また会う日を楽しみに

Soi

また会う日を楽しみに


 猫がいた——






 言葉が出ない。


 日が沈んですぐの空に広がるのはマジックアワーだ。酒好きな姉が見たら「カクテルみたいだな!」と鼻息を荒くしていたと思う。ほんの僅かな時間でしか見られない、空一面に広がる菊の絨毯が果てしなく広がっている。あまりの清らかさにきつく縛ったはずの糸が、最近の記憶と共にほろほろと解けていく。




 姉の卒業をきっかけに勉強する時間が増えた。理由は大好きな姉と同じ大学へ進学したかったからだ。姉は医師免許を取得できる理系の大学へ進学した。


 私は姉と違って理系科目が苦手だったので、突然のZ軸や鉄腕アトムが登場しない核反応などぶつかる壁は多かった。それでも一つひとつ時間をかければ問題が解けるようになってきていた。ところが、夏休み前の二者面談で受験する大学のレベルを落としたほうがいいと言われ、それからより勉強に心血を注いできた。けれども、模試の結果は今もD判定のままだ。


 机にかじりついていたら空を見上げるのも忘れていた。友達との残り少ない時間も無視してきてしまった。自分で決めたこと、それなのに人生を棒に振っている気がするのはどうしてだろうか。私は、姉と同じ大学に行きたいと本気で思っていた。いっぱい勉強して受験に合格して、それで……その後どうするんだろう。




 シャラン




 背後から何か音がした。後ろを振り返ると、猫がいた。


 黒猫だ。頭に白の彼岸花をモチーフとした花の飾りが付いている。今の音は飾りに付いた鈴だったのか。精巧なパールホワイトは汚れ一つ付いておらず、黒い毛並みを引き立たせている。とてとてと近寄ってきた猫の傍にしゃがむ。かわいいなあ。擦り寄ってくることも鳴くこともされずにじっと見つめられる。喉元をそっと触ると撫でることができた。




「ゴロゴロゴロ……」




 猫は機嫌が良さそうだ。癒しの音色だな。艶やかな毛並みの撫で心地に「絹みたいな黒髪だな!」と笑う姉を思い出した。最後に言われたのは何時だったか。パサついた髪をひと房掴む。ある日を境に、毎朝髪を梳かす時間と風呂上がりのドライヤーの時間を勉強に回すようになった。時間の節約はエスカレートしていき、気づけばヘアアイロンを使う時間、風呂場でリンスをつける時間、就寝前にヘアオイルを塗る時間も省くようになっていた。馬鹿だな私、自慢の黒髪だったのに。


 東の方では空に浮かぶ満月がじっとこちらを見ていた。少し時間が経ったのか風が冷たくて、深呼吸をすると枯れた植物のような匂いがした。それにしても綺麗な髪飾りだ。私も以前はシュシュやブローチ、髪留めを買いに姉と近所の雑貨屋へ足繁く通っていた。でも今は必要ない、早く帰って勉強しないと。そう思っているはずなのに体が動かず、猫の髪飾りから目が離せない。彼岸花には毒があり触ることすらできないと云うが、その毒々しさは黒い毛並みによって引き立っている。恐る恐る彼岸花に手を伸ばす。




「シャーッ!」




 痛っ。ひっかき傷が手の甲に残る。「私のものに触るな」と怒られた気分だ。猫の爪は鋭く尖っていた。痛いわけだと手を揉んでいると、自分の爪も長くなっていることに気づいた。お揃いだな。


 猫は私から遠ざかっていく。その後ろ姿に嫌われてしまったかな、と思っていたら猫が歩みを止め此方を振り返った。




 シャラン




「着いて来なさい」と聞こえた気がした。


 


 さきほどの場所からどんどん離れてきているのはわかっていた。今帰らないと。それでも久しぶりの散歩を止めたくなかった。郊外へ近付くにつれ家と家の間隔はどんどん開いていく。イチョウや紅葉の木々がところどころ見え、枝から赤や黄色の葉がひらひらと落ちてくる。まるで色鮮やかな小鳥たちが周囲を飛び交い歓迎してくれているようだ。そして、銀杏のあの香りから鈴虫やキリギリスのハーモニーまでもがご機嫌を伺ってきた。ここには、私が今まで感じて来なかった豊かさがあった。


 さらに奥へと進んでいくと、人がひとり通れそうな小さなトンネルがあった。こんなところにトンネルが。どこへつながっているんだろうか。中は真っ暗だけど短いので出口が見えている。もしかしてここ通るのかな。案の定、猫はそのままトンネルに向かって走っていった。




 シャランシャランシャラン




 鈴の音が呼んでいる。ここまで来たんだ、行くしかない。意を決して足を踏み入れる。トンネルの中は冷蔵庫みたいだ。鈴の音が反響し頭蓋骨を震わせる。猫が暗闇から守ってくれているように感じた。出口まで一気に駆け抜けていく。


