ。そこには確かに欠けたものがあるはずだが、それはもはや存在したことすらも嘘であったかのように、何も変わってなどいなかった。
変わらず、見上げるウミはすべてを突き放すような残酷さで。
変わらず、見下ろすソラはすべてを飲み込むような不穏さで。
ソラとウミ 水面に映る孤月 @Minamo_Creation
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