エピローグ



 ぼんやりと意識が浮上する。


 ……?

 いつの間に眠ってしまったんだろう。

 なんか、痺れてる。ぬくぬく。ぴちゃぴちゃという音が聞こえる。どこから聞こえる音だ?

「あなたのなかだ」

 疑問は声に出てたのか耳元に囁かれて、びくん、と大袈裟に身体が震えてびっくりした。足の指先までがひくんと突っ張る。

「ん、あ?」

 蒼翔の返事が意味不明だ。あと顔がすごく近い。唇が触れそう。思わず身を引こうとして、出来なかった。顔ってか身体全体が密着してるのか? がっつり囲われるように覆い被さられている。

「ひゃおろ」

「うん」 間近の黒瞳が蕩けるように細められる。──場違いなぐらいに甘い笑み……何で場違いだっけ?

 ここ、今、どこだ。

 ちゅ。微笑んだまま当たり前みたいに口が塞がれてフリーズする。肉厚の舌に舌の裏を舐め上げられただけでびくんとスイッチ押されたみたいに背中がしなった。

 ……え。なんだ今の?

 わたしの反応に蒼翔は満足げに、今度はひとの耳たぶをかぷりと甘噛みして耳の中に舌を差し入れてくる。

 いやそういうのは躊躇しろ。ぞろりと舐め上げられて、再び勝手に身体がしなって強く押さえ込まれる。なんで? なんで押さえ込む? そうされるとびりびり来る痺れが発散できなくて、我慢出来なくて、おかしくなる。頭の中に疑問符が飛び交ったまま。何なんだその、ひとの身体知り尽くしたみたいな──。


 思い出した。眠ったんじゃない。気を失ってたん、


「っあ? ふあ、あっ、あっ、あっ」

 意味を為さない言葉が口から零れる。

 ああ。断続的に揺さぶられてるから変な声が出てんだ。

 ぬくぬくって音は身体の中から聞こえてた。

「ひゃ、ひゃお、ろ」

 舌がふやけたみたいに痺れててうまく喋れなくて、いっそ笑えてきた。


 ──こんな状況で、我ながら落ち着いてる。

 オメガは自堕落で享楽的ってイメージが強いけど発情期にしか発情しないんだから逆にストイックじゃないかって思うな? 番を持たない自分の発情期なんて、いつも苦痛でしかなかった。快感ってのを実感した事がない。

 けど、少なくとも蒼翔のものが入ってる感じは悪くはない。

 うん。……悪くない。

 じわじわと胸をうちを満たすのは暖かさだ。

 自分だけが幸せで申し訳ないな。多分蒼翔は我を失っているから。オメガの発情で精神を狂わされるのはいつもアルファの方だ。オメガ自身は身体がぐだぐだになってても中身は冷静らしい。今知った。蒼翔が我に返った時に自分を責めないといいなあ。

 どうなってるのか、どうしても確かめたくて、ぬくぬく音のする元に視線を動かす。

 股の間。白濁の量に引く。自分のものが健気にも反り返ってて、そのうしろ。


 尻尾が生えてる。みたいな?


 違うのはわかってんだが、なに。存在感。でか。

 ……なにこれ。ふとい。黒い。でか。

 言語能力馬鹿になってて単語しか出てこない。

 身体の中から出てくる尻尾じゃない尻尾をつい、じっくり見てしまう。ここまで穴が拡がっているのに痛くないのが不思議だ。すごく現実味がなくて、なんか、どこか他人事に見てしまうのは仕方なくね?

 ぬく、と再び入ってくる。相手もこっちが凝視してるのは分かっているのかゆっくり、見せつけるみたいな抜き差し……繋がった部分があつい。いや? 繋がったとこから全身に熱がひろがるみたいな。息を吐く。と、ずるりと抜かれていく。

