酒処 辰  ~剣豪は異世界で美味しいツマミを作る~

蒲焼龍魚(かばやき・りゅな)

第0話 剣豪、死す。

 雨が、降っている。


 拙者の目玉に。


 閉じることは、叶わぬ。


「ああ、死ぬのだなぁ」


 声が出た。ということは、これほどまでに滅多刺しにされていながら、肺腑は無事だということであろう。まったく、間抜けな刺客共よな。


「まだ……死なぬか」


 情けない話よな。


 剣に生き、剣に寄り添い、いつしか剣とともに剣に死のうぞと思いこんで、そしてようやっとかなったその望みを果たしたのは、人間を好き勝手に滅多刺しにするだけしておいて、とどめを刺し忘れるような間抜けであったとは。


「駒は、助かったろうかな」


 数日前、たまさかめぐり合うた女郎。


 西陣屋敷、太夫町、幸前屋のお駒。


 すっと小股の切れ上がったいい女で、胸乳ふくよかで柔らかく、なのに手弱女柳腰、三十路の道に入ったばかりの匂い立つようなしっとりとした体で……京都見廻組のなんとかいう男を間夫に持つ、女。


「無粋よな、京の男は」


 あまりにいい女だったゆえ、三日と開けずに通い詰め、さて今宵もこれからじっくりと布団を温めてやろうとしたその時。たまさか登楼してきたその間夫に、あれこれ因縁をつけられるに至った。


 その挙げ句、別になんの思いも腹に抱えておらぬのに、突然に「朝敵である」として追われる羽目となった。


 なぁにが朝敵か、佐幕めが。


 と、思うたものの結局は女とられての腹いせ。


 瞬く間に仲間をかき集められ、追われ、そして囲まれた。


 駒と、ともに。


 そして思った「これは、ある意味好機よな」と。


「なぁ、駒」

「はいな」

「ゆけ」

「は?」

「この願ごうてもない巡り合わせ。わしを残して一人でゆけ」

「で、でも……それではあまりに」

「ああ、よい。きっとそなたは助かるさ」

「でも、主様は」


 ああ、死ぬるわな。


 京都見廻組といえば、それなりの手練れの集まった侍の屯。逃げるときに見た数は、そのすべてが達人とは言わないまでも十を超える人数であったように思う、ならば。


 存分に楽しんで、閻魔に土産話の一つもできよう。


「打ち漏らしはあるまい」

「ならばともに」

「馬鹿を言え、今宵二つ夢が叶うのだ」

「夢?」

「ああ、一つは剣を交えて剣で死ぬること」

「もう一つは」


 そう童女のように小首をかしげた駒の耳元に顔を寄せる。


 そして、鬢の後れ毛を数本口に咥え、えいやとばかりに、そのままひと思いにに引きちぎった。 


「いたい」


 駒の可愛い声を聞き、それを小指に結びつけた。


「すまぬな、しかし」

「しかし?」

「これで、女のために死ぬる覚悟ができたわい」

「え?」

「なぁに、それがな」


 もう一つの夢よ。 


「ゆけ、彩花亭に座敷が用意してある」

「あ、鮎……」

「そうだ、楽しみにしておったのだがな」

「で、ではご一緒に!」

「馬鹿を申すでない、逃げれるものではないは、それに」

「それにな」


 これで。


「夢が、叶ったわ」


 ……ったくなにが夢が叶っただ。


 京都見廻組と聞いたから期待したものの、十のうち七までがさっさと斬られたかと思うと、こちらにとどめを刺す間もなく、野犬の足跡に怯えて逃げていきおった。


 あれは、どうせ、寄せ集めのごろつき。


 いやそもそも、あの間夫が見廻組かどうかも怪しいもんだ。


「はぁこんなことなら駒と二人で逃げればよかった」


 逃げおおせておったな、あやつらからなら。


 で、そうなれば。


「駒の身体と……彩花亭の鮎飯」


 その、どちらも滑らかでふくよかで、洗浄的でありながらも香しい香気を放つだろう旨そうな白身を思い描きながら、小指に結わえてあった駒の髪を、引きちぎるように咥え直した。


 ふっと、駒のいい匂いが鼻腔をくすぐる。


「鬢の後れ毛は、よう匂うわい」


 そのとき、くぅぅぅ、と、腹が鳴った。


 すると、そのせいか、いきなり身体の力がガクッと抜けた。


「は、はは、は、はらが、へったわ。け、剣も女も腹の虫さ、えも、飢え渇いたまん、まか、よ」


 口の端に咥えた、駒の後れ毛が、すっと地に落ちた。


 そして、その直後。


 世界はぐるりと回り。


 わしは。


「ここはどこじゃ」


 何故か見たこともない世界に、転生を果たしていたのである。

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