ふゆとはる

自分の事を冷たい人間だと自覚している。


だから意識的に愛想を振り撒いてきた。



不特定多数の人と仲良くしていたら、好きな子から軽い奴だと思われた。



疲れたから、いっそ軽い奴になろうと思った。


そしたら人付き合いが楽になった。



深く繋がらない。深く求められない。


やり過ごすには十分で、結局自分は冷たい奴だと立ち返る。





…——それは突然だった。



閉店後の片付けを済ませて、いつも通り兄貴に声をかけた。



「じゃあ帰るわ」



裏口から厨房へ声をかけると、「ありがとな!お疲れさん」といつも通り返事がある。



「あ、そうだ。明日から春休みの間だけ、春ちゃんに手伝って貰う事になったから」



背を向けた後で言われたから、聞き間違いかと思った。





…———湿度を増す空間は、外が雨だからか、吐き出される喘ぎによるものか…何を好き好んで、汗で湿る肌をこんなにも密着させるのか。



人の快楽と言うのは、時に不快を快感へと変化させるから恐ろしい。



「あ…そこ…もっと…」



視覚と聴覚が、それを好きだと植え付ける。



「好き…好き…気持ちいい…」



果たしてこの言葉は、快楽に対する感情か、快楽を与える自分に対する感情か。



「ふぅくん…もっと動いて」



よくわからない。



——この人との付き合いはもう五年ぐらいになる。



「今度いつが休み?」



体に纏わりつきながら見上げてくる。


ゆっくり水も飲めない。



「三日後」


「え、運命だ」


「は?」


「あたしも休みなの。これは運命だね。買い物付き合ってよ」


「嫌だ」


「運命だよ?」


「適当な事言うな」


「あたしも喉乾いた」



人の話は聞かない。都合の良い解釈しかしない。



「そのお水ちょうだい」


「新しいのが冷蔵庫に入ってた」


「ふぅくんが飲んでるのが良い」


「何で」


「君はあたしのものだから」


「あんたは俺のものじゃない」


「じゃあそれも運命だね」



首に纏わりつく腕を振り解かなかった理由は、考えるよりも先にキスをされたからだと思った。



「ふぅくん…好き」


重なる唇から漏れ囁く声が、静まった筈の性欲を掻き立てる。



キスをしながら抱き抱えると、腰に足が絡みつき、またベッドへ逆戻り。



「水飲むか?」


寝かせた状態で顔を近づけると、聞いているのに唇を重ねてきた。



「あ、今日お店に行くね」



唇が離れ、



「何で」



また触れる。



「ユウトに同伴頼まれたの」


「萎えた」


「あ、ごめん」



上体を起こし、ベッドへ腰掛ける。



「理由聞かれたから答えたんでしょ。不可抗力じゃん…」


「だな」


「もう…」



ヤってる時に他の男の名前を聞くのは気分が悪い。



「ユウトじゃん…どうでもいいじゃん」


「ユウトに謝れ」


「あたしが謝ってほしい…」



我儘で、勝手な事ばかり言う。



「もう行くわ」


「えぇ?」



立ち上がろうとしたら、体に縋りついてくる。



「今日新しい子来るんだった」


「バイト雇ったの?」


「兄貴がな」


「そうなんだ」


「だからもう行く」


「はぁい…」



不貞腐れた態度に、同情するつもりはない。



立ち上がると名残惜しそうに手を取られる。



「夜、四季に行くからまた後でね」



まるで俺に会いに来るような物言いをするから、言葉は返さず手を離した。



「明日もうち来る?」


「さぁ、また連絡する」


「君はいつもそう言って連絡をくれない」



その言葉には返事をせず、この人の部屋を後にした。




「お客さん来たら空いてる席に案内して。水とおしぼり人数分持って行って、注文聞くだけ。あとは出来た料理を注文通りに提供して」


「はい」


「レジは最初一緒にやろう。あと分からない事は都度聞いて。忙しくても声かけて。自分で解決しようとしなくて良いから」


「はい」



聞き間違いだと思っていたのに、彼女は本当に店へ現れた。



「何時まで働く?」


「それが、あたしは一時ぐらいまで大丈夫なんですけど…」


「あぁ、陽生がダメって言ってんだ?」


「え?いや…ダメとかじゃなくて」


「わかった。こっちも気にしとくから。君も時間になったら声かけてよ」


「はい、わかりました。よろしくお願いします」



オープンの時間は午後七時から。閉店は午前二時。



兄貴は仕込みだ何だって早く来るから、一日の大半は店に居る。だから結婚してねぇのか、出来ねぇのか、それは知らない。



予約が入ってる時は早めに来て欲しいと頼まれる時があるけど、通常営業時は一時間前に行って手伝うのが習慣になっていた。



春休みだからと言って毎日混雑してる訳じゃないが、飲み屋で働く人やその客と言われる人達が出勤前や出勤後、休みの日に来る事が多い。



そうゆう客層だから、家族連れとか学生が足を運ぶのは珍しい。



飲み屋街に店を構えているのだから当たり前と言えばそれまでだ。



ましてや、この子は飲み屋で働いていたのだから、知り合いに会うかもしれないと言う懸念は無いのかと、不思議に感じた。



オーダーが落ち着くと、後は飲んだり食ったりしているからお客さんからお呼びがかかる事は少ない。その間にカトラリーを補充したり、グラスを用意してストックの確認をする。


不足しているものを揃えたり、収納している場所等を教えながら束の間を過ごしていた。



「接客慣れてるな」


カウンターの中から店内を見渡し、声量を抑えて話しかけた。



「そうですか?」


心当たりが無そうな声を出している。



普通に動けるし、普通に感じが良い。俺なんかより人との距離感を分かってる子だ。



「メニューの名前、殆ど言えてたろ」


「どうですかね…手伝いに来てるのに邪魔しちゃいけないと思って、事前に明和さんからメニュー表借りて暗記してたんです」


「へぇ、真面目だな」


「でも実際、メニューの名前を覚えても、注文された食事を実物で見てなかったので頭の中で一致しなくて、あまり役に立ててなかったですね…風雪さんにもたくさん聞いちゃいましたし」



