恋のゆくえ
「寝ちゃったね」
「助かるのです。連日のお仕事でお忙しいのに、ティルのお世話まで……」
宿屋に戻ると外で遊んでいるティルに出会った。彼に誘われてセレカとティルが泊まっている部屋に案内される。そこでしばらくティルと遊んだ。
「あの絵本は、イヅルさんが1から書いたものなのです?」
「はい。かつて、
「なんとまあ。素晴らしいですわ」
セレカが優しく笑う。ティルを眺めるときと同じような目で僕を見る。
静寂がやってきて、その間に彼女の手のひらが僕の手の上に重なっていた。
けれど、僕はララと駆け落ちする。そのことを彼女に伝えなければならない。
「あの、セレカ」
「なぁに?」
心臓が止まりそうになる。今のセレカは、あの少女感を残したままティルと懸命に向き合う母親ではなくて、まさしく1人の女性だったから。
「……なにもない」
「イヅルさん」
セレカの目はトロンとしていて、それは絶対ティルには向けられることのない瞳。
重ね合った手の、指と指が絡み合う。彼女のもう片方の腕が、僕の肩におかれる。
「……2人目、欲しい」
僕の人生初めてがようやく訪れようとしている。目をつぶる。なにも見えなくてもセレカが至近距離へと顔を近づけるのが分かる。手と腰みたいに、唇にも
あれ?
来ない。いつまで経ってもセレカは来ない。
目を開く。そのときようやく気づいた。手のぬくもりも、腰に回されていた細い腕も全部なくなっている。
セレカは青白い顔をして震えていた。
「セレカ……?」
「うそ、そんな、やだ……」
怯えているセレカは元のイメージの少女そのままだ。さっきの大人をまとっていた彼女はどこにもいない。
「セレカ、どうしたの?」
「くさい……」
「えっ」
「タバコの……タバコの匂いがする。……あの人と同じ」
「ちょ、それは」
「ずっと、上品の香りのする方だと思ってましたのに」
僕は思わず自分の腕を嗅ぐ。たしかにタバコの匂いがする。仕方ない。さっきまであの3人と一緒に酒場にいたのだから。それにずっと上品な香りがするのはヒメリの部屋を訪れていたからだ。なんだか悪いことをしている気になった。
「どうしても喫煙者は無理なのです。元の主人を思い出して……」
「違う、セレカ」
言いかけてやめた。さっきまで飲んでいたというのなら、魔物を狩って働いていたという僕の設定はどこにいく。
「イヅルさん。ごめんなさい。これだけは、どうしてもダメなのです。ごめんなさい……」
しきりにセレカは頭を下げて、ティルを起こす。眠気まなこのティルの腕を掴んで、部屋の出口へと向かった。僕はなにも考えられない。
「さようなら……イヅルさん。私、別の幸せを見つけます」
「ねえ、セレカ、待って。……セレカ!!」
細い腕からは考えられないような勢いでドアが閉まる。
1人だけの部屋で、僕はひたすら自らにまとわりついた副流煙の香りを嘆いた。
◆
宿屋を出て酒場にUターン。この時間ならまだ3人はいるはず。
「あ、やっぱ戻ってきた」とクロアが呟いた。僕はまだテーブルに残されていた飲みかけのビールを飲み干す。炭酸が抜けてて
「みんな、タバコはやめよう!」
3人が一斉にこちらを見る。
「イヅルってやっぱり変だよな」
「ロムスに言われたくない」
「で、急にどうしたのだ? 一緒に旅することをやめた相手に向かって禁煙を願うなんてな」
「一緒にいる人も臭くなっちゃうから!」
「今更すぎない?」
「この場ですぐにやめれば数ヶ月後には効果出るよ!」
「そうかもしれねえけど、俺らもう旅やめるんじゃねえの?」
「またするかもしんないじゃん!」
「なんだそれは」
「もしかして〜、イヅルくん惚れた子に振られちゃった〜?」
「うるさいッッッ!!」
馬鹿にされたので僕は叫んだ。酒場が静まり返る。
「あああああああ!!」
女性の悲鳴のような声が響く。見るとララだった。足元にガラスが飛び散っている。
「ララ、大丈夫!?」
「来ないで!」
「えっ」
「イヅルさんは……そんな人、じゃ、ないと思ってた。結局、お酒で、
「違うよララ。これは
「やっぱり私は不幸な女……。好きになった人も、お酒に溺れて、私はこの街から出られない……」
「ねえララ、聞いて」
「やだ。聞かない。……私もいつか、さっきみたいに叫ばれる。怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い。だから、もう、さよなら」
「ララっ……!」
僕は、酒場にいる大勢の前で壮大にフラれた。
「えっ、あの可愛い店員さんがイヅルの? めっちゃ可愛いけど性格に難ありそう……」
「人間若いうちの経験が価値観を形成するものだ。彼女にも何かあったのだろう」
「イヅル羨ましいぜ……」
黙って僕は3人と同じ机に座る。
「おや、パーティリーダーの帰還か」
