未来からの青い風

@Hibiki-Y

未来からの青い風

「僕は今、未来と触れているのかもしれない。」

灼熱の熱線が街に放たれる夏真っ盛りの月曜日の昼下がり。気怠い勉強から解放され、惰眠と怠惰を貪り喰らう僕の日常は、とある“未来人”を名乗る女性の来訪によって呆気に摩訶不思議な非日常へと変貌してしまった。その女性は未来人らしくネコ型ロボットの秘密道具のような超常的科学技術を駆使して自宅に訪ねてくることはなく、令和の世のマナーを重んじてご丁寧にもマンションのインターホンを鳴らしてやってきた。

しかし、いくら礼節を弁えてきたところで未来人が押しかけてくれば戸惑うし、途方に暮れるのが現代に生きる高校生だ。それ故、玄関前の廊下で腕を組み、何周も何十周も小早く廊下を歩き回っては夏休みボケした脳みそを強引に回転させて、現状理解に努める羽目になった。皮肉にも、出口の無い円形の迷路で必死に出口を求めて彷徨い続けることに等しいほど空虚な時間に過ぎなかった。何より、一番理解に苦しむのが。

ーピンポーンー

最も気掛かりな事の思考を始めようとした途端、電子音が思考を遮った。普段なら特段意識しない電子音であるが、今の自分にはドア先に未来人がいることを強制的に理解させる不協和音でしかなかった。これまで家の安全を守り、不信に駆られることなど一度もなかった玄関の戸が、ただの薄い一枚板に感じたのは16年の人生で初めてだった。体を這って流れる脇汗に不快感を感じ、生唾を飲む。裸足のまま、鍵に手をかけた。

ーガチャリー

鍵は外れた。開錠音が重く室内に響く。体重をかけてカードを絞るようにドアを開けると、眩い白い光と熱波が隙間から濁流の如く室内へと押し寄せてくる。そして、空色の名に恥じない澄んだ青空を自身の魅力を引き出す背景に変えてしまった自称未来人が、そこに待ち構えていた。

「“初めまして”の方が正しいかな、慎美君。君の可愛い彼女の朝日未来だよ。」

如何にも高校生の夏服らしい白い半袖のワイシャツに、グレーを基調としたチェック柄のスカート。ボブカットの黒髪には何故か光る黄色のヘアアクセサリー。太陽の光をいっぱいに浴びて育った大輪の向日葵のような笑顔で自己紹介をしてきた。

僕はこの人をよく知っている。少なくとも僕の通う高校では誰よりもこの女性を知っていると胸を張って宣言できるくらいには知っている。そのはずなのに、全くわからない。手を伸ばせば触れられる位置にいる女性は中学から付き合っている僕の彼女

「朝日未来」に瓜二つ。容姿、雰囲気も、ほぼ間違いなく本人そのものだ。

なのに、胸中は彼女に対する不信感でざわめき続けている。

「せっかく未来からわざわざ会いに来たんだから。少しは面白い反応の一つや二つぐらい見せてくれてもいいんじゃない?」

健康的に少し焼けた腕を体の後ろで組み、両肩を揺らしながら豆鉄砲を喰らった僕を揶揄ってくる。

「そう言われても困るんだけど。」

自分でも思考しているのかしていないのか判断できない脳みそが捻り出した返事は、現状を全く理解出来ていないことが丸裸なほどに苦し紛れの言葉だった。

「慎美の可愛い彼女がちょっと未来から来ただけなのに困るってどうゆうこと?私と会えて嬉しくない?」

「そりゃあ、夏休みに入ってから初めて会ったから嬉しいけど......。いきなり家のインターホンを鳴らして未来から来ましたって言われたら、誰だってこんな反応だって。」

やはり、“自称未来から来た未来”の口調、雰囲気は“現在の未来”と違わない。

けれど、僕の知る未来は自らを未来人だと名乗って僕をからかうような悪趣味な遊びはしない。せいぜい、バレンタインデー当日にクラスの男子全員に義理チョコをばら撒いて別れ際まで僕へのチョコを焦らしたり、友達と楽しく話していると思えば教室に響く声で“慎美は私のこと、世界で一番好きだよね”とか僕に問い始めたりする程度だ。だからこそ、自らを未来人だと名乗る未来が本当に未来人ではないかと思えてしまい、余計に混乱が加速していた。

「それもそうね。さすがに未来から来たことを今この瞬間に理解しろって方が無理があるもんね。揶揄って悪かった。」

彼女は自身の手中で想像通りに反応してくれる僕を見て微かに嗜虐的な笑みを浮かべて楽しんでいたのを止め、高校生にしては落ち着きのあるいつもの声音に戻した。

「とりあえずさ、家入れてくれない?結構、暑いんだけど。」

少しばかりの時間であったが、彼女の額にはうっすらと汗が滲み出ていた。日頃から冷房の効いた部屋で自堕落な生活を送っている僕も、この異常な暑さにはすでに参っていた。

「あぁ、どうぞ。」

「それじゃあ遠慮なく。お邪魔しまーす。」


溌剌とした声で未来人は呑気に家に上がってきた。未来を家に招いたことは何度もあるが、心は落ち着かない。

自称未来人を家に招くなら、当然と言えば当然か。

落ち着かない心に自問自答しながら、リビング中央に鎮座する4人掛けのダイニングテーブルに未来を案内した。冷えた麦茶を注いだガラスコップをテーブルに置き、向かい合うように座る。これまで数え切れないほど互いに顔を突き合わせてきたはずなのに、テーブルの下で握る拳は湿っぽかった。