謙遜しつつ、相手を立てる事も忘れない。



「君の事は弟の彼女って言ってあるから。知り合いは一々詮索して来ないと思う。変な絡み方する奴が居たらすぐ教えて」


「大丈夫です。慣れてます」



大人びた表情を見せる反面、話し方はゆっくりで、丁寧な言葉遣いに、どちらかと言うとおっとりしている。



夜働いている時の彼女を何度か目にした事があるが、目を惹くのは間違いないと思った。



今だって、制服を着ていなかったら高校生には見えない。でも制服を着ていたら高校生に見える。そんな所もまた不思議な魅力なのかもしれない。



言葉を交わした奴じゃないと分からないギャップだなと感じた。



高校生なのに飲み屋で通用する訳だ。



「お水貰える?」



テーブル席に座っていた男性客の一人が、カウンターまで近づき、グラスを差し出した。


この近くにあるキャバクラのマネージャーで、たまに他の店の同業者と来店してくれる。



「あ、すみません」


彼女が慌てて受け答えをする。



「お席までお待ちしますよ」


接客の鏡だなと思った。俺ならここで待たせる。



「良いよ、待ってるから」


男は愛想笑いを浮かべ、次にこっちへ視線を向けた。



「可愛い子入れたじゃん」


「口説くのやめて貰えますか」


「まだ水しか頼んでねぇわ」



男は呆れたような表情に代わり、呆れた口調に変わる。



「風雪が女の子と一緒に働くとはな」


「どうゆう意味ですか」


「だっておまえ、キャバのボーイにスカウトされた時も、ホストに勧誘された時も、女の子を相手にするのはセックスの時だけで良いって言ってたろ」


「仕事中に下品な話するのやめて貰えますか」


「何でさっきから他人行儀なんだよ」


「お水どうぞ」



隣でグラスを渡すタイミングを測っている彼女から受けとり、カウンターの上へ差し出した。



「女の子の前で下世話な話題はやめて下さい。うちそうゆう店じゃないんで」


「あぁそうかよ。君、名前なんて言うの?」


「出禁にしますよ」



席に戻った男から、彼女へ視線を向けた。



「あの人悪い人じゃないから」


「はい」


「近くにあるキャバクラの人。俺の一つ上らしい」


「お友達なんですか?」


「まさか、この店の常連だよ」



ここに来るのは皆、店で知り合った人ばかり。大学のツレや友達はここへは来ない。



「風雪さんは好かれるのが上手ですね」



この子が言うと嫌味に聞こえないから不思議だ。



いや寧ろ、



「表裏が無いからですかね」



君の方が人をその気にさせるのが上手い。



「やっかいだな」


「え?」


「春ちゃん俺のこと信用してんの?」


「はい?」



言われてる事が理解出来ないんだろう。そんな顔をしている。



「俺、気に入った子にはすぐ手を出すよ」


「はい?」


「警戒心無くさないでよ」


「あたしが風雪さんを警戒するんですか?」


「しといて欲しいな」


「ないですよね」



急に声のトーンが変わった。



「警戒して欲しい気持ちは何となく分かります。あたしの場合は、厄介事はそれで一線引けるんで、相手が勝手に警戒して近づいて来ないくらいが丁度良いので」


「俺には一線引いて欲しくないって聞こえる」


「そうですか?そう言うつもりで言ったんじゃないですけど、じゃあそうかもしれません」



適当に言ってるようで、無自覚がもたらすタラシっぷりだ。



「君さ、そんなんで良く今まで男いなかったな」


「友達も居ません」


「なるほど」



人付き合いを避けて生きて来たとゆう事か。



「陽生はとんでもない子を見つけたな」


「はい?」


「でも俺なら君には近づかない」



手に入れたいと思うだけでしんどい。欲しいと望むだけで疲れる。



「風雪さんって、陽生先輩に凄く似てるのに似てないですよね」


「中身まで同じだったらもう俺じゃないだろ」


「そうか…軽率な発言でした」


「いや、そこまでじゃないよ」


「でもやっぱり陽生先輩に似てるので、あたしは風雪さんが好きです」



似てなかったら好きじゃないって言ってる事に気づいてないのかな。



「あんまり喧嘩をふっかけないで頂けると有り難いです」