 あ、もう止めるのか。

 ……てか長。長すぎね? なんか、びりびりする。

 ああ、そうか。

 覚醒してからずっと、続いてる痺れみたいな未知の感覚の正体って。これ快感か。と自覚する間もなく、引き抜かれると思っていたモノがすぱんと音を立てて中に沈みこんだ。

「ひっ」

 ごつ、と奥に届いた。背が跳ねるのすら押さえ込まれて今度は激しく抜き差し。

「まって、まっ、まっ、あっ、ふあ」

 ごりゅん、という音が聞こえたような、奥を開かれたような錯覚に痙攣で声も出ない。

 愛しげに優しく頬を撫でられる。と同時にごりゅごりゅと奥にねじ込んでくる。相反する行動に脳がついてけない。


 どれだけ揺すぶられたのか意識が飛んでだのか、

「──出すよ?」

 ぽつりと呟かれた言葉の意味も理解できないまま、必死にしがみつく。と、とぷりと奥に広がる熱。

「やっ、やっ、あっ」


 ──くっそ。


 心の中で悪態をつく。

 すっかり成長しやがって。

 筋肉質な身体にすっぽり包まれて身動きも取れない。アルファずるい。これほど体格差がついてしまった悔しさと、誇らしさ。誇らしいか? わたしも変だな。でもこれ──

 抱かれてるってのに強く縋り付いてくる腕が溺れてるみたいで、つい絆されてしまう。抱き返したいのに腕が震えて力が入らない。それでも目が。瞳に見入ってしまうから。

 黒の光彩が炎みたいに揺らめいていてとても綺麗なのだ。というか、

 喉の奥で笑う。どこまで必死なんだよこいつ。

 蒼翔の喉仏に滴る汗を舐めとる。みあげて目が合うと蒼翔はひととき正気を取り戻す。

「……さくら」

 ああ。

 かわいいな。

 甘い気持ちになって微笑む。そんなんでぶわっと赤面するところもかわいいなあ。つい口から漏れた。

「やっぱ年下だろ」


 すると、相手はニコリと微笑んだ。

「抱き潰す」



 何て?



   ◇ ◆◆◆ ◇



 ……。


 空調が動いてる。


 次に意識が浮上した時に感じたのはそんな事だった。


 充満していた匂いが薄まるのを自覚すると共に、思考にかかってきた靄が薄くなっている事にも気が付く。

 ……なんか、もう……はじめての経験すぎて、もう。

 冷静なつもりでわたしも充分、おかしくなってたなあ。


 ぐったりと床に手を突いて布の塊を握り締めて自分の下敷きになっていたその正体に思い至った。

「うわぁあ……」

 手で顔を覆う。ひどい。

 マントが。たくさんのマントが。

 これって騎士さん達が出世した証だよな。

 どれもこれも随分と仕立てが良くて肌触り最高で、じゃねえよ流石に申し訳なさ過ぎる。

「何を落ち込んでいるんだ?」

 蒼翔がこちらを不思議そうに見てる。先に復活していたのか。

「マントだよ!」

 床をバンバンして訴える。

「ああ何だ。さくらの身体が傷つくよりはマシだろう」

 蒼翔が当然の顔で言うから、

「止めろ。わたしの方がおかしいのか? って自信が無くなってくるから止めろ」

「……まあ他の男の匂いがついた物という点では俺も気になるが」

「そこじゃねえよ。難しい顔してアホな事言うなよ」 はああと溜息。「お前、責任取れよ、この」

 唐突に言葉を詰まらせたわたしに蒼翔が目敏く気が付く。

「さくら、どうした?」

「……なんでもない」

 立ち上がりかけて股の間からどろりと溢れた液体にひそかに衝撃を受けているのは言わない。マント……ほんと。ほんとごめん。

「それより良いのか!」

「良い?」

「責任。取らせてくれるのか!?」

「ぶ……文脈おかしいだろ」

 マント弁償しろって意味なのに、どういう風に意味を捉えたらそんな食い気味に来るんだ?

 そんな、そんなのどうしていいのかわからない。

 無意識にずり下がろうとした、手を握られる。

 その手を持ち上げられて甲に口付けられた。

 ぐいぐい来る。

 黒の瞳に目を合わせられる。

「やっと追いついた」 ふ、と笑う。「ずっと好きだった」

「き、キャラが違うぞ? 蒼翔お前、そんな奴じゃないだろ」

「やっと逢えたのに気持ちを押さえられるものか」

 開き直ったアルファって怖い。

「だから、なんで今更告白すんだよ」

 聞かれた蒼翔は一瞬だけ考えた後、

「理性が無かったから?」

 真顔で答える。

「あほ!」

 罵倒したら頷くし。

「否定は出来ない。さくらの実体に逢ったら理性が持たない事は知ってたんだ。だからわざと救出には立ち会わず、ベータの騎士を頼る事にしたたんだが」

「……だが?」

 だったら大人しく待っていれば良かったのに。

「結局抗えなかった。我慢なぞ出来ないものだな」

「さわやかに言うなばか! 結果このざまだよ!?」

「本当にな……」 残念そうに蒼翔が溜息を吐く。お前が嘆くな。腹立つ。ばしばしと背を叩く。「ああ、勘違いしてるなさくら。もっと感動的に再会したかったという意味だ。折角、天蓋付きベッドだって用意していたのに」