「生き返ったー。麦茶ありがとう。」

僕の心情は未来にはお構いなしのようで、注がれた麦茶を一気に半分まで減らしていた。

「でも未来から来たのはホント。例えば来週の土曜日に伏見鳥神社で行われる夏祭りへ一緒に行くとか、今年の文化祭であなたの趣味のためにわざわざチーパオを着たり。あとは、確か今年の秋ぐらいにできれば大学も一緒に通いたいから第一志望をって、これ以上言ったら未来の楽しみが無くなっちゃうか。」

未来から来たことを改めて高らかと宣言した矢先、今度は指折りながら未来人である証拠を列挙し始めた“未来”に、思わず訝しい目を向けられずにはいられなかった。

未来から来た?いくら彼女の発言だとしたって、一体それをどう信じろと言うんだ。やはり不信感は拭えない。

それでも、もしかしたら本当に実現するかもしれない出来事の数々を列挙する彼女の声は、懐かしい日々を一つ一つ噛み締めながら思い出のアルバムを捲るかのように在りし日の青春に深ける温もりに溢れるものであった。

全て僕の知らない出来事であるが、彼女が教える出来事は全てホンモノなのだと伝わってきてしまう。

「もしかしなくても、まだ信じてないよね。」

「少しは信じているよ。」

完全に信じてないことがあっさりバレてしまったが、正しい事実に変わりはないのでバッサリと断言しておくことにした。

「そうだと思った。彼女の言葉をちゃんと信じないなんて、彼氏失格なんじゃない?」

テーブルに頬杖をつき、純度100%のあざとい上目遣いとリスのような少し膨らんだほっぺで溜め息混じりの愚痴をこぼした。こういう仕草は今の未来と変わっていない。めちゃくちゃ可愛い。

「でも、ちゃんと未来の私は今の私と違う部分あるよ。」

不意に身体を乗り出し、テーブルの中央ラインを割って僕の領域に割り込んでくる。ー私のことをじっくりと見て、その違いを当ててみなさいー

と言いたげだ。

「その謎に光る髪飾りのこと?」

「もしかして、バカにしてる?」

今度は一気に身を引いて椅子に腰掛け、腕組みしながら呆れた表情を見せた。

「いえ全く。」

「じゃあ、今度はちゃんと見て答えてよ。」

冗談で的外れなことを言った僕に対して、少し呆れながらも再解答のチャンスをくれた。何気ない会話の一幕であるが、未来人とか言わなければ“いつもの未来”とのやり取りと同じだ。冗談はこのぐらいにして、ちゃんと正解を答えようと心に決める。伊達に中学から未来の彼氏をやっているわけではない。玄関を開けて未来と対面した一瞬から、白いワイシャツ生地を内側から息苦しそうに押し広げ、母なる大地を想起させる包容力と暖かな温もりに溢れた二物。そして白地越しに映えるアクアマリン色の肩紐が僕の目には焼きついていた。

「最初からわかってるって。今の未来と比べて胸が大きくなったでしょ。」

「そうよ。今の私よりも一回りぐらいは大きいかな」

今にもふふんと鼻を鳴らしそうなぐらいに誇らしげに胸を張る彼女を見る僕の目線は、無意識に上下へ誘導されていた。今の未来の胸が控えめということはないが、現在の彼女と比べてしまうと未来の未来は思春期男子の脳内妄想を弄ぶにはたやす過ぎるほどに魅惑的なものを持っている。

「あーあ......。遂に見栄を張ろうと未来の技術で....」

「今すごい失礼なこと言おうとしてるよね?違うから。私の実力だから。2035年の世界線の私はちゃんと最初から胸が大きんだから」

冗談を言った瞬間、二言目を挟む時間を与えない勢いで否定してきた。大人びた雰囲気を纏ってるくせに、ちょっとでも揶揄かわれると顔を少し赤させながら本気で否定してくるあたり、どの世界線の未来であっても未来は未来に変わりないのだろう。

「そりゃあ2035年の世界線の自分が羨ましいわ。」

「いつも私のことを可愛い可愛いって言ってくれるよ。ほんと、どの世界行っても慎美は私にベタ惚れなんだから。」

満更でもない笑顔で僕の惚気話をしてくれるのは未来人と言えど、心の底から嬉しいものだ。そして気つけば僕の中の溜飲も下がっており、純粋に未来との会話を楽しんでいた。

「あっごめん、そろそろ時間だ。」

未来はとっさにスカートのポケットからカードのような薄い端末を取り出して呟く。

「時間って?」

「もちろん、未来に帰る時間に決まってるでしょ。じゃあね、慎美。今度はあなたが未来へ遊びに来る番だから。」

そう言い残した途端、未来は眩い光に包まれる。眩しさの余りに視線を下に逸らした一瞬、目線を戻して見ると彼女の姿はもうなかった。無意識に椅子に深く腰を掛け、深く息を吐き出した。泡沫のように、花びらが舞い落ちるように、瞬けば終わりを迎えてしまうような出来事であった。

摩訶不思議な出会いの感傷に浸ろうとしたのも束の間。短パンの右ポケットでスマホが小刻みに震えた。ポケットに手を突っ込んで画面を見てみると、バイブレーションの正体は今付き合っている“現在の未来”からの連絡だった。

「......まじかぁ。」

後頭部を殴られたような衝撃が体を走り、思わず驚嘆の声が漏れ出した。


未来:来週の土曜日に伏見鳥神社の夏祭りがあるみたいだから、一緒に行かない?


ふと目に入った送信時刻を見て、未来の未来と過ごした時間は30分にも満たない僅かな時間だったと知る。


汗をかいたグラスが一つ、目の前に残っている。

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