「あぁ、あいつ単純だからな。すぐ買うんだよ」


「無視出来ないんでしょうね、相手が風雪さんだから」


「それは初めて言われた」


「そうなんですか?陽生先輩の性格的に、面倒事は気持ち良いくらい無視じゃないですか」



人を煽てると言う事を無意識でやってるのか…呆れる程感心する。



追加注文が入ると、先に提供した料理の食器を片付け、また次に提供する料理を運び、それに触発された隣の客から更に追加でオーダーが入る事がある。



その繰り返しを一人でするのは中々きついが、



「悪い、料理先に運べる?そこ後で俺片付けるから」


「はい」


指示通りに行動してくれるので助かる。



ふわりとした話し方をする癖に、細い手足は機敏に動いていた。



「風雪さん、」


会計を済ませた客を見届けると、カウンターを片付け終えた彼女は、レジまでやって来た。



「これを渡されました」


小声で話すその手には、名刺が持たれている。



「貸して、返しとくよ」


「え?良いんですか…?」


「君には必要ないだろ?」



気にして目を配っていたつもりだった。


夜の仕事は油断も隙もない。



「お客さんだからと思って受け取ったんですけど、今度から断りましょうか?」


「君から言うより、俺ら、店側から言った方が角が立たない。君は普通にしててよ」


「わかりました」



名刺を貰い慣れていて、誘われたら断る術を知っているんだろう。



「ちょっと休憩する?」


「え、でもお客さんまだ居ますよ」



奥のテーブル席で三人の男女が談笑している。



「あの人達は大丈夫」


「大丈夫とは?」


「用があったら声かけてくれるから」



カウンターの中へ戻り、下へ押し込んでいた椅子へ座る様促した。



何か飲みたいかと聞いた所で遠慮するのが目に見えたから、聞くだけ面倒に感じ、冷蔵庫からアイスコーヒーを出してグラスに二つ注いだ。



「飲んで」


「ありがとうございます…」



出されたものは受け取らざるを得ない。



「風雪さんって、本当に凄いですね」



「何が?」と聞き返しながら、もう一つ椅子を引きずり、彼女の隣に腰掛けた。



「お客さんを見ながら明和さんの手伝いに入って、尚且つあたしのお守りまで…」


「それは君が居たからだろ。君が居なかったらこんな風には回らない」



アイスコーヒーを飲んだら煙草が吸いたくなった。



「ずっと居てよ」


「春休みの間だけなんで…」


「それって、春ちゃんが言い出したの?ここでバイトしたいって」


「あ、いえ。明和さんに誘って貰いました」


「何がどうなったらそんな事になるんだよ」


「あたしが暇そうにしてたからでしょうか…」


「ふぅん。まぁどうでも良いけど」


「本当にどうでも良さそうですね…」


「陽生がよく承諾したな」


「承諾ってゆうか、全然大丈夫でしたよ」


「そう思ってるのは君だけだろ。俺と一緒に居させたい訳がない」


「風雪さんがそう言うならそうなのかもしれません」



「でも…」と、彼女は続けた。



「風雪さんが居てくれて、あたしは有り難いです」



そんな風に笑えるのかと、驚くぐらいには可愛く見えたから本当にタチが悪い。



「あ、お客さんですね」



来客を知らせる入り口の音に反応した彼女は、積極的に立ち上がった。



「いらっしゃいませ。お二人ですか?」



彼女の言葉に合わせて遅れて立ち上がると、二名の男女は迷わずカウンター席まで歩いてくる。



一人は男でホスト、一人は女でキャバ嬢。



「だれ?」


女の方がカウンター越しに声をかける。彼女からしたら、おまえが誰だって話だ。



「今日からバイトしてる」


誰?と言う言葉に対して、彼女を紹介した。



「え?バイト?」


隣のホストが驚いた声を出す。



「初めまして、よろしくお願いします」


彼女は挨拶をしながら、お水が入ったグラスをカウンターから手渡し、接客も忘れない。優秀なバイトだ。



「バイトって女の子なの?」


「俺も思った。ふーくんと働くとか大丈夫?」


「ユウトは黙ってて」


「…いや、あんたね、今日ずっと不機嫌でやりにくい」


「うるさい」