「結局ベッドかよ!? いや何で天蓋付き!?」

「さくらが希望していたからだが」

「してねーよ」

「あなたが言ったんだぞ?」

「言ってないってば。……あのな。わたしの方が記憶は確かだぞ? 感覚的には最近の出来事なんだから」

「でも俺の方が繰り返し思い出してた。俺の方が正確だ」

「……」

 蒼翔は自信ありげな笑みを見せる。

「思い出してみろ」


「……い、言ったかも?」 すっごく些細な台詞だが。「……てかどこまで覚えてんだよ」

「全て」

「気持ち悪いな!」

 くつくつ笑われる。赤面してるのもバレている。


 過去を回想するうちに子供の頃に聞いたおとぎ話のような滅びの話も思い出した。

 今ならわかる。あの国が滅びた原因。

 あの歴史では最後の末裔──蒼翔が殺されて、勇者の血族が途絶えたのだ。民衆が自ら加護を壊してしまったから、

 だから彼の国は砂漠に沈み消えてしまった。初めから存在していなかったかのように。


 蒼翔は生き延びた。運命が変わったのなら──。

「なあ。ニホンは滅んでないのか?」

「いいや。歴史は変わってない」

「だって蒼翔は生きてる」

「ああ。さくらのおかげで騎士が味方だったからな。反乱は起きたが俺は実際に処刑されてはいない」 視線を逸らして頬を掻く蒼翔。「だから、実はまだあそこに国はあるんだが」

「うん?」

「対外的には滅びた。我が国は今は外からは実体を捕捉できない状態だ。砂の壁があらゆる電波も魔力も、あらゆる干渉を遮断している。加護が形を変えた結果だな」

「……どうしてそんな面倒臭い事になってんだ?」

「どうしてって、歴史を変えるわけにはいかないからだ。様々な不都合が出てくるからな」

「……? そういうもんか? どんな不都合が?」

「さくらに再会できない事」

「……」

 しれっと殺し文句を言う。


「さくらには過去に俺と会った記憶があるだろう?」

「そりゃ、当たり前……。じゃ、ないのか? ……過去が書き換わっていたら、わたしが過去を覚えてないって可能性もあった? でもそしたら過去にも飛ばされてないから過去は変えられないし? それ以前にわたし……ああ?」

「その辺が不都合だな。結局、さくらの運命を変えるには影響が少ないギリギリに割り込む選択肢しか無かった。……まあ本来は不可能だから我が儘も言えんが」 投げやりに吐き捨てる。「あなたが過去から戻ったと感じたタイミングがその運命が変わった瞬間だ」

 ああ。だから過去の時間から意識が続いてるのか。

「……わたし、本来ならあのあと死んでたんだよな? あまり実感は無いんだけど」

 そう言うと蒼翔はなぜかほっとしたように嬉しそうに笑う。

「良かった」

「……助けてくれてありがとうな」

「ただ、計算したわけじゃないんだよな。結果的にこうなっただけで。すまなかった。もっと早く助けたかったのに」 蒼翔が悪いわけじゃないのに目を伏せる。「俺のまわりにいた膿の洗い出しから騒動に国を捨てる民への援助、国を離れようとしない民の保護、諸々の処理が多すぎてここに辿り着くのに十二年かかった」

 それが早いのか遅いのかわからない。

「でも蒼翔、国を離れて大丈夫なのか?」

 ニホン国は末裔が離れたら加護を失うのでは? 砂漠に呑み込まれるのでは?