「お時間をください。明日1日で、今後のことを考えます。どうかお許しを、クロア様・ロムス様・ソフィー様」
「都合のいいやつだねえうちのリーダーは」
「俺はいつでもお前が戻ってくるのを待ってるからな!」
まだだ……。まだ僕には、ヒメリがいる。
◆
翌朝。
鏡で自分の顔を見る。肌が荒れてるなあって思う。旅で滅多にお風呂に入れないから仕方ない。ロムスとソフィーとクロアはこの世界の出身だから、旅をしてもずっと肌が綺麗だ。そういうのは羨ましい。ヒゲも脱毛とかしたいなあ。
「何やってんだイヅル?」
ヒメリに会いに行くために自分の顔を確認していたら呼ばれたのでビックリした。
「えっ。ロムス今日は早起き……」
「だって、旅が終わるかもしれねえんだろ。寂しくて、呑気に寝てる場合じゃねえぜ」
「ごめんロムス、僕のせいで」
「いいってことよ。俺も今まで散々助けてもらったからさ。クロアだって厳しいこと言ってるけど、あそこまで指摘してくれる奴なかなかいねえぜ。なにより、お前が席を立ってからは旅が終わること嘆いてたしな。……あっ、チクったこというなよ? 殺される」
「あはは……」
宿屋を出ると、入り口にソフィーが立っていた。
「おはよう。ソフィー」
「ああ、イヅル。どこか行くのか」
「ちょっとね。ソフィーは?」
「知らないのか。寝起きのタバコが一番旨い」
「そか……」
「イヅル。キミが今からなにをするのか知らないが」
ソフィーはわざと僕の方に煙を向ける。こいつ昨日のこと面白がってるな。
「クロアからのアドバイスだ。『初速の大きい乗り物は、その最高速になれないまま運転するから、事故りやすい』」
「……は?」
「そのままの意味だよ」
「クロアがそんな難しいこと言ったの?」
「クロアの言い回しは感情的でスピリチュアルだから私には理解できない。だから私なりに翻訳して彼女の言葉を伝えた」
「そ、そう。……ありがとう。参考に? してみる」
ソフィーと会話しても、ララやセレカと会話しているときのような感情は一切湧いてこない。ただ、とても落ち着く。
◆
「そう。やっぱり魔王を倒したいのね」
この匂いを嗅ぐとヒメリのことしか考えられなくなる。ただ、僕だって
「魔王を倒せば、僕はいくらでもヒメリに会いに来られます。だから、それまで待ってくれませんか。……ヒメリと一緒に居たいのは、事実だから」
「ふふっ。本当に素敵なことを言ってくれるわね。もっと好きになっちゃう」
やばい、そんな目で見られたら何も考えられなくなる。
「僕らだけが幸せになっても、それは一時的なもので、世界平和をもたらしたほうからの方が、長期的な目線でみて絶対に幸福だし、その方が論理的だと思います。その場の本能に従わずに、理性で動きたいっていうか……」
「あたしが本能のまま動いているみたいじゃない」
「あ、いや」
また偉そうなことを言ってしまった。論理だとか理性だとか。あのタバコの煙にまみれていたからに違いない。
「そうね。でも、何度もイヅルに言われたように、あたしには王女として足りていないところがある。……し、それに、イヅルも、真面目なことばかりで、もうちょっとあたしに甘えさせてくれてもいいのに、って思うけど」
僕はヒメリに見せる顔がない。
「お互い、一度距離を置いてみましょう。あたしはイヅルに指摘されないような王女になって、イヅルは旅しながらもっともーっと素敵な男になる。これでどうかしら?」
「は、はい……」
距離を置こうと言われると経験のない僕は不安になる。……大丈夫だ。たぶん。信じろ、ヒメリを。
「それじゃ、イヅル。最後にこれだけ」
彼女はベッドの下から金髪のウィッグを取り出した。
「ヒメリ……これは?」
「あたしね。本当はもっとはっちゃけている方が好きで……規則が厳しいから、男性経験はないのだけどね。だから、夜は、こう、こんな羽衣も脱いで、ありのままのあたしになりたいっていうか。髪を染める訳にはいかないから、そういうのを楽しむためにこれをずっと隠してたの。……いつか、イヅルともそういう風に暴れられたらいいけど」
「えっろ」
やば。声に出た。僕の中のあらゆるセンサーが反応した。
「……。しばらくこれは使う機会がないから、持っていてくれない? これで、あたしのこと、いつでも思い出して」
ヒメリは、王女として、あくまでも上品に微笑んだ。こんな彼女が金髪になって羽衣を脱いではっちゃけるなんて……。
「速攻で魔王、倒してきます!」
僕の魔王討伐モチベーションは爆上がりした。
念願の異世界転生チートを獲得したのに、出会った仲間が変態すぎて冒険がまともに進みません。 @s-uam-a
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