「ふーくん、スミレさんに何言った?」


「は?」


「何か怒らせたんじゃねぇの?今日同伴なのに時間になっても連絡してこねぇし…さっきやっと合流したんだから」



ユウトがスミレに対して、棘のある口調で言葉を向けた。



「バイトが女の子なんて聞いてない」


「言ってない」


「どうして?」


「何が?」



スミレが不機嫌なのは今に始まったことじゃない。



隣に立つ彼女からの視線を感じ、



「二人共知り合い」


関係性を明らかにした。



「あ、そうかなと思いました」


「初めまして。そこのホストクラブで働いてます」


ユウトが律儀に挨拶をした。



「君は、夜の仕事した事ある?」


ユウトの質問に対して、彼女が俺を見る。



「この子に営業かけんなよ」


何となく代わりに答えた。



「いや、そうじゃなくて。君さ、前ふーくんが探してた子じゃない?」



ユウトの言葉に、また彼女が俺を見る。



「探してたって何?」


口を開いたのはスミレだった。



ユウトではなく、明らかにこっちへ質問して来ている。



「ユウト、いらん事を言うな」


「ごめん。いらん事だった」


「探してたって何?って聞いてる」


「スミレには関係ない」


「ふーくん、またそうゆう言い方すると…」



ユウトが溜め息を吐く。だけどスミレにはマジで関係ない。


彼女と弟の話をここで口にするのは違うだろ。



「あの、あたし明和さんの手伝いしてきましょうか?」



できるバイトは気も遣える。



「ありがと。そうしてくれる?」


「はい」



彼女も安心したのか、表情が柔らかくなり、すぐ様奥へ向かって移動していた。



「何あの子…」


途端にスミレが口を開く。



「ふぅくんの知り合いはここに来ないって言った」


「来てねぇよ」


「じゃああの子は何?」


「バイト」


「女の子とはセックス以外で付き合いたくないって言ったじゃん」


「ふーくんそんな事言ったん?」


ユウトが呆れたように口を開く。



「言ったらしいな」


一々覚えてない。



「なんで…あの子は良いの?」


「は?」


「ふぅくんとずっと一緒に居れるの…」


「春休みだけな。学校がある」


「学校?」


「高校生だから」


「高校生!?」



ユウトの声が…



「うるせんだよ」


「あ、ごめん…高校生なん?俺とタメ?」


「知らん。おまえいくつだ?」


「嫌だ…」


「は?」



ユウトとの会話を遮る様にスミレが口を出す。



「ふぅくんやだ」


「は?」


「もうやめて欲しい」


「何が?」


「いつまでそうやって遊ぶの?」


「何が?」


「高校生の時から何も変わらない…」


「何がって言ってんだろうが」


「あたしの気持ち知ってるよね?」


「は?」


「ちょ、スミレさん…他にもお客さん居るから…」


「うるさい。ユウトに関係ない。あたしはずっとふぅくんと一緒に居たんだから」



宥めるユウトに、スミレの癇癪が止まらない。



「スミレ、騒ぐんなら帰れ」


「ふーくん…スミレさんも…」


「ユウトが困ってんだろうが」


「いや、俺は良いんだよ…」


「スミレ、座れ」


「そうやっていつまでもあたしが思い通りになると思ってるの?」


「は?」



何言ってんだこいつ。おまえがいつ俺の思い通りに行動したんだよ。



「もうやだ…嫌いになる。大嫌い…どうぞお幸せに」


「いやいやちょっと、スミレさん…」



店を出て行くスミレの後を追って、ユウトが立ち上がる。



「ふーくん!スミレさんに連絡してよ?」


「してる」


「違う…!今、今日!この後!いつでも良いから」


「わかった」


「ほんとにしてよ…?あの人、俺じゃ手に負えないから」



俺だって手に負えない。



…スミレは高校の1つ上の先輩だった。最初に声をかけて来たのはスミレの方で、気づいたら付き合っていた。



でも、スミレが高校三年に進学した時期、突然フラれた。


軽いって言われた。



スミレに彼氏が出来たと誰かから聞いた。彼氏が出来たと聞いたのに、スミレは俺との関係を求めて来た。