「俺は国に縛られて旅行にも行けないのか? そもそも我が血族は加護のせいで散々不自由を強いられてきたんだ。そこは抗議するべきだろ? ……おかげで交渉の材料に出来たんだが」

「交渉? 誰とだ?」

「……」

 気まずそうに視線を逸らして返事をしない。


 ぴー、がっ。


『相手は神ですよ』 予想外の声に、びくっと震えた。『この人、おかしいでしょう? 本来、選ばれた末裔の方々というのは神から神託……オラクルを受け取りますが、うちの主は神託どころか神を相手に交渉したんですよね』

「五月蠅いな。使えるものを使って何が悪い」

『少しは恐れを抱いていただきたいと存じます。そういうわけでさくらさん、この方、瑣末事は解決してここに来ているので問題ありませんよ』

 丁寧に解説してくれたが、そんなことより、

「つ……繋がってたのか?」

 インカム置いてったんかよ!?

『はい。主と連絡手段が無いのは不味いので。勿論情事の最中は聞いておりませんのでご安心を』

「わああ!」

「アーサー、発情していない時のさくらは極度の照れ屋なのだから無粋な指摘はしてやるな」

 通信の向こうからは笑い声。

 ……。か、からかわれた!?

『申し訳ありません。つい浮かれてしまいました。長年の主の願いが叶ったのは、嬉しいものですね』


 ぐぐ。

 恥ずかしい。こんなに祝われて良いんだろうか?

 ……違う気がする。それを考えるとしゅんと心が萎んでいく。

「ごめんな」

「さくら?」

「蒼翔は本当は同族に会いたくて召喚をしただろ?」

 召喚されたのただのオメガで、望みの勇者に逢えなかった上に結局、たいしたことは出来なかった。

 結果的に蒼翔は生き延びて、助かってくれたけれど……それは蒼翔自身の力だ。

 もしうまく同族を喚べていたのなら、もっとうまく出来たかもしれないのに。長い年月を費やしてオメガを助けるなんて手間をかけさせずに済んだのに。

「なにを言ってるんだか」 すっかり呆れた、とでもいいたげな声に顔を上げる。「気付いてないのか? あなたはわたしの運命だ」

 にしても蒼翔を見る為には顔を上げないと視線が合わないってのにはどうも慣れない。

 なんて事に気を取られていたので肝心な台詞を聞き流した。

 何て言った? 運命?

「……蒼翔って平気で恥ずかしい台詞を吐くタイプだったんだな」

 相手は眉を軽く上げる。

「事実だから仕方がない。知ってるか? 運命の番という奴だ」

「それおとぎ話だろ」

「ふん。信じないならとっておきを教えてやる。俺がモモが見える。それはあなたの運命だという証拠だ。そう思わないか?」

 唐突な話題を。

「あのさ。……モモはもういないんだよ。老衰だったんだから」

 その事は極力考えないようにしてたのに、思い出させるな。

「でもその犬は昔からずっとあなたの側に居る。だから召喚の時にもついてきたんだろう?」

「え?」

「あの時はさくらが霊体になっていたからさくらにも見えたのだろうな。だが、今だって側にいるのは変わってないぞ」

「……」

「さくら」

「うん」

 心ここにあらずに答えたわたしを気にした風もなく、頭ごと抱えられて胸に押さえつけられる。

 泣かせるな。ばか。

 蒼翔がくくっと笑う。

「ほら。焼き餅を焼いて俺達の間に入ってきたぞ」

「……ああ」 溜息をゆっくりつく。今は自分に泣く事を許す。「そーいうとこが好きなんだよな」

「そうか」

 答えたのは低い声だった。

「なんでちょっとムッとするんだよ」

 目を見ようとするとふいっと視線逸らされた。

「……悪い。今は俺の方が年上だっていうのに大人げなかった。モモが少し羨ましかったんだ」

「……モモ? 好きだって言ったのは蒼翔の事だけど? って! 危ないなあ!」

 急に前のめりに体重かけられて後ろに倒れそうになった。蒼翔ががくりと項垂れている。

「止めろ。心臓に来る」

「大袈裟な……」

「大袈裟なものか。俺がこの日をどれだけ待ったと思ってる」

 吐く溜息が熱い。耳が赤い。

「……」

 仕方ないな。

 ぶつぶつぼやく運命の背を抱きしめて、首元に唇を落とす。

 驚いて顔を上げた男に笑って、唇にキスをした。



                      (了)

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犬と異世界召喚 霧ヶ峰さこ @sako-kiri

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