桃栗三年柿八年

コシヒカリ白米

桃栗三年柿八年

『むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。

おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。

おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきたのです。』


「柿太郎。おまえも何かを為すべきために生まれてきたものなのよ。」

それが柿太郎を育てたお婆さんの口癖だった。名は梅という。背骨が曲がり、濃い隈。厳格なお婆さんだ。

柿太郎はいつも決まって、

「はい。」

と答えていた。おばあさんを喜ばせたかった。しかし心の中では、何をすれば為せる人間になれるのか全く分からなかった。柿太郎は桃太郎と同じく川から流れてきたが、柿から生まれた。お婆さんも優しさを全く見せない。

桃太郎が鬼を倒したのは五年前だ。柿太郎だって鬼を倒せるくらいの実力は秘めているはずなのに、何もすることがない。

鍛えてもいないのに筋肉質な体、手入れもしていないのに整った顔立ち。すべて世間で騒がれている桃太郎と同じだ。

それなのに、目標がない。自分がいる存在意義がない。

困った柿太郎は先人の知恵として、桃太郎を頼ろうと思った。

――六十九里離れている桃太郎のいるところまで行こう。

思い立ったら即行動の所も桃太郎と柿太郎はそっくりだった。

***

柿太郎は二日間旅をした。ほとんど飲まず食わずで桃太郎のいる山の近くの町までたどり着いた。町は活気に満ちていた。市場では人々が楽しそうに買い物をし、子供らのはしゃぎ声がした。桃太郎のことを聞くと、

「あの方は素晴らしいお方です。」

町人全員が口をそろえていった。いや厳密には一人だけ、それを否定した。

「桃太郎のどこが素晴らしいんだ?」

その者の名は栗太郎。小説家をやっているらしく、体は細いというよりがりがりであばら骨が浮き出て見えた。鷲鼻の持ち主だ。

「旅の者。栗太郎は川から流れてきた大きな栗から生まれたのに、なにも為せなかったんでさぁ。桃太郎と同じ五年前のあの日、同じ川で流れてきたのにねぇ。」

町人のその言葉に、桃太郎は少し安堵していた。何かを為す人間だといわれて行動している自分とは違って栗太郎は何もしていない。期待もされていない。

 ――自分も、何も為せなかったらどうしよう?

桃太郎の屋敷は山の中腹にある。周囲は美しい庭園となっており、屋敷の中はわびさびを意識したものとなっていた。調度品一つ一つが作りが繊細で丁寧だった。

「お客人。そなたも川から流れてきた果物によって生まれたそうだな。なるほど、確かに雰囲気が世人とは違う。」

背後から声を掛けられ慌てて振り向くと、目の前には普通の男が立っていた。中肉中背。だが、口ぶりから察するに、この家の主だろう。

「あなたが桃太郎さんですか?」

柿太郎が問う。非常に凡庸そうな男、もとい桃太郎はそれを肯定した。

柿太郎の心は希望と失望に揺れ動いた。彼が本当に鬼ヶ島に行って鬼を倒し、無辜の民を救った英雄なのだろうか?

