奥さんのおかげ

尾八原ジュージ

奥さんのおかげ

 略奪婚なんかするもんじゃないなって、結婚してからようやく気づきました。夫がかっこよかったのは、全部前の奥さんのおかげだったのです。

 以前の夫は背が高くて、輪郭がシュッとして、目鼻立ちがすっきりと整って、歯が真っ白で、髪が真っ黒で艶々で、細身の筋肉質で青いスーツがよく似合う、とても素敵な人でした。だから奥さんから奪ったのに、いつの間にかぶよぶよと太って加齢臭のただよう、ただの汚いおじさんになってしまいました。

 奥さんは離婚後、別の男性と付き合い始めたと聞きました。気になって彼女の家をこっそり見に行くと、ちょうどその新しい彼氏と思しき男性と、腕を組んで出てきたところでした。

 新しい彼氏は背が低くて出っ歯で、どうしてあんな人と付き合っているのだろうと思うほどの不細工でした。あんまりみじめに見えたので、私は隠れて笑いました。でも愉快になれたのは一瞬だけで、家に帰ると、汚いおじさんになった夫が待っているのでした。私も夫を何とか元に戻そうと、食生活を管理したり、運動をさせたりしてみましたが、どうしても以前のようにはなりません。

 待ちに待っていたはずの新婚生活は悪夢のようでした。それでも生活力のない私は、夫にぶらさがっているほかないのでした。不倫をしたというので、親からも友達からも縁を切られて、ほかに頼れる人がいないのです。

 灰色の日々が過ぎていきました。そうしてしばらく経ったころ、たまたま街中で、奥さんと新しい彼氏にばったり会いました。

 私は思わず「あっ」と声をあげてしまいました。だって奥さんの新しい彼氏は、いつのまにか背が高くて、輪郭がシュッとして、目鼻立ちがすっきりと整って、歯が真っ白で、髪が真っ黒で艶々で、細身の筋肉質で青いスーツがよく似合う男性に変身していたのですから。私が驚きのあまり立ち尽くしていると、奥さんがこちらをぱっと振り向きました。そして、どきっとするほど華やかに、にこっと笑ったのです。

 私は今度こそ正しく、はっきりと悟りました。何もかも奥さんのおかげだったのです。

 その夜、私は奥さんの家を訪ねました。夫をなんとかして元のかっこいい夫に戻してもらうのか、それとも新しい旦那さんを譲ってもらうのか、何をどう頼んだらいいのかわからないけれど、とにかく直談判をしなければならないと、何かにとり憑かれたかのように強く強く思いました。

 月のきれいな夜でした。いきなり押しかけたというのに、奥さんはちゃんと私を待っていました。チャイムを鳴らす前に玄関のドアを開け、「どうぞ、入って」と微笑んで、私に向かって手招きしました、

 私はふらふらと家の中に入りました。ふかふかの大きなソファに座らされ、甘い紅茶を出してもらいました。

 奥さんは私のすぐ隣に座りました。猫のように柔らかい身体でした。香水でも石鹸でもない、けれどとてもいい香りがして、嗅いでいると頭の芯がくらくらしました。私がぼんやりしていると、奥さんは「危ないわ」と言いながら、私の手から紅茶のカップを取りあげて、テーブルの上にコトンと置きました。そしてくすくす笑いながら、私にぴったりと寄り添って、髪を撫で始めました。それが少しも嫌ではなく、私はされるがままになりました。そのうちに生活の苦しいことなんかを思い出して、ぽろぽろ涙がこぼれました。

 奥さんは泣いている私の顔を両手で挟むと、長い舌を伸ばして、頬を流れる涙を全部舐めてくれました。私はすっかり安心して、両目を閉じ、されるがままになっていました。やがてわたしの唇に、奥さんの柔らかい唇が触れました。奥さんの冷たくて長い舌が、口の中にするりと入り込んできて、私の舌にくるくると巻きつきました。それからまるで植物が根を伸ばすように、私の喉の奥へ、それから体の奥へと、どんどんどんどん入り込んできました。

 蕩けるような悦びのなかで、私は自分の身体が作り変えられていく途中の、みしみしという音を聞き続けました。

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