何がしたいのか最初は戸惑った。セックスしてる内にどうでも良くなって、考えるのをやめた。



それからスミレとは体の関係が続いている。



進学もせず、キャバクラで働き出した時はどうしたものかと思った。


我儘で勝手で、人の話を聞かない。


人を突然呼び出し、思いのまま体を重ねる。


自分中心に世界が回っていると思ってる様な女だ。




「…あれ、お帰りになったんですか?」



彼女が戻って来た時には、お客は誰も居なかった。



「大丈夫だった?」


「はい。お皿はめっちゃ溜まってました。食洗機に入れるだけでもたくさんあって…洗ったら片付けての繰り返しですね。でも明和さんと一緒に厨房に居るの楽しかったです」



この子は本当に、気を許した途端に癒される。



「今日は帰るか」


「もう良いんですか?」


「この時間なら俺一人で大丈夫。そこ片付けて帰る支度して」


「わかりました」


「あれ?どうやって帰る?」


「あ、陽生先輩が明和さんの車で送ってくれるみたいで…」


「あぁ、あいつ免許持ってたな。遅生まれっていいよな」


「そうですか?」


「そうか、だから気にしてたのか」


「はい?」


「あんまり遅くなると陽生を待たせるから」


「…はい。あたしは遅くても大丈夫なんですけど、タクシーとか呼びますし」


「まぁ送らせてあげてよ。面倒くせぇから」



適当な事したら、俺まで何を言われるかわからない。それは面倒臭い。



「じゃあ、明和さんに声をかけてから帰る支度して来ます」



彼女が兄貴の元へ向かったのを確認し、煙草を吸いに外へ出た。



暫くして開く扉に気づき、視線を向けると彼女が顔を出す。



「これから陽生先輩が迎えに来てくれます」


「そう」


大して興味がないから煙草にもう一本火を点けた。



直ぐに店内へ戻ると思った彼女が、隣に立ってこの場を離れない。



まだ何かあるのかと思い、言葉をかけようとしたら、



「風雪さん、」


逆に言葉をかけられた。



吐き出す煙と同時に、視線だけ向けた。



「あたし、あの人知ってます」


「…あの人?」



唐突な物言いに、誰の事なのか検討もつかない。



「夜一緒に働いてたお店の子が、指名してた人だと思う」


「…あぁ、ユウトか」


「はい。名前も同じだからそうだと思いました」


「…あいつ人気者だな」


「風雪さん」


「なに?」


「大変恐縮ですが、」


「え?」


「刺される前に、女性関係を改めた方が良いかと思います」


「は?」



何を言い出すのかと思って、笑いが出た。



「割り切ってる子としか、その…体の関係を持たない、みたいな事言ってましたよね」


「言った」



事実そうだ。



「じゃあ、割り切れてない人を巻き込んだらダメですよ」


「は?」


「さっきの人、スミレさんって人…」


「スミレ?」


「風雪さんの事が好きですよね」


「あぁ、あいつはそんなんじゃない」


「そんなんじゃない?」


「我儘なだけ。自分が一番じゃないとすぐあぁやって機嫌が悪くなる」


「そりゃそうですよね?好きなんだから」



これだから、一途な子は面倒臭い。一々愛だの恋だのに結びつける。



「スミレさん可哀想でした。あたしがスミレさんの立場でも、好きな人の隣に女の子のバイトが急に現れたら、誰?ってなります」


「いや、そんなんじゃなくて」


「どんなんですか」


「しつこいな」


「はい」


「はいって…」



嫌味だと理解してないのか、理解していてこの態度なのか…後者なら中々の強者だ。



「夜のお店で働いてる女の子に知り合いは居ないって、以前言ってましたよね」


「だから?」


「スミレさんって、夜の人ですよね」


「だから何?」


「わかったかもしれません。あたし」


「君、探偵みたいだな…」


「スミレさんの為に、夜の仕事してる女の子とは敢えて関わらないようにしてるんですね?」


「え?」


「公(おおやけ)じゃないんですね?」


「何が?」


「風雪さんって、セフレの皆さんとはオープンにお付き合いされてる印象でした。遊びだと割り切って、それを隠そうともしない。だから、よく思われないですよね…一部の人に…」