桃太郎と数分、言葉を交わしたが柿太郎は彼から知性も風格も感じ取れなかった。

柿太郎はこの数分間で憧れが崩れ去ったようなのを感じた。

狐につままれたような気持ちで、屋敷から出る。無力感を感じたまま、とぼとぼ歩く。

 ――自分は何をしているのだろうか?何も得られなかった。このままでは為すべきものには程遠いではないか。

「おい。」

端的な言葉とともに、桃太郎の着物の裾が引っ張られる。そこにいたのは栗太郎だった。

「言っただろう。彼奴 ――桃太郎は人に尊敬されるような人間でもなければ、武力のある人間でもない。ただ、強い猿と狗と雉に守ってもらっただけの凡夫だ。」

淡々と桃太郎をこきおろす栗太郎に柿太郎は眉をひそめた。柿太郎が普通の人間に感じたとはいえ、桃太郎が伝説の存在であることは確かだからだ。

「もしやすると、動物を無条件に引き付ける、類稀なる御仁なのかもしれないぞ?」

「絶対にない。」

断言する栗太郎は言葉をつづけた。

「おまえ、桃栗三年柿八年って知っているか?」


桃栗三年柿八年


桃や栗は植えてから三年で実をならせるが、柿は八年またないといけないということわざだ。

「僕は、川から流れてきて八年たった。でも何も為せてない。それはあなたにも言えることではないか?」

柿太郎は栗太郎の言いたいことがこれっぽっちもわからなかった。そんな柿太郎を栗太郎は感情の読めない目で見ていた。

「なぜ、桃太郎が有名になったと思う?近い島の鬼を倒した庶民が。だれがその功績を世に知らしめたと思う?」

柿太郎は栗太郎の職業を思い出した。

 ――小説家。

彼が小説で、桃太郎のことを世に広めたのだ。栗太郎は為していたのだ。庶民の活躍を彼の小説は全国まで知らせたのだから。

柿太郎は何も為していない自分が、情けなく思えた。

「大体、彼奴にそんな魅力があるものか。」

そうぶつぶついう彼は、桃太郎と喧嘩するほどなかが良いとか、そういうたぐいにしか見えなくて。


柿太郎には友人がいない。


柿太郎は孤独ではないか?なんでも一人でできたから何もいらなかった。なにも必要としなかった。何かを為すこと。そのためだけに生きてきた。

しかし、実情は?

自分の実力を過信して、ただ何もせず怠惰に毎日毎日すごしてきただけだ。

「僕は、何も為せないやつだったのか……?」

柿太郎は呆然とした。なんでもできる、そう思っていたのになぜ何も為せていないのだろう?どうしてこんなに苦しいのだろう?自分は選ばれた、特別な人間と思っていたのに。

自分の根幹がぽっきり折れた音を聴いた。


自分が為せない人間。

その事実を否定したくて、首を横に振る。目から暖かいものがこぼれる。まるで頑是な子供のようだ。栗太郎はさっきどういう目で見ていたかわかった。

自分が初めて向けられたから、わからなかっただけで。あれは憐憫の目だ。

「幸せというのは案外近くにあるものだ。青い鳥でも読んでみるといい。」

栗太郎はそう言って、一度もこちらを振り返ることなく去っていった。柿太郎にとっての根幹を折ったのに、相手にはそれはただただ純然たる事実だったのだろう。


***


九年、十年、十一年、十二年。

柿太郎はたくさんの職についてみた。たくさんのお金が手に入った。でもやっぱり、その分野の一番にはなれなくて。二番手、三番手に甘んじることしかできなかった。


十三年目に柿太郎は故郷へ帰った。町は相変わらず穏やかで、何も変わっていなかった。何かを為すことも、幸せを手に入れることもついぞなかったが、と柿太郎は自嘲した。

柿太郎がお婆さんの家へ帰ると、お婆さんは泣いていた。

「あぁ、こんにちは。旅のお方。」

お婆さんは自分の顔を忘れてしまったのだ。お婆さんはそれほどまでに老いていたのだ。八年育てた子供の顔を忘れるほどに。

「柿太郎というものを知りませんか?私が育てたんです。彼の話を旅人からたくさん聞いていたんですけど、最近は旅人も来なくってねぇ。

優秀な子でした。今では妻も娶り幸せに暮らしているはずです。柿太郎の噂を聞いたのであれば生い先短いこの老婆にお教え願えませんか?」

「ええ、構いませんよ。彼は世間の方々で有名でした。話す対価として、彼の昔の話をお聞かせ願えませんか?」

そういうと、お婆さんは柿太郎の昔のことを話した。

竹馬ですぐに使いこなせるようになったこと。夜中に怖い話をするとすごくおびえて、ぎゅっとしがみついてきたこと。ほかにもたくさん話してくれた。

それらはすべてあったことで、柿太郎も忘れていたことで。

柿太郎は口元が緩んだ。胸が暖かくなった。

柿太郎は気づいていないだけだったのだ。

柿太郎は孤独ではなかった。本当はお婆さん―― 梅お婆さんが自分を愛してくれていたのだ。桃太郎は生きているだけでそれほどまでに梅お婆さんにその存在を刻み付けて、活力に慣れていた。

「何かを為さなくても、生きているだけで嬉しかったのにねぇ。そんな当たり前のことを伝えわすれちゃってたのね。」

そう自分のことを嗤うお婆さんを見て、柿太郎は思い出した。柿太郎が為す人間になりたかったのは、お婆さんを喜ばせたかったからだ。それを、自分は忘れていた。

「そういう笑顔がみたかったんじゃなくって……。」

柿太郎がそう唇を尖らせていうと、梅お婆さんは何かに気づいたように笑った。

「柿太郎も、そうやってよく照れ隠ししていたわね。あの子、肝心なことは全部察してくれって態度なの。


今回も、そうだったみたいだけど。」


桃栗三年柿八年には続きがある。

桃栗三年柿八年。梅は酸い酸い十三年。



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