 何かが始まる予感がする。




 トンネルを抜けた先は神社の鳥居だった。な、何を言っているのかわからないかもしれないけど私にも何が起こったのかわからなかった。どうやら今日はお祭りらしく、鳥居にはオレンジ、黒、紫に色付けされたガーランドが張ってあり、ひらがなで『しゅうかくさい』と書かれている。それから、鈴の音で聞こえていなかったけれど、コンサーティーナが主旋律の愉快な音楽が聞こえる。参道の中央では音楽隊が練り歩いていて随分と楽しそうな雰囲気だ。鳥居の向こうには木造りの屋台が所狭しと並んでいて、ガーランドと同じ色使いで飾り付けされていた。おまけに足元には、等間隔で並ぶジャック・オー・ランタン。風変わりなのに幻想的、洋風の和風包みだ。


 そこそこ人がいるようだけれど、全員私よりも背が低い。よく見ると参加者全員がフード付きの白いマントを着た子どもたちだ。テレビで渋谷にいる若者たちがトラックを押し倒す様子が流れていたのを思い出した。場所が神社であることを一旦脇に置くと、この催し物はハロウィンで間違いないだろう。


 さて、状況は掴めてきたけれど、どうして収穫祭という名前にしたのだろうか。子ども向けならばハロウィンの方が言葉が簡単で覚えやすいと思うし、正直収穫祭とハロウィンの違いがよくわからない。口に手を当てて考えていると、鳥居から一番近い屋台の店主が手招きしているのに気づいた。




「嬢ちゃん、そんな難しそうな顔してどうしたんだい。こっちにうめえもんあるから食ってけよ!」




 屋台を見ると肉と野菜の串焼きが並んでおり、香ばしい匂いが鼻腔をつつく。突然お腹からくーきゅるると鳴き声が聞こえてきた。お祭りに気を取られて忘れていたけれど私は受験生で、今頃はコンビニのおにぎり片手に勉強している時間だ。けれども今はお腹が空いている。これだけ食べて帰ろう。




「すみません。一つ頂きたいのですが、値段はいくらでしょうか?」


「お嬢ちゃん初めてかい?ここじゃお代は取らねえんだよ」




 どういうことか気になって聞くと詳しく教えてもらえた。店主曰く、この地域では収穫祭と称して毎年秋に旬の食材を使った手料理が振舞われる。食べ物に困らないのは有難いことであると子どもたちに伝えるために始めたのだそうだ。今回は近年流行りのハロウィンを取り入れたので去年より賑やかになっているとのこと。


 ここ数か月、一日一食をコンビニのおにぎり一個で済ませていた。美味しいけれどどこか人工的で人の温かさを感じなかった。もらった串焼きから湯気が立っている。気づけば「頂きます」と声に出していた。


 人目も気にせずかじりつく。赤身肉なのにジューシーで柔らかい。甘くて香ばしい玉ねぎ、ほくほくのかぼちゃともよく合う。飲み込むと体の中がじんわりと温まる。素朴な旨味に一口、また一口と消えていった。


 ご馳走様でしたと呟いた瞬間、またくーきゅるると腹の虫が鳴く。いつもならここで満腹になるのにまだ全然足りない。空腹のままでいるのはこんなにも辛いのか。満腹になるまで、もう少しだけここにいようかな。早速近くにスイートポテトの看板を見つけた。


 スイートポテトは小舟のような形をしていた。しっとりなめらかな食感。お芋の味が強くて、バターの香りがするサツマイモを食べているみたい。皮も練り込まれていて、ざらざらとした舌触りが癖になりそう。砂糖不使用とは思えない自然の甘みが疲れた脳に染み渡る。


 スイートポテトを食べ終わる頃、人だかりのできている屋台を見つけた。あやしく思い近くに寄ると甘ったるい匂いが辺りに充満していた。子どもたちから真剣な眼差しを向けられている主役は、串に刺さったリンゴサイズの巨大なマシュマロだった。店主が大きく手打ちをした。




「さあ!寄ってらしゃい見てらっしゃい!これよりこの大きな夢の塊に、魔法をかけてしんぜましょう。ハイ参!!弐!!壱!!!」




 店主がマシュマロをひっくり返していくと裏面は綺麗なきつね色になっていた。割れんばかりの拍手に包まれる。私も一緒になって手を叩いた。マシュマロを受け取ってかじるとチーズのように糸を引いた。夢中になって繰り返しているとあっという間になくなってしまった。まだ足りない。もっと食べなきゃ。


 ちょうど目の前にブドウパンが見える。かなり大きめのハード系だ。今なら食べられそうだと思い注文しようとしたとき、あの音が聞こえた。




 シャラン




 黒猫だ。しかし周りを見渡してもあの黒猫は見当たらない。代わりに隣の屋台で女の子が髪飾りを貰っているのが目に入った。


 屋台にはヘアピンや花飾り、カチューシャ、ネックレス、イヤリングまで様々な種類のアクセサリーが陳列されていた。食べ物以外の店もあったんだ。


 ブドウパンには目もくれず駆け足で店主に声をかける。早速気になっていたものを手に取った。彼岸花の髪飾り。あの猫が付けていたものと同じものだ。 


 鏡でちゃんとつけられているか確認させてもらう。店主はにこりと微笑んだ。


 


「とてもよくお似合いですよ。あなたの髪には白珠が映える……綺麗な黒髪なのね」

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