「あぁ…陽生な」



その名前を口に出したら、少し表情が暗くなったから、言った俺が悪い事をした気分になった。



「風雪さん、」


「何、名探偵?」


「スミレさんは非公式なんですね」


「は?」


「スミレさんとの関係は隠してる。他のセフレの皆さんみたいに公にしてない。スミレさんの為に。スミレさんが遊ばれてると思われない為に」


「だったら?」


「何か違和感あったんです」


「何に?」


「スミレさんに意地悪な言い方するから」


「は?」


「気に障ったら申し訳ないですが…風雪さんは、女の子には優しいって聞きました。甘やかしてるって言うんですか?だから、連れてる女の子達が、ちょっと…性格悪くなっちゃうみたいな…」


「あぁ、兄貴らにも良く言われる」



セックスする為に会ってるのに、相手を怒らす必要性を感じないだけ。ヤりたい時にヤれる相手に、感情を向けられるのも向けるのも面倒臭い。



「つまりそう言う事ですよ。スミレさんには優しくない」


「君には関係ない」


「はい」


「はいって…」


「風雪さん、可愛い子はいじめたくなるって言ってたし」


「…何だそれ」


「説明端折りますけど、言ってたんですよ」


「雑な推理だな」  


「スミレさんに対しては、可愛くていじめてるって現象に近いんだと思います」


「つまり?」


「風雪さんが、スミレさんの事を好きなんですね」



春の夜風が心地良かったのは、つい最近になってから。


少し前までは、冬の足跡を辿る様に寒さが身に染みていた。



「俺さ、春って嫌いだったんだよ」


「え?」


「季節の話な。君じゃない」


「あぁ、はい…」


「春は季節の始まりで、気分が高揚するってゆうか、誰しもが暖かくなる一瞬を待ち侘びてる。それに比べて冬ってのは、厳しい寒さを乗り越えたら春が待ってるなんて言われて、春の為に冬があんのかって気がしてた。暦の中で冬が一番長いのに」


「風雪さんと陽生先輩の話ですか?」


「季節の話だよ」


「…季節」


「冬に咲く花は少ない」


「風雪さん…」



彼女に視線を向けると、その表情が何を言いたいのか何となく分かる気がした。



「菫は、この時期に咲く花だって知ってる?」


「知らないです…花には詳しくなくて…」


「桜が咲いて、春だ春だって皆が桜の木を見上げるだろ。地上に咲く菫には目もくれず通り過ぎてしまう」


「風雪さん…」


「いつも、いつの間にか咲いてる」


「…好きだって言わないんですか?」


「俺は信用されてない」


「スミレさん、風雪さんの事好きじゃないですか?」


「好きなんだろうね。だけど君が思ってる様な好きじゃない」


「風雪さんが思ってるような好きでも無いです」


「え?」



一々言い返してくるから、可笑しくないのに笑いが出そうになる。



「終わってしまいますよ…」


「何が?」


「スミレさんとの関係…」


「関係なんて有って無いようなもんだ」



気が逸れたらどこかへ行き、気が向いたら戻って来る。猫みたいな女だ。



「女の子は、突然終わるんです…勘違いだとしても、事実だとしても。傷ついたり、虚しくなったり、寂しくなったり…相手に怒りを感じたり…求められてないと言う事実に、突然終わってしまうんです」


「そもそも何も始まってねぇからな?」


「始まってない人が、あんな風に感情的にならないと思います。少なくとも、スミレさんは風雪さんとの関係に何か始まりは有ったと思います」



「風雪さんがどうかは知らないですけど…」と、彼女はやけに棘のある言い方をした。



「終わって良いんですか?」


「君は本当に…」


「はい?」


「自分の事には鈍感なのに、人の事には敏感だな」


「つい最近も似た様な事を言われました」


「そうかよ」


「風雪さんは、今も春が嫌いですか?」


「え?」


「あ、季節の話です。あたしじゃないです」


「いや分かってる」


「あぁ…はい」



本当に面白い子だ。



「春は嫌いじゃない。好きな花が咲く季節だから」




——アパートの前。


見上げた先の部屋に、住人が滞在しているのか分かりにくい。



閉店後に店を出る時電話をかけたが、出なかった。


自宅前まで来て、もう一度電話を鳴らすが出ない。


部屋の扉の前に立ち、インターホンを押したが反応がない。



ユウトに電話をかけたら、俺の所為で呑んだくれていたと聞いた。他にも客が居て、相手にならないからユウトが働いているホストクラブからタクシーに乗せて、運転手に家の住所を伝えたとこまでは対応をしたらしい。



部屋で寝てるならそれでもいい。



また出直そうかと部屋を後にした。階段を降りて行くと、タクシーが停まっているのが見える。



「スミレ」



声をかけたら、酔っ払いは上機嫌で手を振って来た。



とりあえず運転手に金を払えと急かし、荷物とスミレを持って階段を上がる。



「何でふぅくんが居るの?」


「うるさい、静かにしろ」


「何でふぅくんが居るの…?」



小声で話して来たけど、部屋の前に着いたから「鍵を出せ」と急かした。



「おまえ自分で立て。開けれねぇだろうが」


「立ってるよ」


「は?」


どう見たって俺が体を支えている。



理不尽な肉体労働を強いられ、何とか扉を開く事が出来た。



玄関に入り、スミレが廊下に雪崩れ込む。



玄関の扉を施錠し、電気を点けた。



踵の高い靴を脱がし、自分も靴を脱いで廊下へ入り、再びスミレを担いでベッドへ向かう。

 


ワンルームの部屋は、入ってすぐにキッチンがあり、奥へベッドが置いてあるから分かりやすい。



部屋の電気は後で点けようと思い、廊下の灯を頼りにベッドの上へ寝かせた。とゆうか、自分で倒れ込んだ。



無駄に疲れてそのままベッドへ座り込む。



コートが窮屈そうで、脱がしてやろうかと手を伸ばしたら、体を引っ張られた。



「一緒に寝よ」


「服を脱げ」


「えっち…」


「じゃなくて、上着を脱げって言ってる」


「脱げない起きれないふぅくんが良い」


「何言ってんだおまえ」



酔っ払いの思考回路には付いていけない。



「脱がしてって言ってる」


「言ってねぇだろ」



起き上がらせて上着を脱がしたら、その下の服も脱ぎ出した。



「熱い」


「水飲むか?」


「要らない」



とは言え冷蔵庫へ向かい、飲み物があるか扉を開いた。



いつも常備されているペットボトルの水を手に取り、冷蔵庫の扉を閉める。



振り返ってベッドへ戻ると、



「お風呂入りたい」


下着姿で横たわっていた。



「水飲め」


体を起こし、水を進めると素直に口に運んだ。



「お風呂に入りたい」


「酔っ払いはダメだ」


「酔っ払い?」


「おまえな」


「え?おもしろ」



くすくす笑い出したから、水を取り上げて布団を被せた。



「どこ行くの?」


「帰る」


「どうして?」


「酔っ払いと話す事はない」



また出直そうと思った。



「ふぅくん」


「何?」


「好き」


「前も聞いた」


「前じゃない今」



スミレは何でも直ぐに好きと言う。



甘いものを食べたら美味いから好き。欲しいものを見つけたら可愛いから好き。どこに想いを寄せているのか分かり難い。



「俺も好きだって言ったら、おまえどうする?」



思わずそう口にしていた。



スミレがジッとこっちを見てくる。



「なに?」


「聞いてねぇのかよ」


「聞こえたよ」


「は?」


「そんなの答えなんて決まってるじゃん」



布団から手を出し、腕を掴まれた。



「ふぅくん抱いて」


「酔っ払いとはしたくない」


「酔いが覚めたから言ってる」



掴まれていた手を握り返し、キスをした。



肌けた布団に潜り込むと、首に腕を回される。



「お酒と煙草の臭いで汚いかも」


「何が?」


「あたしが」


「まさか、スミレはいつも綺麗だろ」


「初めて言われた…」


「そんな事ねぇだろ」


「そんな事ある」


「じゃあこれからは言う様にする」


「…ふぅくん、あたしの事好きなの…?」


「好きじゃなかったらここに来ない」


「ちゃんと言って」


「好きだ」


「うん」


「スミレが好きだ」


「うん…」


「なんなら愛してる」


「それは死ぬ」



首に巻かれていた腕で、強く引き寄せられた。



「息が苦しい」


「まだ何もしてねぇわ」


「どうしよ死んじゃう」


「安心しろ、生きてるから」



体勢を横へ向け、隣に寝転んで向き合うと、スミレの腕が首の下から引き抜かれる。



「抱いてくれないの?」


「死なれちゃ困る」


「好き」



片方の腕が背中を摩るように擦り寄って来た。



「ずっと後悔してて…」


腕の中で小さく話し出した。



「あの頃はあたしも子供だったから…ふぅくんの事、信用しきれなかった。やきもち焼いて、やきもちだって言えなくて。軽い奴って言っちゃた…覚えてる?」



覚えていた。むしろ忘れた事がない。



「現に軽い奴だったろ」


「そうかもしれないけど、そうさせたのはあたしかもしれないし…嫌な事ばかり言って、別れちゃったから…でもふぅくんもあっさりし過ぎだよね」



急に開き直るところがスミレらしい。



「色んな子と遊び出して、本当に君って子は嫌な奴だ。あたしには全然優しくしてくれないし…あたしが他の男の話をすると不機嫌になるのに、自分は色んな子とヤってるし」


「ここ謝るとこ?」


「謝るところ」


「ごめんな」


「…好きだから許す」


「もうスミレ以外とヤらねぇから」


「あたりまえでしょ」


「スミレを最後にする」


「最後?」


「最後の女にする」


「…やだ、泣いちゃう。好き」


「俺の初体験おまえだからな」


「え?」


「最初で最後の人?」


「…それ使い方あってる?」


「最初と最後の人?」


「…知らないけど、好き」



何度も好きだ好きだと擦り寄って来るから、抱かないとゆう選択肢が無かった。



キスを繰り返し、肌を寄せ合いながら、絡み付く舌が言葉を紡ぐ。



「ふぅくんもっとして…」


「何…」


「もっとキスして…」


「してんだろ…」


「…っ…もっと…」



この人の声に、肌の感触に、エロい仕草に、全ての五感が刺激される。



「スミレ…」


「ん…?」


「スミレ…」


「なにっ…」


「好きだ…」


「…ふぅくん…気持ちいいの…?」



耳元で囁かれる。



「ちょっと、止めて良いか…」


「良いよ…」


「…今動いたら意識飛びそうだ…」


「そんなに…?」


「おまえ何でこんな気持ちいいんだ…?」


「好きだからでしょ…あたしの事が…」 


「耳触るな…」


「好きでしょ…触られるの…」


「今は触るな…」


「ほんと可愛い…大好き…」


「…スミレ」



中の締め付け感が急に増して来る。



「ふぅくん気持ちいい…?」


「…っ」



言葉にならない程、当たり前に気持ち良かった。耳元で囁かれるスミレの声と、それに比例する様に締め付けられる気持ち良さが、えげつない程意識を奪いに来る。



「…動く…」


「うんっ…」


「スミレ…腰…」


「うん…気持ち良いね…」


「好きだ…」


「…ふぅくん…好き…」


「終わったら一緒に風呂入るぞ…」


「んっ…うんっ…」


「…おまえっ…また…想像するな…」


「…だって…いっつもお風呂でえっちな事してくるじゃん…あっ…奥っ…気持ちいい…」



今にも絶頂を迎えそうなスミレの体を抱き締めた。



お互いの汗が肌を湿らせる。



イク寸前に耳元で名前を呼ばれたから、腹が立つ程気持ち良かった——




「おはようございます」


「あぁ、おはよう」


「今日もよろしくお願いします」



彼女はまた出勤して来た。



「今日も君が居るから助かる」



看板メニューと、灰皿を外へ出すのを手伝ってくれると言うから、店の出入口の扉を開けて、一緒に外へ出た。



「ふぅくん?」


誰が呼んでいるかなんて、すぐに分かる。



「やった!会えたね…!」


無邪気に笑うその仕草は、高校生の頃から変わらない。



「こんばんは…」


隣で彼女が遠慮がちに声をかけた。



昨日の今日で、スミレとの事はもちろん何も知らない。



「あ、こんばんは…」


スミレも遠慮がちに声をかける。



「昨日は…感じ悪くしてごめんね?」


「え!?全然そんな…!まさか…!何ともないです…」



戸惑い過ぎて何を言ってるのか、自分でも分かってない様子だ。



「ふぅくんの弟の彼女って聞いたよ」


「…はい」


「あなたはあっちが好きなんだね」


「…はい」


「あたしはこっちが好きなの」


「…はい」


「どっちもどっちだよね」


「はい、はい…」


「じゃあまたね」


「ありがとうございました」



何故かお辞儀をする彼女を横目で確認し、スミレがこっちに向かって小さく手を振ったから、手を挙げて答えた。



「何だよ今の会話…」


「え?」


「ロボットじゃねぇか」


「いやいや風雪さん!」


「何だよ…」


「スミレさん凄く良い匂いがしました…!良い女の香りがしました…」


「は?」


「近くで見ると肌も目も綺麗で、声も素敵ですね…」


「そりゃそうだろ」


「はい?」


「俺の女だ」


「はい…?」




意図せず巡る出会いも、悪くないなと思わせたのは、間違いなく彼女の存在があったから。



こんな事なら、季節が春に変わっても悪くないなと思える。



だけど、一年の中でどの季節が好きかと聞かれたら、間違いなく冬だと言える。



辛抱強く春を待つ冬は、



何よりも愛しい…

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何も言ってくれない リル @ra_riru

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